逡巡する恋
大学に進学して、2年目の冬だった。
なかなかイギリスから戻らない宮野がようやく戻ってくると聞いたのはお正月を過ぎ、成人式間近の事だった。
「アイツ、ようやく帰ってくるのかよ」
「帰ってくるというか、用事があるからだと言っておったが」
阿笠博士から連絡を貰い、詳しく聞こうと久々に立ち寄った隣家の主は嬉しそうにしていた。
それは志保が帰国することでもあれば、久しぶりに会った新一のおかげでもある。
大学が、事件があるからと中々立ち寄れなかったとはいえ、こんなに博士が小さく、年老いて見えたことに新一はもっと頻繁に寄れば良かったと思ってしまった。
宮野の情報は学部は違うが同じ大学に通う真純や、ちょくちょくイギリスに行っている白馬から聞いていた。黒羽もメールだのして連絡していて、聞かなくても「志保ちゃんが〜」と言ってきていた為に、自分から連絡しなくても、彼女が大学で教授の助手みたいな事をしていると知ったし、世良の母親であるメアリーと一緒に暮らしているというのも知っていた。
事件で分からない事を昔の癖で調べて欲しいなんて思った時、時差を思い出して彼女は遠くにいるんだと何度も頭を掻いたりした。
事件については、大学生探偵が同じ大学に四人もいることもあり、あーだこーだと意見のぶつけ合いをしたり、探偵ではない黒羽も混じってはワイワイやっている。
服部なんかはちゃっかり家に転がり込んできているし。
園子も同じ大学ではあるが、学部が違うしそれほど会う機会はない。世良と学食でランチをしている事があるらしく、そこでは蘭についてのことで世良が愚痴を聞かされているようだ。
たまに会えば「蘭を大事にしなさいよね!」と言ってくる。
蘭は違う大学であり、そもそも空手で推薦入学した彼女は大学が始まる前から合宿だの、日本代表選抜だの、強化選手合宿だなんだとトレーニングで忙しいのだ。
中々会う時間も儘ならない、たまに自宅に来ていたのか、夕食が作られていたこともあるが、事件が忙しくて構う暇がなかったのが事実である。
メールも電話にもメッセージが大量に残り、これではあのコナンになっていた時と同じではないか、と苦笑いするしかなかった。
蘭の事は、好きだ。
それは変わってはいない事実であるが、どこか、胸のどこかに穴が空いてしまったのでないかという想いが去来する。
コナンの時とは違い、堂々と会えるのだから、気にしなかったというのもあるが、大学が楽しいという思いもある。
蘭との会話だと、彼女の話を聞きながらも「だからなんなんだ」と思うことがある。
彼女が語ることに先回りして、じゃあ、こうすれば良かったんじゃないか?こうだったんだろ。といってしまえば、彼女はそうだけど、なんで先に言っちゃうの?!と不貞腐れる。
いったい、何が言いたいんだ?と問えば、ただあった話がしたかっただけだよ。と顔を背けられた。
さっぱり、理解出来ない。
そう思ったものの、反論すればきっといつものように空手技をかけられてしまうから、新一は蘭との会話はただ聞くだけにしたのは言うまでもない。
「しっかし、2年だぜ? 2年!アイツも結構薄情なところあるよなぁ」
「そんなことはありゃせんよ。ちゃんと連絡はくれとるし、ほれ、真純くんや白馬くんを通して手紙やプレゼントも送ってくれるしのぅ」
そう言って、志保くんが編んだセーターじゃ!と嬉しそうに見せてくる博士に新一は笑った。
博士に似合う色の凝ったセーター。
アイツ、編み物なんて出来るんだな、と感心してしまった。
そういえば、真純も白馬も手編みのマフラーをしていたような気がする。黒羽も嬉しそうに手袋をしていた。
「俺は貰ってねーよ」
拗ねたように呟けば、博士は苦笑いをしながら「君には蘭くんがいるからじゃろ」と言った。
コナン時代に確かに蘭からセーターを贈られていたのをアイツは知っていたから、気を遣ったんだとは思うが、それでも、と思う。
「びっくりさせてしまうかも、とか言っとったから何かあるかもしれんのぅ」
何か、その何かに新一は顎に手をやった。
そういえば、去年、いや一昨年になるのか、夏休みに世良と白馬がイギリスに行き、9月になって帰ってきた時だっただろうか。
大学も後期に入り、授業が被ることが多かった時に彼らからなんともいえない視線を寄越されたのだ。
「どうしたんだよ、オメーら」
「いや、うん、その…」
なんとも煮え切らない真純の態度に、新一も服部も黒羽も首を傾げた。
ただ、そんな真純に対して白馬は肩に手をやり、首を横に振った。
「約束したでしょう、真純さん。それに」
「や、あ、うん。そうなんだけどさ…」
でも、とチラリと見てくる真純に「なんだよ」と言えば真純はうーん、と唸った後に、なんでもない。と言ってきた。
どう考えてもなんでもないじゃないだろう、と問い詰めようとすれば、白馬がイギリスでの事を話してくれた。
「いえ、志保さんなんですが、なにやらもう教授の助手というような立場になってましてね。それでびっくりしてしまいまして」
「宮野が? アイツは留学して学生だろ?」
「志保はアメリカの時に大学卒業してるし、学生というよりはもう助手になっていたよ」
「へぇ……まぁ、アイツは博士号も取ってるつってたからなぁ。でもびっくりする程か?」
「そんなことより志保ちゃんは元気だった?」
「え、あ、ああ。ママも一緒だし、元気だよ」
「そうですね、暑さで若干疲れてはいたようですが、大丈夫みたいです」
だから、気にしなくても大丈夫さ。と真純に言われて、その言い方に首を傾げたくなったが授業が始まってしまった為にうやむやになった。
暫くの間、真純と白馬がどこか探るような感じで見てきたが、それは蘭についてのことだった。
「蘭くんと上手くいってるのかい?」
「毛利さんとお会いしていますか?」
真純はともかく、それほど親しくはないはずの白馬にそんなことを聞かれていると、服部がちょっかいかけてきたのは言うまでもない。
「なんや、白馬? 毛利の姉ちゃんに気があんのか?」
「そんなんじゃありませんよ」
「じゃあなしてそんなん毛利の姉ちゃんが気になるんや」
「それは……工藤くんが事件にかまけてばかりいるので、友人として大丈夫なのかと思ったからですよ」
「ほー、さよか」
「服部くんだって事件にかまけて、恋人の遠山さんだっけ?蔑ろにしてんじゃないの?遠距離だし、ちゃんと掴まえとかないと危ないよ〜」
「バッ、そ、そないなこと心配せんでもええっちゅうねん!!」
「恋人でもなんでも、ちゃんと気にかけてあげないと、女の子は不安になるんだからな」
「お、おぉ…」
女の子、という言葉に真純をじろじろと見ながら返事をした服部は「失礼な事考えただろ」とジト目で見られて、殴られていた。
それから連休とかになると二人はイギリスに何回か行っていたような気がする。
何かあったのだろうか、と思いながらも日々を過ごしていた。
「今回、帰国する際はメアリーさんも一緒だと言っておったぞ」
「そういや、赤井さんもアメリカから来るとか聞いたなぁ。あの一家になんか………あぁ、」
「どうしたんじゃ?」
「そういや、交通課の由美さんが近々結婚するって聞いたな」
「由美さん?」
「宮本由美さん。あの人の恋人があの羽田名人なんだよ。羽田名人は赤井さんと世良の兄弟だからじゃねえか」
「ほぅ、由美さんと羽田名人がのう」
「宮野も従妹として出席するんじゃねぇ」
「なるほどのぅ。いやはやめでたい話じゃのぅ」
うんうん、と楽しそうに頷く博士を見て、結婚ねぇと考えた。自分の結婚なんてまだまだ想像もつかないし、当分先の話である。
しかし、二十歳で結婚した自分の母親たる有希子にはまだ結婚しないのかと問われる。
俺はまだ二十歳になったばかりだと怒鳴れば、若いおばあちゃんになって、孫のママに間違えられたいなどと自分の欲求をぶつけてきた。
だから、まだ二十歳だと伝えても、奔放な彼女は聞く耳を持たない。
大体相手が……と言ってしまえば「蘭ちゃんがいるじゃなぁい」と言う始末。
そりゃ蘭とは幼稚園の頃から一緒で、あのコナン時代の時の帰るべき場所であった。それは彼女を好きだからこそ、元に戻りたかったし、心配かけたくなかったからだ。
彼女にロンドンで告白紛いというか、告白をしたし、彼女から返事のようなものも貰っていたが、彼氏彼女、恋人なのかといえば、そんなような、違うような気がしてならない。
互いに忙しいせいもあるが、曖昧なのだ。
告白しても変わらない、幼なじみの延長のような関係で恋人飛び越えて、家族なのではないかと思う時があるのはコナンでいたからかもしれない。
守りたいし、助けたい。好きだとも思っている。
だけど、キスより先に進みたいとはなかなか思えない。
同じ幼なじみを持つ服部に聞いてみようかと思うが、彼らは遠距離である為に「贅沢な悩み」と先に言われてしまえば、何も話せなくなる。
だからこそ、園子が「蘭を大事にしなさいよね!」なんていうのだろうか。
大事に、多分、もっと会ったり、恋人のように甘えさせたりしろというのだろうか。
出来るならば、そうしているのだろう。
だけど、あの蘭を、優しく美しい大切な彼女をそんな欲にまみれさせていいのかとも思う。
(……俺って潔癖症だったかな…)
頭を掻きながら、阿笠邸を後にし自宅へと戻った。
今夜もまた蘭からの電話に少しだけ疲れを感じながらも、恋人の要求を叶えるのが役目だと思いながら。
だからといって結婚はまだまだ考えられないのだ。
もし、もしも、蘭が今すぐ結婚して欲しいと言ってきても応えたいとも思う反面、無理だ、とも思ったのはやはりまだまだなんだろうな、と考えながら、折り返しの電話をしたのだった。
2017/05/25