胸を焦がした深い愛

名探偵コナン

「ママ、いってらっしゃーい」

「行ってくるわね、愛莉」

娘にキスをして、志保は見送りで玄関に立つ愛莉とメアリーに手を振って仕事へと向かった。
21歳の冬、愛莉の存在は隠したかった人々に一気に知られてしまった。
話を聞きつけたという工藤夫妻は『何かあったら連絡して欲しい』と熱心に言ってきたが、それに志保は曖昧に微笑むだけで、頷く事はしなかった。
有希子も優作も滞在期間中、時間があれば博士と一緒に志保と愛莉に会いに来ていた。──きっと、聡明な彼らは愛莉について何か感づいたのだろう。
博士と教授をおじいちゃんと呼び、教授の奥様をおばあちゃんと呼ぶ愛莉の姿に、有希子が切なそうに顔を逸らしていたのを見た時に、あぁ、気づいてしまったのだと悟った。それでも、志保は何も話す気はなかった。
父親なんて必要ない、愛莉は志保だけの子供であると生む時に覚悟を決めたのだ。
知らせる気もなかったし、知って欲しいだなんて思わなかった。ただ、自分と血の繋がる唯一の家族は愛莉で、一緒に生きていくのも愛莉だけで良いとすら思った。
教授や奥様は別として、メアリーに知られ、真純と白馬に知られ、博士と赤井に、そしてそこからはほぼ知り合いに知られたのだろう。
真正面から『この子の父親は?』と問うてくる人はあまりいない。メアリーは妊娠を知られた時に問われたがそこからは訊いてくることはなかった。
真純や白馬にしても訊きたそうにしていたし、赤井はあからさまに訊いてきたが頑なに『私だけの子供』と言ったし、後々メアリーが何かを言ってくれたのだろう。



工藤夫妻に愛莉のことを知られてから、二年が経過し、愛莉も4歳になった。ますますおしゃまになり、英語はもちろん、教えていた日本語も文字も分かるようになった。
優作も有希子もたまにイギリスに来ては『仕事のついでに』と言い訳をし、愛莉に何度か会いに来た。
本当は止めて欲しいと、工藤新一に連なる人と愛莉を会わせるのは躊躇した。しかしそれでは不自然だとも思えて(愛莉に会わせないのは父親の工藤新一の両親だからだ、)と変に考えたりした。
愛莉は優作さんを『ゆうおじちゃん』と呼び、有希子さんは彼女本人からお願いされ『ゆきちゃん』と呼んでいる。
彼らはその事にとても嬉しそうに笑い、帰り際に必ずと言っていい程『ありがとう、志保ちゃん』と謝辞を述べていく。
きっと(愛莉に会わせてくれて『ありがとう、志保ちゃん』)と言う事なんだろうと思っている。

志保は大学に着くと、研究所へと入っていく。
まだ教授は来ていないらしく、いつものように机を片付けてから頼まれているモノを天板に載せた。

「おはよう、シホ」

「おはようございます、教授」

タイミング良く教授が部屋に入り、机の上を見て、締まらないくらい顔を緩めた。

「ん〜、アイリも上達したなぁ〜」

教授が見ているのは手紙だ。この1年毎日、愛莉からのカードや手紙を渡されている。
文字の勉強も兼ねて、昨日は何をしただの、今日はどうするとかをカードに書いては「ママ、プロフェッサーにわたしてね」と手渡される。
一番最初は初めて書いた『Good morning』のカードを見て、教授は『アイリは天才だ!!』と叫んだ時はびっくりしたものだ。
彼の薦めで愛莉の知能テストをすれば、IQ200近くもあり、大学のみんなが愛莉は『天才だ!』『ギフテッド』だと喜び、皆が教育を促していく。

そんな日常を過ごしているが、この1年程志保はとある人物から求婚されている。
──白馬探からだ。
二年前のあの時から、彼は触れてくるようになった。嫌味はなく、然り気無く肩を抱いたり、手を繋いだり。無論、私が拒否すればすんなりと止めてはくれた。
そして、イギリスに来る度に赤い薔薇を携えて会いに来るのだ。

『あなたが誰を想っているかは知っています。ですが、あなたを愛しています。結婚前提で僕と付き合って下さい!愛莉さんの本当の父親にしてくれませんか』

真摯な眼差しに志保はそれでも応える事は出来ずにいた。そもそも自分がそこまで想われるような人間ではないのだから。
まして、一児の母親に向かって、血の繋がりもない子供の父親になりたいだなんて………。
でも彼には色々とお世話になっているのも確かだ。
訂正をしなかったとはいえ、愛莉から『パパ』と呼ばれている事に本当は申し訳なかった。
彼は嬉しいですとは言っていたが。
愛莉が笑えば笑う程、嬉しそうに白馬を『パパ』と呼ぶことを止める事が出来なかった。
だって、本当に『パパ』と呼べる人はいないから。
白馬がいうように、自分はまだ彼を想っているのだろうか──答えは分からない。
もう彼とは五年近く会っていないし、連絡すら取ってはいない。所詮その程度なのだろう。
しかし彼と過ごした日々はたった1年程だというのに、それほどまでに自分は彼を好きなのだろうか。

(………でも、特別ではある…)

運命共同体だったから?
相棒だったから?
彼がお姉ちゃんを看取った人だから?
組織を壊滅に追いやった仲間だから?
───愛莉の父親だから?
どれが答えなのか、全部が答えなのか、それともまだ違う理由があるのか。
志保の中では今でも工藤新一が特別な存在なのだと主張している。
では、彼を愛してるのか、と問われれば、情熱はないが確かに愛していたとは自分自身に言える。無論、他人にも本人にも言う気はないが。
短い間だがゆっくりと積み重ねられた想いは確かにあるのだ。
それでも、彼があの幼なじみときっと幸せであるようにといつも願い、祈っているのだ。

(………ああ、そうか、)

志保は自分に苦笑した。それもまた『愛の形』なのだと実感した。
視界がぼやけるのを感じて、目元を拭えば指先が濡れていた。

「シホ?どうかしたのかい?」

「なんでもないです、教授」

「ならいいが……そういえば、マスミが結婚するだってな」

「どうして、その事を?」

「アイリが教えてくれたよ」

ヒラヒラと手紙を見せる教授に、志保はそんな事まで書けるようになったのかと驚いた。

「来月、日本に行く予定です。休暇、お願いします」

「アイリから数日手紙を貰えないのは残念だが、結婚式の写真は送ってくれたまえ」

以前、日本へ行った時も結婚式の出席の為であった。その際の愛莉の写真を見て、『アイリはエンジェルだ!』と写真を大きくプリントしたのを思いだし、志保は「ご自分のお孫さんも可愛がって下さい」と言ったものの、「アイリの方が可愛い!」と胸を張る教授に苦笑いをした。



真純ちゃんが結婚をするという話を聞いたのは、彼女が大学卒業を間近に控えた頃だった。
卒論も終え、卒業旅行だと称して何故か降谷と一緒に現れた真純に志保も愛莉も驚いたものだ。
てっきり、真純だけだと思っていたからだ。
メアリーは話を聞いていたのか、彼女たちを歓迎していた。何か、あったのかと席を外そうとして、愛莉を連れてリビングから出ようとすれば声を掛けられた。

「志保も愛莉も一緒に聞いてくれないか?」

「……いいの?」

畏まる真純にきっと大事な、卒業後の働き先などの話なのかと、降谷を伴っているのはもしかして日本の公安に入るのかと思っていたのだが、椅子に腰を降ろした途端、降谷さんが爆弾発言をした。

「真純さんを、下さい!」

いきなり立ち上がり、フローリングに土下座をする降谷に志保は目を点にし、真純は慌てて『零さん、落ち着いて!』等と言っている。
メアリーはそんな彼らを見て、ため息を吐いてからキッパリと言った。

「真純が選んだのであれば構わん。とりあえず、顔を上げて椅子に座ってくれないか」

「へ、あ、はい……」

「ママ……」

呆気なく許可されたからか、降谷は少し呆然としながら椅子に腰かけた。真純も同様に腰を降ろした。

「何を今更言っている」

「い、今更って零さんはちゃんとケジメとして挨拶に来てくれたんだよ、ママ」

「そういうのは当に日本らしいな」

「……ま、まぁ、そうですね」

あの降谷さんが、赤井さんにいつも怒鳴りながら突っ掛っていく降谷さんが、借りてきた猫のように大人しいことに志保も呆然としていた。

「メアリー、ますみちゃん けっこんするの?」

聞いていた愛莉がメアリーに向かって訊ねると、「あぁ、そのようだ」と素っ気なく答えたが、みるみると愛莉が嬉しそうに笑った。

「ますみちゃん、れいくんとけっこんするんだー」

わぁ!と楽しそうに喜ぶ愛莉に、真純も降谷も顔を見合わせて「「ありがとう」」と答えていた。
志保も愛莉に倣って「おめでとう、真純ちゃん、降谷さん」と祝いの言葉を告げれば、彼女が志保と愛莉に抱きついてきた。

「う、嬉しいよ!志保、愛莉〜」

「何を泣いているんだ、真純」

呆れたように訊くメアリーであったが、彼女もまたどこか嬉しそうな顔をしていた。

「だって、だって、嬉しいに決まっているじゃないか」

「メアリーさん、志保さん、ありがとうございます」

真純の肩に手をやりながら、にこやかに笑う降谷に志保は笑い返した。
ダダダ…と走っていった愛莉に首を傾げると、ガタガタと音を出しながら、戻った愛莉は二人にメッセージカードを差し出した。

「はい!ますみちゃん、れいくん!」

「これは……え、愛莉、字が書け……えぇ?!」

「………も、もう、字が書けるんですか…」

差し出されたメッセージカードには『Compliments on your wedding』とキレイとは言えないが綴られていた。

「最近は文章を書けるようになったのよ」

「………愛莉のIQが高いって聞いていたけど、本当スゴいね……」

「ほ、本当ですね……」

呆然とする二人に、愛莉はニコニコと笑ってメアリーの膝に乗っていた。

「ねぇ、メアリー、またドレスきれる?」

「あぁ、またきっと秀一が買ってくれるに違いない。前に買ったのは小さくなったしな」

「わーい」

「あ、愛莉ちゃんのドレスは俺たちが用意しますよ!ね、真純さん」

「そうだよ!今回は愛莉にはベールガールをして貰いたいんだよ」

メアリーの言葉にも驚いたが、降谷と真純の言葉に志保はぎょっとした。

「ちょ、ちょっと待って!まさか、私と愛莉も、結婚式に出るの?」

「え、そんなの決まってるじゃないか!」

「そうですよ、志保さん」

「だ、だって、あなたたちの式は日本でやるのでしょう?」

親族だけでイギリスでとかではなく、日本で。

「え、えぇ。日本の方が色々と都合がいいので」

「…………そ、う………そうよね…」

「ママ〜、行かないの?」

メアリーの膝の上から、志保を見上げる愛莉に苦笑するしかなかった。

「…………真純ちゃんと降谷さんのお祝いだもの、行かない訳にはいかないわ」

「だよね? ねぇねぇ、パパとおじいちゃんは来る?」

「白馬くんと阿笠博士かい?勿論だよ」

白馬を呼ぶのであれば、工藤新一が来ない筈はない。高校のクラスメイトとして、毛利蘭の姿もあるに違いないだろう。
なんだか気まずくて、志保はどうしたらいいのか分からなくなる。
無邪気に笑う愛莉を横目に、避けられない再会にため息を吐いたのだった。

「志保、」

「………どうかした、真純ちゃん?」

「大丈夫だよ、もし、もしも志保や愛莉に何かあったらボクたちが全力で守るから。秀兄や𠮷兄も、白馬だって君らを守る。だから、大丈夫だ」

「─────真純ちゃん、」

「そうですよ。癪ですが、志保さんや愛莉ちゃんが悲しむような事があればあの赤井が黙ってはいないですよ」

「白馬もいるんだ。あぁ、いっそのこと、志保も白馬と式を挙げればいいんじゃないか」

「メアリー、何をいっ「えー!!ママとパパもけっこんしきをあげるのー?」」

「アイリ、ママとおそろいのドレスきたい〜」

メアリーのとんでもない発言に、愛莉は嬉しそうに、志保は頭を抑え、真純と降谷は大声を上げたのだった。
今回は真純と降谷の結婚式だから、ママたちは挙げないわよと愛莉をなんとか誤魔化した志保であった。
しかし、真純がしみじみと言っていたことは志保には聞こえなかった。

「白馬くん、本気なんだなぁ……」

まぁ、だからこそ愛莉の本当の父親になりたいとは言わないか、と納得した。
そして───とうとう会うことになる『実の』父親の存在は彼女を見てどう思うのだろうか、と思った。

(……彼は、気づくのだろうか──)

真純は遠い日本にいる級友を思った。





2017/06/14


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