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テニスの王子様

幸村くんに腕を取られ、引きずるように連れて来られた場所は男子テニス部の部室だった。
慣れた手付きで鍵を差し、扉が開いた。入ったのは海原祭以来だ。

「そこに座って」

椅子に座らされ、見ていると冷蔵庫だろうか、そこから氷を出し、タオルで包んで渡された。

「はい、早く冷やして」

「あ、ありがと…ございます…」

ひやりとしたタオルを頬に当てると気持ちが良かった。やはり少し腫れてしまい熱を持っていたようだ。

「…………」

「…………」

しばらく無言が続く。
今の時間はどこのクラスも自習だが、しーんと静か過ぎて、彩香はどうしたらいいのかと悩んでしまう。

「……具合、」

「え?」

「具合はもう大丈夫なの?」

「う、うん。薬飲んだし、もう平気だよ」

「そう、よかった…。あ、ケーキ美味しかった。料理上手なんだね」

「そんなことないよ。でもありがとう、そう言って貰えて嬉しいよ」

微笑んでくれた幸村くんを見て、なんだか照れてしまった。
そして、嬉しい──そう思えたのは「美味しかった」と言われたからだ。
でも少し居心地が悪いのは、さっきのせいかもしれない。
なんて言ったらいいのか分からず、彩香は笑顔で返した後、気まずさで顔を逸らしてしまった。

「…………」

「…………」

沈黙が流れ、あまり音も聞こえない。

「……さっきの、倉橋さんが凄く格好いいと思ったよ」

「え?」

思いがけない言葉に彩香は顔を上げた。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……さっきの、倉橋さんが凄く格好いいと思ったよ」

そう言ったのは本心からだった。
そう、凄く格好いいと思えたんだ。毅然として揺るがない彼女が。

『好きだからって間違ってるわ。好きだから? 何をしても許されるというの?』

彼女は今まで何かをされてきていたのだろうか。
そんなことを思わせるような悲痛のような表情を一瞬だけ俺は見逃さなかった。

好きだから、好きなら、何をしても許される?

そんなことは決してない。
だが、それを無視してまで人は盲目的に人を見てしまう。
それは理想とし、虚像へと変えていく。

「……凄く、感動したんだ」

「幸村くん…?」

彼女が俺たちを、俺を普通の中学生だとしか思っていないことを。
ずっと特別扱いされていた俺を、彼女は初めから、ただの人として見ていてくれていた。

「……倉橋さん」

「幸村、くん?」

俺は倉橋さんに視線を合わせるように屈むと、彼女はジッと俺を見てくれる。
冷やしている頬に手を添えた。

「……お願いがあるんだ」

「お願い…?」

「うん、一度に言うよ」

「う、うん…」

ゴクリと唾を飲み込んだのに、口の中が、渇いていく感じがする。
あぁ、緊張してるんだとどこかで思いながら、口を開いた。

「これからは毎日俺と帰って欲しい、君を名前で呼ばせて欲しい、――最後は、君のことが好きだからずっと傍にいさせて欲しい…」

「……え、」

呆然とする倉橋さんの表情が、だんだんりんごのように真っ赤に染まっていく。

「俺と付き合って欲しい」

「え、……えぇ?」

「……駄目かい?」

「……っ!」

耳まで真っ赤になった倉橋さんが可愛くて堪らなかった。

「前に訊いてきたよね、『好きな人いる?』って。本当はあの時には君の事好きだった」

「……」

「でも君に気持ちを伝えるのは早い気がして、気になる人がいると答えたんだ」

「……なんで…?」

驚いたのか、訊いてくる倉橋さんを見つめた。

「きっとあのまま告白しても断られるだろうと思ったんだ。俺も君も互いにはまだよく知らなかったし、でも君を知っていく度にますます好きになった。だから合宿の時、我を忘れてしまいそうになったよ。君と一緒にいたいし、きちんと送ってあげたい」

「幸村、くん…」

「倉橋さんは俺のこと、どう思ってるのかな?」


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


突然の告白に頭の中が真っ白になった。
そして真っ直ぐ見つめてくる幸村くんの眼差しに顔が赤くなってしまっているのが分かるくらい、熱い。

「わ、私は……あ、あの、」

「……」

「あの、ね……その…」

『私も好きです』たったそれだけなのに恥ずかしくて言えずにいた。

(どどどどうしよう……)

きっと顔が真っ赤なのは今更変えられず、恥ずかしくてギュッと眼を瞑った。
それと同時にふわっと抱きしめられる。
まるで壊れ物を扱うようにたどたどしく、でも優しく抱きしめる感触に眼を見開いた。
そこにはほんのりと頬を染める幸村くんの緩んだ顔があった。

「……ごめん。でもそんな顔されたら自惚れちゃうよ……」

「……っ、」

「──彩香、って呼んでもいいかな…?」

耳元にかかる吐息と、発せられた言葉に胸が一層速くなる。
もうコクコクと頷くことしか出来なくて、どうしようもなかった。
頷くとバッと幸村くんが肩を掴んだまま離れた。
ここで顔を合わせるのが恥ずかしくて、私は斜め下を見つめていたが、ちらりと幸村くんを目線だけで見上げると真っ赤になっている。

「……ゆ、ゆき、むらくん…?」


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


たどたどしい声で上目遣いで見てくる倉橋さん……彩香の姿に俺は耐えきれなくなった。
もう一度ギュッと抱きしめて、もう一度気持ちを伝えた。

「好きだよ、彩香」

途端に跳ねる彩香の身体が愛しくて可愛らしくて、堪らなかった。

「……わ、私も……好きです…」

キュッと背中に回った手と胸に当たる彩香の額に俺は嬉しくてますます抱きしめた。
あぁ、ようやく俺のモノに、手の届く隣に彼女を置けた。
ドキドキといつも以上に動悸が速くて、彼女に聴かれるいるだろうけどそんなこと気にはならない。
だって君を想う気持ちがダイレクトに伝わるだろうし、俺にも彼女の早まる鼓動が伝わっている。
そっと手を頬に添えると熱い。彼女は恥ずかしいのだろう、やや涙目になりながら視線を合わせないようにしている。

本当に、可愛い、愛しい。

頬を打たれたのを思い出し、そこへ口づけをする。ビクッと揺れる身体をそのままにもう一度キスをした。
恥ずかしさで瞑っていた眸がそっと開かれるのを待ち、眼が合うと俺はもう一度気持ちを伝えて、口唇にキスを落とした。

「好きだよ、彩香」

チュッとリップ音が部室に響いた気がしたけれど、構わない。
だって真っ赤になる彼女が可愛いから。何回でもしてあげるんだ。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


部室から出たのはチャイムが鳴ってからだった。
その間にされたことに幸村くんの顔を直視出来なくて、恥ずかしくて、私は俯いたままだった。
それでも変化と言えば、幸村くんがずっと右手を繋いでいること。
チラリと見上げれば、ニコニコと絶やさない笑みにドキドキしとまた視線を逸らした。
恥ずかしい……顔が赤くなるのを感じて、口唇を噛んでしまう。きっと情けない顔をしているんだろうな……。

「彩香ーっ! 戻って来ないから心配して……」

「倉橋先輩、大丈夫っス……か…」

「彩香、顔が赤いけど大丈……」

足音のする方を見れば、楓ちゃん、切原くん、紫ちゃん、他にも柳くんや真田くんたちもいる。けどなんでみんな黙っているの?

「「「「「……………」」」」」

「……み、みんな……?」

じーっと見られているのを目線で追うと幸村くんと手が繋がれている私の手。

「あっ……」

思わず手を離し、恥ずかしくて顔を俯かせた。
途端に楓ちゃんと紫ちゃんが私に寄ってくる。彼女たちによって、ぐいっと引き離された。

「幸村ーっ、アンタなに彩香と手ぇ、繋いでんのよー!」

「なにしやがったっ!」

離された幸村はムッとしたが、それでも彩香と想いが通じたことにニコリと笑みを浮かべた。

「なにって、彩香と手を繋いでいただけだよ」

「「……彩香…」」

カァ〜と赤くなる彩香、名前を呼んだ幸村の二人を互いに見た楓と紫は悲鳴に似た声を上げた。

「いっやぁぁぁ〜〜! 彩香が幸村のモノになるなんてぇぇ!」

「そうよっ! 彩香、止めときなさい! あんな腹黒っ!」

「……幸村くんって、腹黒いの?」

キョトンとして首を傾げる彩香に、誰もが唖然とした。
たった今も黒いオーラみたいなのを出して、冷ややかに笑っているのに気づかない。

「……そんなの感じたことないけど…」

「いやいやいやいや! 何言ってんスか、倉橋先輩!」

「知らないなんて幸せだよなぁ」

「そうっスよ、だいたい倉橋先輩と喋ってたりすると特に黒…」

「フフッ……後でお仕置きが必要かな」

赤也たちがゾッとしたのは言うこともないことだった。
彩香と言えば、赤也たちの言葉は聞こえなかったのか早まるな!などと楓と紫たちに言われていた。
一瞥したのち、幸村は彩香を後ろから抱きしめた。

「きゃっ……」

「──楓や紫には悪いけど、彩香は今日から俺の彼女だから、ね」

「……は、はい…」

真っ赤になる彩香に幸村はフフッと微笑した。

──ようやく、手に入れた大事な人。




To be Continued


あとがき

ようやくくっつきました。が、まだちょっと続きます。
よろしくお願いいたします。

感想頂けたら嬉しいです。


2011/01/03


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