愛しさと切なさは紙一重
はしゃぎ疲れて眠る愛莉を抱えて入った部屋は阿笠博士が泊まるホテルの一室であった。
夕食をいつもの倍以上の人数でとり、しかも誰もかれも愛莉を中心にして構い倒したのだ。疲れるのも当たり前で、愛莉を抱えて運んだのは白馬であった。白馬もまた同じホテルの隣室に部屋を取っていた。
「すまんのぅ、白馬くん」
「いいえ、大丈夫ですよ」
「ワシも年かのぅ」
「お酒を飲んだからよ、博士」
眠る愛莉を運ぼうとした博士だったが、よたよたとして危なっかしかった為に直ぐ様白馬が代わりを申し出た。その際に赤井や降谷も申し出たが、ここは『パパ』である白馬で良いだろうと提案したのはメアリーと真純であった。
赤井も降谷も彼女たちに言われたら強くは返せないのは分かっていた為、渋々といった感じで白馬にその役を譲ったのだった。
無論、工藤優作も『私が運ぼう』と言ったが、あまり接触させる気はなかったのか、白馬が『工藤優作さんのお手を煩わせる訳にはいきませんので』と愛莉を抱き上げたのだった。
夕食も御開きにしようとはなったが、何分全員が酒を飲み交わるので、飛行機などの移動に疲れたという博士以外はホテルにあるバーへと移動した。
無論、メアリーは自宅に帰る予定ではある。真純もイギリス滞在中はメアリー宅に寝泊まりするが、赤井と降谷は同じホテル内に部屋を取っていた。
志保は愛莉と共に帰る予定ではあったが、愛莉が『パパとおじいちゃんといっしょにいたい』と駄々を捏ねた為に、ツインの部屋だということも相俟って今夜は泊まることにしていた。
「博士、ちゃんとシャワーを浴びてから寝るのよ」
愛莉をベッドに横たわらせ、白馬が部屋から予備のシャツを持ってきたので着替えさせた。
博士がシャワーを浴びている間に、すやすやと安心しきって眠る愛莉の髪を撫でながら、志保は微笑んでいた。
白馬も志保の後ろから愛莉の寝顔を眺めていた。その光景はまさに母親と父親が我が子を見守る姿にしか見えない。
白馬は志保の後ろ姿を見つめ、工藤夫妻と会った彼女を思い出した。
「────志保さん、」
「……なに?」
愛莉を撫でたまま、振り向かない志保に白馬は少し不安になった。いつもの事だと思っていても、白馬は志保の後ろ姿を見つめた。
───こちらを向いて欲しい。
白馬がその細い肩に手を伸ばそうとした時、がチャリとバスルームのドアが開いた。
「ふぃ〜、良い湯だったわい」
「博士、ちゃんと頭を拭きなさいよ」
バスローブ姿の阿笠博士に、志保は苦笑して立ち上がった。
「ちゃんと拭いたわい。志保くんも泊まっていくんじゃろ? 愛莉ちゃんが眠ってしまったしのう」
「そんな、メアリーや真純ちゃんが飲み終わったら帰るわよ」
「ベッドが1つ空いとるんじゃし、眠っている愛莉ちゃんを起こすのは可哀想じゃろ」
「………メアリーと真純ちゃんに連絡してみるわ」
志保は肩を竦めながら、スマホを片手にした。
彼らはホテルのバーでやはり飲んでいるらしく、志保に早く来いと呼ぶが、志保は愛莉の傍にいるからと断った。ならば、白馬は来るようにといって通話は切られた。
「ですって、白馬くん」
「………仕方ないですね、真純さんを怒らせたら大変ですから、行ってきます」
「えぇ、みんなによろしくね」
「……はい、また明日。志保さん」
「えぇ、またね」
白馬はため息を吐きながらも、ドアの前で志保の頬にキスをし、志保もそれに返して、出ていく白馬に手を振った。
阿笠博士の言葉に甘えて、志保は博士の部屋に泊まることして、彼に愛莉を任せてシャワーを浴びることにした。
ホテルのバーでは、工藤夫妻、メアリー、赤井、真純に降谷が飲んでいた。
「志保は今夜、博士の部屋に泊まるってさ」
通話を切った真純がメアリーたちを見て言った。
それを聞いた有希子は「博士ったら、愛莉ちゃんと一緒に寝れるなんてズルいわ〜」と頬を膨らませている。
「白馬くんは来ないのかい?」
降谷が真純に聞くと「来るように伝えたから大丈夫だよ」と答えると「そうですか」と頷いた。
「メアリーも安心よねぇ、秀𠮷くんも結婚したし、真純ちゃんも零ちゃんっていう相手がいるし、あ、秀ちゃんはどうなの?」
有希子の言葉に真純と降谷はなんで知っているんだ!と思いつつ、工藤有希子は息子の新一とは違い、恋愛事に関しては驚くべき洞察力を持っている。
メアリーは笑いながら「秀一に関しては本人に任せている」と言い、当の赤井は表情は変わらない。
そこへ白馬が現れた。
「お待たせしました」
「やぁ、お疲れ様だったね。白馬くん」
にこやかに話しかけたのは工藤優作だ。
「博士は大丈夫だったかい?」
「はい、シャワーを浴びたらスッキリした様子ですが、」
「そうか。志保くんや愛莉ちゃんはどうしたのかね?」
「愛莉さんはすっかり寝てしまって、志保さんが見ていますよ」
先ほど、志保が優しく慈しむように愛莉を撫でる姿を思い出し、白馬は微笑しながら答えた。
「そうかね。志保くんとも飲みたかったが、愛莉ちゃんがいるのでは仕方ないね」
「そうですね」
そこから彼らは色々な話に花を咲かせていた。
真純と白馬たちの学校生活から、赤井や降谷の現在の仕事(といっても話すことは出来ない)など。
しかし本題というべきは、愛莉の事だった。
メアリーも真純も白馬も、工藤夫妻が聞いてくると思っていたが、愛莉─ひいては志保についての事はあまり話す気はなかった。が、有希子が小さなうちからあんなに可愛いだなんて、としきりに可愛い可愛い、天使天使と連呼していた。
それに関しては赤井も降谷も大きく頷いていた。
工藤優作も有希子もにこやかに笑いながらも、愛莉の容姿に引っ掛かるものがあった。
それらを口にするのはいけない、してはダメだというのも察している。
「メアリーが羨ましいわ!あーんな可愛い子と毎日一緒なのだもの」
「そうか……まぁ、そうだな。毎日楽しいな、生まれた時から一緒なのだからな」
フッと笑い、グラスに口を付けた。
「そうだよな〜、ママが羨ましいよ!愛莉が赤ちゃんの時から面倒見てたんだから」
「とは言っても、半年くらいはプロフェッサーの家にいたのだぞ? あちらが大層 愛莉を可愛がってな」
「あぁ、プロフェッサーね」
プロフェッサーとは?という降谷と工藤夫妻に、白馬が答えた。
志保の上司でありながら、愛莉の祖父の立場をなんなく手に入れた人物である事を。そして志保の体調を一番早く気づいた人であるが、そこは話さない。
愛莉から「プロフェッサー」と呼ばれているが「おじいちゃん」と呼ばれるととてもデレデレして、とても権威ある教授に見えなくなるという。
「愛莉の誕生日やクリスマスにはプロフェッサーのお宅にお邪魔するのが当たり前になってな、愛莉はそのお宅の孫たちから既にプロポーズもされているぞ」
「えー!愛莉、モッテモテじゃないか」
「お断りさせてもらってますよ」
「そう、白馬が『父』としてはまだダメですと五歳から八歳の子供たちに言っては騒いでいるな」
愉しそうに笑いながら、メアリーは言った。
それを聞いた赤井も降谷も白馬に対し、よくやった。と激励している。
白馬もグラスを片手に「当たり前の事をしたまでです」と微笑んだ。
「愛莉ちゃんは、本当に愛されているようだね」
工藤優作がポツリと洩らせば、白馬やメアリー、真純に赤井たちはしっかりと頷いた。
「志保ちゃんも幸せそうで良かったわ」
あんなに楽しげに笑う志保を日本で見たことがあっただろうか──会う機会があまりなかったが、新一の話では笑うのは小さな親友相手か動物の前くらいで、としか聞いてなかったし、確かに最終決戦前やその後も多少微笑んではいたが、あまり顔には出ずにいた。
それが、愛莉の一挙一動に慈しむように、それはそれは優しく微笑んでいたのだ。見た者の顔を赤く染めさせる勢いで。
志保に関してはそこにいる全員が、良かったと、本当に良かったと各自頷いたものだった。
その後は他愛もない話をして、結局はメアリーも真純もホテルに泊まることになった。
真純が降谷の部屋に泊まるか、赤井が降谷の部屋に泊まるかで揉めたがそこは割愛する。
「───ねぇ、優作」
ホテルの一室にて、有希子が肌を整えながら鏡越しに夫に話しかけた。
彼もまたそれを分かっていたようで、英字新聞を畳み妻を見た。
振り向いた有希子の揺れる眸を見なくても、彼女が言いたいことは分かった。
「…………私、どうしたらいいのか分からなかった」
ポツリと呟く有希子を優作は見つめていた。
「……本当は、本当はね、問いたかったの。でも────」
──出来なかった。
それは優作も気になった事である。
あれは、あの子の父親は誰か──なんて訊くまでもなく彼らは一目で解ってしまったのだ。
ほとんど、ほとんどは志保を生き写したかのような彼女の娘は、眸だけは彼女の翡翠のような眸ではなく、自分たちが慈しんできた深い蒼い眸をし、誰も気づかないような、志保ですら気づかない、ほんの小さな所は幼少の頃の息子に似ていた。
「……どうして、だって、新ちゃんは何も、何も言わなかったわ!!」
「そうだね、新一はきっと何も知らない………いや、覚えていない、のか?」
二十歳を迎えた息子と飲もうと思っていた秘蔵のワインがなくなっていたのに気づいたのは、先日日本に帰国した時だった。
訊けば、申し訳なさそうながらも笑いながら「灰ば…じゃなくて宮野がイギリスに行く前に二人で飲んじまった」と言っていた。
それに対して、ワインを飲んでしまった事に後ろめたさはあったのだろうが、他には何もなかった。
自分の観察力は作家時々探偵というのもあり、息子よりは劣ってはいないと思っている。
それを持ってしても、新一本人からは何も疚しさは感じられなかった。恋愛事に疎い彼が、もし宮野志保との間に肉体的な関係があるとしたら、隠しきれる筈がない。
恋愛事に鋭い有希子ですら、気づかないのだ、きっと本人は、覚えてすらいない──。
「……覚えてないって……そんな…」
「──だが、まだ真実ではない。志保くんがいつ妊娠したかは不明だ。我々は新一や博士、服部くんたちの話しか知らないからな」
そう、客観的にしか話を聞いていない。
愛莉が白馬をパパと呼ぶように彼が父親である可能性もあるだろう。だとしても結婚をして家族になるのに白馬であれば何の問題はないはずだ。
そもそも白馬の性格からして、責任はきちんと取るはずだろうし。
何より、赤井家という志保にとっては血縁がそれを許している。愛莉を溺愛しているであろう真純と秀一がそんな事は許さないだろうし、あまり出さないがメアリーも愛莉を可愛がっているのは一目瞭然である。生まれた時から愛莉を知るメアリーが志保をシングルマザーにするはずはない。
しかし、彼女は笑っていた、それはもう本当に幸せそうに。
「………私、名乗れないのかしら、愛莉ちゃんに」
あんなに可愛いのに、愛しいのに、自分があなたのおばあちゃんなのだと。
「……有希子…」
──きっと、名乗る事は許されないだろうと優作も眉を潜める。
あの子──愛莉が孫だという確証なんて、DNA鑑定をしなくても解る。一目見て、血の繋がりを感じたのだから。
それでも、志保は頑なに認める事はしないだろうし、彼女が嫌がれば、きっとあの緋色の捜査官が彼女を隠してしまうだろう。
彼らに隠されてしまえば、ただの小説家に過ぎない自分には不可能だろう。コネもツテもあるが、きっと巧妙に隠されるのが理解出来た。
「──きっと、名乗れば二度と会う事は叶わないだろうね」
「新ちゃん、新一が言っても?」
「きっと、彼女は拒否をするよ。彼女は新一の幸せだけを考えていたからね」
──早く、早く、彼を戻さないと。
──彼女の元へ返してあげないと。
そんな事を言っていたと博士が話してくれたのを覚えている。博士がそれに対して、涙ぐんでいたことを。切なすぎる想いに。
彼女の深い想いに不覚にもホロリと来たのは、彼女が息子を愛していると知ったからだ。
そこに色々な葛藤があったのも分かる。
それでも、息子が望むから彼女は自分の想いを閉じ込め、彼に協力し、影で支え、解毒剤を作り上げた。
口にするのではなく、影から見守る深い愛。彼女の強さに惹かれるものがあったのは言うまでもなく、彼女が望むならば、あらゆる面において助力、援助は惜しまないと思ったし、有希子の提案であった養女も反対する気持ちなどなかった。
博士がいたから諦めたが、彼がいなければきっとしていたであろう。
「……………あのような聡明な彼女と家族になれないとは、私は残念でならないよ」
「それは……、そう、かもしれないけど、新ちゃんには……」
「無論、新一の事は彼本人に任せるよ」
幼少の頃からの初恋を貫きたいならば、貫けばいいと思っている。
他人に言われて、恋愛は出来ないのだから。
それでも、惜しいと思うのは彼女が新一の隣に相応しいと思えたからだ。そう、思えたのだ。
だが、今となっては、息子の恋愛事に関心はないが、彼女には幸せになってもらいたいと思う気持ちがある。いや、彼女たちには、だ。
優作はそう願い、悲しみにくれている有希子を抱きしめたのだった。
(………新一、お前は───)
息子の罪深さに、優作はなんとも言えない気持ちに陥った。
2017/06/13