05
渡された名刺を眺めながら、愛莉はため息を吐いた。
工藤新一に会ってからもう十日は過ぎている。
連絡をしようか、と悩みながらも本当にいいの?と心のどこかで問うてくる自分がいた。
ほぼ分かってはいるのだ、色々なピースが形合わさっていくと、真実が浮かび上がることが。
だけど、決定的なピースはまだ現れていない。
それを持っているのは少なくともママと工藤新一だ。
愛莉はベッドに寝転んだまま、ゴロリと横へと寝返る。
横を向いたベッドの高さにパチリと目が合い、驚いた。
「っっっ、し、志貴っ?!」
「おねーちゃん、寝てたの?」
「ど、どうして?」
「ずっとベッドでゴロゴロしてたから」
「見てたの?」
「はい。パパが呼んでます」
「パパが?」
「はい」
元気に返事をする弟の頭を撫でると、名刺を机の引き出しにしまってから、志貴と手を繋いでリビングへと向かった。
「愛莉さん、志貴くん」
「パパ、おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
白馬はにこりと笑うと、いつものように頬に口付けをくれた。もちろん、志貴にも。
「ママは今日は研究所?」
「ええ、なんでもいきなり調べて欲しいとの要請がありましてね」
「珍しいね」
「きっと、結果が出ましたら相手に怒鳴り付けているかもしれませんが」
「ママが?」
「ええ、もしかしたら、かもしれないですけどね」
困ったように笑うパパは志貴の頭を撫でながら「そういえば莉乃さんはどうしました?」と聞いていた。
「莉乃なら快斗おじさん家に行くって言ってたわよ。夕飯もご馳走になるとか……あれ? パパに連絡来てない?」
スマホのメッセージを見せれば、莉乃本人からは勿論、青子さんや快斗おじさんからの連絡が来ていたのだ。
「…………僕の所には来てないですが…」
「かいとおじさん、わざとじゃないかな?」
「志貴くん? どうしてだい?」
「だって前にいってたよ。パパをからかうのが好きだって」
「……………………莉乃さんを迎えに「送ってくれるみたいだよ」………そうですか」
まんまとパパを怒らせる辺り、快斗おじさんはすごいと思う。パパは文句を言うのか携帯を片手に廊下へと向かった。
莉乃と陽くん、仲良いから余計にからかうんだろうなぁと自分を始め、ママや志貴、青子さん、もちろん莉乃や陽くんも知っている。
知らぬはパパだけで、ママに教えたら?と言ったら「言わなくてもきっと分かっているわよ」と微笑んだ。ママ曰くパパと快斗おじさんは仲が良いらしい。
高校が同じだったというパパと黒羽夫妻。
ママは違ったの?と聞いたら、少し悲しげに笑っては「私は飛び級で大学出ていたし、学年も違ったしね」と言っていた。
ああ、そうだった。
ママは19歳で私を産んだのだった。
当時、パパは18歳の高校生だったし、私はイギリスで生まれたんだった。
当たり前となった「パパ」が私を知ったのは1歳になる前だったと聞いたことがある。
「おねーちゃん、お腹空きました」
思考に飛んでいたせいか、くいくいと服の裾を引っ張られて愛莉は慌てた。
「じゃあ、今夜はおねーちゃんが作ってあげるからね、志貴」
「わぁい!お手伝いします」
「ありがとう、志貴」
二人でキッチンに立ち、志貴用のエプロンを付けてあげた。何かリクエストはある?と聞いたら「オムライスが食べたい!」というから、玉ねぎの茶色い皮を剥くように頼み、鶏肉を刻んで、冷凍庫に入っていたグリーンピースを出した。
「おねーちゃん、それはダメです!」
「え?」
「その緑のは入れたらおいしくないです!」
むむぅと口を尖らせる志貴が可愛くて、愛莉は「そうだね、美味しくないよね」とグリーンピースを冷凍庫にしまった。
それをみた志貴はあからさまにホッと息を吐いた。
彩りがなぁ、と思いながらも可愛い弟の言い分は叶えてあげたいから、愛莉はそのまま作ったのだった。
ちょうどその時、玄関の鍵が開く音が聞こえ、志貴が「ママだ!」とキッチンから出ていった。
しかし、聞こえたのは妹である莉乃と、「おっ邪魔しまーす」と快斗おじさんの声だった。
「………黒羽くん、何を勝手に上がり込もうとしているんですか?」
「あれー、白馬いたの? それより志保ちゃんは?」
キョロキョロと顔を動かしながら、リビングに入ってきた快斗おじさんがいた。
莉乃はおかしそうに笑い、志貴はパパが怒っていることに不安そうにしていた。
「志保さんは仕事ですよ」
「マジでぇ〜。志保ちゃんに会いたかったなぁ」
「なぜ、そんなに会いたがるのですか、彼女は僕の妻なんですよ」
「へーへー、知ってますよ。くっそ〜 白馬のくせに」
「なんです、その言い方は。だいたい君は「おっ、愛莉ちゃんと志貴じゃーん、こんばんは」聞いているんですか、黒羽くん!!」
白馬の小言を振り抜け、黒羽は愛莉と志貴に目を向けて、手を振ってきた。
「かいとおじさん、こんばんは」
「こんばんは、快斗おじさん」
「あまりパパとケンカしないでぐたさい!」
志貴がそういうと、黒羽と白馬は顔を見合わせた。
互いに少しだけ笑うと白馬は息子に声をかけた。
「志貴くん、もっと言ってやりなさい」
「ちょ、はーくーばー?」
「ふん、知りませんよ」
顔を背け、志貴を連れてリビングから出ていった。
愛莉もいつもの事だと笑いながらも、わざわざパパが志貴を連れていった事に、黒羽は見上げた。
彼はいつもと変わらずに、ポンっとピンクの花を取り出すと「はい、愛莉ちゃん」と笑顔を向けてくる。
あまり気にしたことはなかったけれど、黒羽快斗は工藤新一に似ている。
「…………工藤に会ったんだって?」
「……なんで、」
「まぁ、会ったっていっても、あの阿笠のじいさんの家で偶然だったって聞いてるけど」
「もしかして、工藤さんから?」
「うん。びっくりしたって言ってたよ」
「………そう…」
何というべきなんだろうか。
ママとパパには何故か言えなかった。工藤新一に会ったという事を。何故か知らないが、この家で、私が口にしてはいけない気がしたのだ。
だから、名刺も隠してしまっているのだ。
後ろめたく感じるのは何故………。
「………快斗おじさん…」
「ん?」
「…………彼に、もう一度会えないかしら…」
「…………なんで?」
「なんで、かは分からないけど………彼なら知っているんじゃないか、って……」
──真実を。
真っ直ぐに見つめてくる真摯な眸に、黒羽は遙か昔─KIDを逃がさないとばかりに見つめてきた深く蒼い眸を思い出し、口の端をあげた。
──懐かしい、本当に懐かしい眸である。
「………アイツと連絡を取る術はもう持っているだろ?」
「……知って……」
「聞いたよ。本人からね」
─ 何故かは知らないけど、連絡先を渡してしまった。そんなことをする必要なんてないのに ─
酒を飲みながら、そう呟いた工藤に黒羽は苦笑いするしかなかった。
──本能、なんだろうか、と思わずにはいられない。
工藤は気づいていないが、皆、知っているのだ。
志保と工藤の間に何があってそうなったかは知らない。何せ、工藤は知らないが、志保は明らかに知っていて公言しないのだ。
それは工藤を恨んでいるのか、はたまた……愛しているからなのか。
そして年頃ゆえに彼女は気になり始めているのだ、自分の存在の在処を。
皆が、志保が白馬が阿笠や赤井、世良や降谷、無論俺たちでさえ、あれほど彼女を慈しんできたというのに………。
なるほど、すぐ傍にあるモノに目がいかないのは「父親」譲りなのか?
「当たり前」の反対は「有り難い」だという。
相棒がいることが当たり前になっていた名探偵はその有り難さに気づくことなく、真っ直ぐに前だけを見ていた。後ろなんて見る必要はなかったのだ。背中を預けられる彼女がいたから。
それを外側からしか見ていなかったが、随分と贅沢なヤローだと思ったものだ。
「愛莉ちゃん」
「快斗おじさん?」
「愛莉ちゃんの知りたい事は本当に重要な事なの? 周りを見れば知らなくてもいい事なんじゃない?」
「………そうね。分かっているわ、私は凄く恵まれている事くらい。ママもパパも私たちを分け隔てなく愛してくれているし、お祖父様やお祖母様たち、お祖父ちゃんにお祖母ちゃんたちも私はママとパパの子なんだと愛してくれている……」
「……なら、」
「でも、なんでか分からない!分からないけど、知っておきたい、知りたいの!」
快斗おじさんにそう伝えたら、おじさんは困ったような顔をしていた。
「……本能なのか、遺伝なのか、怖いね、」
そっくりだ──。と快斗おじさんは小さな声にならない声でそう呟いた。
「おじさんは、知ってるの……?」
「俺は何も知らないよ。知らされていないからね」
マジックショーで見せるような笑みを浮かべていた。真純ちゃんも知らなくてもいいと言っていた。
それでも知りたい───ううん、本当はどこかで分かっている。それを、肯定して欲しいのかもしれない。間違っていないのかを、ただそれだけなのだ。
本物の「パパ」を知りたい、そこから先は何も思いつかない。というよりはそれだけを知りたいだけで、どうにかなって欲しい訳でもないのだ。
真実を知っても、変わらないでいられる、はずだから……。
END
2017/06/30