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テニスの王子様

 9時に非常階段で待ってるから

不二くんから告げられてから、早くも9時になりそうだった。
一応、消灯時間は9時半と決まっているが点呼等はない。既にお風呂にも入って、後は寝るだけになっている。
時計を見て、彩香は(どうしよう…)とため息を吐くしかなかった。
チッチッチッと時間は迫りくるのを耳で聞きながら、彩香は座っていたベッドから立ち上がった。

「彩香?」

「ちょっと、出てくるね」

「え、あ、うん」

疑問を抱く楓に「消灯までには戻る」と伝えて、彩香は部屋から出て廊下の脇にある非常口へと足を向けた。
キィ…と若干重い扉を開けると窓から注ぐ月光の中に、不二が立っていた。

「、ご、ごめんね。待たせちゃったかな…?」

「そんなことないよ」

「なら、良かった……」

「……」

「……」

続く言葉が見つからず、互いに無言になってしまう。
彩香はどうしたらいいのか分からず、だんだんと顔を俯かせていくしか出来なかった。

「……倉橋さん」

時間がどのくらいの速度で流れているのか、分からない気がしてきた。
この沈黙が長いのか、はたまた全く時間が過ぎていないのか、そんなことを考えていると名前を呼ばれ、顔を上げると昼間と同じように不二が真っ直ぐ見つめてきていた。
普段はにこやかに笑っている目元はこちらを凝視している。

「倉橋さん、前に言ったけど、僕は君が好きなんだ。良かったら付き合って欲しい」

「……ふ、不二くん…」

真っ直ぐ見つめてくる眸に射られそうで、目を逸らしたいが逸らすことを許さないと言わんばかりの眼差しに彩香は戸惑った。

「僕のこと、嫌い?」

「……そんなことないよ! でも……」

「でも?」

「不二くんのこと、そんな風に考えたことなくて……」

「……じゃあ、試しに付き合ってみて、考えてみてくれないかな?」

「……そ、それは…ちょっと…」

「…どうして?」

「わ、私……付き合うとかならちゃんと好きになってから付き合いたくて、だから、その……今は……っ!?」

次の瞬間、目の前には眸を閉じた不二の顔があった。

(…っ、キスされて──)

驚きで、力を振り絞ってドンドンと胸を叩くが、後頭部を押さえられているせいか、ビクリともしない。

「んぅ……んんっ…」

苦しくて、息を吸い込もうとすれば口づけはより深くなる。

「…、好きだ…」

呟きを耳にしながらも、不二は彩香を抱きしめて離そうとはしない。
長いキスのせいか、彩香が力が抜けたのが分かったのか、不二の力が緩んだ瞬間、ドンッと突き飛ばした。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


パンッ!と乾いた音と頬に走る痛みに、彼女を見て、不二は呆然とした。
今にも泣き出しそうな歪んだ表情(かお)と涙に濡れ、怯える眸。

「……倉橋、さん……」

ギュッと眸を閉じた後、彩香はその場から走って行ってしまった。

「倉橋さんっ!」

名前を呼んでも振り返ることもなく彼女はその場からいなくなってしまった。

「……僕は…何を……」

クシャと前髪を掻き上げ、壁に背を預けるとずるずるとしゃがみこんだ。
頬に触れるとジンッと痛みが走る。
「好き」という想いが大きすぎたから、とか理由にはならない。
何にせよ、彼女の口唇を奪ってしまったのだから。
嫌われてしまったら……それだけで目の前が暗くなるような気がしてくる。

「〜〜〜〜っ、」

言葉にならない気持ちが胸の中で騒めく。苦味が広がっていった。
ドンッ!と床を殴るも、言葉を溢した。

「……君が、好きなんだ…」

それは、紛れもなく本音。
好きで好きで堪らなくて……それだけで、彼女を傷つけた。
嘲笑いたくなる気持ちを胸に立ち上がろうとして、人の気配を感じた。

「………そこに隠れているのは誰かな」

「っ!」

「出ておいで」

非常階段の上にいたのだろうか、カツンカツンと降りてくる足音を聞きながら、上を見上げているとそこには

「あ、あの……すみませんでした、その、聞くつもりは……」

「佐藤さん……」

目を泳がせ、おどおどとしているのは、桃が連れてきた2年生の臨時マネージャー。

「……こっちこそごめん。気まずい思いをさせてしまったね」

「い、いえ! あ、あの……不二先輩、どうして倉橋先輩に告白を?」

「変かな?」

「そ、そうじゃなくて、倉橋先輩は手塚先輩の彼女なんじゃ…」

その言葉を聞いたのは久々だった気がする。

「クスッ……倉橋さんと手塚は付き合ってなんかいないよ」

「えっ? で、でもいつも仲睦まじく、今日も一緒にご飯食べてたり……」

夕食の時、確かに二人は当たり前かのように並んで食べていたのを思い出す。

「二人は従兄妹同士なんだよ、確かに仲がいいけど、付き合ってはいないよ」

今までは手塚が傍にいることで倉橋さんは誰からも交際を申し込まれることなかった。
手塚という牽制役がいたからだ。
そんなことを頭の中で思っていると、目の前にいる佐藤さんが何かを考えたのか、ぐっとこちらを見上げた。

「あ、あの……私でよかったら協力しますっ!」

「え?」

顔を赤くしながらも、その心の内にある想いはなんだろうと思いながらも、僕は「ありがとう」としか言えなかった。
もう手段は選ばないよ、倉橋さん。
だって、僕は君が欲しいんだ。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


バタバタと廊下を走っていた。

(なんで……)

ガタガタと身体が震える、嫌だ、やめて。
バタバタ共用トイレに駆け込んで、個室に入った。
部屋には楓と紫がいる、心配させる訳にはいかない。そう思い、しゃがみこんだ。
頬に熱い滴が垂れ、ポタポタと床に涙が落ち、水玉模様が出来上がる。
不意打ちだなんて、酷い。
口唇のファーストキスはまだだったのに……。
酷い、酷い。なんで、どうして?
不二くんを初めて怖いと思った。

「……どう、して……」

その呟きに答える人はいないのに彩香は口に出していた。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


翌朝、彩香はどんな顔をして不二に会えばいいのか分からず、ため息をついた。
夕べは部屋に戻った時に、楓たちには目にゴミが入ったとごまかしたが、彼女たちは何も言わなかった。そんな優しさに少しホッとする。
朝食を作っている時に、佐藤さんからの視線が気にはなった。昨夜のことがあるせいか気まずいな。
しばらくするとザワザワと人が集まってくる。

「おはよう」

「あ、国光。おはよう」

後ろから声を掛けられ、振り向くと国光がいた。隣にいた楓ちゃんも挨拶していると、ジッと見つめられた。

「どうかした? 国光」

お願いだから、何も訊かないで。そう思っていると、何か言いたげな国光は眉間に皺を寄せたが何も訊いてはこなかった。

「いや。朝食はお前たちが作るんだったな」

「うん、口に合うといいんだけど…」

「彩香の作る物ならなんでも美味いから大丈夫だろう」

そう言って国光は席へ行ってしまったが、その後国光の台詞に真っ赤になる桜乃ちゃんたちにからかわれてしまった。

「恋人じゃないのが不思議です」

何度聞いたか分からない発言に彩香は苦笑するしかなかったのだった。
時折、不二くんと目が合うが気まずくてついつい目を逸らしてしまう。まだ今日は挨拶もしていない。
こんなの失礼だ、と思うけどどうしても直視出来ない。
それでもつい目で追ってしまうのは気になるのだろうか。
ふに、と口唇に触れると昨夜の事を思い出してしまう……。

不二くんの事は嫌いではない。
でも付き合うという気持ちにはなれないのだ、どうしても。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


気まずい思いを抱きながらも合宿は進んでいく。
傍らにはいつも楓ちゃんか国光がいるから1人になる事はあまりなく、時々不二くんと目が合う。
だけど、あの日の夜の事があって私は近づくことは出来ずにいた。
でも今日の午後は青学へのタオルとドリンク当番でいつまでも避ける訳にはいかなかった。
パコーン、パコーンとボール音がして、テニスコートを見れば不二くんが桃城くんと試合をしている。
次々とカウンター技を出していく様はまるで本気のようだった。
それはあまりにも華麗な姿で、見惚れてしまうくらいだった。
キュッと口唇を噛んで彩香は手塚の元へとタオルとドリンクを運んだ。

「国光」

「ドリンクとタオルの配給に来ました〜」

「すまない、ありがとう」

手塚は少し柔らかな顔を、彩香と楓に見せ、号令をかけた。
わらわらとテニスコートからベンチへとみな集まって来る。
勝手に籠からドリンクを持っていく人や、受け取る人がいる中、不二は彩香に近づいてきた。

「ドリンク貰えるかな、倉橋さん」

「……ぁ、は、はい」

いつもと変わらない様子に彩香は内心困りながらも、ドリンクを手渡せば、その手をグッと掴まれた。

「…っ!」

「逃げないで」

「………不二、くん…」

「お願いだから…」

「……」

その表情は少し切なそうな顔で、彩香は何も言えなくなる。でも彩香は今は不二が怖いと感じるのだ。
オドオドと眼を泳がせる彩香にいち早く気付いたのはやはり手塚だった。

「彩香、こっちへ来てくれ」

「あっ、うん! ごめん、不二くん!」

天の助けとばかりに彩香は不二の手を払って手塚の方へと走っていった。

(……ごめん、まだ…怖い)

ちらりと振り返った先の不二は眉を寄せ、哀しげな顔をしていた。
そして、ただジッと彩香を見つめていた。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ねぇ、手塚くん。彩香のことなんだけど」

ドリンクとタオルを持って来た沢渡は使用済のタオルを籠に掻き集めながら、話し掛けてきた。

「彩香、何かあったよね」

「あぁ……」

彩香の心配をしてくれる沢渡に有難く思い、手塚は微笑した。
合宿初日の夜から不二の様子が、二日目の朝には彩香の様子がおかしいのに気付いた。
不二が話掛けようとしているが彩香は避けているのだ。合宿は人数が多いからあからさまではないが、気付いた者はそういないだろう。
何か、あったのだろう。
そして視界に入った二人の姿。彼女が怯えているのが分かった手塚は彩香を呼んだ。
パタパタと寄って来た彩香は困ったような傷ついたような表情をしていた。
ポンと頭を撫でれば、彩香はホッと安堵の表情を見せた。

「彩香、大丈夫?」

「う、うん。ごめんね、楓ちゃん。私も手伝うから!」

なんとか笑う彩香を見て、手塚と楓は顔を見合わせた。
少し、気分転換をさせなくてはならないかもしれない。
心が乱れている彩香を。




To be Continued



あとがき

書き直しなんですが……話がややこしくなってきてしまいました。
どう収拾しようかと思う(考えなし)

2010/02/02:初出
2010/04/04:再出


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