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「すみませんでした」
「いや、仕方がないよ。こちらとしても後二日で終わりだし、気にするんじゃないよ」
「でも……」
「あんたはよくやってくれたよ、倉橋」
頭を下げて、謝罪すると竜崎先生がポンポンと頭を軽く叩きながらそう言ってくれた。
今回、私は先に合宿から帰宅することになった。昨日の一件で、無意識にだが男性に恐怖を感じているのが分かってしまったからだ。
といっても一部だけなんだが、マネージャーとしてはとても仕事にならないからである。
他のマネージャーさんたち、楓ちゃんや紫ちゃん、桜乃ちゃんたちにも申し訳なさでいっぱいだった。
佐藤さんは……何故か顔を逸らされてしまったのは少し気になるけど(……不二くんとのこと知る訳じゃないよね…)
その不二くんと目が合うといつものようにニッコリと微笑みをくれたけど、少しだけ固い気がして、満面の笑みを出せなかった。
幸村くんたちにも謝れば、仕方ないと言われたが「ごめんなさい」としか言えなかった。だって臨時とはいえ、先に帰るマネージャーって何?って思うもの。
頭を下げて、跡部くんが用意してくれた車に国光と乗り込み、私は合宿所を後にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
倉橋先輩が合宿から先に帰ると聞いたのは昨夜のミーティングの時だった。
各校の部長・副部長、マネージャーが呼び出されたのは昨夜。
後から来た立海のマネージャーと手塚先輩。
「遅くなってごめん!」と言って入って来た切原先輩に沢渡先輩。そして倉橋先輩が入ろうとして止まった。不思議で眺めていたら、辺りを見渡してからも入ろうしない。手塚先輩が背を押し、中へと促した。
そこから発覚した倉橋先輩の男性恐怖症。軽いものらしく、立海の方や知り合いは大丈夫みたい。
でも他校が多いこの合宿では足手まといになるらしく、手塚先輩や氷帝の跡部さんに帰るよう言われていた。
申し訳なさそうにいる倉橋先輩には悪いけど、私は少しホッとした。もう不二先輩が倉橋先輩ばかりを見つめている光景を見なくて済むから。
だって今も心配そうに近寄って話している。悔しいじゃない、好きな人が自分を見てくれないなんて。
各校でミーティングをするということになって、手塚先輩が大石先輩にミーティングの事を頼み、私たちは移動した。
部屋に行く途中、大石先輩が心配そうにしていたのをただ聞くしかなかった。
「倉橋さん、大丈夫かな」
「そうだね、色々心配だな…」
「だよな、拉致されそうになったなんて……手塚も心配だろうに」
「ナンパとかは前々から多かったみたいだけど、車で連れ去られそうになるのは流石に怖かっただろうね…」
「全く、怖い世の中だよ。佐藤さんたちも気をつけるんだよ」
「はーい」
「わ、私はナンパとかされたことないから大丈夫です」
大石先輩の言葉に元気に答える小坂田さんに、苦笑しながら頷く竜崎さん。
私は手を振りながら答えると「それでも気をつけるんだよ」と言われてしまった。
その時、不二先輩が少し振り返って出てきた部屋を見ていたのがみえて苦しくなる。
そんなにも、倉橋先輩が好きなんですか?
でも倉橋先輩は明日からいなくなる。合宿はまだ日にちがあるから、先輩といられる時間があるのは嬉しいし、倉橋先輩がいないのはもっと嬉しくなる。
人って怖い……少しだけど憧れていた倉橋先輩をここまで嫌になるなんて。
そんなことを思いながら、青学メンバーとのミーティングが始まり、途中で手塚先輩が加わった。
手塚先輩は明日、倉橋先輩を送っていくらしい……どこまで甘いんだろうか、手塚先輩は。
さっさとくっついてくれたら、こんな風にならなかったかもしれないのに。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あーあ、彩香がいないってのになーんで私はまだここにいるかなー」
「楓、文句を言ってないでタオル持って来ておいてよ」
「はいはい。うるさいな〜、幸村は!」
文句を言いながらもパタパタと走っていく楓を視界の端で留めながら、ランニングをしている後輩たちに喝を入れる。
「ほら、そこ! ペース落ちてきてるよ!」
「「「はいっ!」」」
この時間は主に基礎練習でどこの学校も似たようなことをしている。
ふと青学のジャージを見かけて、朝、倉橋さんが改めて謝りに来たのを思い出した。
隣には手塚がいて、守るように一緒に車に乗り込み帰って行った。
本当は最後まで過ごしたかったけれど、倉橋さんのことが心配で仕方なかった。
(ああ、早く合宿が終わらないかな……)
そんなことを思いながら、ラケットを手にして次期部長である赤也の相手をしようと、コートへと入った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
パァッン、パァッン!と壁にボールを打ちながら、何も考えないようにしていた。
少しでも気を抜くと、昨夜の倉橋さんの顔を思い出してしまうからだ。
『……ごめん、ね。不二くん……でも、気持ちは嬉しかったの……ありがとう…』
少し涙に濡れた眸で言われてたのを思い出して、弾んだボールを真下へと打ち付けた。
ボールはパンッ!と跳ね上がり、落ちてくるのを手の中に収めた。
くしゃりと前髪を掻き上げ、まだまだ諦めきれない自分がいることを実感する。
当たり前だ、そんな簡単に諦められるようなら、始めから恋なんてしなかっただろう。
まして、相手は無自覚で好きな人がいるというのに。どうしてでも欲しいと思った。
「不二やないけ」
「……忍足…。どうしたんだい、こんなところで」
名前を呼ばれ、振り返れば伊達眼鏡をした氷帝の忍足。
「なんや、荒れとるなぁ。よかったら俺が相手になるで」
「……あぁ、お願いしようかな」
少しでも気持ちを紛れさせてくれるなら、試合でもなんでもするよ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
跡部が用意した車に揺られ、神奈川へと向かう車中にて彩香が口を開いた。
「……おばあちゃん、びっくりするよね」
「まぁ、仕方ないだろう」
「で、でも『あの事』は別に言わなくても……ほら、合宿が早まったとか言って誤魔化したらいいんじゃない?」
心配かけたくないのだろうが、それはダメに決まっているだろう。と言えば、むぅ…と口を尖らせた。
あの拉致事件を『あの事』と暈している時点で口に出来ない怖さがあるのだろうと気付く。その証拠に作った拳が少し震えていた。
俺は昨夜もあまり寝ていないであろう彩香の頭を肩へと引き寄せた。
「国光…?」
「あまり寝ていないのだろう、着いたら起こしてやる。今は寝ていろ」
目隠しをするように目元を手で覆えば、それに両手が添えられる。
小さな声で「離れないでね…」と呟いた声はかすかに涙声だったのに、気付かない振りをして「あぁ」とだけ答えた。
くっついた体温と微かな車の音に、彩香は次第に寝息をたてていった。
「…………お疲れ、」
たった1日の間に色々あって、体力的にも精神的にも疲れたのだろうと、手塚が彩香の髪を撫でた。
今頃、合宿所でテニスをしている友人を思い出して、手塚はなんだか申し訳ない気持ちになったのは、彼がチームメイトであったからかもしれない。
(だが、決めたのは彩香だ)
それに、彩香の気持ちはどこに向いているか、なんとなく予想がついてため息を吐いた。
(……これも、嫉妬、かもしれないな)
幼い頃から、それこそ生まれた時から一緒にいた大事な存在を助けられなかった自分
それを助けた、彩香が無自覚に意識している存在に。
それでも……彼女が幸せならば。
手塚は何も言わず、ただ慈しむかのように彩香を撫でていたのだった。
急遽、帰宅した孫たちに祖母は優しく迎えたが、理由を聞いて倒れそうになったのは別のお話。
「国光っ!」
「どうした」
「皆さんに謝っておいてね!立海と跡部くんには特に!……それ、と……不二くんに、メール待ってるから、って伝えて……」
「あぁ、分かった」
頷く手塚を見送り、合宿所へ戻る車を、彩香はただ見つめていた。
To be Continued
あとがき
すいません。訳が分からなくて。
不二とは一応決着しました。一応。
とりあえずは合宿編終了ー。
2010/06/10