知らず、識らずに
志保の話を聞いた新一がどこか呆然としていた。
その様子を気にしない振りをしながら、白馬は慎重に彼を見ていた。
やがて彼は席を立つと「ちょっと博士に訊いてくる」と呟いてふらりと自宅を後にした。
「で?」
隣に座る黒羽と前に座る服部は頬杖をついて、白馬を見ていた。
「で、とは?」
「本当は知ってんじゃねーの? 志保ちゃんの相手」
「…………知りませんよ」
「ほんまかい」
「本当ですよ。それに、時期が合わないんです」
「合わない?」
本格的な職業ではないとしても(そもそも学生である)探偵を生業としている以上は苦手な知識はあるものの、独身男性ならば分からないことがあるのは女性に関してだ。
妊娠から出産までは十月十日だと言われている。極端な話、2月14日にエッチをしたら、子供が生まれるのは12月24日だと思っている輩がいるというらしい。
実際は最後の生理開始日から数えるものだということを知識としては知っては、いる。
彼女──志保曰く、愛莉は早産だったと言っていた。それが本当かどうかは分からない。彼女がウソをついているかもしれない。
ただし、彼女の上司にあたる大学教授は彼女が妊娠に気づいたのは夏に入ってからだと言っていたし、それまでは相変わらずほっそりとした身体だったと言っていた。それを他の人からも聞いた。
「彼女の妊娠時期が分からないのです」
もし、この場に彼女がいたら冷たい眼差しで「男ってくだらない事を気にするのね」と言い放つであろう。
予定日がいつだと聞かされれば、いつの頃のだろうと邪推な考えを持ってしまう。
「「……………」」
黒羽と服部は顔を見合わせた。
時期が合わない、分からないとなればそこから推測する材料は彼女の娘──愛莉の誕生日または出産予定日から逆算することだ。
だが、そこで躓くのだ。
彼女に子供がいる──その事実に、相手は誰だと誰もが考える。
初めて、愛莉に会った時は驚愕しかなかった。
母親がイギリス人である白馬は夏休みに母方の実家へと赴き、真純も母親が志保と暮らし始めたと聞いて遊びにイギリスへ渡った大学1年の夏。
せっかくだからと、真純は白馬を伴ってメアリー宅へと誘った。そこにいたのはよちよちとつかまり立ちをしながら歩く女の子。
見れば、どこかで見た事がある。ふわふわな髪は短いながらも小さなリボンがつけられていた。
髪は茶髪よりは明るくて、肌はもちもちの真っ白。
眸は翠に近い蒼にも見えた。
「マー…」
「はいはい、抱っこね」
小さな小さな赤ちゃんと言える幼子が志保へと手を伸ばし、志保は優しく慈しむような柔らかい顔をして抱き上げているのを目撃したのだ。
宮野志保を、日本にいる時の宮野志保または灰原哀を知っていたからからこそ、それに呆然としたのだ。
あの、クールでツンしかなかった彼女はどこへ行ったのか、混乱したのは言うまでもない。
ただ彼女ははっきりと言ったのだ、自分の子供である、と。よろしく、と言ったのである。
父親は誰かなんて直ぐに真純が問いかけたが、志保はただ赤ちゃん抱っこしたままで微笑んでいた。
それは「訊かないで欲しい」という表れであり、メアリーからも「詮索するな」と厳しく注意を受けた。
余計な事は訊くな。
下手な詮索はするな。
それらをすれば、たちまち志保は子供を連れていなくなるぞ、と言われてしまえばどうすることも出来ない。
彼女はやると決めたらきっと実行する強さはまだあったはずだ。だからこそ、失踪するかもしれないと踏んでメアリーも妊娠を告げられた時から父親の事は訊かなかった。
白馬はともかく、真純は母の家である自宅で過ごそうとしていた。
当然ながら、赤ちゃん──愛莉があまりにも可愛くて手放せなくなるなんて考えもつかなかった。
その為、志保には愛莉の父親を訊いてはいけないと思った。
それは白馬も同じである。
しかし、と思考をする。
あの彼女が、身体を許す相手がいるとは到底考えられない。
唯一いるとすれば───誰もが思うであろう、この館の主である。
だからこそ、黒羽も態と言ったのだ。本人を前に、彼に身覚えがあるのかどうか。
だが、それは杞憂であったのか、彼は全く身覚えどころか純粋にただ何も知らないようなのだ。
この推理は間違ってはいないと思っていたが、可能性である彼が潰れた。
違う人だと考えなくてはならない。
でも、と白馬はそれでも自分の考えを捨てきれずにいる。
いっそのことDNA鑑定をすれば直ぐに分かるであろう。しかしそれは志保が望んではおらず、自分の探求心を満たすだけの自己満足である。
『探偵はキライよ』
彼女は言っていた。知ってほしくないことまでも土足でズカズカと勝手に上がり込んで暴いていく。
誰にだって知られたくないことがあるのに、暴くだけ暴いて………真実が1つだとしても、ヒトの気持ちは1つだけではないでしょう。
嘲笑めいたように話す彼女に、暴くだけではダメなのだと思わされたこともある。
「………だから、」
黒羽と服部は白馬を見た。
「だから、僕は志保さんを支えたいと思っていますし、愛莉さんの父になりたいと思っています」
「………なんちゅーか、愛、やなぁ」
「俺だって志保ちゃんの旦那さんになりたいつーの」
「中森さんがいらっしゃるでしょう、黒羽くん」
唇を尖らせて話す黒羽にすかさず白馬が物言えば「青子は、まぁ置いといて」なんて言うから、服部が「浮気か」とちゃかし始めた。
先ほどまでの張り積めた雰囲気は霧散し、そこからは男子学生らしい会話へと変化していく。
青子の話題を出された黒羽はすかさず服部の和葉への話へとずらしていく。
大阪に残して来た彼女とはなんとか上手くいっているようで、彼女は彼女でライバルであった大岡紅葉と仲良くなったらしく、結構放っておかれた正月の話をしていた。
「その紅葉ちゃんてぇ、昔 服部の事好きだったんだってぇ?」
「だ、誰から聞いたん?」
「工藤〜。胸が当たってニヤニヤしてた服部を見たって言ってた……」
「ニヤニヤって……そりゃ、あないデカイ乳押し付けられたら誰やって……」
「……そんな、デカイの?」
「ああ、高校生とは思えない大きさやったで」
「マジ?!羨ましい〜〜」
大学生らしい話なのだろうか、白馬はため息を吐きながらもまだ熱い鍋から具を掬い、食べていると、ガチャガチャと玄関が開いたようだ。
「まぁまぁ、落ち着くんじゃ新一」
「だから、なんで博士こそ落ち着いていられるんだよ」
「だからお前さんには関係ないじゃろ」
会話からして、新一と博士が来たようだ。
ダイニングへと顔を出した阿笠博士は三人の顔を見て「久しぶりじゃのう」と顔を和らげた。
「おー、博士。明けましておめっとさん。一緒に呑もうや」
「明けましておめでとう、博士。鍋もあるよ」
「服部くん、黒羽くん久しぶりじゃのう。頂くとするかの」
それを聞くと服部は腰を上げて、酒の追加を用意しにキッチンへと向かった。
「先日ぶりですね、阿笠博士」
「おぉ、白馬くん。ちょうど良かったわい」
「おい、博士!」
博士に続くように新一も戻ってきたが、博士は白馬へと話しかけていた。
「なんじゃ、新一。しつこいのぅ」
「だーかーらー、宮野の相手知らないのかよ!」
「何回も言ったじゃろ。関係はないと。それでなんだか、白馬くん」
ぴしゃりと言ってのけた博士に新一は黙るしかなかった。同じ事を阿笠邸でも言っていたのだろう。
その傍らで、阿笠は白馬に紙を広げて見せた。
「これは?」
「志保くんに、イギリスに来る時は絵本を持ってきて欲しいと言われてな。どれがオススメかのう?」
黒羽も一緒に覗き込んだそれは絵本のカタログである。見事にお姫様の話が全面に並べられていたが、違うページにも冒険物や昔ばなしなどジャンル分けされていた。
「なになにどうしたの?これ」
「志保くんがな、愛莉ちゃんに日本語を教えるのに絵本が欲しいと言っておってなぁ」
「アイリちゃんって言うの?志保ちゃんの子供って」
「そうじゃよ、ほれ写真見るかの?」
デレデレのおじいちゃんに変化した阿笠博士に黒羽は「見たい見たい」とスマホで撮ったのと、志保から送られて来たという結婚式での写真を見せた。
「…………………かっわいー!!なに、この子、天使っ?!」
「……顔は姉ちゃんにそっくりなのに、めちゃ笑うとこんなんちゃうもんやな…」
「愛莉さんは天使ですよ」「愛莉ちゃんは天使じゃ」
「……………灰原、そっくりだな」
スマホを見てそれぞれが感想を述べた。
瓜二つと言ってもいい愛莉の写真を食い入るように見ている。黒羽も服部と何かに気づくも、敢えて言わずに口を噤んでいた。
新一だけが何も気づかずに、志保の娘の写真を見ていたのだった。
2017/06/02