(1)
推薦入試も無事に終わり、後は卒業式のみを迎える三年生たちの授業は割りと簡単になっていた。
「彩香、」
「精市くん、どうかした?」
「今日、ちょっと用事があるから一緒に帰れないんだ」
「……そっか。先に帰るね」
「ごめんね、また明日」
精市くんはそう言うと鞄を肩に掛けて、教室から出ていってしまった。
その後ろ姿を見送った後、彩香は楓と一緒に帰ることにした。
「幸村の様子がおかしい?」
「うん……ここ2、3日一緒に帰れなくて……何かあったのかなぁ?」
「そういえば、最近私と一緒だもんね。テニス部に顔を出してるとかじゃない?」
「…………」
「それかうわ「沢渡、勝手な事を言うな」柳」
「柳くん…」
「……精市が彩香をおいて他の女にうつつを抜かす確率など1%もないから、そんな哀しげな顔をするな」
ぽんと頭に乗る手は優しくて、国光を思い出してしまう。
顔を見上げれば、いつもより柔らかい笑みを浮かべて、フッと笑ってくれた。
「哀しげな顔、してた?」
「ああ。だがなんの心配もいらん」
「柳くんがそういうなら……」
「彩香って、柳を随分信用してるよね」
少しニヤニヤしてる楓ちゃんに不思議に思いながら、口にしていた。
「だって柳くんって国光みたいでホッとするんだ」
「国光はこんな糸目じゃな……ご、ごめん! ごめんてば、柳! だから開眼は止めて!!」
「…………」
「そうじゃなくて、なんだか安心してしまう感じが……お兄さんみたいで」
楓ちゃんが抗議したけど、似てるってあくまで雰囲気だよ。と思いながら説明すると、柳くんはこちらをみて微笑してくれた。
「お前にそう思われるとは光栄だな」
「えー、そんなことないよ。寧ろそんな風に思ってごめんね」
「いや、構わない」
(……もしかして、柳って彩香のこと…)
クスクスと笑い会う姿を眺めながら、楓はそんなことを思ったのだった。
「で、柳は幸村が何してるのか知ってるの?」
「フッ、勿論だ」
「そっか、で? 何してる訳?」
「……」
「精市が黙っているものを俺がむやみに話すとでも思っているのか」
「いや、思わないけど……じゃあどうしたのよ、こんなところで」
「帰り道なだけだ」
柳がややため息がちにそう言ったのを聞いて、それもそうかと納得した。
(そういや彩香とは近所なんだっけ)
「じゃあ柳くんも一緒に帰らない?」
「構わないが。そういえば姉が倉橋に会いたいと言っていた、近々家に来てやってくれ」
「百合子さんが? じゃあ今度お伺いしますって言っておいて」
「ああ」
二人の会話を聞いていると少し疑問が生じた。
「百合子さんて?」
「我が家の姉だ。倉橋を気に入っていてな」
話を聞けば、彩香は何度か柳宅へ行っているらしい(お祖母さんと一緒に。ここ重要)その縁で柳のお姉さんと仲良くなったとか。
彩香も姉というものに憧れがあった上に柳の姉が素敵らしく、懐いたとか。
なんかもう倉橋家と柳家は交流が深くなっているみたいだ。まぁ言うなれば、うちと弦一郎の家みたいなもんだろうな。
「なんだかアンタたちが仲良いのが分かった気がするよ……でも幸村が妬かないように気を付けなよ」
助言めいたことを言えば、彩香はキョトンとしていたが、柳は苦笑していた。
あぁ、なんかあったのかな?でも幸村は柳を信頼しているから大丈夫だろう。
柳とて激烈相思相愛の二人の間に入る程、愚かではないだろうし。
色々会話をして、分かれ道で二人と分かれた楓は二人の後ろ姿を見つめた後家路についた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「精市くん、本当に何してるの?」
沢渡と分かれた後、途中まで歩いていると隣の倉橋が訊いてきた。
少し不安なのだろう、やや眉が八の字になっている。
精市の考えることと言えばこの時期なら多少分かるかもしれないが、倉橋には考えつかないのかもしれない。
「大丈夫だ、心配することはない」
「……ならいいんだけど」
多少なりと精市が羨ましく思う時がある。
倉橋という存在を手にしている親友が羨ましいのだ。
この気持ちに名前をつけようなどとは決して思わない。付けてしまえばどうなるか分からないからだ。
──分からない、か。
普段の自分ならそんなことは思わないのだが。だがいまはこれでいいのだ。
柳はそんなことを思いながら、彩香の隣を歩いたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
自宅についてからも彩香は少ししょんぼりしていた。家路の途中で柳が何度も大丈夫だと言ってはくれたが……不安なのだ。
いつもいつも傍にいてくれた幸村が離れてしまうことに。
(……依存してるなぁ)
これじゃ嫌われてしまうとまた悲しくなった。
先週の幸村の誕生日には仲良くお祝い出来たというのに。
その時の事を少し思い出した彩香は枕に顔を押しつけた。頬が熱くなるのを感じた。
「……精市くん…」
名前を呟いても返事がある訳ではないが、呟いてみると余計切なくなったのだった。
彩香がグズと鼻を啜ると、気分転換に散歩をしようと外へ出ることにした。
近くのコンビニへ行き、温かいココアを手に入れると声を掛けられた。
「彩香ちゃん? 彩香ちゃんじゃない?」
「百合子さん! お久しぶりです」
振り向いた先には大学の帰りなのか柳くんのお姉さんである百合子さんがいた。
「や〜ん、久しぶり。買い物?」
「はい。百合子さんは帰り途中なんですか?」
「そうよ。そうだ、せっかくだから家に寄っていってよ、久々にお話したいし、蓮二も喜ぶわ」
「柳くんが?」
「ふふ、いいから。いいから」
綺麗な笑みに負けて、柳くん宅へお邪魔することになった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ただいま〜。ほら上がって、彩香ちゃん」
「お邪魔します」
弟の同級生で、お祖母様の友人のお孫さんである倉橋 彩香ちゃんは丁寧に頭を下げてから上がった。
通した広間にはお祖父様とお祖母様がいて、彩香ちゃんの姿に笑みを浮かべた。
お茶菓子を用意する前に自室へ荷物を置きに行ったついでに蓮二の部屋をノックした。
お客様が来てるからお茶の用意を頼んで。
蓮二はため息を吐きながら、部屋から出てきた。我が弟ながらでかい。というか中学生のくせに(来月には高校生だけど)こんなに背が高くていいものか。なんて思ってしまった。
とりあえず、蓮二にお茶を頼んだ。ふふちょっと驚くかしら、なんて思いながら広間へ行くと彩香ちゃんはお祖母様と会話をしていた。
お待たせ、なんて言って座ったらお祖母様から視線を向けられたけど、お茶菓子なら蓮二が持って来ますって。
襖がスッとスライドすれば、盆にお茶とお饅頭を乗せた蓮二がいた。
「お邪魔してます、柳くん」
「……姉さんが無理矢理連れて来た確率、93%」
「そんなことないわよ、ね。彩香ちゃん」
「は、はい」
「全く、倉橋に迷惑だろう」
失礼しちゃうわね、彩香ちゃんはそんなことないって言ってるのに。だが蓮二はフッと笑うだけ、なんとなく腹が立った。
「大丈夫だよ、私も百合子さんに会いたかったし」
「ありがとう! 彩香ちゃんって本当可愛い! こんな妹が欲しかったわ」
「悪かったな、弟で」
「そんなこと言ってないでしょう。アンタはアンタで出来が良すぎるけど大事な弟なんだから。彩香ちゃんにヤキモチ妬かないの」
「別にヤキモチなぞ妬いてない」
「柳くん、お姉さん取ってごめんね」
「倉橋まで何を言っているんだ」
「えへへ」
二人を見ていてふと思った。
「ねぇ彩香ちゃん。家はみんな柳だから蓮二の事も名前で読んだら? 私の事はともかくたまに混乱しそうになるし」
「……え、と」
「姉さん、倉橋は「柳くんさえよければ」……は?」
なんだか蓮二が驚く姿を見たのは久々な気がする。
「いや、倉橋お前は異性を名前で呼ぶのは身内か精市だけだろうが」
「うん、そうなんだけど……なんだか柳くん家にお邪魔させてもらうこと多くなったせいか、柳くんをお兄さんみたいに思えちゃって……」
「……そうか」
「うん……」
「では蓮二でも構わない」
「私も彩香でいいよ」
「いや、それは無理だな」
「え? どうして?」
それには私も彩香ちゃんも蓮二の顔を見た。その顔は少し苦笑いだ。
「倉橋を名前で呼んでみろ、精市が怒るだろう」
「え……そうかな?」
精市……幸村 精市くんは何度か会ったことがある美少年だ。ちなみに彩香ちゃんを溺愛する恋人らしい。
物腰柔らかそうだし、優しげだから大丈夫じゃない?と思うけどね、名前呼ぶくらい。
「だが倉橋が言ってくれれば多分大丈夫だ。……多分」
「大丈夫だよ、精市くんは怒らないって……蓮二くん、でいいかな?」
「ああ、頼んだぞ。彩香」
「……なんかアンタたち可愛すぎるわっ!」
なんだか分からないけど初々しい感じがして堪らなかった。
二人が仲良くなるのを見た百合子はニコニコしながら、二人に抱きついたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そのまま百合子さんや蓮二くんのお母さんに夕飯を一緒に、と言われてしまった。お祖母ちゃんが待ってるからと言ったけど、既に連絡したのか『せっかくだからご相伴与りなさい』とのこと。
色々話していると8時もすっかり回っていた。
「そろそろお暇します」
「え〜、もう?」
「あら、もうこんな時間? 蓮二送っていきなさいね」
時計を見て蓮二くんのお母さんがそう言った。「当たり前だろう」と立ち上がった時に、メールがなった。
失礼します、と断りを入れてから確認をすると精市くんからだった。
とりあえず、後でするね。と返信した後、蓮美さんたちにお礼を言ってから柳家を出たところで電話が鳴った。