鏡花水月の苦しみ

名探偵コナン

「……志保、ごめん」

そう呟いて抱きしめてきた新一に志保は身を震わせた。

「ちょっと! やめて、なんなの…」

「……一人で苦労させて、ごめん…」

「なにを言って……」

気丈に振る舞おうとしたが、動揺したせいか声が震える。
それで確信したのか、新一は強く志保を抱きしめた。

「工藤くん!離して」

「いやだ…」

「いやだって、なにを言っているのよ」

自分(母親)が抱きしめられてる姿を愛莉がどう思うか、と心配してしまう。身を捩りながら、愛莉を見れば驚いているのか、ただただこちらを見つめている。
これ以上はごめんだと、更に身を捩れば抵抗を感じたのか、少しだけ身体が離れた。
しかし、彼の深い蒼の眸は真っ直ぐこちらを見つめてくる。
どくん、と胸が鳴った。

「………あの子、俺の子なんだろ…」

「……な、なにを言って…るのよ…」

鼓動が速くなる。
やめて、やめて、思い出してしまったの?
もし、そうなら、私はあなたの手を掴むなんて出来やしない。だって、あなたはあの時──。
真摯な眼差しを直視出来なくて、顔を逸らせば愛莉の眸がこちらを見つめている。
工藤新一と同じ、深い蒼の双眸がこちらを向いている。
真実は決して逃さないという双眸だ。
ああ、こんな所で彼らに血の繋がりを感じてしまうなんて………。
どうして、暴こうとするのだろうか、他人が隠したいと願っている事を。

「……やっぱり あなたがパパなの?」

両腕を志保の背中に回し、逃がさないとばかりに拘束していた新一の腕は片方だけ、細い身体から離れた。

「……あぁ、俺が君のパパだよ」

「〜〜〜! ほんと? パパなの?!」

「?!」

歓喜のような声をあげて、広げられた腕へと飛び込む愛莉に、志保は衝撃を与えられた。気持ち的にも、物理的にも。
愛莉は新一の胸へと飛び込み、志保を見ながら「パパいたんだねー」と無邪気に笑っていた。
先ほどのルパンからの手紙を思い出す。

『愛莉ちゃん、パパが欲しいみたいだよー?』

寂しい思いをさせているとはあまり考えていなかった。毎日一緒に過ごし、時にはルパンたちが一緒に暮らして、楽しんでいたのだから。
正直、父親はいなくとも、ルパンや次元、五ェ門たちがいるから大丈夫だなんて考えていた自分が情けなくて堪らない。
志保ははらはらと涙を溢していた。


胸に飛びついてきた小さなぬくもりは暖かくて、くりくりとした眸は志保の翡翠色の眸ではなく、自分の眸に酷似していた。
「うふふ〜」と嬉しそうにはしゃぐ娘──愛莉が可愛くて仕方ない。
こんなに可愛いのだから、出来るならば生まれた時から、いや、お腹にいる時から傍にいたかったのに、どうして教えてくれなかったのだろう。
そんな勝手なことを思いながら新一は、志保と愛莉を抱きしめる腕に力を込めた。
だが、もがいている志保に往生際が悪いと思っていると、どこか冷静な声音で「離してくれない?」と呟かれた。
まだまだ二人のぬくもりを堪能したかったが、声音から従った方がいいと判断して力を緩めた。
ぐいっと、腕を押され彼女のぬくもりが離れていく。
志保は新一から一歩離れると、愛莉を一瞥してからどこかへ向かって声をあげた。

「───ルパン! いるんでしょ、出てきなさい」

「志保?」

「聞こえているでしょう、ルパン!」

新一は驚いていたが、どこからか物音がしたと思えば開いていたドアに凭れているルパンの姿があった。

「よぅ、探偵坊主。さっきぶりだなぁ」

「ルパンっ!次元大介も!!」

「五ェ門と不二子さんは?」

「んー? あぁ、この家にいた色黒の兄ちゃん連れて隣にいるぜ?」

「………は?」

「そういや、服部……」

忘れていたのか、新一は今更ながら服部平次の姿が見当たらない事を思い出した。
そんな事よりと、志保が文句を言おうとした時ルパンが一言発した。

「次元」

「………わーったよ」

どうしたのかと思えば、次元はルパンの前に出て屈むと両腕を広げた。

「愛莉、ちょっと来い」

「じいじ!」

「くそ、じいじって呼ぶな!」

愛莉は新一から離れると、パタパタと走り、悪態をつく次元大介の腕へと飛び込んだいった。それに新一は驚いた。

「ちょ、なんだ、よ、それ!」

次元は愛莉を抱き上げるとそのまま背を向けて歩いていく。

「次元! 愛莉をどこに連れていくつもりよ!!」

「落ち着いて、志保ちゃん。愛莉ちゃんは不二子んトコに行くだけだから」

「なによ、どういうことよ!」

先ほどの誘拐紛いの事を忘れたかのように話すルパンに志保は噛みついた。当たり前だ、最愛の娘を誘拐したと手紙を残し、いなくなったのだから。

「だいじょーぶだって! ちゃんと返すから……まぁ、でもその前に、だ」

途端にルパンの顔が変貌する。何か獲物を見つけた時のような眸で笑っている。
ちらり、とルパンは新一をも見つめた。
新一は彼らの様子を見ていたようだが、愛莉の事も気になった。

「志保ちゃん、手紙に書いただろ? そろそろお姫様の願いを叶えてやったっていーんでない?」

「……それは…」

ポケットの中にある手紙を上から押さえた。カサリと音がしたような気がする。

「何が書かれていたんだよ…」

隣にいた新一が話しかけたが、志保はただ首を横に振るだけだった。
ルパンは新一にも問いかけた。

「んで? 探偵坊主は思い出したのか」

「…………」

新一は押し黙るしかなかった。
正確にいえば、思い出した訳ではないのだ。

「なーんでぇ、思い出したつー訳じゃねーのかよ」

「…………うるせぇ…」

今から思い出すんだよ、と新一は志保を見つめた。
だが、その顔は思い出さなくていいと、懇願するかのように悲壮に満ちている。
一体、どうして、そんな顔をするのかと流石にルパンも心配になってきた。
ルパンの考えでは、新一が覚えていないのはおそらく酒か何かのせいなのだろう。酔った勢いなんて大人にだってあるのだ。それを覚えていないのは男として些か良くはないが、まだ彼らは未成年だったはずだ。
少なくとも志保は覚えているのは確実だ。
──つまり、探偵坊主は志保ちゃんより酒が弱いってか、情けな!
今でさえ、晩酌に付き合うようになった彼女はなかなか酒に強い。まぁ、コードネームが酒の名前だっただけに、早々に飲まされていたのかもしれないが。閑話休題、今はそれどころではない。

ルパンが志保を見つめると、彼女は先ほどと同じで美しい顏を歪ませていた。

「………志保…?」

「…………お願い、だから……もう、私たちには構わないで……あなたには───」

蘭さんがいるでしょう、小さな声でそう呟く彼女に「もう蘭とは終わっているんだ!」と告げるが、志保は頑なにそれを認めようとはしない。

「……あんな、に……あんなに愛していたはずでしょう! 何を考えているのよ!!」

心変わりを責めているのか、志保は辛そうな面持ちをしている。

「まぁまぁ、志保ちゃん。いくらピュアっピュアっだった探偵坊主とはいえ、心変わりくらいすんじゃねーかな?」

流石に新一が気の毒に思えたのか、ルパンが間に入った。ルパンとて男である。
初恋はとうの昔に忘れてしまっているが、一途に思ってられるほど夢見てはいない。現実を知っただけだろうと思うのだが。

「………だって、……なんで、あの時……」

志保が呟いた時、新一は彼女の肩を掴んだ。

「……覚えてねーのは悪いと思っているし、オメーを苦しめてきた事も悪いと思ってる。まして、1人で子供育てたりして苦労させていたことすら知らなくて………でも、俺、ずっとオメーを探してて……ずっとどこにいるのか分からなくて不安で…」

それがなんでか、なんて考えてなかったけど、ずっとお前を求めていたのは好きだからなんだよ!と新一が言うが、志保はただハラハラと涙を溢すだけだった。


何を頑なに拒否しているのだろう。
志保は新一の言葉を聞きながら、それでも頷けずにいた。
プライドが邪魔するのか、なんなのか。
愛莉を思えば、父親たる彼の言葉を受け入れれば全てが収まるのだ。
それなのに、どうしても志保はあの時の彼の言葉が耳から離れない。
彼をもう好きではないから?
いいえ、彼の事は今でも心を占めている。
ただ、悲しかっただけなのだ。

彼が、自分を彼女だと勘違いして 抱いた事が──。





END
2017/08/28


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