眼光紙背に徹す

名探偵コナン

書斎にいた小さな女の子は志保に抱きしめられながらも、こちらを見てくる。

「…………………あなたが、パパ?」

いきなりの言葉に新一は呆然とした。── 一体、何を言っているのだろうか。
そんな娘に志保も驚いたのだろう、抱きしめていた体を離すと彼女の顔を見つめている。
そんな至近距離で見つめられているなんて羨ましいなんて思わない。

「…あ…愛莉? いったい何を言っているのよ?」

「だって…」

志保の娘──愛莉はこちらをちらりと見上げてきている。
やはり志保に生き写し、いや灰原哀にそっくりだ。
彼女の娘にしてはどこか元気すぎそうなのが灰原哀とは違うといったところだろう。
その彼女は志保を見た後、もう一度新一を見上げて口を開いた。

「だってルパンたち、ママがパパをつれてくるって言ってたよ? この人が、愛莉のパパじゃないの?」

愛莉の肩に手を置いていた志保の指に力が籠った。それに釘付けになったのは手が震えていたからだろうか。

「、そんな訳ないでしょう? 前に言ったでしょ? もうパパには会えないのよ、って」

「でも、それってパパが死んじゃったんじゃないんでしょ? じぃじが言ってたよ、生きてるって」

娘の発言に志保が言葉を詰まらせている。
そんな志保を気にしながら、新一は志保の娘──愛莉を見やった。
何もかも、宮野志保を小さく、灰原哀をトレースしたようなほどそっくりだが、ひとつだけ違う。
宮野は翡翠のような美しい眸だが彼女はどこか見覚えがある深い蒼い眸をしている。どこで見たんだったかな……。
つーか、パパには会えないってなんだ?
ぐるぐると思考に陥っていると、つんつんと服を引っ張られた。
見れば『灰原哀』がこちらを見上げてきている。

「ねぇ、おじさんがパパじゃないの?」

「……お、おじ……え、は…?」

どこかで見た事がある既視感に眉を顰めながらも、新一は愛莉の目線に合わせる為に囲んだ。
間近で見る宮野の娘に、とりあえずは挨拶をした。

「俺はおじさんっていう年齢でもないし、パパでもないよ? 俺は工藤新一。君は?」

「愛莉、宮野愛莉だよ」

にこーっと笑顔を見せてくれる彼女が可愛いと思えた。
『灰原哀』が笑顔を見せるのは稀であったし、中身が大人だったせいか、こんな無邪気な笑顔なんて見せたことはなかった。たまに見せる笑顔ははにかんでいたし、大人っぽい笑顔だったからだ。

「愛莉ちゃん……ところでルパンたちはどうしたんだい?」

「さぁ? どこかに行っちゃった」

子供特有の大きな眸がこちらじっと見つめてくる。
── これが、宮野の娘……。
博士が可愛い可愛いと言っていた気持ちがわかる。可愛い、すげぇ可愛い。

「えっと「ルパンたちはもうここにはいないの?」」

「ん〜 わかんない」

何かもっと訊こうとした新一だったが、志保が遮るように愛莉の顔を自分に向けさせた。
愛莉は両手を後ろに組んで、首を傾げた。そんな仕草も可愛い。

「でもルパンから手紙寄越されたよ。はい、ママ。それとおじさんにも」

志保に手紙を渡し、こちらを向いて笑顔で渡してくるが、おじさんって……せめてお兄さんと呼んで欲しい。
この『灰原哀』そっくりの少女にお兄ちゃん……。
なんて考えていると、ジロリと横から睨まれた。どうやら考えていた事が口から漏れていたようだ。

「…………あなた、ペドフィリアなの?」

「いやいやいやいや!俺が好きなのはお前だし!」

「………………知らないわ」

ふい、と顔を背けられたが耳が赤くなってるのが分かる。照れる彼女も可愛らしい。
しかし、今はそれよりもルパンだ。志保もそう思ったのか娘経由で渡された手紙を開けている。
ちらりと覗き見しようとしたが、胸に手紙を押し付け見えないようにされてしまった。
仕方なしに、ルパンからだという手紙を開封する。
先ほどまでの暗号ではないようだ。

『今 思い出さないと 一生 手に入れられなくなるぜ』

なんの事だ──と眉を顰める。
志保をもう一度見つめると、娘の愛莉を見つめていた。そして、ちらりとこちらを見てくる。

「なんだよ、なんて書いてあったんだ?」

「………あなたには関係ないわ」

「関係ないなら、それ見せろよ」

「いやよ」

顔を逸らされ、手紙は彼女のポケットにしまわれてしまった。

「ママ?」

「………とにかく、ここから出て、ホテルに戻りましょう」

「だって、ママ「愛莉………ごめんね」」

志保が愛莉を促すように目線を合わせて話しているが、愛莉はちらりと新一を見上げては志保を見つめる。
その様子に、志保は申し訳なさそうに顔を歪ませて、愛莉を抱きしめた。

「………ママ…」

「お、おい、どうしたんだよ? 戻るってなんだよ、」

「この子が見つかったのだからホテルに戻るのよ」

「ダメだ!そうしたらオメーまたどっかに隠れるつもりだろ!!」

「あなたにはか「俺はお前が好きなんだ!!だから、関係なくねーなんて言うな!!」……工藤くん」

志保を腕を掴み、逃がさないと言わんばかりに彼女を見つめた。
深く蒼い眸が見つめてくる。目を逸らそうと愛莉を見れば同じ眸が志保を見つめてきていた。
ドキリ、と身体が震えそうになる。
ああ、こんなところで彼らは知らなくとも同じ血を引いているのだと確信してしまった。

「ねぇ、ママ……」

懇願するような眸に口を滑らせてしまいそうになる。
先ほどのルパンからの手紙……出来るならば愛莉に与えてあげたいと思う。しかし、彼の様子から何も知らないままなのだと思うと口にするのさえ憚られる事なのだ。

『志保ちゃん
そろそろ素直になっていーんでない?
愛莉ちゃん、パパが欲しいみたいだよー?
健気に待ってるよ。
まだ隣にいる奴の事、好きなんだろー』

もっとまともに手紙を書く事は出来ないのかという文面だったか、愛莉がパパを欲しがっているというくだりに目を瞠った。
ずっと何も言わずにいた愛莉に、志保は心臓を掴まれたような気がした。
まだ、たった三歳の子供が父親を求めないはすがない。……どこかで、ルパンたちがいるから大丈夫だなんて考えていた自分が情けない。

ああ、一度訊かれたではないか。

『ねえママ?』

『なぁに、愛莉?』

『あのね、パパってどんな人?』

絵本を読みながら話しかけてくる娘に、自分は彼女を抱きしめて答えたのだ。
とても──

『とても、正義感に溢れていてね、どんな時でも間違わない人よ』

『……会えない?』

『………えぇ…』

『ママはパパが好きだった?』

『───今でも、愛してるわ。あなたの次にね』

『愛莉もママ大好き』

──あぁ、幼い子供になんて我慢をさせてしまったのだろうか。
志保は涙を我慢するように愛莉を掻き抱いた。

「……ごめんね、愛莉…」

ただ一言呟き、涙する志保を眺めて新一はどうしたらいいのかと頭を掻いた。
彼女はいったい何を隠しているのだろうか──。
この少女は先ほどから「パパ」なのかと問うてくるが、そうであったならばどんなにいいだろうか。
だが、それはないのだ。
抱きしめ合う二人を見つめながら、新一はどうしたら志保をここに、自分の傍に留めておけるのだろうかと、頭を捻る。
こうなったら、自分はパパだとこの娘に嘘をついてでもこちら側に引き込んでしまおうか、なんて事を考えてしまう。とんでもなく物騒な考えであったが、名案に思えた。
カサリ、と先ほどルパンに寄越された手紙が音を発てた。

『今 思い出さないと 一生 手に入れられなくなるぜ』

思い出さないってなんだ? 俺が何かを忘れてるとでも?
一生、手に入れられなく……って志保の事か?
ぐるぐると頭を悩ませる。
ふと、願望が事実であるならばと仮定してみた。
全然組上がらないパズルが向きを変えてみると、ぱちぱちと填まっていく。

─── え?

まだ当てはまらないピースはあるが、さっきまでバラバラだったピースが纏まっていった。
もう一度、彼女たちを見つめる。こちらを見上げてきた少女の眸を見て、新一は鏡を探した。

そうだ、どこかでみたことがあるその眸は──己の眸と酷似しているのだ。

親父の机に回り、引き出しを開けていく。あの父親のことだから、何かしら入っているはずだ。
一番下の引き出しに手鏡を見つけ、覗き込んだ。

──どくん

大きく心臓が跳ねた気がすると共に、思考を巡らせた。何を忘れてる………? 大事な、彼女──志保との思い出を。

見つけられなかったピース片が手のひらに舞い込んできたのは、彼女がイギリスへ渡る前日の事。
未成年の飲酒は禁じられているが、彼女の門出を祝いたかったのだ。
飲まないと、行かないで欲しいと言ってしまいそうになるような気がしたから。酒の力を借りてでも、彼女をきちんと見送ることが出来るように、と。
自分を置いていく彼女が、ずっと隣にいた彼女がいなくなるのが気付かずに寂しかったのだ。
あの時──朝 目覚めたら自分は酔っぱらって志保に迷惑をかけたらしい。飲んだことは初めてではないにも関わらず、酔っぱらい、しまいには服を脱いで寝てしま………た。
その時の記憶はない。
探偵を目指している以上は、自分の記憶力に自信はある。しかし、何か原因があって忘れているとしたら……? この場合、原因は酒だろうが。
新一は志保と愛莉に近寄ると、顔を上げ、怯えた志保を見つめて──理解した。

「……志保、ごめん」

彼女に手を伸ばし、包むように抱きしめたのだった。



END
2017/08/16


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