意地を張るより素直になれ
「ママ〜」
カタカタとキーボードを打っていると、くいくいと服を引っ張られた。
「パパはいつくるの?」
小首を傾げて訊いてくる娘に志保は苦笑いをした。
「さぁ、分からないわ」
「むぅ〜」
口を尖らせてそっぽ向く愛莉の頭を撫で、志保は立ち上がった。
「愛莉は、ジュースにする?」
「ケーキたべたい!」
「まだ3時じゃないわよ?」
「ママのつくったケーキがたべたい!」
日本から戻って1ヶ月。まだまだ娘のご機嫌はよろしくないようで、志保は肩を竦めた。
「……分かったわ。じゃあ、愛莉も手伝ってくれる?」
「うん!てつだう!!」
口を尖らせていたのが、すぐに笑顔に変わり志保はなんとも言えなくなる。
パソコンのデータを保存し、電源を切ると早く早くと急かす愛莉の後を追ってキッチンへと向かった。
愛莉用のエプロンを着けてあげると、冷蔵庫の中を確認した。
「何が食べたいのかしら?」
「レモンパイ!」
その言葉に志保は眉を顰めた。今まで食べた事がなかったのに、レモンパイ?
何故、というよりも、一昨日 愛莉が博士とテレビ電話していた事を思い出す。
愛莉は少しだけ窺うように志保を見つめて来た。
どうやら、博士が教えたのか、………彼と話をしたのか、先ほどの「パパはいつくるの?」から後者だろう。一体、何を吹き込んだのか。
「………おじいちゃんになにか言われたの?」
「んーん」
「………じゃあ、どうしてレモンパイなの?」
「たべてみたいなっておもったの!だめ?」
志保はため息を吐くと、愛莉の頭を撫でて「いいわよ」と答えた。すると愛莉は眼を輝かせて「ほんと?やったぁ!」と喜んでいる。
パイシートはないので作ることにした。麺棒で生地を伸ばすのが楽しいのか愛莉は夢中でやっている。
フォークを差し出せば、自分がやる!とぴょんぴょん跳ねていた。
空焼きしてる間にレモンカードを作り、愛莉がやりたいというのは極力やらせた。
出来上がったところで、ルパンたちがやって来た。
「ん〜、いーい匂いしてるなと思ったらお菓子作りかい?」
「あ、ルパン!みてみて、あいりがつくったんだよ」
「お、愛莉ちゃんが? すげぇな!天才!!」
ルパンの武骨な手が愛莉の頭を撫でるときゃあと楽しげな声をあげたのに、志保はくすっと笑うと使ったボールなどを洗っていく。
「パパのこうぶつなんだって!」
「へーぇ。じゃあ、食べさせてやらないとな」
「うん!パパ よろこんでくれるかな?」
「そりゃ 泣いて喜ぶよ」
二人の会話にやはりという思いと、何を言っているんだと驚いていると、ルパンがニタニタとこちらを見て笑っている。
一体、なんなのだ。そう思った時にカレンダーを見て、ハッとした。
日本から離れていたせいだろうか、5月には大型連休があったことを思い出したうえに、彼の誕生日があったはずだ。
彼と再会したのは1ヶ月程前だ。
博士の入院をきっかけに日本に極秘に帰れば、見つかってしまった上に愛莉の事が露見してしまった。
それもこれもルパンが愛莉を連れ去るということをしたせいだ。
ルパン曰く「あの探偵くんが志保ちゃんを想っていた結果じゃ〜ん」という事だが……。
彼が、心変わりをするなんて思えなかったからかもしれない。あれ程恋い焦がれ『江戸川コナン』という存在を危険を承知で幼なじみの彼女に伝えようとしたり、なにがなんでも彼女だけを助けようとしたり、時には子供の姿にも関わらず彼女に何かあればすぐに駆けつけようとしたり……それほどまでに彼は彼女を思っていた。
それでもそんな彼に自分は恋をしていた。時には彼に対してイライラしたりもした、自分には向けられない想いを注がれる彼女に、嫉妬しなかったこともない。
最終的には酔っていたとはいえずっと彼女の名を呼んでいたのが耳に残っている。それほどまで彼女に想いを寄せていたのに。
彼女とうまくいかなかったから?
私に同情したから?
愛莉を産んだから?
好きだと、傍にいて欲しいだと、傍にいたいと言われて動揺した。
彼を想う気持ちはどうしても変わらない。だからこそ諦めたのに、自分には愛莉がいるからもういいのだと、それだけで良かったのに、意図も簡単にしまいこんだ想いを持ち上げる。
(………工藤くんらしいといえばらしいけど…)
出会った頃から、そうだった。
彼はたった独りで組織に立ち向かっていた筈なのに、気づけばFBI、CIA、公安その他各捜査機関を味方につけていた。彼の人徳がさせるのか、人たらしなのか……。
そういえば、と志保はルパンたちを見つめた。この大泥棒たちも、あの怪盗キッドも彼と対立していたのに、と今更ながら思う。
「ママ〜 これパパにあげたら よろこぶかな?」
愛莉がレモンパイの1ピース 皿に乗せて態々訊いてきた。それに気づかない訳ではない…………彼が来るのかもしれない。
「……………そうね、あなたが作ったのだから泣いて喜ぶわよ」
「ホント?!」
「えぇ」
「じゃあ、パパにあげてくる!」
「あ、愛莉ちゃん!」
走りだそうとする愛莉をよそに、ルパンはあちゃーと額を手で覆っている。
「…………どういうこと?」
まさか、ともうここに?!と訳知りそうなルパンを見つめると、扉から「だ──!!」と大声を出して、新一が現れた事に志保は驚きを隠せない。その後ろには次元もいた。
なぜ、この家に新一がいるのか。
「パパー!」
走り寄る愛莉を抱き上げると、こちらに突進してきた。
「…志保っ!」
愛莉を抱き上げたままにぶつかってくる新一に志保は、傍らのルパンを睨みつけた。
「おいおい、探偵坊主 出てくんの早ぇよ…次元押さえとけってつったろ」
「こんのガキが暴れたんだよ」
「………どうして、ここに彼がいるよ…」
「志保と愛莉に会いたいからに決まってんだろ!!」
ルパンたちに問いかけているにも関わらず、新一は志保の顔を覗きこんで答えた。
そういうことではない、なぜ、この家に入れたのかが知りたいのだ。
「…………不二子さんに連れてきてもらった」
「はぁ?」
「いいじゃねぇか、そんな細かいこと気にするなよ」
「そういうことじゃないわよ!大体 どうしてあなたがイタリアにいるのよ?!」
「んなもん、オメーに会いたかったからに決まってんだろ! あ、もちろん 愛莉にも」
「きゃあ!」
抱き上げている愛莉の頬にすりすりと顔を寄せると、楽しそうな声をあげている。
「………だから、」
「理由なんて前に言っただろ、俺は志保を好きで愛してる。傍にいたいし、いて欲しいんだって」
「なに、我儘言ってるのよ」
ぐいと新一の肩を押して、志保は身体を離した。
愛莉を抱っこしていただけに対抗出来ずに離れた新一はムスっとしている。
新一の背後にいるルパンたちを一瞥し、志保はため息を吐くしかない。ニヤニヤと笑っているのも腹立たしい。───これでは、言いたいことも言えないではないか。
「ねぇ、パパ! ケーキたべようよ!」
「お! そうだな、愛莉が作ってくれたんだろ?」
「うん! ママとつくったんだよ!」
にこーっと満面の笑みを浮かべる愛莉を見て、新一は感動のあまりまたぎゅーっと抱きしめたのだった。
(可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い)
さすが、俺と志保の子供!!と変な風に悶えている新一をよそに、志保は無言の圧力をルパンたちに与えていた。
「まぁ、まぁ、志保ちゃん!ここはアイツの誕生日に免じて…」
「そ、そうだぜ、志保? たまーに、たまーにならいいじゃねぇか……誕生日は年に一回だけなんだしよ…」
「………誕生日が一年に何度もあったら変でしょう!」
はぁ、と盛大ため息を吐いて、志保はキッチンへと向かう。なんだかんだいって給仕するようだ。
そこが彼女のさりげなく良いところだと二人は思っている。
切り分けたパイを皿に載せ、腹いせにコーヒーではなく紅茶にしてやった。
新一が「俺、コーヒーが」などと呟けば、ジロリと睨まれてしまい、「あ、なんでもない」と謝るなど変な茶会が始まったのだった。
志保は新一とは対面で座りたがったが、愛莉から「ママとパパはあいりのとなりね!」と可愛らしくいうものだから、従わない訳にはいかなかった。
思いがけず、親子三人でソファーに座り、それぞれパイやお茶を飲んでいた。
ルパンと次元は顔を合わせると、紅茶とパイを一気に食べては「あ、あー、俺、用事があったんだった」「俺もだ」などと下手な演技をして室内から出ていった。しっかり、五エ門と不二子のパイを持って。
その様子に愛莉は首を傾げ、志保はこめかみに手をやり、新一はぐっと拳を握っていた。
「ねぇ、ママ? ルパンたちどうしたの?」
「……さぁ、分からないわ」
「おじさんたちはパパとママが仲良くするようにって、俺たちだけにしてくれたんだよ」
「っ?! あなたね!!」
「ママー、パパとなかよくしてね」
新一に文句を言おうとしたが、愛娘からのお願いに志保はぐっと口を噤んだ。
ニヤニヤ笑う新一が腹立たしくて、志保はジロリと睨むのだった。
ふい、と顔を背け、ぐっと唇を噛む。
なんで、どうして、こうも簡単に人の心を乱そうとするのかと泣きたくなる。
それでも変なプライドが邪魔をして、まだその胸には飛び込めそうもない、しちゃいけないと胸にしまった。
聞いた話では、彼女はまだ彼を好きらしいと聞いたから……。だから、まだ、素直になれないのかもしれない。
END
2017/09/18