よろこびに満ちた愛
早めのクリスマスプレゼントが届いたのは真夜中だった。
お腹が張っているなと感じたのは昼間だった。
デスクワークという仕事をやらせてもらいながらも時折感じる痛みに、教授の奥様に相談をしたら、彼女は急いで大学へと来て下さった。
夫である教授を怒鳴り、私の調子を訊いてきたのだ。
朝から時折痛みがあるといえば、時間の間隔を訊かれて察した。間隔がまだバラバラであるから前駆陣痛だろう。
「仕事をしてる場合ではないわ、シホ。今からもっと大変な仕事が待っているのよ。荷物の支度は出来ている?」
「は、はい」
「あなた、そういうことだからシホは連れていくわよ」
「あ、ああ。頼むよ」
教授が奥様にキスを送り、「頑張りなさい」と言って送り出してくれた。アパートへ戻り、あらかじめ用意していたボストンバッグを持ち、教授の家へと連れて行かれた。
出産は病気ではないから前駆陣痛ではまだ病院へは行けない。教授宅から近い場所に病院があるから本陣痛になったら連れて行くと言われた。
ソファーに楽にしていなさい。と言われ、せめてメアリーには連絡を入れておいた方が良いと言われて、彼女にメールを送った。
教授には6人のお子様がいるが、既に成人しているのでこの広いお宅には教授と奥様しかいないそうだ。
寂しくはないのかと思ったが、棚のあちこちにはお子様、もしくはお子様の家族の写真が所狭しと並んでいる。お孫さんはまだ幼い様子だ。
「可愛らしいですね」
「ええ、本当にみんな可愛いわ。でもまた増えるわね、写真が」
「またお生まれになるんですか?」
「何を言ってるの、シホ? 貴方のベビーと貴方の写真を飾らないとダメでしょ」
思いがけない言葉に志保は目を丸くした。
教授の奥様はうふふと品良く笑いながら、あの人が貴方をまるで娘のように話すのよ。聞いていたら、まるで私にも娘がいるみたいに思えてね。と嬉しそうに言っていた。
「うちは何故か女の子には縁がなくてね。子供は6人も男だし、生まれた孫も男の子ばかりなのよ」
だから息子がお嫁さんを連れてきてくれた時は嬉しかったのだけれど、やはり近くにいないと寂しいのよ。あの人から貴方の話を聞いてね、たった一人で子供を産もうとしている娘がいると聞いて、居てもたってもいられなかったわ。
「………」
「貴方さえ良ければ、出産後もうちに滞在してくれて構わないわ。赤ちゃんを一人だけで育てるのは本当に大変なのよ」
「……でも、」
「あぁ、伯母様がいると言っていたわね。勿論、シホが良い様にしてくれて構わないのよ」
「………ありがとう、ございます…」
「ほらほら、しっかりしなさい。これから大変なのだから。今の内に体力を蓄えておくのよ」
「……はい」
差し出されたホットミルクを飲みながら、眼の奥に涙が溜まるのが分かってぐっと堪えた。
痛みが段々と規則的になってきたのは夕方だった。
さっきまで姿勢を変えれば、痛みを凌げていたがそれもなくなってきた。
メアリーもあのメールの後に連絡をくれた。教授の家にいると伝えれば、急いで駆けつけてくれていた。
教授の奥様とあれこれと話し合い、退院後はここにお世話になることになった。
メアリーが本当は自宅に連れていこうと考えていたらしいが、誰にも知られたくないと言った事を思い出したのか、帰宅した教授と奥様に頭を下げていた。
「大変申し訳ないですが、よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらも我が儘を言った様なものですから。メアリーさんもうちに滞在してくれたっていいんですよ」
「……あなた方が構わないのでしたら、母親代わりとしては付いていてあげたいのです」
「シホには母親代わりが二人もいるんだね、頼もしいだろう」
教授が楽しげに話、メアリーも奥様も頼もしいとしかいえない。
陣痛の間隔が10分置きになったことで、教授の車で病院へと運ばれた。
こんなにも苦しくて痛いのかと思うと、世の母親の強さに、自分の強さなんて及ばないと感じた。
10分置きになったからとはいえ、まだまだ生まれることもなく、痛みと苦しみに数時間闘っていた。
メアリーたちが交互に腰を擦ってくれたりしたが、それも虚しく暴れたくなるくらいの痛みに涙が滲んでいた。
「志保、お前もこうして生まれてきたのだぞ」
「そうよ、この痛みを乗り越えれば後は喜びしかないわ」
ふらつく身体を支えられ、分娩台に乗せられた。
医師や産婦なのか、いきめ、いきめと言う。
(……私も、こうして……)
メアリーの言葉を思い出して、泣きそうになる。
こんな、命をかけるような痛みを味わいながら私は母から生まれたのだ。
私も、お姉ちゃんも。
私なんて生まれなければ良かったのだ、と思わなかった事はない。だけど、だけど───。
生みたい、生まれてきて欲しい。
なにより、大切なあの人との、私の赤ちゃん……。
縋るように伸ばした手を、横からメアリーが掴んでくれた。そして、もう片方の手も包まれているようだ。
「志保、頑張るのよ」
テープでしか聞いた事がない声に、見覚えがない、写真でしか見たことがない筈の母エレーナの姿とメアリーが重なった気がした。
今だ!と言われて、力を込めれば、室内に響く鳴き声に「生まれた!」「女の子よ!」と医師たちの声を聞きながら、ブラックアウトしたのだった。
その時、「おめでとう、志保」と懐かしいお姉ちゃんの声が聞こえた気がした。
目を覚ましたのはその後はすぐだった。
医師の話では貧血を起こしたらしい。出産の際の出血が多かったらしいが、後産も無事にすませたらしい。
生まれた女の子はタオルで拭かれ、メアリーが用意していた産着に包まれて、横に備え付けられたベッドにふにゃふにゃと寝ている。
今夜はメアリーが付いてくれるといって、教授と奥様は名残惜しそうに帰っていった。
「まだ眸は見ていないが、髪はお前に似たようだな。どちらかと言えばエレーナの髪に近いか」
椅子に座りながら、ベッドの赤ちゃんを見つめるメアリーに志保は笑った。
「貴方もそんな顔をするのね」
「ん? ああ、似合わないか? しかしこんなに可愛いのだ慈しむ以外何がある」
「似合わないだなんて思っていないわ。貴方も三人の子持ちなんだもの。そうね、親は子を慈しむのね」
「ああ。ああ見えて、私は秀一も秀吉も真純も可愛いのだ」
「真純ちゃんはともかく、赤井さんや羽田名人も?」
「当たり前だ、愛している人との子供だぞ」
「……あぁ、そうね。……そうよね…」
だからこそ、痛みに堪えて産む事が出来たのだ。
「……さっき、」
「うん?」
「さっき、手を握ってくれた時、お母さんの声が聞こえたような気がしたの」
「エレーナの?しかし お前は」
「お母さんの声はテープに残されていたから知っていたの。だけど、握ってくれた時、記憶にないのに貴方がお母さんに見えたのよ。それに、お姉ちゃんの声が聞こえた気がしたの」
そう伝えれば、メアリーはふにゃふにゃと動く赤ちゃんをベッドから抱き上げて、志保のベッドの傍らに腰を降ろした。
「きっと、エレーナも明美もお前を励ましに来たのだろう。それに可愛い孫と姪の姿を見にな」
ほら、と渡された娘を怖々と腕にすれば、先ほどまで開けずにいた眸を見せた。
その眸を見た瞬間、志保から涙が溢れた。
美しい蒼藍の眸。
「……私の元に生まれてきてくれて、ありがとう…愛しているわ」
誓いのように、彼女の額へとキスを落とした。
堰を切るように流れ、溢れる涙は悲しいからでも辛かったからでもない、愛しい、嬉しい、よろこびの涙であった。
2017/05/21