ひそやかに、ひそやかに
ふにゃふにゃと眠る娘を溺愛したのは、私やメアリーではなく、教授だった。
「ただいま、アイリ〜」
大学から帰宅した教授は居間に置かれているベビーベッドを覗くのが習慣となっていた。
日に日に増える女の子用のおもちゃに、奥様も私も苦笑せざるおけない。
あの出産から早くも半月が立ち、志保は日本でいう所の床上げを済ませていた。
アドベントにも入り、毎日小さなボックスを開けてはチョコレートやクッキーが出て来ているし、メアリーから送られたアドベントカレンダーはベビー用のおもちゃが出てきている。
教授宅にいるのが当たり前になりつつあり、色々と線引きをしなくてはならないと思っていた志保であったが、教授も奥様も出ていく事は許さないとばかりに志保と娘──愛莉を引き止めている。
一月経ったらアパートにもどろうと考えていたのだが、メアリーまでもが二人だけ暮らすのは危険だといって聞かないのだ。
仕舞いにはメアリーと奥様は手を組んで、志保のアパートから荷物を引き上げてしまった。
「お帰りなさい、あなた」
ベロベロと愛莉をあやす教授に、奥様が腰に手を当てて声を掛けると「ああ、ただいま」と言うものの目は愛莉を見つめている。
「アイリが可愛いのは分かりますが、まずは荷物置いてくるとかなさって!」
「はいはい、分かりましたよ」
チュッと柔らかい頬にキスをして、教授は愛莉を手渡すと渋々といったように私室へと引き上げて行った。
「すっかり、でれでれなおじいちゃんね」
「教授にもあんな1面があるんですね」
人差し指をぐっと掴んで離さない娘に志保も自然と笑みを浮かべていく。
「やっぱり女の子というのが重要なのかもね。孫たちは勿論可愛いけれど、生まれてから一緒に暮らしているのもあるから仕方ないわ」
奥様も愛莉の柔らかい頬を撫でながら、嬉しいそうに話していた。
まだまだ寝るか泣くばかりだけど、1ヶ月後、3ヶ月後、ましてや半年もしたらもっと手離せなくなりそうだわ、あの人。クスクスと笑いながら奥様は愛莉を志保から受けとると「ねぇ、アイリ」と笑みを溢している。
志保はそれを見つめて、頬を緩ませる以外何もなく、止まっていた手を動かしていた。
本物のもみの木にオーナメントを飾り、白い綿も乗せていく。
「今年は楽しいクリスマスになりそうね。息子たちもやって来るし、ご馳走も作らないと」
「……あの、本当に私たちも、良いのですか?」
「ええ、勿論よ。メアリーさんもね」
賑やかなのは良いことよと笑う奥様に志保は一年前の子供たちとの事を思い出しながら、そうですね、と笑ったのだった。
クリスマス当日。雪が振りだしそうな夕方、教授の家族が集まり、メアリーと私、そして愛莉を紹介してくれた。
驚いたりしていたが、愛莉を見た瞬間「「可愛い!!」」と騒いだのは教授の孫だけではなく、息子さんやその伴侶たちもである。
やはり女の子が珍しいらしく、愛莉はおもちゃのように次々と抱っこされている。
「あーん、女の子がこんなに可愛いなんて、羨ましい!!」
「じゃあ、今度頑張ろうか」
「アイリを僕のお嫁さんにしたい」
夫婦の会話やはたまたまだ生まれて間もないというのにプロポーズをされたりと、賑やかである。
「志保」
「メアリー」
「愛莉は人気者だな」
あまりに誰彼構わずに抱っこされているのを見て、教授が「アイリが疲れる!」と愛莉を抱き上げて、部屋を出ていけば「おじいちゃん!独り占めはずるいよ!」「そうだよ、おじいちゃん!!」などと本来血の繋がった孫たちに責められている。
「志保、写真を撮ろう」
「え? なに、急に?」
「急でもない。真純に送ってやろうと思ってな」
「……あぁ、そうね。慌ただしかったから連絡しなきゃね」
妊娠を隠している間も、不信に思われないように定期的に日本へは連絡をしていた。
この1ヶ月間は出産などがあって、きちんと連絡をしていない。
教授の息子さんに頼んで、ツリーの前にメアリーと並ぶとスマホで撮ってもらった。
一人だけのも勿論だが、アイリを抱っこしないの?と訊かれ、また後でお願いするわ。と答えた。
メアリーは真純や赤井、羽田名人へとクリスマスメールを送り、私は阿笠博士へ「メリークリスマス。食べ過ぎないように注意するのよ」とメッセージを送った。
その後は、逃げ回っていた教授から愛莉を奪還し、みんなと一緒にツリーの前で写真を撮ったりして楽しんだ。
さすがに大勢に囲まれたからか、愛莉は愚図るので、居間から退却した。
メアリーは教授や一番上の息子さんと何かを話していたり、奥様もお嫁さんさんたちや孫たちに囲まれて楽しそうな夜を過ごしている。
志保は愛莉を連れて、自身が使わせてもらっている客間に戻ると、愛莉におっぱいを飲ませて、二人で寝転んだ。
ふにゃふにゃともの足りなさそうに動く小さな口元を指先で突つけば、小さな手が掴んで離さない。
小さな手にこんな力があるのかと思うと不思議である。
見つめてくる蒼い眸に志保の翠の眸が和らぐ。
──なんて、いとおしいのだろう
「……愛莉、愛してるわ」
瞼へとキスを落とすと、顔や髪を掴まれた。
流石に髪の毛を引っ張られるのは痛くて、ちょっと待って待って!と言ったりした。
こんな姿を見たら、工藤くんや博士は驚くであろう。志保が髪を引っ張られているところなんて……。ふっ、と自分でも笑ってから、あ、と声が出た。
「───私、」
笑っている。工藤新一を思い出す時は、いつもいつも胸が痛かった。苦しかった──だから、極力思い出さないようにしていたのに………。
そうか、笑えるんだ……。
モソモソと手足を動かしている娘を抱っこして、志保は微笑んだ。
「……あなたがいるから、もう哀しくなんてないんだわ」
それに、あなたを前に哀しんでなんていられない。
例え、博士に会えなくても、この子がいる。
出来るならば博士には、あの養父には、この子を見せてあげたい。
でも博士は彼に近すぎるから……。
「……ごめんね、博士…」
いつか、いつか、会わせてあげたい。
例え、何年か後でも。
2017/05/23