無自覚にこぼれた涙
1時限目から体育だなんてツいてない。
汗はかくし、2時限目からは疲れるし…どうして体育を1時限目にもってくるのだろうかと哀は頭の中で考えていた。
ハードル走なんてしたくない、がやりたくないといってもそうはいかないのが義務教育なのだろうか。
走る順番ではない女の子たちは相変わらず『彼』の話題だし、色々とイライラが重なっていくのが自分でも分かっている。
はぁぁ、と大きくため息を吐き、クラスメイトに促されてスタートラインに並んだ。
合図とともに走り出したが、ふと視線を上げればある教室からこちらを見ている人間が見えた──あれは、と思った時にはガシャーンと大きな音を立てて、ぶつかってしまった。
「……っう…」
「灰原さん!大丈夫?!」
「灰原さん!!」
転ぶなんて恥ずかしい、と思いながらクラスメイトたちが各々集まってきて『大丈夫?』と声を掛けてきた。
手は擦りむき、足にも擦り傷が出来てしまった。
誰かが『保健室、保健室』と騒いでいると、男子生徒たちもわらわらと現れた。
「灰原、大丈夫か?!」
「……え、えぇ…」
「灰原さん!大丈夫じゃないから!早く保健室に」
「じゃあ、俺が連れていくよ!」
誰かがそう言うなり、身体が浮いた。
──は?
「このまま運ぶから、掴まってて」
「……え?」
突然の事に驚いているが、誰かが『ヒュー♪』『カッコいいぃ!!』と囃し立てるのがわかった。
「うるせーよ、お前ら!」
怒鳴りながらも頬を赤く染め、少しだけにやけている目の前の人はどこかで見覚えがある。
クラスメイトなんだから、見覚えがあるのは確かだが………どこでだったか……。
保健室に着くと、養護の先生が「派手に転んだわねぇ」と言って手当てをしてくれる間も、クラスメイトはその場に留まっていた。
先生が「もう大丈夫だから、君は先に戻っていなさい」と告げて、ようやく保健室から出ていった。
「…………灰原さんはやっぱりモテるのね」
「………はぃ?」
「さっきの男の子、灰原さんが心配だったのねぇ」
「……それはクラスメイトとして、」
「なに言ってるのよ、あの年頃の男子が女の子を抱き上げて運ぶなんてそんな簡単には出来ないことよ? 好きで心配だからこそやれることよ」
「…………そういうもの、なんでしょうか?」
「───灰原さんは誰かを好きになったことはないの?」
あまりにも突然の質問に、哀は眉を潜めた。
一体、何を聞きたいのだろうか。
怪訝そうに見つめていると、養護教諭は肩を竦めて笑った。
「先生に話すことではないわね。でもほら、灰原さんって江戸川くんと仲が良いって話を聞くから」
膝に包帯を巻きながら話す教諭に哀はため息を吐かずにはいられない。
保健室によく来る生徒が言っているのだろう。もしかしたら、その生徒は江戸川くんの事が好きなのかもしれない、否、好きなんだろう。
思春期たる中学生はカウンセリングと称して、保健室に通う子も少なくはない。無論、本当に体調が悪い子もいるだろう。
先生にまでそんな誤解をされているとは思いもよらずに、哀の顔は無表情へと変化していく。
「──灰原さんも、何か悩みがあったら話を聞くからね」
哀の無表情に少しだけ焦ったように養護教諭が話すと、哀は「ありがとうございます」と言葉だけで答えた。
「授業は参加するには無理があるから、この時間は休んでていいわ。先生には知らせてくるから」
養護教諭が出ていくと、哀はソファーにこてん、と横になった。
膝がじくり、と痛い。寝不足とはいえまさか転んでしまうとは我ながら情けない。
まだ一時間目、しかも始まってから20分しか経過していないではないか。
出来るならば、このまま、眠ってしまいたい。
そっと眸を閉じると意識がゆっくりと下がっていくのが分かった。
「───ぃ!おい、灰原!!」
揺らされた感覚に目を覚ませば、そこにはコナンの姿があった。
「………江戸川、くん…?」
「こんな所で寝てんなよ!転んだんだろ? 怪我は大丈夫か?」
「………なぜ、あなたがここにいるのよ?」
時計を見れば、まだ授業中である。
「お、オメーが転んだのが見えたから……その、」
先程のハードル走を見られていたらしい。
そういえば走り始めた時、誰かがこちらを見ていたが彼だったようだ。
「………心配でもしてくれたの…?」
からかい気味に声を掛ければ、明後日の方向を見ながら「そんなんじゃねーよ」と呟いた。
それもそうね、と哀は頷けば、コナンはガシガシと頭を掻いている。
「じゃあ、どうかしたの? 授業中に保健室に来るなんて…」
「ん、あ、あー、なんか朝から腹の調子が変でさ、薬貰いに来たんだよ」
「保健の先生、まだ戻らないの? 体育の先生に話してくるって出ていったんだけど」
「あー、先生ならほら」
窓の外を促されて見てみれば、担当時間がないのか美術の先生と話しているようだ。
なんとなく雰囲気であの二人の関係性が解る気がした。
「前から噂はあったみたいだけどな、ああも大っぴらにしてるのもすごいよな…」
──噂。
噂といえば、彼は自分の噂を知っているのだろうか?
「ん? どうした?」
視線を感じたのかコナンが振り向くと、哀は首を横に振った。
「なんでもないわ」
「……そーか」
「………………」
「………………」
不意に沈黙が落ちる。カチカチと時計の音と、校庭からの喧騒がどこか遠くに感じる。
ここ数日、あまり顔を合わせないようにしていた為、いつも言えていた軽口が出てこない。
哀もコナンもどうしたらいいのか分からなくなる。
「…………そういえば」
「………なんだよ?」
「……噂、聞かれたんだけど、どうなの?」
「あ、あー………あれな、」
頬を少しだけ赤らめるコナンの様子に、ズキンと胸が痛むのを感じた。
蘭さんに似てて、まして名前が『工藤 蘭』なんて彼が意識しないはずがない。
ぐっ、と哀は手を握っていた。
「断ったよ」
「………え?」
「だから断ったって言ってんだよ」
「でも朝から聞く話だと……」
「俺が断ったって言ってんだからさ、こっちを信じろよ」
何故か睨んでくるコナンに哀は「そ、そう…」と答えた。
「…………たく、」
そっぽ向くコナンを眺めながら、久しぶりの会話に哀は胸が熱くなる。なんでだろうか、ホッとしている自分がいた。
「……おい、灰原………?!」
名前を呼ばれ、振り向けば何故かコナンが眸を見開いていた。
どうしたのか、と問おうとすれば焦ったように彼が話しかけてきた。
「どうしたんだよ、どっか痛いのか?!」
「え、何を言ってるのよ?」
「何って、じゃあなんで、泣いてるんだよ」
「────え、」
指摘され、頬に手を当てれば熱い滴が溢れていた。
To be Continued…
2017/07/17