手を重ねた愛の祈り
「なにかあれば必ず連絡するのだぞ」
強く言い聞かせるようにメアリーはアパートから去っていった。
志保は怒涛の1日に、ソファーに身を委ねた。
「………疲れた…」
妊娠が発覚してまだ1日も経ってはいないというのに、気持ちの切り替えのせいか、無茶をしようとは思えずにいた。
そっと腹部に触れてみる。自覚はしていなかった。
だが、いざ意識をして触れてみると、以前よりは少し、ほんの少しだけ膨れているような気がする。
元々痩せていたせいもあるし、自分の体つきに気にも留めなかったからかもしれない。
病院から渡されたエコー写真を見つめてみる。
小さな、本当に小さなヒトの形が形成されているようだ。
「これは…足、かしら…」
頭の形は分かる。医師が説明してくれた。
性別はまだ位置が悪かったからかわからないと言われたが、無事に生まれたらと思う。ただ、自分のお腹を見て、こんなに小さいとなると不安になる。
特に医師には危惧されるような事は言われてはいないし、無理をしないで、とは言われている。
命に関しては専門外だ。
「あ、教授に……」
話さなければならないだろう。
後ろめたい気持ちはあるが、恩師であり、上司である以上は伝えなくてはならない。
流石に今から大学へ向かうには疲れているし、眠い。妊婦はやたらと眠いと聞いたことがあるのを思い出し、これも妊娠の症状なのだろう。
このままソファーで眠りたかったが、志保はゆっくり起き上がると、寝室へと移動し、ベッドに潜ったのだった。
休めと言われていたが、翌日 志保は大学の職場へと顔を出した。
教授は志保を見つけると、顔を歪ませ「シホ、あれほど休みなさいといっただろう」と声を掛けてきた。
「教授、お話したいことがあります」
「シホ?」
背筋を伸ばし、まっすぐ見つめてくる志保に教授は話を聞くために、ソファーへと彼女を誘った。
「………なるほど…」
「すみません、こんなことになりまして」
まだ仕事を始めてそれほど経っていないというのに、止めなければならなくなるなんて、申し訳ないのだ。
しかし、教授は考えるように顎に手を当てていた。
「シホ、」
「は、はい」
「君は日本に帰るのかい?」
「え?」
「出産は日本でかい?」
日本に帰る──?
そんなの、無理に決まっているではないか。
日本に帰ったりしたら、大変な事になってしまうし、何より彼や博士たちに知られたくない。
「い、いいえ」
「君のアパートに誰か来るのかい?」
「……いいえ」
「? では君は「1人で生むつもりです」え?何を言っているんだい?」
志保の発言に、教授は驚いていた。
まさか、シングルマザーになる気なのか?と、志保はお腹に手を当てながら微笑んだ。
「私の子です。他の誰でもない、私だけの子なんです。だから、1人でも産みたいんです」
「……シホ、」
教授は彼女の真摯な眸に、諸手を挙げて「分かった」と答えた。
「では君には産休を与えるとしよう。そうだね、体調も考慮しながら働けるまで働いていいよ」
「え、あ、あの…」
「なに、研究だけが仕事ではない。デスクワークもあることだしね」
にやりと口許を緩める恩師に志保は眸を丸くするしかなかった。まさか、このまま働いていいだなんて言われるとは思わなかったからだ。
「……もし、何か困ったことがあるなら是非とも連絡してくれたまえ。私の妻は6人も子供を生んだベテランだから、いつでも相談に乗るよ」
『なにかあれば必ず連絡するのだぞ』
母親代わりとしてと言っていた彼女の言葉が甦る。
あぁ、私は心配されているのだ、と思うと涙が溢れそうになった。
「シ、シホ?!どうしたんだい?どこか痛いのかい?」
少し慌てる恩師に志保は以前一緒に暮らしていた、父とも呼べる発明家を思い出して、クスっと笑みを浮かべた。
「……大丈夫です。何かあった時は奥様に相談しても宜しいですか?」
「もちろんだとも」
そういって笑う恩師に、志保も笑みを返した。
とりあえず、今日はまだゆっくりしていなさい。と家に返された。
再び、ソファーに身を委ねると、疲れがどっと出た。
昨日から今日に掛けて、目まぐるしく志保の世界が変わったのだ。
後、5ヶ月。子供が生まれるまでの期間は、メアリー以外にばれないようにしよう。
いつもの自分ならば、日本にいる彼らと一切連絡を断ち、暮らしている場所も移すに違いない。
だが、敢えて逆にしてみよう。
日本に帰ることはしないが、いつもと変わらないように博士たちにはメールやSkypeを使って連絡すればいい。引っ越しも今の身体では無理だ。
だからこそ、あの目敏い探偵も欺けるだろし、そもそもそう簡単には来れないだろう。
生活費に於いては、特許を取った薬などのお金が入ってくる。あの金銭感覚がおかしい彼らと違って無駄なものには使わなければ大丈夫であろう。
ちょくちょく会いに来ていた白馬は、日本にいるのは高校を卒業する為であろうから、暫くはこちらには戻ってこないだろう。
多分、大丈夫だ。
そう思うと同時に、志保はお腹を撫でていた。
これから成長するであろう、お腹を撫で、これからは栄養バランスが取れる食事を考えていこうと思案していると、志保は頬が冷たい事にに気づいた。
「………あぁ、そうか…」
今までは、世界中を探しても、もう家族はどこにもいなかった。だから、だから、唯一自分と血を分け合えた存在が、このお腹にいる。
嬉しいのだ、愛しくて、堪らない。
そして、母の姉妹だという存在が自分を認めてくれた、そんな存在がいることを知れたのも嬉しい。
「………貴方にはお父さんはいないけど、私は貴方を誰よりも愛してるわ」
だから、無事に──。
愛おしい存在が無事に生まれてきてくれる事を望んだのだった。
(………工藤くん、ごめんなさい…)
勝手に貴方の子を産んでしまうことを。
でも貴方は知らなくていいことだから、蘭さんと幸せになって欲しい。
眸を閉じて、志保はお腹の上に祈るように手を乗せて、眠気に誘われたのだった。
2017/05/20