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朝、俺は倉橋と同じ電車に乗り、学校へと向かっている。
同じ学区であり、家も近所であるなら別段何も問題はない。
問題があるとすれば、俺が倉橋の家に泊まり、一緒に家を出たということだ。
まぁ、一番知られてはいけない人物には昨日のうちにバレた。
倉橋の祖母が誘ってくれたのもあって精市も口には出せなかったようだが、今日、明日は弦一郎の家に泊まれ。と命令された。
仕方あるまい、好きな女の家に恋愛感情はないとはいえ、他の男が泊まるのであれば尋常ではいられない。
ふと、傍らでつり革に掴まる倉橋を眺めてみる。
ダークブラウンのストレートの髪に白い肌、長い睫毛に桜色の口唇。顔の作りは上の中から下、綺麗ともいえるし可愛いともいえる部類だ。
ただ外見がいいだけなら精市も好意は寄せない。彼女は俺たち──王者 立海テニス部を普通に扱ってくれる人でもあった。
まぁ、そこは手塚の傍にいたというのもあるかもしれないが、特別視されている人間を特に気にしない、そんな所を精市は気に入っているし、俺とてそう思っている。
精市もさっさと告白するなり、なんなりすればいいものを、俺の予想では彼女も精市に好意を抱いているはずだ。
昨夜、精市が帰っていった後のことを思い出すと、口の端が少し上がった。
「倉橋? どうしたんだ、こんなところで」
「え、えと……あ、…ええ!?」
「(……大分、混乱しているようだ)精市はもう帰ったのか?」
「っ、!? え、あ、ゆゆゆ幸村くんは……か、帰った…よ…」
「大丈夫か? 何か精市にされたのか?」
「──っな、ななな何も…何もされて、ないよ。うん、…………あれはきっと何かの冗談で……」
「(最後の方は聞き取りにくいが何かされた確率は96%…)」
わたわたとなにか落ち着かない倉橋はブツブツブツとなにか小声で話している。
色々訊ねてはみたが、動揺しているのか真っ赤になりながら、しきりに指を触っていた。
とりあえず、俺は風邪でも引かれては困ると思い、倉橋を家の中へと促した。
その後は、倉橋家の団欒に混ぜてもらいながらも話題は精市のことばかりで、倉橋の母親など頻りに「初デート」の事を聞いていた。
因みに倉橋の父はそれを聞き、お茶を噴いたのには多少笑った。
ガタンっ!と車内が揺れ、トンっと隣にいた倉橋がよろけたのを支えた。
「大丈夫か?」
「うん、ごめんね。ありがとう」
ニコッと笑う倉橋に俺も微笑で答えると、どこからか声が聞こえた。
『え、やっぱ付き合ってんの?』
『うそ、マジで?』
立海の生徒が増えてきていることに気付き、あと一駅で下車駅だ。
なにやら噂になりつつあることにどうしたものかと悩ます。一番誤解をされたくない人物には理由を話しているが、それ以外となると少々厄介になるな、とため息をついた。
「(……倉橋に何かあったら、精市に何を言われるか)」
「どうかした? 柳くん」
「いや、なんでもない」
「そう」
ニコッと笑い、倉橋は何もなかったように車窓から流れる景色に眼をやっていた。
あまり気を張らないあたりでは、傍にいるのが嫌ではないな。
そう思いながら、俺は弦一郎に今日、明日泊まることを伝えなくてはと思ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
駅から出ると行き先は同じである為、柳くんと時折会話をしながら歩いていた。
多分、一人でだったら昨日の事を思い出して、百面相するかもしれないし……なんだか悶々と考えそうだから、柳くんがいてくれて良かったかもしれない。
「立海の体育祭って結構、盛り沢山なんだね」
「あぁ、でも青学もさほど変わりないのではないか?」
「うーん、まぁ、基本的な競技は変わらないと思うけど」
「だろうな。倉橋はどんなことをしてたんだ」
「私? 私はチアガールとかしたよ。組の女子みんなで衣装作ったりして」
「ほぅ…(写真でもあれば面白そうだな)」
「後は、借り物競争に出たかな」
去年の、青学にいた時のことを思い出しながら話すと、懐かしくなる。まぁ、今の時期は文化祭の準備もしていた。
今年ももうすぐだ。楓ちゃんと一緒に行こうかな……なんて考えていると声を掛けられた。
「あれ〜? 柳と彩香? 電車一緒だった?」
「紫ちゃん、おはよう」
「紫と赤也か、おはよう」
「おはよう」
「柳先輩、おはよーっス。あ、倉橋先輩も」
振り向けば、切原姉弟がいた。
彩香はきちんとしている紫とは対照的な赤也に目をやった。
ブレザーは着ているものの、ネクタイが歪によれていた。
彩香は思わず、ふふっと微笑すると、赤也は「なにか面白いもんあったんスか?」と視線を追ってキョロキョロした。
「ごめんなさい、違うの。切原くんのネクタイがよれてたから気になって」
「あー、俺、ネクタイ結ぶの下手で、なんかうまくいかないんスよ」
エヘヘ〜と笑う切原くんに、彩香はまたふふっと笑った。
なんとなくリョーくんぽいな、なんて思い、手を伸ばした。
「そうなの? ちょっとかして」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝、姉ちゃんに起こされ、朝練に遅刻だ!と焦って着替えたら、同じテニス部員からコート整備で朝練がないことを知った。
多少余裕が出来、姉ちゃんと一緒に学校へ向かう。
すると前方に長身でサラサラの黒髪の見知った人物を見つけた。
姉ちゃんも気付いたらしく、声を掛けたら、隣には青学の部長、手塚さんの従妹とかいう倉橋先輩がいた。
二人並んで歩いてところを見て、一瞬「え、付き合ってんの?」と疑問を抱いてしまったのは、誰かが柳先輩に彼女が…というのを言っていたような気がしたからだ。
まぁ、いっか。と挨拶すれば、ふふっと倉橋先輩がこっちを向いて笑った。
「なにか面白いもんあったんスか?」
そう訊いて、後ろを振り向くが何もない。
倉橋先輩は「ううん」と首を横に振り「ごめんなさい、違うの。切原くんのネクタイがよれてたから気になって」と言われた。
確かにネクタイがよれていた。
立海に入学してから2年経つが未だに上手く結べない。
まさか、母さんにやって。なんて言えず、姉貴にはもっと言えない。
言ったら最後、部の先輩たちに馬鹿にされる。特に仁王先輩や丸井先輩に。
「あー、俺、ネクタイ結ぶの下手で、なんかうまくいかないんスよ」
笑ってごまかせ、とばかりに頭を掻いているとまた先輩は笑った。そして──白い手がスッと伸びてきた。
「そうなの? ちょっとかして」
ふわっといい香りと共に、ネクタイを綺麗に結んでくれる倉橋先輩のアップにドキッとした。
間近で見たことはあまりなかったけど、この人、よく見るとすんげぇ綺麗だ、いや可愛い。
シュッと結ばれ、ポンッと胸元を叩かれた。
「キツくないかな?」
「え、…あ、はい……大丈夫っス……」
「そう? それなら良かった」
今度はニコッという感じで笑ってくれて、俺はなんか顔が熱くなるのを感じた。
「あー、ズルーい! 彩香、私のも結んで〜」
「えー? 紫ちゃんはちゃんと結べてるじゃない」
「いーの! 彩香に結んでもらえるだけで運気上昇よ」
「なにそれ、変なの」
姉ちゃんの訳も分からない言い方に笑いながらも、倉橋先輩は姉ちゃんのネクタイを一旦緩め、さっきと同じように結んでいく。
「おー、さすが彩香! 綺麗に結べてる〜」
「そんなことないよ」
「いや。赤也といい、紫といい、いつもよりキチッとしているな」
柳先輩がそういって、倉橋先輩はまたクスクスと笑った。
なんか、可愛い。綺麗だけどクスクス笑う顔は綺麗というより可愛い。
ぼーっとしてる俺に気付いたのか、倉橋先輩は首をかしげた。
「切原くん、どうかした?」
「い、いえ! なんでもなっ─」
なんでもない。そう言おうとしたらまたあまり日焼けしていない白い手が伸びてきた。
スッと髪の毛に触れたと思えば、手には葉っぱがあった。
「ついてたよ」
それは松の葉だった。
「刺さってたら痛かったかもね。でも切原くんの髪って、ふわふわして触り心地いいね」
モジャモジャとかワカメと不本意だけど、そう何度か言われてきていた。
だけどそんな風に言われたのは初めてでどうしたらいいのかいっぱいいっぱいだった。
「……あ、ありがとっスッ」
そう言ったらまた優しげに微笑んでくれた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
──なんだ、アレは。
学校へと向かう途中で、倉橋さんを見つけた。ついでに蓮二と赤也、紫も。
声を掛けようとして、倉橋さんの白い手が赤也の首へと伸ばされたかと思うと、ネクタイを結んでもらっている。
(……俺でさえ、まだしてもらっていないのに、赤也の分際で)
見れば紫までしてもらっている。
まさか、朝、蓮二にもしているんじゃ……そんな新婚ごっこのようなこと許されないな。
しかもまた赤也に近づいて、何かしている。
笑った倉橋さんに赤也が真っ赤だ。ふぅ〜ん、そう。
「やぁ、おはよう。みんな」
少し足早に歩いて、声を掛けると蓮二を始め、「おはよう」と返ってくる。
そんな中、倉橋さんは肩をビクッと奮わせた。
「倉橋さん、おはよう」
「お、おは、おおおおはようっ…」
ニコッと笑いかけると、真っ赤な顔をして、吃っている。
「……彩香? どうかした?」
「う、ううん! なんでも……あ、私、用事が……先に行くねっ!」
「え? 待って、彩香」
走っていってしまった彼女に呆然としていると、クックッと笑う蓮二に目をやった。
「見事、逃げられたな」
「煩いよ、蓮二」
「まぁ、そう怒るな……倉橋は恥ずかしがっているだけだ」
小さく小声で言われ、蓮二を見ると、フッと微笑している。
倉橋さんが意識していてくれている。その事実に思わず、頬が緩んだ。
その時、赤也が少し睨んでいたことに俺は気付かなかった。
To be Continued
あとがき
どうやって終わらせよう、という感じになってます。
感想など頂けたら嬉しいです。
2010/08/28