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テニスの王子様

「お帰り〜、彩香ちゃん」

玄関を開ければ、ニコニコ顔のお母さんが両手を合わせて頬に当てていた。
しかも語尾にハートがついていてもおかしくないくらいの機嫌のよさ。

「た、ただいま……どうかしたの? お母さん…」

「うふふ〜、可愛い風船ねぇ〜、ねね? さっきの男の子はだぁれ? 彼氏?」

「な、何言ってるのよ! 幸村くんはクラスメートでっ…」

「幸村くんって言うんだ、うふふ。だって、さっき『デート』の『記念』だって話してたじゃない。しかも初デートなんでしょ」

幸村くんが買ってくれたハート型の風船を指差して、浮かれてるお母さんに彩香は頭が痛くなった。

「お母さん! 聞いてたの?」

「郵便取りに行こうとしたら、聞こえたの」

「……はぁ…」

珍しく家にいるかと思えば…と彩香はため息を吐くしかなかった。

「もう、これお土産のチョコ! 荷物部屋に置いてくる!」

「あら、可愛い。夕飯もうすぐだからね」

「はーい」

これ以上、変な事を言われないようにお土産のチョコを渡して、トントントンと階段を上がって部屋に行くことにした。
その下でお母さんが未だににやけていたのと何か呟いていたのにも気付かずに。

「彩香に彼氏か〜。パパ、ショック受けるかも。あ、国光が知ってるか聞いてみようっと」

すっかり勘違いした母は両手をパチンと合わせ、姉の嫁ぎ先である手塚家に電話をするのであった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


少し恥ずかしいから母からの追求を躱す為に、やや駆け足で階段を昇ってしまった。
パタン、とドアを閉めると彩香は部屋を見渡した。

「やっぱり、ベッドのとこかな」

ベッドの角の上に風船の紐を括りつけ、プカプカと浮かぶ風船をつついた。

「ふふ、可愛い」

観覧車から降りて、幸村くんの言ったことが気になったが、視界に入ったこの風船に気を取られてしまったのだ。
白い風船の中にある一回り小さな赤いハートの風船…思わず声が出てしまい、それに気付いた幸村くんが買ってくれたのだ。

「ちょっと、待ってて」

「幸村くん?」

「すみません、1つ下さい」

買おうとしている幸村くんを止めようとしたが、ふわふわ漂う風船を店員さんに「どうぞ」と手渡されてしまった。
その際、店員さんに「格好いい彼氏ですね」と言われて慌てて否定してしまった。
恥ずかしさに顔を赤くしていると、フフッと笑う幸村くんが「彼女、照れ屋なんです。今日、初めてのデートだから」とまで言う始末。
確かに『デート』で『初めて』ではあるけど……恋人じゃないのに、と思うと余計に恥ずかしくて、堪らなかった。

「……幸村くんって、意外と意地悪さんだ…」

でもそれも悪くないと思いながら、彩香は風船をもう一度、つついたのだった。
生まれて初めての『デート』は本当に楽しかった。相手が幸村くんという優しい人というお陰かもしれないけど。
一緒に出掛けるというなら、国光とは何度もあったし……前に不二くんとも出掛けたけど……あれは…。

(……もしかして、デートになるのかな?)

自覚をしてのデートは今回初めてだと思っていたけど、不二くんともデートだったのかな。
そんなことを考えて、ふぅとため息が零れた。

(……返事、どうしようかな…)

不二くんのこと、嫌いという訳ではない。むしろ好きな方だが、それは友人としてだ。
わからない。
どうしたらいいのか、どうすればいいのか。

(……待たせる訳にもいかないよね…)

誰かと付き合う、なんて考えたこともなかった。だからだろうか、気持ちが分からない。
窓辺に置かれたサボテンを眺めてそう思った。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


倉橋さんを送った後、自宅に帰れば母親から「なにか楽しそうね、嬉しいことでもあったの?」と聞かれ、頷いた。

「お兄ちゃん、彼女とデートして来たの?」

「フフッ……なんだい、いきなり」

小学生の妹がお土産のチョコを片手に聞いてきた。

「だぁって、いつもお土産なんて買ってこないのに、今回に限ってあるんだもん」

しかもこんな可愛い缶のチョコ!と続ける妹に、俺は苦笑してしまった。
倉橋さんが家族に買うの。と言うもんだから、つい俺も買ってしまった。
確かにたまにテニス部のみんなと出掛けたことはあったが、土産なんてよっぽどのことがなきゃ買ったことなかったな。

「で? 彼女ってどんな人? 綺麗? 可愛い?」

肯定も否定もしていないというのに、やや興奮気味で聞いてくる妹の髪をクシャリと撫でて言った。

「残念だけど、彼女じゃないよ。俺、着替えてくるから」

後者は母さんに向かってだ。なんだかこのままいるとしつこく聞かれそうだし。

「すぐにご飯だからね」

「うん」

嘘だー!と言う妹の声を耳にしながら、自室に入った。

(彼女じゃないよ……まだ、ね)

開いていたカーテンを閉めようとして手をかけて、止まった。
見上げた群青色の天に浮かぶ月があまりに綺麗で、倉橋さんも見てたらいいな、と思ったからだ。

(寝る前にメールしよう)

今日は楽しかった、と。そして、また行こう。と送ってみよう。
君はどんな返事をくれるだろうか。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


翌日、学校への道を歩いていると誰かが後ろに体当たりしてきた。

「っきゃ…」

「おはよーん、彩香」

「ゆ、紫ちゃん!? おはよう」

振り向けば、綺麗になびくウェーブの髪を手にかけている紫がいた。その隣には弟の切原くんの姿もある。

「おはよーっス、倉橋先輩」

「おはよう。揃って登校なんて仲がいいんだね」

「まっさか、一緒の時間に起こされるから時間が合うのよ。それに遅刻させたりすると真田がうるさいのよ、姉である私が起こさないからって」

やれやれという風に紫が両手を上げると、赤也はそれに反発した。

「姉ちゃんだって、朝練ない時はゆっくり寝てるだろうが!」

「朝練ない時くらい構わないじゃない。それにアンタが遅刻するのはアンタの勝手なのに、なーんで私が注意されなきゃなんないのよ、このワカメっ!」

「るっせ! ワカメって言うな! 赤く染めてやろうか?」

「ハッ、そんなことやれるもんならやって「…いいな…」……彩香?」

赤也の耳を引っ張り言い合いをする2人を見ていた彩香は思わず笑ってしまい、一触即発な2人は横を振り返った。

「……ごめ、ごめんね。なんだかやっぱり仲が良くていいなぁて思って」

クスクスと手を口に当てて笑う姿に、紫も赤也も顔を見合わせた。

「私、1人っ子だから兄弟って羨ましくて」

「や、でも手塚くんがいるでしょう」

「うん、国光はお兄さんみたいだけど、本当は従兄だし。紫ちゃんや切原くんみたいなことしないからな〜」

確かにあの手塚と彩香では切原姉弟のような下らない会話はしないだろう。というか手塚が想像出来ない。

「そ、そうだね。そういえば、もうすぐテストだけど勉強してる?」

「まぁまぁかな。紫ちゃんは?」

「私もまぁまぁかな。数学は雅治に教えてもらうからなんとかなると思うし」

「仁王くんって数学得意なの?」

「アイツああ見えて出来るのよ」

「へぇ、そうなんだ羨ましい」

その会話に赤也は黙っていた。彼は英語が大の苦手でいつも点数がギリギリか赤点ばかり。

「切原くんは……ってどうかした?」

「……な、なんでもないっス」

「そんな風には見えないけど……なにか悩みでも?」

優しく言われたせいか、赤也は思わず涙目になる。

「お、俺……英語がヤバいんスよ…」

「あ〜〜、赤也は英語が致命的にヤバいからね〜」

「うっ……うるせーよ」

「アンタの英語の成績で幸村たちが何度怒ったか……改めなさいよ」

「わ、わかんねーもんはわかんねぇんだよ!」

「分からないって、どれくらいなの?」

言い合う2人に訊いてみると、紫はため息をついて答えた。

「中1レベル以下、もしくは小学生並み」

「小学生って……中学2年生だよね?」

「なんかヒドイっス……倉橋先輩」

「ああっ! ごめんなさい!」

「……倉橋先輩って英語得意っスか?」

「私? ん〜普通だと思うけど」

そういった途端、ガシッと両手を掴まれた。

「俺に英語教えて下さいっ!」

「え、ええ!?」

「だめっスか?」

「こら、赤也! 手を離しなさい! 彩香と勉強一緒になんて許さないわよ!」

紫は赤也の手を離そうとしているが、それに反発して赤也はギュウッと手を握りしめる。

「うるせーな、姉ちゃんには関係ねーだろ!」

「関係あるわよ!」

「……き、切原くん……いた…い」

そう言ったと同時に赤也の手を誰かがバチンと叩いたせいで、彩香の手を離した。

「朝から何をしている」

「や、なぎくん」

「大丈夫か? 倉橋」

「ナーイス、柳」

「イテテテテ……何するんスか、柳先輩!」

振り返ればそこには柳の姿があった。その隣には真田と楓、幸村の姿も。

「お前こそ何をしてるんだ、赤也」

「たるんどる!」

「彩香、大丈夫?」

「フフッ、赤也?」

現れた3強と楓。楓はすかさず彩香に駆け寄り、手を擦る様子を見た。

「あ、おはよう。楓ちゃん」

「おはよう…って、違くて、手大丈夫?」

「う、うん。大丈夫だよ」

それより。と楓の後ろを見れば紫は苦笑し、ジリジリと3強に責められそうな赤也の姿が目に入る。

「あの、柳くん!」

その声に柳だけではなく真田も幸村も振り返った。

「大丈夫かい、倉橋さん?」

「大丈夫だよ、幸村くん。あ、それでさっきはありがとうございました。でも大丈夫だから、切原くんをそんな怒らないであげて?」

ね、と首を傾げれば、柳たちは「倉橋がそう言うのなら」と赤也から離れた。
だが、なぜ手を掴んだかと言う話になり、赤也の英語の勉強は柳と真田が見てやるという話になった。
教室に入ろうとした時、彩香は言い忘れてたことを思い出し、振り返ると

「おはよう、幸村くん。昨日は楽しかったね」

その笑みに幸村もにこやかに笑い返したのだった。





To be Continued


あとがき

幸村とのデート篇の続きでした。
学校の様子で、切原姉弟はなんだかんだと一緒に登校、楓と真田は家が隣の幼なじみ故一緒に登校して来ればいい。


2009/11/22


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