07.5
博士から借りておいた時計型麻酔銃で、宮野の娘を眠らせれば、傍らの宮野が焦ったように怒鳴った。
「あなた 何をするの!」
トサリとソファーに凭れる娘を抱き、眠っているだけだと確認すると、ジロリとあの冷たいジト目を寄越された。
さっきまでの態度とは全然違う。ただ、自分にはこちらの態度の方がらしいと思えた。
「落ち着けって」
「落ち着ける訳ないじゃない!いきなり人の娘になにするのよ!」
「じゃあ、お前も本当の事を話せ」
「………工藤、くん…?」
「なんで……」
新一は志保に近づいて、腕を掴んだ。
「……なんで、この子は……」
俺の娘、なんだろ……と歪んだ顔で問いかければ、その表情を見て、拒むように力をいれていたそれを抜いた。
「………身に覚えは…?」
「…………あの頃、10年前は疑ってなかった。だけど、博士や降谷さんから話や写真を見せられるうちに……気になって……」
「………でも、身に覚えはない、いえ、覚えてはいないのね」
志保の言葉に新一は身体を揺らした。図星なのだ。
しかし、覚えなくとも、もしかしたら、という覚えはある。
「…………あの日、お前がイギリスへ発つ前日、だろ」
「………」
「あの日、俺は酔っぱらって……」
「───えぇ、そうよ」
「なんで、なんで、言ってくれなかったんだよ!」
両肩を掴まれ、志保は何をするの!と言おうとして、新一の顔を見て瞠目した。
どうして、そんな表情をしているのかと。今にも泣いてしまうのではないかと思った。
「………あなたには蘭さんがいたじゃない。それに、私だってまさかデキるなんて思ってもみなかったわよ」
「………蘭がいたからって、そりゃ、そうだけど、俺はっ」
「責任なんてとってもらおうだなんて、1ミリも思ってなんかいなかったわ!」
「宮野!」
「………気づいた時にはもうギリギリで、堕ろすなんて出来なくて、それに、欲しかったの、私の、私だけの家族を」
志保は顔を逸らして呟いた。
その科白に新一は掴んでいた彼女の両手を離した。
彼女のその切実な願いに、思いに胸が締め付けられた。
「………工藤、くん」
ドサッとソファーに座り込む新一に志保は声をかけた。俯き、項垂れる新一はゆっくりと顔を上げた。
「………聞いて欲しいの。あの時も言ったように私は幸せなのよ? あの頃は本当に恵まれていたし、今もとても幸せなの」
「………………そうか、」
「えぇ、」
「……幸せ、なんだな…」
「えぇ、とても」
「……それなら、いいんだ…」
縋るように腰に回る腕に志保は驚いたものの、したいようにさせた。
「………俺は、お前と─────」
新一は何かを言おうとしたが、それは言葉にしなかった。今更何を言えるのだろうか。
志保は縋る新一の頭を撫でてあげた。ますますギュッと強まる腕にやんわりと微笑んだ。
どのくらい時間が経っただろうか、ほんの数分な気もするが、数十分も経った気もしないでもない。
「………宮野、ごめん」
「………別に謝らなくてもいいのよ、あなたには何も責任はないんだから」
「……でも、」
「いいのよ。それに、どちらかといえば愛莉にしたことに対して謝罪は欲しいわね」
腰に回していた腕をするりと解かれ、新一は志保を見上げた。彼女の見つめる先には、彼女の娘が眠っている。
「……流石に、聞かせられないと思ったんだよ」
「………酔っぱらった勢いと、覚えてないことを?」
クスリ、とあの頃、ねじ曲がった時間によく見た仕草に新一はバツが悪そうに笑った。
「あぁ、」
「そうね、言えないわね」
彼女も困ったように笑った。
新一は自然に彼女の肩に手を回した。何するのよと見てくる志保にゆっくりと顔を近づけた。
こんなに大きな娘がいるというのに、きめ細かい肌に唇を落とした。
翡翠色の眸を大きく見開き、頬に手をあてて驚く彼女にニヤリと笑ってやった。
「彼女への説明、どうすんだよ」
「詳しく話す必要はないでしょう」
「……俺を悪者にしていいぜ?」
「あら、あなたは元から悪者でしょう」
「失礼だな、平成のホームズと言われている探偵の工藤新一に向かって」
「……ふふっ…」
「………宮野、ありがとうな」
「……お礼を言われる筋合いはないわ」
「せっかくお礼言ってんのに、相変わらず可愛くねー態度だよな」
「あなたに可愛いなんて思われたくはないわよ」
「───お前は綺麗だよ、誰よりも、俺の中では」
愛しい者を見るように優しげな眸を向けられ、志保は目を逸らした。
「………貴方には蘭さんがいるでしょう」
「ん、あぁ。オメーがくれた"幸せ"だな」
あの頃はどうしても蘭の元に還る、それが願いだったし、蘭には笑っていて欲しかった。
それは今も、少しだけ、ほんの少しだけ形を変えてそのままである。
蘭に不満なんてない、彼女の事は本当に昔から好きだったのだから。今もそれは変わりない。
でも愛しいと思えるのは、あの頃から、今、隣にいる彼女だったのだろう。
気づかなかっただけなのだ。
「あなたが幸せなら良かったわ…」
微笑む彼女に、泣きたくなった。
いつでも相手を優先させる、然り気無い優しさを彼女は持っていた。それに甘えていたのだ。
新一は彼女を一瞥してから、ソファーに凭れている少女を見つめた。
愛しいという感情は、初めて会った時から持っていたのかもしれない。
彼女そっくりだが、ひとつだけ自分の一部を宿した少女はその眸を閉じたままだった。
END
2017/07/07