39

テニスの王子様

「──さん、倉橋さん?」

「えっ?」

「どうかした? 具合でも悪い?」

顔を上げるとそこには幸村くんの姿があって、ドキッとした。

「う、ううん! 大丈夫。ごめん、ボーッとして……」

「そう、ならいいんだけど」

しまった。仕事中だというのに考え事をしてしまうなんて。
でも幸村くんの笑顔にホッとしてしまい、こちらも笑った。

「倉橋さん、今時間ある?」

「え、あ……洗濯は終わったから、ボール拾いしようかなって……」

「じゃあ、ちょっと付き合ってもらってもいいかな?」

「どこに?」

「買い出し。もうすぐ合宿も終わりだろう。打ち上げみたいなことするみたいで、何か買ってこいって言われてね、だめかな?」

「う、ううん……あ、でも紫ちゃんたちに「紫たちや手塚たちには言ってるから大丈夫だよ」……そうなの?」

「もちろん、先生方にもね」

ちらりと楓ちゃんたちを見ると手を振って、行っておいで。と言っている。
多分、気分転換に行ってこいってことなのかもしれない。
ちらりと不二を見て、ボールを打っている姿が目に入る。そして近くでタオルを持っている佐藤さんの姿。
以前聞いた話を思い出して、ため息をついた。

『私、不二先輩が好きなんで……協力してもらえないでしょうか?』

真っ直ぐとした眼差しで言われた。協力についてはだめと言える訳もなく、なにも言わなかったが、あまり不二くんといないようにした。

『……逃げないで』

『……先輩って、ズルい』

なんで……佐藤さんは不二くんとの事を知っていたんだろう。
ズルい、と言われて気付いた。
確かにズルいかもしれない。はっきり断ったら大切な友人がいなくなってしまう気がして、だから……逃げて、はっきりと言えなかったのかもしれない。
応えることなんて、出来ないのに。
ついつい考えていると

「……行こうか」

「う、うん!」

肩に手を置かれ、促されるまま買い出しに行くことになった。
なにも幸村くんが行かなくてもいいのでは、と思ったが今回の合宿は1、2年中心だから3年生はわりかし自由が多い。

二人がコートから離れていく様子を不二はただ見つめていたのだった。
それを幸村はちらりとと振り返って見たのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


合宿所からそれほど離れていない場所にショッピングモールがあった。
専門店が数多く並ぶのは観光地もあり、スポーツ施設などが多いせいかもしれない。

「結構品数が豊富だったね」

「みんな楽しめるといいよね」

「そうだね。重かったら言ってね、いつでも持つから」

「大丈夫。幸村くんだって荷物あるんだし」

「フフ、平気だよ、これくらい。……あ、ちょっといいかな?」

幸村は公園を見つけると、園内のベンチに荷物を置き、彩香を座らせた。

「少し休もうか、帰りも歩きなんだし…………それに、」

「それに?」

聞き返すと幸村は微苦笑して、彩香を見た。

「……なんだかここ最近、倉橋さん。元気ないようだから気になって」

「っ、」

「ごめん、無理に聞こうとは思わないから……でも、何かあった?」

ジッと見つめてくる藍色の眸にドキッとした。
初めて会った時も綺麗だな、と思った。それはどこか不二に似ていて……。

「あ、あの……その…」

何故かは分からないけど妙に焦ってしまう自分がいて、彩香は目を逸らすことしか出来なかった。

「無理に聞いたりはしないから、大丈夫だよ」

「…………ありがとう…」

もしかしたら、買い出しはこの為だったのかもしれない。
だから楓ちゃんや国光が行っても良いって言ったのかもしれない。
合宿の手伝いに来ているのに迷惑ばかりかけているな…。
何があったかは言えないけど、様子はおかしかったのはきっと国光なら分かった筈だ。
ポンと頭に何か乗ったと思ったそれは、よしよしと頭を撫でていた。優しいその手つきに恥ずかしくなる。

「ゆ、幸村く……」

「そうだ」

話し掛けようとしたら、隣に座っていた彼が急に立ち上がったのに彩香はびっくりした。

「幸村くん?」

「ちょっと待ってて、すぐ戻るから」

「え? ちょっ……」

「動かないでね」

駆けていった後ろ姿を眺め、彩香はベンチに腰を下ろした。
やや山沿いであるこの地域は東京や神奈川よりもほんの少しだけ寒く、紅葉している木がある。

(……紅葉の季節はすごい見頃なんだろうなぁ〜)

少し気持ちが上向いてきたのか、そんな事を考えながら、つい足をぷらぷらしてキョロキョロと眺めていた。
そんな時、車道からパッパー!とクラクションを鳴らされ、振り向けば赤いワゴン車が一台止まっていた。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


前から元気のない、というかどことなく様子がおかしい倉橋さんに気付いたのは2、3日前からだった。
困ったような顔で時折不二をジッと見ては、目が合うとパッと逸らしたりしている。
そして、不二も倉橋さんを見つめていたが近づこうとはしていない。何か言いたげな顔をしつつも、倉橋さんに避けられる度、グッと悔しそうな顔をしている。
無論、二人の様子に気付かない手塚ではないが、楓に何か教えられたらしく、何か考えていた。

「手塚、どうかしたのかい?」

「幸村……少し頼まれてくれないか?」

「ん?」

一体なんだろう、と疑問を抱きながら話を聞いた。

「買い出しに行ってくれないか?」

「買い出し?」

いきなりの事に、なんで俺が?という気持ちになったのは言うまでもない。そんなのは跡部か真田とかに行かせればいいじゃないか。
だが次の言葉で俺は頷いた。

「彩香を少し気分転換させてくれないか」

「……。倉橋さん……彼女、何かあったのかい?」

「ああ、おそらくな。だが、あの様子では誰にも言わないだろう……それでだ」

手塚は俺を見て言葉を続けた。聞かされた話に驚きはしたが、そんな風に手塚に伝わっているとは思わなかった。

「叔母がやたらと騒いでいてな」

「……ふぅん、そう」

思わず口が緩みそうになる。
そして意外にも手塚にこの気持ちがバレていたとは……隠す気もなかったけれどね。

「本人から聞いてはいないが楽しかったようだ。だからすまないが頼む」

「フフ、分かったよ。…………ねぇ、手塚、聞きたい事が一つあるんだが」

「……彩香と俺は従兄妹だ。彩香の事は妹のように何よりも大事だ、だがそれだけだ」

言いたい事が分かっていたようで訊く前に答えが返ってきた。
つまり従兄妹として好きなだけという意味だろう。

「そうか、分かった。すまない」

「いや。では頼む」

「ああ…」

手塚に信用されていると思ってもいいのだろう、それか前に何度か彼女を助けたからだろうか……。
刹那、何か引っ掛かる気がしたが、目の前の自販機のボタンを押し、取出し口からお茶の缶を取った俺は嫌な予感がして、倉橋さんの元へ走った。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「やめて下さいっ!」

「いいからいいから、遊びに行こうよ」

「そうそうドライブしようぜ」

「連れがいるので困りますっ…」

車から降りてきた人たちはしつこくて、泣きそうになった。
断っているのになんで分かったくれないのだろう。
掴まれた腕が嫌で堪らない、逃げようとしたが、彼らは無理やり車に乗せようとする。

「……チッ、いいから乗れよ!」

「ちょっ……むぐっ!?」

ガッと腕を取られた上、叫ぼうとしたら手で口を塞がれた。車まで引き摺られてしまう。危ないと本能が動く。

「んっ、ん――っ!(っ、やっ……誰か……)」

暴れて逃げようとしながらも、腕をガッチリ押さえつけられ、車に押し込まれそうになった時だった。
そこに、ドゴッ!という凄まじい音が鳴った。見れば車のドアに窪みが出来ていて、紅茶の缶が転がっていた。

「お、俺の車っ……テメェ、なにしやが──っ…」

男が文句を言おうとした瞬間、彼らの横を何かが過ぎて、またドコンッ!という音が鳴った。
今度はお茶の缶が転がっている。

「……彼女を離してもらえるかな」

いつもより低い声と共に彩香の腕が急に自由になり、突き飛ばされ、男たちは慌てて車に乗って行ってしまった。
急な展開に彩香はその場に座り込んだままでいると、「倉橋さんっ!」と名前を呼ばれた。
振り向けば、心配そうに眉を八の字にしている幸村くんの姿。

「大丈夫? 怪我はしていない?」

その姿に、彼に助けられたのはこれで何回目だろうか…と頭の中で思いながら、彼の姿を見てホッと力が抜けた。
頬に熱いのが零れ、助かったという安堵の思いと、先ほど味わった恐怖とで、彩香は幸村に抱きついたのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


嫌な予感は当たり、ベンチへ戻れば倉橋さんの姿はなかった。
辺りを見渡せばくぐもった声が聞こえ、口を手で塞がれた上に車に乗せられそうになっている彼女の姿。
カッとなった俺は持っていた紅茶の缶を、奴らのすぐ脇を狙い投げ付けた。
何か文句を言われたが、お前らに言われる筋合いはないとばかりに続けて、買ったお茶の缶を投げれば、彼女を突飛ばし逃走した。
逃がす訳にはいかない、ナンバーは覚えたから跡部に調べさせ、見つけだしてやる。
そんなことを思いながら倉橋さんの元へと走り寄った。茫然としている彼女に申し訳ない気持ちで声を掛けた。

「大丈夫? 怪我はしていない?」

こちらを見つめてくる倉橋さんの眸が揺れたかと思えば、胸にしがみついてきた。

「ゆ、き村、くん……怖かっ……た…」

震えながら話す倉橋さんが堪らなく愛しくて、俺は抱き締めた。

「ごめん! 俺が1人にさせなければ…………よかった、無事で…」

なんで1人にさせたんだろう。
危険なのは合宿所だけではないはずなのに、楓や手塚に言われていたはずなのに。
腕の中で小さく泣く倉橋さんの頬に流れる滴を指で何度も拭い、彼女が落ち着くまで抱き締めていた。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


謝る幸村に彩香はただ首を横に振った。
幸村くんは何も悪くなんてないのに。
頭のなかでそう思いながらも、今は言葉に出来ず、口から漏れるのは嗚咽だけだった。
車に無理やり乗せられそうになるという恐怖はなかなか震えを止ませてはくれなかった。
それを落ちつかせようと幸村が抱き締めてくれるのを彩香はホッとする気持ちと、どうしようという気持ちに苛まれていた。
でも、その行為はとても安心出来て、怖さが薄らいでいくのが分かる。

(……幸村くんて……ホッとする…)

面識は合ったものの、親しくなったのはここ1ヶ月ちょっとの間だというのに。
何度も助けられて……申し訳ない気持ちがあるけど、なんだか嬉しかった。
そう思うと、ドキンドキンと胸が高鳴っていく。顔が熱くなる。

(……一体、なんで…?)

抱き締めてられてる、からかな。
そんなことを思いながら、顔を上げれば綺麗な顔と眸があった。
キュッと涙を拭われ、幸村に謝られた。
むしろ助けてくれて感謝してるから、と告げれば、それでも1人にしたのは俺だからと告げられ、それに彩香は反論したのだった。
ドキドキと心臓が早くなるが、彼の腕の中は国光の腕の中のようで心地がいい。





To be Continued



あとがき

毎度毎度ワンパターンですみません。二度とあることは三度ある。幸村がヒロインを助けるのは最早偶然ではなく必然なのかもしれません。
ちょっと文章がおかしくなっていて矛盾が起きつつあります、本当にすみません。

感想頂けると嬉しいです。
ご拝読ありがとうございました!

初出:2010/02/12
書直・再出:2010/05/01


-44-

青空 top