08

名探偵コナン

意識が浮上する感覚に、愛莉は「…ん」と声を洩らした。
それに反応したのか「愛莉、大丈夫?」とママの声が聞こえる。
ゆっくりと瞼を開ければ、そこにはホッとした表情のママと、少しだけ申し訳なさそうにしている工藤新一の顔が見えた。

「……ママ…? 私……」

なんで寝ていたんだろうと額に手をやった。
ママはギロリと背後を睨みつけて、口を開いた。

「この人が、ちょっとね。具合が悪い所はない?」

「……あ、うん…」

「だから、悪かったって、本当に」

両手を合わせて謝る工藤新一に、ママは立ち上がって怒鳴っていた。

「悪いなんて、全然思ってなんかいないでしょう! だいたい、あなたは昔から勝手なことばかりしてるじゃない!」

「んなことねーよ」

「あるわよ!」

ぽんぽんと繰り広げられる会話は、ママとパパとではありえないくらいの口論だ。
ママとパパはいつだって穏やかに話していたし、快斗おじさんがママにちょっかい掛けても、パパが怒っていても、ママは可笑しそうに微笑んでいた。
快斗おじさんがなにか無茶をしようとする時は、少し冷たい態度でにーっこり笑うから、おじさんは肩を竦めて謝っていた。
だから、こんな風に言い合うママの姿は見たことがない。でも、なんでだろう、そんな二人がらしく思えた。

「オメー、相変わらず怖ぇな! 子供にもそんなに怒鳴りつけてんのかよ!」

「失礼ね! ウチの子供たちはみんなそんな馬鹿なことはしないのよ!! あなたみたいな無茶なことなんかしないわよ!」

「へーへー そうですか」

「あなたね〜、分かってるの!」

二人の様子に愛莉は思わず、吹き出した。

「あ、愛莉……?」

「…どうしたんだ?」

いきなり笑いだしたからか、二人は顔を見合わせてから愛莉に話しかけた。

「……だ、だって、二人とも……可笑しいんだもん!」

「「?」」

分かっていないのか、二人して顔を見合わせて互いに疑問符を浮かべている。
可笑しいじゃない、二人は十年も会っていなかったはずなのに、それなのに、仲が良い"夫婦"にしか見えなかったのだから。

「…………ママ、」

「…どうしたの?」

「いつもパパと仲良くしてるママも好きだけど、『お父さん』と言い合いしているママも好きだわ」

「……愛莉…、あなた…」

「………おとうさん…?」

ママと工藤新一 ──お父さんの眸が大きく見開いていく。

「………だって、私の、お父さん、でしょう…」

「────っ、」

「……愛莉」

工藤新一が驚愕し、そして戸惑ったような、嬉しさをごまかすような顔をしていた。
隣にいたママは翡翠色の眸を瞬かせている。

「………俺のこと、そう呼んでくれる、のか…?」

「………………此処にいる、今だけなら──っ!」

そう言った瞬間、力強い腕に引き込まれていた。

「………工藤、くん…」

ママの声が聞こえないのか、抱きしめる力が込められていく。そして、耳元でボソリと呟かれた声音は泣いているように思えた。

「………………あり、がと……愛莉…」

ぶわっと溢れる涙に愛莉は戸惑った。
──なんで、涙が出るんだろう。
ママに視線を送れば、微笑みながらもその眸は潤んでいたのが分かった。
自然と、ゆっくりと、愛莉の腕は工藤新一の背中に回っていた。
どれくらいそうしていたのか分からないけど、先程までなかった漂う香りに、自然と身体は離れた。
ママが珈琲を淹れ直したようで、芳しい香りが部屋に溢れた。

「落ち着きましょうか」

スッと彼にハンカチを渡し、それを当たり前のように受け取る彼に愛莉は目を細めた。

──そうか、これが普通だったのかもしれない

今の生活に不満なんて何一つなかった。
パパは優しいし、莉乃も志貴も生意気だけど可愛くて、お祖父様もお祖母様も優しくて、ばあやはたまに怖かったけど、とても絵に描いたような幸せの中にいる。
でも、もしも、もしもあの時、彼がママを最初から選んでいたら、ママが彼の手を取っていたら、これが現実だったのだろう。それもまた良かったのかもしれない。
再び、テーブルに並べられた珈琲は馴染みの味で、自分には当たり前でも、彼には久しぶりの味だったらしく「やっぱりオメーの珈琲は旨いな」と笑っていた。
それから色々な話をした。
アメリカでとっくに大学を出ている事を話せば、流石だな、と誉められた。
意外だったのはイギリスに自称婚約者がいると言ったら、どんな奴だよ!会わせろ!と言い出して、ママが呆れていた。

「何をいきなり父性に目覚めているのよ」

「うるせーな、いいじゃねぇか」

ホームズが好きだと言えば、目を輝かせていたが探偵には興味はないよと伝えればガッカリしていたりした。

「あーあ、俺、自分を殴らなきゃなんねーな」

何の事だろうとママを見れば、可笑しそうに笑っていたし、"お父さん"もそんなママを見て笑っていた。
彼に奥さんがいるのは知っていた。前に会ったから。気になって訊ねれば「俺も幸せだよ」と笑ってくれた。初恋を実らせたそれはゆっくりと積み重ねているらしい。
流石に私の存在は言えないと言われて、ママは「当たり前じゃない」と言っていた。彼も「だよな、」と少しだけ寂しそうな顔をしていた。

「………あの、お父さん…」

「…なんだ」

『お父さん』と呼べば擽ったそうに、嬉しそうに顔を緩めている。

「あのね、私の"パパ"はいつも1人だけなの。"パパ"と堂々と言えるのはたった1人だけなの」

「…白馬だろ。アイツが君のパパなのは分かっているよ」

「………うん。ずっと、ずっとパパはパパだった。でも知っていたから、本当のパパがいる事は」

「……愛莉…」

「でもね、会いたいとかじゃなかったの。ただ、知りたかっただけなの」

「………真実を?」

「そう、真実をただ知りたかった!」

「………わかるよ、その気持ち」

穏やかに笑う彼の眸は深い蒼い眸だ。
私と同じ、深い蒼い眸。

「…………やっぱり、親子、なのね」

ママが苦笑混じりに笑っていた。
"お父さん"と二人で顔を見合わせて、笑ってしまった。
そろそろ帰らないと莉乃や志貴、パパが心配しているわ、との言葉に現実に引き戻された気分だった。
此処での時間は、幻想のようなものだったのかもしれない。

「………また会えるかな、」

「………この子が望んで、あなたが良いのなら」

「………時々なら、此処でなら」

「…………ありがとうな、愛莉」

くしゃりと乱暴に頭を撫でられる。きっと嬉しいのを誤魔化しているのかもしれない。

「父さんも母さんも喜ぶよ」

その時は、優作おじさんや有希子さんも一緒でもいいかもしれない。機会があれば言ってみよう。
おじいちゃん、おばあちゃんと。
ずっと見守ってきてくれて、ありがとうと。

玄関を出れば、もう他人だ。
ママに促されてドアを開けようとした時、腕を取られて抱きしめられたのが分かったのは隣にいたママの綺麗な顔が驚いていたからだ。

「……………幸せでな、志保、愛莉……」

そっと頬に触れるキスに、彼の切なさが伝わり胸が苦しくなる。
そっと、こちらも返せば慈しむような微笑みをくれた。
バタンとドアを閉め、門まで出ると阿笠邸の前にパパの姿と莉乃と志貴の姿があった。

「ママ!おねーちゃん!」

パタパタと走りよってくる志貴にママが微笑みを浮かべているし、莉乃は「二人して出掛けてたのー?」と頬を膨らませていた。
パパは、ママに近寄り穏やかな顔をして、こちらを向いた。どこか後ろめたい気持ちから身体が反応してしまった。
それを気にすることもなく、優しく、でも少しだけ複雑そうに微笑んでくれた。

「さぁ、帰りましょうか。我が家に」

スッと出されたパパの手に涙が出そうになる。
ママの両手は莉乃と志貴が繋いでいた。
愛莉はゆっくりと白馬の手に触れるとぎゅっとしっかりと掴まれた。
ずっとずっと、小さな頃から触れていたパパの手だ。
愛莉は手を離し、白馬の腕に自分の腕を絡めた。

「うん、帰ろう!」

それを見て、志保は微笑み、白馬も嬉しそうに微笑んだ。
月明かりの中、真実は明かされたけれどもそれは自分の胸の中に閉じこめた。

真実はひとつ、だとしても 自分にとっては違った。
でもそれでいいのかもしれない。





END

2017/07/08


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