縁は異なもの味なもの

名探偵コナン

通称「黒の組織」が壊滅し、日本警察の救世主と謂わしめた工藤新一は、幼児化という有り得ない経験を経てようやく元の姿へと戻る事が出来た。
元に戻れた喜びを胸に、寝る間を惜しみ解毒剤を作ってくれた聡明な科学者はもとより、組織壊滅に協力してくれた(相手側からすれば新一こそが協力者であるが)FBIやCIA、公安その他多数の捜査官、見守り続けてくれた両親や隣人、大阪の親友に感謝はしきれない。
しかし、それよりも待たせ続けていた幼馴染みを安心させる為に、彼は動けるようになった身体で直ぐ様連絡を取り、会いに行ったのを見送った科学者──宮野志保はなんとも言えない微笑を浮かべていた。

「全く、新一にも困ったもんじゃのう」

「……仕方ないわ、組織が壊滅してからもずっと彼女を待たせていたのだから」

傍らの養父に志保は苦笑し、踵を返して特徴的な阿笠邸へと戻った。その様子に阿笠はやりきれない思いを持ちながら彼女の後を追った。

「あぃ、志保くん。本当に行くのかね?」

「えぇ、折角だから此処から離れてみるわ」

「わしは迷惑とは考えていないのだがのう」

しょんぼりとした養父に志保は苦笑を滲ませ、口を開いた。

「博士、ごめんなさい。散々お世話になっておきながら此処から離れたいだなんて」

「志保くん…」

「でも、もう追われる心配もないのだから、お母さんの国へ行ってみたいの」

組織が壊滅した時に決めていた。解毒剤を完成させ、彼──江戸川コナンを工藤新一に戻したら、母の母国である英国へ行ってみようと。

「……志保くん……もし、何か困った事があったりしたら遠慮せずに知らせてくれ」

「博士……」

「わしは、君の事はもう自分の娘だと思っておる。子供は親に甘えてもいいんじゃ」

「……博士…、ありがと、ございます…」

ぐっと握られた手に熱いものがはたはたと落ちる。
こんなにも自分を慈しんでくれる博士に志保は止めどなく涙が溢れていく。
博士も涙目になりながら、うんうんと頷くだけだった。
とはいっても出発するのは半月後である。
灰原哀こと宮野志保は赤井や安室──降谷に、何かあればすぐに連絡して欲しいと散々言われていた。
彼らは、姉である明美や母であるエレーナの事があるからか、これまでも哀であった志保を陰ながら、遠巻きながら守っていた。
気づかない時は、恐怖しか抱かずに随分と怪しんでいたが、正体を明かされた時には思わず怒りに震えたくらいだった。
しかし、そんな哀を苦笑しながらも慈しんでくれたのはその二人であった。
火と油のような二人ではあったが、殊更 哀──志保に関しては随分と大切にしてくれていた。

「志保、本当にイギリスへ行くのか?」

「何度も言ってるじゃない」

「しかし留学なんて……。飛び級で大学も卒業してる貴女なら今すぐにでも働けますよ?なんならウチから研究所でもなんでも斡旋します」

「まだまだ学びたい事があるのよ、それに……」

「それに?」

「……いえ、なんでもないわ」

一瞬、哀しげに揺れる眸に赤井も降谷も見逃しはしなかったが、それを追及する程 鈍くはない。

「少し、あちこちに行ってみたいだけなのよ」

ふふっと微笑する彼女に二人は「「何かあれば連絡をくれ、必ず駆けつける」」とまるきり同じ言葉を告げた。
同じ事を言った二人は揃って苦い顔をしていたが、志保はそれに笑っていたから、互いにまあいいかと思ったくらいであった。
留学と建前の元、出発する前夜に志保は新一に呼び出された。
既に新一の両親はロスに戻り、赤井も降谷も仕事に戻っている。

「どうかしたの?」

「いや、お前には世話になったからな。前祝いというか、お別れ会というか……」

「お別れ会なら昨日したじゃない。わざわざ赤井さんや降谷さん、ジョディ先生たちまで来てくれて」

「そうだけどさ、せっかくだから幼児化したもん同士でやろうぜ」

テーブルにドンと置かれた酒を見て、志保はこめかみを揉んだ。

「あなた、未成年でしょ」

「それはオメーもだろ。俺は少しは飲めるんだぜ」

「はいはい。どうせまたご両親に付き合ってとかなんでしょ。ツマミはあるの?」

新一はへへっと笑うとチーズだのなんだのとキッチンから運んできた。

「なんだかんだ言って、オメーも飲める口なんだろ」

「………まぁね」

組織にいた頃に無理やり飲まされたのだ。それは良いのかと言われれば良い訳でもないし、良い思い出でもない。
それを追及されるのもイヤで、テーブルにあるワイングラスに注ぎ、互いに乾杯をした。

「あら、美味しいわね」

「父さんの秘蔵のワインだからな」

「怒られたって知らないわよ」

「宮野と飲んだって言えば怒られやしねーよ」

「なんでよ」

「なんか、父さんらはオメーを気にいったみてーだしな」

新一の言葉に、志保はなんとなく頷いた。
薬の開発者である志保に対して、彼らは罵倒することもなく、自分のせいでと土下座する勢いで謝る志保にそんなことはない、君のせいではなく、むしろ君のおかげで息子は生きているのだ。と言ったのだ。
その言葉に志保は呆然としたが、有希子が志保の両手を握り、優作は笑みを浮かべて「愚息の浅はかな好奇心故にこうなったのだから、貴方が気に病むことはないんですよ」と「もしその薬でなければ、息子は確実に殺されていた」とも。
それはあくまで結果論であり、たまたま彼が命を落とすことなく幼児化という結果になっただけである。
たまたま工藤新一と宮野志保が幼児化しただけなのだ。他は息絶えたというだけなのだ。

「たまたまであっても、結果は結果だ。それに君もあの組織の被害者であることは変わりない。だからどうかそんなに謝らないでくれたまえ」

工藤優作にそう告げられてしまえば、それを論破する事など出来ないと志保は感じ取っていた。
工藤新一よりも格上の人間であるのは間違いない。
彼すらも頭が上がらない程の人物なのだ。
身寄りがないなら、是非ともウチのコになって!という有希子にも驚いた。
志保ちゃんみたいな美人さんが娘だったら、毎日きっと楽しいわ。となんだか玩具にされそうな宣言をされたが、傍らで聞いていた博士が「哀く、志保くんはワシの娘じゃよ、有希子くん」と宣言したのだ。
それを聞いた有希子は頬を膨らませたが、優作がそれを宥め、志保はポロポロと涙を溢した。
なんて、なんて温かいひとたちなんだろう、と。
家族なんて、姉しか知らなかった自分に、なんでここまでしてくれるのかと、博士との出逢いに感謝してもしてきれないくらいでいっぱいだった。

「だから平気だって」

へらりと笑う表情は江戸川コナンの面影が充分あって、この子供っぽさに志保はくすりと笑みを溢す。

「まぁ、あなたが開けたのだから、私は何も心配していないわ。それに」

それに、明日の今頃は日本にいないのだから。とワイングラスを傾けて話す志保の姿に新一は目を見張る。

(───そうか、いないのか……)

だから飲み会をしているのだが、今一実感がない。
明日も明後日も阿笠邸に行けば会えるのではないか、とどこかで思っていた。
胸がチクリと痛んだような、寂しさを覚えた。
出会いこそ最悪で罵倒したりしたが、彼女の泣き顔を見て、助けられなかった明美さんを思い出し、そこから二人は始まったのだ。
互いしかいない稀有な同士、運命共同体、相棒、いつしか信頼し、信用出来る相手になっていた。
そして、幼児化した時期の話に盛り上がった。
幼い親友や友人たちとの思い出。何回も何回もキャンプに行ったり、みんなで食事をした時の話に、事件に巻き込まれた事の話。
もうコナンはいないだろうから、あの子たちが事件に巻き込まれることはなくなるであろう。
もう事件になど巻き込まれたりしないで欲しいと思っている。
そして──、志保は何杯目にかになるワインを口に含み、新一に訊ねた。

「そういえば、蘭さんとはどうなの?」

「え、あ、ら、蘭?」

「──何をどもっているのよ。付き合い始めたのでしょう?」

「ま、まぁな……」

照れて、頬を掻く新一に、志保は胸が痛くなるのを感じながらも微笑した。

「良かったわね、ようやく 想いが報われて」

「い、いや、」

「なに照れてるのよ。それに報われて良かったのは蘭さんの方よ。こんな事件体質のラブコメ探偵を健気に待ち続けたんだから」

「……へーへー そうですか」

相変わらずの志保の態度に新一は唇を尖らせながら反応した。

「でも、二人を引き離した身としては本当に良かったと思っているのよ。おめでとう、工藤くん…」

ふふ、と柔らかく笑う志保に新一の胸がドキリと鳴った。しかし次の瞬間にはトクトクとワインを注いでいる志保の姿を見つめる。
さっきのは幻だったのだろうか。
鼓動が少し早まった気もしたが、それを振り払うかのように新一もグラスを空けた。

「別に幼児化したのは俺の不注意だったせいだよ、お前が飲ませた訳じゃねーし、飲ませたのはジンだからな。それに薬が普通に効いていたら、その時点で終わっていたんだぜ? だから生きてて良かったし、オメーは解毒剤も作ってくれた。こっちこそありがとうな」

新一の言葉に志保は泣きそうになるのを堪えた。
せっかくの二人きりの時間を壊したくはない。明日にはさよならなのだから。
志保は「当たり前のことをしたまでよ」と答えて、二人は飲み続けた。
互いにあの事件はどうだった、少年探偵団の話、高木や佐藤の恋愛話から警視庁の恋愛話、赤井と降谷の不仲などを話している内に気づけば、新一がテーブルに突っ伏していた。

「工藤くん?」

志保が立ち上がり、様子を見れば酔いつぶれてしまったようだった。

「……そんなに飲んだかしら?」

志保がワインを見れば、なるほど空けた本数がなかなかのものだ。
意外と自分は酒に強かったようである。
酔っ払っていない訳ではないが、酔いつぶれる程でもない志保はキッチンへと向かい水を注いできた。

「工藤くん、工藤くん、起きて」

「…う、ん……」

「ほら、水を飲みなさい」

彼の身体を支えて、飲ませようとして腕を掴まれた。
そして、視界が暗転し、志保は目を見開いた。
もっていたグラスはガチャンと床に落ちたのが分かったが、自分に何が起きているのか、理解出来なかった。
なぜ、何故、目の前に新一の顔があるのだろうか、そして、何故、声を出せないのか。

「んぅ……んっ……」

「……ん…」

「んっ……ちょ、んんっ…(………どうして…)」

「……は…」

塞がれた唇はやがて深くなり、志保は深く蒼い眸に魅せられ、身動きが取れなくなった。
ゆっくりと手を縋るように伸ばした。
赦されない想いだと、諦めなくてはいけない想いだと、知っていたのに。
それでも──と、一度だけでも、と清らかな彼女を脳裏に浮かべながら、それを追い出した。
志保にとって、一生忘れることも出来ない夜を過ごしたのだった。





2017/07/31 リメイク(IF用書き直し)


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