07
授業は上の空で聞いていたような気がする。
今日は職員会議だが、報告会とかで部活なしの短縮授業だった。
渡されていた名刺は見つからないようにと、手帳に挟んでいたから、彼と連絡は簡単に取れた。
あまり目立ちたくはないから、少し離れた脇道で待っていて欲しいとメールをすれば、すぐに了解と返信が来た。
もしかしたら、既に待っているのかもしれないと思いながらも愛莉はスクールバッグを肩に掛けると、人が少なくなった昇降口で靴を履き替えた。
途中、クラスメイトに話しかけられたが、当たり障りのない挨拶をして歩いた。隠れるように路駐している車は朝 見た物と同じで、愛莉はその車に近づけば、バタンと車から降りてきたのは工藤新一であった。
「意外と遅かったんだな」
「目立つのキライなんです」
だから人が少なくなるのを待ってたんです。と話せば、なるほどなと苦笑した。
乗って、と言われて助手席を開けられたが、愛莉は後部座席を開けて、後ろに座れば笑われた。だって隣に乗る必要性はなかった。
「……宮野に、オメーの母さんに連絡はしたか?」
「はい、」
「反応は?」
「………特に何も…」
「……そっか」
ミラーを見れば、どこか悲しげな表情を浮かべる彼にチクリと胸が傷んだ。
数十分走り続けた車は見覚えのある住宅街を走っていた。ようやく止まった家の隣は、とても親しみを持てるその家は…おじいちゃんの阿笠邸である。
「ここなら安心するだろ」とリモコンを使い、車庫のシャッターを開けた工藤新一は車を中に止めた。
「こっち」
促されるままに入ったのは、一度だけお邪魔した事がある工藤邸であった。
「…………今、ここに住んでいるんですか?」
そう聞いてみたものの、人が暮らしているという感じは一切しなかった。
「ここには今は誰も住んでないんだよ」
「でもこの前、」
「ああ、蘭がたまには掃除しないといけないとか言ってたっけな……」
「…………」
「両親が帰ってきた時、くらいかな、この家使うのは。普段は博士たちに管理任せちゃったりしてんだよ」
博士たちもいい年なのに負担かけてと話す彼に、愛莉は昔 一度だけ来た時に有希子さんから聞かされたのを思い出した。
「………ここを手離したら、」
「え?」
「ここを手離したら、会えなくなるでしょう、って言われた事があります…」
「………………そっか、」
彼は呟くと、はぁ、と天井を仰いだ。
あの時は意味が分からなかったけれど、今なら分かる。
優作おじさんと有希子さんが幼い頃からずっと私を可愛がってくれていた。
もちろん、弟妹たちも可愛いと言ってくれていたが、一番構われていたのは、自分だった。
彼らは"私"との関係を知った上で、ずっと接してきていたんだと。理由をつけて会いにきていたのも、人が住まないこの家を維持しているのも、"私"という存在との関係が切れないように。
隣がおじいちゃんの家なんだもの。おじいちゃんがいつ私が遊びに来るかを教えれば会えたのだ。
実際、おじいちゃんの家に滞在した時に何度か会っていた。
優作おじさんに沢山の本を見せて貰ったし、有希子さんには沢山の洋服を貰ったこともあった。
イギリスにいた時も、アメリカにいた時も 彼らはなんだかんだと会いに来てくれた。それは────
「………母さんと親父は、」
小さな声が、自分の思いと重なった。
知っていたのだ、あの二人は。
知らなかったのは、きっと、私たちだけ──。
「────珈琲淹れるよ、そこに座って」
「あ、手伝います……」
「いいよ、それくらい出来るから。ブラック……じゃない方がいいか?」
「ブラックで大丈夫です」
「了解」
促されたソファーに座るのは何年ぶりだろうか。
あの頃はこんな大きなソファーがある事に感動して、跳ねたりしたような気がする。
ママから止めなさい!と注意されても、優作おじさんと有希子さんは楽しげに眺めていてくれていた。
コトン、と置かれたマグカップに愛莉は顔を上げれば、彼は向かいのソファーに腰を降ろした。
何を、何を話したらいいのだろうか、
愛莉は真実に辿り着いてしまった。
彼は、自分を知っていたのだろうか?
「あ、のさ…」
「……はい」
「そんなに固くならなくていいよ……。黒羽に聞いたんだ、君が俺に会いたいって言ってたって………どうしてだい?」
じっと見つめてくる双眸は深い蒼をしている。
ああ、同じだ、彼と私は同じ眸をしているようだ。
「────私、ずっと気になっていたの、」
呟いた声音は大きくなかったはずなのに、部屋に響いたような気がした。
見つめ合う眸は続けてと促しているようで、少しだけ哀しげに見えた。
「十年前、真純ちゃんの結婚式で、初めてあなたに会いました」
「そうだったね」
「あの時、あなたがすごく哀しそうな顔をしてママを見ていたのを覚えてるし、その前にママと話していたのを思い出したの」
見れば、微苦笑をしている。
「──君はあの時、寝ていたんだとばかり思っていたよ」
「……はい。ほとんど寝ていて……だからあの時、ママの傍にいたのはパパだと思っていました。でもママが泣いていたのも覚えてて、その後でパパが…」
ママといつもとは違うキスをしていたのだ。
いつもお別れの時と会えた時にしていた頬へのキスではなく、口と口のキスだった。
ママを泣かせて、仲直りのキスなんだとずっと思っていたのだ。
「………泣いてた、か…」
呟かれたその言葉は静かな空間に落とされ、すぐに消えたけれど、愛莉の中では響いていた。
「あの後、君は俺になんて言ったか覚えてるかい?」
「『ママはね、パパを好きだったんだよ』」
そう何故か、彼にそう伝えてしまった。
無意識だったのか、たまたまだったのか、愛莉本人も今では分からない。
でも、そう云わないといけない気がしたのだ。
「あの時の言葉、その時はショックでさ、立ち直るのにちょっと苦労したんだよ」
「………あの時、なんでそんな事を言ったのか分からないけど、あなたにはそう云わなきゃいけない気がしたの……」
もしかしたら、彼に、そう伝えたのはどこかで彼を『パパ』だと識っていたからなんだろうか。
それを言葉にすれば、眼を見開き、すごく、何故か幸せそうに微笑んでくれた。
「………そっか、ありがとう」
「………ううん…」
知らずに言っていたのだ。お礼を言われる筋合いはない。
そんな時、ピンポーンとチャイムが鳴った。
彼は立ち上がり、玄関へと歩いていくのをただ眺めていた。
話し声と共に、リビングに現れたのは母だった。
「愛莉、」
「ママ!」
暫し見つめ合うも、私は何故か言葉を出せなかった。何を言えばいいのだろう。
そんな時、ママの細い肩に手が乗るのが見えた。
「とりあえず、座れよ。珈琲でいいか?」
「………ええ、お願いするわ」
家では見たことがない態度のママに少し驚くも、隣に座り 漂う香りはやはりママだった。
「…………ママ、怒ってる…?」
「いいえ」
「嘘!怒ってるに決まってる!」
「怒ってなんていないわ」
隣を見れば、少しだけ困ったように眉を下げている表情に愛莉は涙が出そうになった。
「なに、泣かせてんだよ。相変わらず怖ぇな」
「失礼な事を言わないでくれる、工藤くん」
「久しぶりに会ったのにいきなり怒鳴るのもどうかと思うぜ?」
「あなたが無茶苦茶なことばかりするからじゃない!」
二人の遠慮のないやり取りは、ママとパパではありえない光景だ。なのに、何故だろう。
それがすごく自然に見えてしまう。
私たちが見てる"ママ"と 目の前にいる"ママ"はどちらが本当なんだろうかと思うくらい違うのに。
「で、なに泣いてんだ?」
「どうしたの? 愛莉?」
見つめてくる二人は同じだった。同じような顔で、同じような眸で見つめてきた。
「…………っ、ママ、……………、パパ……」
「っ、」
ひゅっと息を飲んだのはどちらだったのか、顔を見上げればママが瞠目していた。
隣にいる彼はママを見つめて、同じように瞠目している。
「宮野、オメー……」
「ママっ!お願い!嘘だけはつかないで!」
工藤新一がママの細い肩を掴んだ時、責めるのかと思い、愛莉はすかさず志保に嘆願した。
知りたかった、ただ知りたかっただけなのだ。
「ママ!」
「…………座りましょうか…」
肩に置かれていた手を払い、ママはソファーへと腰を降ろし、愛莉は隣に、工藤新一は向かいのソファーに腰を降ろした。
「…………………」
沈黙が流れる。
ママが工藤新一を何度も見ているのが分かった。
もしかしたら二人で話させた方がいいのではないかと思った時、パシュッと何か音が聞こえたと思い顔をあげたがそのままブラックアウトしたのだった。
ただ、ママの「あなた何をするの!」と焦る声が聞こえたのだった。
END
2017/07/07