合縁奇縁な父子
日本に降り立つのは何年ぶりだろうか。
もう少し清々しい気持ちで日本に来たかったが、何分イタリアから日本へは潜水艦という、まぁ不法入国である。
不二子に頼めば、まぁいつものように『お友達に頼んだのよ』とハートを散りばめて話すから、愛莉は『不二子ちゃん、すごい!』と眼を輝かせていた。
「じゃあ、志保ちゃん。帰る時は連絡ちょうだいね。愛莉ちゃん、待たね」
「はーい」
不二子に礼を言うと志保と愛莉は迎えにきた寺井によって車に乗り込んだ。
寺井は「ルパンたちは?」と訊ねてきたが、「彼らは別口で来ているはずよ」と答えた。
とりあえず、用意したホテルへと連れていってもらい、お見舞いをどうするかと話し合う事にした。
博士は命に別状はないものの、不摂生が祟ったようだ。あれほど食事には気をつけてと言っていたのだが、彼から離れてしまったのは自分自身であり、志保は後悔をした。
「ママ? どうしたの?」
小さな手が志保の手に触れ、その温かさにフッと笑みを溢した。
「大丈夫よ。ありがとう、愛莉」
ギュッと抱きしめれば、愛莉は嬉しそうに笑っていた。それをみた寺井もまた微笑んだのである。
「それでですね、見舞いは昼間に行きますと目立つと思いますので消灯時間を過ぎてから、なんてはどうでしょうか?」
「でもそちらの方が目立つのではない?」
「ですが、もし知り合いに会われますと」
「……それなら変装して行くわ。その際に貴方には誰も病室に近寄らないようにしてもらえると助かるわ」
「………愛莉さんはどう致しますか?」
ベッドに寝転んで、日本の番組を興味津々に見つめている娘を見て、寺井が訊いてきた。
出来るならば、博士には愛莉を会わせてあげたい。
もうこれきりかもしれないのだし、しかしそこから彼らにバレる事を考えるのも辛くなる。
「ママ〜、おじいちゃんにはいつあえるの?」
「………愛莉、おじいちゃんに会いたい?」
「うん!あってみたい!!」
いくら愛莉が年齢にそぐわない賢さを持っていたとしても、夜の病院に連れていくことは出来ないだろう。
ならば、予定にも組み込まれていた変装をして会いに行くということにした。
幸いというべきか、彼ら──工藤新一たちはまだ大学生である。だが、既に探偵事務所を立ち上げ、大学生探偵という二足のわらじである彼は忙しいらしく、他の三人も相変わらず多忙であるらしい。
念のためにとルパンたちにも協力してもらうことにして、翌日、志保は変装をして阿笠博士が入院しているという病院へと足を向けた。
車には五ェ門が待機し、次元とルパンも変装をして病院へと入った。
無論、志保も黒髪のウィッグを被り、愛莉にも同じように黒髪のウィッグを被せた。
「ママ、どうしてかみをくろくするの?」
「たまにはいいでしょう?」
「うーん……うん」
手を繋ぎ、病院のロビーへと足を向けると寺井が立ち上がった。ゆっくりと移動するのをそっと追いかけるように付いていく。
エレベーターに乗れば、すみません、乗りますと声を掛けて滑り込んだ。
「阿笠の病室は603号室です。先に行って様子を見てきますので、ゆっくり来て下さい」
「………ありがとう、寺井さん」
チンとエレベーターが止まり、寺井が先に出たのを見計らい、志保は広い待合室みたいな所へ足を向けた。
「愛莉、何が飲みたい?」
自販機を指差せば、愛莉はわぁ!と声をあげた。
普段はジュースではなく真似をして珈琲を飲んだりしているが、やはりまだ甘いものには目がなかったようだ。
桃のペットボトルを渡すと嬉しそうにそれを抱えている。花束を持ち、愛莉の手を引いて、603号室の前まで来た。
緊張からか、喉がカラカラになるのを感じる。
何度も深呼吸をして、志保は扉をノックしたのだった。
「はい、開いてます」
懐かしい声に、志保は扉を開けるのを躊躇した。
博士、博士の声が聴こえる。
「……ママ? どうしたの?」
手を繋いでいた愛莉は小首を傾げながら見上げてくるのを見つめながら「なんでもないわ」と溢れそうになる涙を拭った。
「………失礼します」
スライドした扉の向こうには博士の姿は見えない。
個室だからだろう、少し通路を歩くと右側に医療用ベッドが置かれ、そこには薄いグリーンの病衣を着た阿笠博士が身体を起こしてこちらを向いていた。
変装しているせいだろう、誰?と言わんばかりに首を傾げている。
「はて、病室を間違えているんじゃ「間違えていないわ、久しぶり、博士」………そ、その声は、志保くんっ?!」
阿笠は慌ててベッドから降りようとしていたので、志保は駆け寄った。
「ダメよ、博士!あまり動かないで!」
「じゃ、じゃが!志保くん、本当に志保くんなんじゃな?!」
博士は志保の頬に手をやり、肩を掴んだ。もう泣きそうな程に顔を歪ませている。
志保も同じように顔を歪ませると、博士を見つめた。あんなに大きいと思っていたのに、何故か小さくなってしまったかのように見える。
会えない時間は自分ではそれほど断っていないと思っていたのに、そんなことはなかった。
時間は正確に無慈悲に時を刻んでいたのだ。
「博士………会いたかった、わ…」
グズ、と涙を堪えようとしたがそれは叶わず、次から次へと涙が溢れてくる。それは博士も同じようでボロボロと涙を溢し、鼻水も垂れていた。
「志保くん、わしもじゃよ……よくぞ、無事でいてくれた……」
「ごめんなさい、博士、ごめんなさい……」
抱き合う二人を愛莉は不安気に見上げていた。
いつも優しいママ、たまに叱られる時は怖いけれど、そんなママが泣く所なんて初めて見たのだ。
愛莉は思わず、くいくいと志保のジャケットの裾を引っ張った。
「……ま、ママぁ……どうか、したの…?」
「……ママ?………は、え、哀くん?!」
「……愛莉………ごめんなさい。大丈夫よ」
驚く博士をよそに、志保は博士から離れると床に膝を立てて愛莉を抱きしめた。
ぎゅーと抱きしめられるのは好きな愛莉は嬉しそうに志保の背中に手を伸ばした。
「……し、志保くん……?」
混乱しているだろう博士になんと言うべきか、と悩みながらも志保は愛莉を見つめた。
自分によく似た風貌は、何年か前に存在した『灰原哀』のもっと幼い姿である。
知られてしまうだろうか、と不安になりながらも志保は愛莉に笑みを向けるとそのまま博士を見つめた。
ごくり、と息を飲む博士を見つめながら、志保は苦笑いをするしかなった。
「………博士、紹介するわ。私の娘の愛莉よ。あなたもご挨拶して」
「……みやのあいりです!おじいちゃんがあいりのおじいちゃんなの?」
「は? へ? な、なんじゃとおおおお?!」
室内に響いた声は廊下にまで響いたかもしれない。
「お、落ち着いて、博士!」
「お、落ち着いてなどいられんわい!おじ、お祖父ちゃん?! わしが?!」
混乱する博士に志保は落ち着いて!とベッドへと促した。命に別状はないとしても、興奮させる訳にはいかなかったのだ。
「おじいちゃん、びょうきなの? はやくよくなってね」
ベッドに戻った博士はパイプ椅子に座り、ぶらぶらと足を揺らしている愛莉をまじまじと見つめた。
志保の子である以上は可愛いのは分かっているが、まだ幼いにも関わらずハキハキと話し、笑顔を振り撒く姿は『灰原哀』とは違った。
『灰原哀』は外見の割にはやたらとクールであったのは実年齢が二十歳前だったからだが、年相応だったとしても『灰原哀』が人好きするような笑顔を振り撒くとは思えなかった。
だからこそ、愛莉の姿は昔の『灰原哀』と少し重なって見えても、全く別物である。当たり前なのだが。
「愛莉ちゃんや志保くんに会えたから元気になるしかないのう」
「ほんと? よかった!」
ぱぁ!と嬉しそうに眸を輝かせる少女に彼女は愛されているのだと実感する。志保が微笑んでいるのが何よりの証拠である。
「そ、それで…志保くんは今までどこにいたんじゃ? 新一も赤井くんも安室くんたちもそれはそれは心配して探していたんじゃよ」
言われるであろう言葉に志保は口を噤んだ。
何故、なんてそんなの知られたくなかったからだ。
誰に──工藤新一に。そして、赤井や安室──降谷に知られたら否応なしに彼に知られると思ったのだ。
「………今は知り合いと一緒にいるの…」
「─────そうか、志保くんが無事で元気ならばそれでいいんじゃよ…」
「…………博士、ごめんなさい、ありがとう」
無理に聞こうとしてくれなくて、志保はそっと息をついた。
それからは少し話をし、未だイタリアにいる事を告げた。何故入院している事を知ったのかと問われたが「調べたのよ」と曖昧に答えた。
誰にも来たことを、愛莉の存在を話さないのを条件に、これからはひっそりと連絡をすると約束した。
「誰にも、かのう」
「えぇ、誰にも言わないで欲しいの、」
特に工藤くんには、と声にならない声で博士を見つめた。
博士は志保を見つめ、愛莉を見つめ、また志保を見つめた。意志が強いのは知っていたし、頑固であることもだ。
これまで隠れていたのだ、あの名探偵や捜査官を相手に。約束を守れなければ、彼女はこれまで以上に身を隠すであろう。
阿笠はそれを理解した。この四年近く彼女は隠れていたのだから。
「………分かった……」
「本当、博士…?」
「じゃが、約束じゃぞ。連絡を寄越すのはきちんと守って欲しい。これ以上は譲れないんじゃ」
「………分かったわ。ありがとう、博士」
悲しそうに、でもホッとしたような微笑みに博士も同じように笑いかけた。
そこでスマホが振動した。ちらりと見た画面には彼らからのメッセージがあった。
「………博士、そろそろ行くわね」
「もうかね……」
「えぇ。愛莉、ご挨拶して」
「……おじいちゃん、こんどはあいにきてね」
「あぁ、元気になったらまた会うとしよう。愛莉ちゃん」
愛莉がベッドによじ登り、博士の首にギュッと抱きついた。博士も小さな身体をギュッと抱きしめた。
「じゃあ、博士。身体に気をつけてね。最初の連絡は私からするわ」
「ああ、楽しみに待っとるよ」
「おじいちゃん、またね」
手を振る愛莉に寂しげな顔をして、阿笠は二人を見送ったのだった。
その数十分後、がやがやと小学校高学年になった少年探偵団の三人が博士の病室に訪れたのだった。
後に彼らから聞いた話に新一たちは何か考えるようになるとはまだ誰も知ることはなかった。
END
2017/07/22