「泣かない」なんて嘘だった
目の前でつぅーと涙を流す灰原に驚きを隠せなかったのは言うまでもない。
彼女も泣いているという自覚がないのか、頬に手をあてて驚いていた。
「だ、大丈夫か?」
「え、えぇ……」
じゃあ、なんで泣いているんだよ。と言いたいがそこで保健室のドアがガラリと開いた。
さっきまでそこの渡り廊下で、美術の先生と話していた養護教諭が戻ってきたのだ。
「灰原さん、お待た……え? どうしたの、泣いたりして? それにどうして江戸川くんがいるの?!」
まだ若い先生だからだろうか(多分、実年齢ならば変わりないだろう)、どこか焦っている様子にコナンは少し冷静さを取り戻すことが出来た。
「せんせー、俺、腹が痛くて……薬ある?」
「え、ええ………じゃなくて! 灰原さん、どうしたの?! 怪我、痛むの?」
「え、あ、違います。ちょっと目にゴミが入っただけです」
「……そう? なら目薬を……」
「あ、俺がやってやるよ」
戸棚からよくある一般的な目薬を出した先生の手からそれを奪い取り、灰原へと向き合った。
未だに涙で濡れる眸は綺麗な翡翠色をしている。
「自分でやるから大丈夫よ」
「いいから、やってやるよ」
「ちょっ…」
灰原の顔を掴み、上を向かせた。未だ涙で濡れる眸に目薬なんて必要ないだろうと思いながらも彼女の眸に目薬を差した。
瞼を閉じて、はらはらと溢れる涙を拭ってやろうと指で触れようとしたが、灰原は一歩身を引いて自分の指で拭っていた。
「………あ」
「…なによ、あなたがそこまでする必要ないでしょう」
ジロリといつものジト目を向けてくるが、涙目であるせいか怖さなんてなく、むしろ胸がざわついた。
「江戸川くんはお腹痛いらしいけど……」
先生がいきなり話をふるから思わず驚いてしまった。居たこと忘れてた。
「あ、あー、ちょっとコーヒー飲みすぎて……」
「あまり飲むのもよくないのよ!」
信じているのか先生は薬を渡してきた。
それを飲むフリをして、袖口に隠してやった。
多分、灰原にはバレているだろうが、気にはしなかった。
それよりも灰原が泣いていた事が気になる。
彼女が泣いたのを見たのは何年ぶりだろうか、と記憶を辿ろうとしたが、苦い思い出しか甦らない。
明美さんの時と、解毒剤が出来なかった時と、謝罪してきた時で、あの時は寧ろ泣きそうな顔ばかりを見ていたような気がするが、そんなことお構い無しにしていた。
誰かが、灰原は冷たくて泣くなんてしないだろうと言ってきたのを耳にしたことがある。
そんな筈はない、彼女だって泣くことを知っていたのに、なんとなく納得したような気がした。
今は、なぜ泣いたのだろう──
本人に自覚はなかったようだが、ふとコナンは考えた。
朝からの噂の話をしていて、断ったと言ったら彼女は泣いたのだ。
ん、んん?とコナンは首を傾げた。いくら色恋沙汰に鈍い鈍いと言われている自分でも、流石に……という気持ちになる。
ふと灰原を見れば、保健室に入った時と同じようにソファーに座って先生から渡されたのか濡れタオルで目を押さえている。
先生は気が利くのか利かないのか微妙な感じだが、女の子である灰原が目にゴミが入ったという(嘘で)事で、腫れないようにと渡したのだろう。
トスン、とソファーの隣に腰を下ろせば、驚いたのかタオルをずらしてこちらを見てきた。
目が合えば、たちまちギロリとジト目を送ってくる。
「なんでわざわざ横に座るのよ」
「別にいーじゃねーか」
「よくないわよ、狭いわ」
ソファーはベンチ型であるし、ゆうに三人は座れる。灰原は真ん中に座っていた。
そう言って横にずれようとしていた彼女の手をなんとなく握った。
「ちょっと、なに?」
顔をしかめながらも、一旦 保健医を見る灰原に対し気にしないで言葉を続けた。
「オメーさー、俺の事 避けてるだろ」
「…………はぁ?」
「気づいてないとでも思ってんのか?」
ぐっと手を掴んだまま彼女を見れば、困ったような顔をしながらも顔を逸らして口を開いた。
「気のせいなんじゃない? 現に今 話してるじゃない」
「それはたまたまだろ? 大体 歩美や元太たちといる時だって、話すけどいつの間にかオメー 光彦とかと話してるじゃねーか!」
「ちょっと、なんなの? 手、放してくれる?」
「いいから質問に」
そこで授業終了のチャイムが鳴った。
ハッとして思わず力が弱まった隙をついて、灰原の手がするりと抜ける。
彼女は立ち上がると保健医を見た。先生は少しだけ顔を赤くしていたが、灰原は気にせずに「先生、ありがとうございました」と告げて、スタスタと歩き出した。
「灰原!」
「別に避けてなんかいないわ。特に話す事がないだけよ」
そう言うと「着替えないといけないから」と言って保健室から出て行ってしまった。
「───なんだよ、」
チッと舌打ちすれば、コナンも教室に戻ろうとしたが保健医に止められた。
「……江戸川くんは、灰原さんが好きなの?」
「…………………………は?」
いきなり何言ってんだ?と思うしかなく、しかし先生の顔はイキイキとしていた。
なんかどこかで見たことがある気がする。
あー、あれだ。蘭や園子、遠山さんが恋愛話をしている時の顔にそっくりだ。
「そうなんでしょ? だからわざわざ保健室に来たんでしょ?」
うふふふふ〜と楽しげにしている姿を見て、頭が痛くなる。アンタ、教師だよな?
流石、新卒で入っただけがある。まだ若いんだな、としみじみと思う。
「先生、生徒の恋愛事とか気にする前に自分の恋愛をなんとかしたら?」
「え?」
「いくら授業がない美術の先生だからって、授業中にイチャついてたらダメだよ」
「──なっ!?」
顔を真っ赤にした保健医にヒラヒラと手を振り、仕方なしに教室に戻ることにした。
(………恋愛、ねぇ…)
自分と灰原はそんな関係じゃねーよ、と思いながらも先ほどの涙を思い出す。
彼女が『泣かない』なんて嘘である。
誰も見たことがないだけで、自分は、自分だけは何度か見たことがある。
ただ、それだけなのに、あの泣き顔は誰にも見せたくないと思ってしまった。
何かが変わりそうで、変わらないで欲しいと願いながらも彼女とはいつまでも傍にいるのが当たり前だと思っているのだった。
END
2017/07/29