世界から弾き出されたヒト
「お願いがあるの、メアリーさん」
そう呟いた まだ少女というべき姿をした彼女は、元の姿を取り戻した女性に真摯な眼差しを向けて口を開いたのだった。
【世界から弾き出されたヒト】
黒の組織との決戦は犠牲者を双方に出したものの、組織の幹部は死闘の果てに死んだ者や拘束出来た者はいたし、こちらの主なメンバーは怪我を負ったり、入院を余儀なくされた者もいたが、無事に生還を果たした。
江戸川コナンも灰原哀も作戦に参加した。
灰原哀は赤井が命をかけて守ったおかげか怪我をしたものの、江戸川コナンよりは軽症で直ぐ様退院し、手に入れたアポトキン4869のデータとそれ以前の薬のデータで解毒剤の組成に取りかかった。
奇しくも赤井の母親であるメアリー・世良も灰原哀が解毒剤を作り上げ、先に投与し、無事に元の姿に戻ることが出来た。
その際に、彼らと自分、灰原哀──宮野志保との関係を教えられ、驚いたのは言うまでもない。
彼女たちの間にどんな会話があったのかは、その場にいた赤井秀一と世良真純にしか知らずに時は過ぎた。
怪我をした江戸川コナンも回復すると退院と同時に有希子が江戸川文代に変装し、海外へ連れて行くという作り話をし、同じく灰原哀も家族をよく知る親戚が自分を探していた事を知り、イギリスへ渡ることとなった。
当然、反対したのは少年探偵団の彼らであったが、博士や蘭の説得にあい、渋々ながらも彼らと離れ離れになることを受け入れた。
お別れ会と称したキャンプでは相変わらず、事件を引き寄せ体質人間がいたからか事件が起きたが、未遂事件で終わり、ホッとしたくらいだ。
「相変わらずの事件体質……この先も大変ね」
「別に俺のせいじゃねーだろ!……でも、ま、優秀な相棒が傍にいてくれっから、安心ではあるな」
へらり、笑う江戸川コナンに灰原哀は嗤うしかなく、無言でそれに応えたのだった。
キャンプも無事に終わり、旅立つ日は平日だというので少年探偵団の彼らとは本当にお別れになった。
歩美から「お手紙ちょうだいね!」とせがまれた哀は少しだけ悲しそうに、でもどこか嬉しそうに「落ち着いたら書くわ」と言って別れた。
コナンも少年探偵団からも蘭からも連絡ちょうだいねと言われ、簡単に返事をしていた。
そして、海外へではなく公安とFBIが用意した一室で、解毒剤を服用することになった。
「完璧とはいえ、何か起こるかもしれないからよ」
顔見知りの医師にはただ何かあったら、と別室で待機してもらうことにした。
FBIが病院の特別室を借りたというだけあり、部屋がいくつかに分かれていた。
江戸川コナンの傍には工藤夫妻はもちろん、阿笠博士、降谷零、赤井秀一がいた。灰原 哀の傍にはジョディに世良真純、メアリー・世良がいたのはバスローブを着ているからといえど元の姿に戻る時は苦しみで乱れてしまう可能性があるからである。
「さようなら、江戸川コナンくん」
「なんだよ、さようならって」
「だって、"江戸川コナン"とはこれきりじゃない? お別れは言わないと、それに、"私"を守ってくれて、ありがとう。彼らを、組織を潰してくれて、本当にありがとう」
真っ直ぐ見つめてくる翡翠色の眸の中にコナンはドキンと心臓が鳴った気がした。
改めて言われると、なんだか照れくさくて、どうしようもない。まして、それが普段からツンツンとして本心を出さない灰原哀だとなると尚更だ。
「べ、べつに……。確かに"江戸川コナン"と"灰原哀"ではこれきりだけど、次は"工藤新一"と"宮野志保"としてよろしくな!相棒!!」
にっか、と笑うコナンに哀は微笑むだけだった。
ゴソゴソとポーチから出されたのはピルケースに入った解毒剤が2つ。
先にどうぞ、と促してコナンに1つ取らせる。哀も1つ指で摘まんだ。
「今回は苦痛を軽減する為に睡眠剤も入れて置いたから気がつくまで、二時間ってところかしら。……早く彼女に会いたいだろうけど、それは我慢してもらうわよ」
「ば、バーロー!そんくらい分かってるっつーの!」
「……どうだか、」
新一は、ふふ、と笑う灰原にこんなやり取りも終わりかと思うと少し残念ではあるが、それも一時のことでまた元に戻ったら今までと同じように過ごせるものだと信じてやまない。
「……じゃあ、また後でね、工藤くん」
「……ああ、後でな、灰原」
そう互いに言葉を掛けて、部屋へと歩き始めた。
部屋に入れば、そこにはメアリーと真純、ジョディたちが心配そうに哀を見つめていた。
服からバスローブに着替え、哀は薬から出されたカプセルを口に含むとやがて来る苦痛に耐えようとするが、直ぐ様眠気が襲い、哀は体を抱え込んだまま眠ったのだった。
「──ち……新一!」
誰かが呼ぶ声に意識が浮上していく。
ああ、誰だよ、もう少し眠っていたい。疲れてるんだよ…。
そんな事を思いながら、だんだんと脳が働いてきたのか、意識がはっきりしていく。
そして──眼を覚ました。
開けた視界の中には、見たことがない天井と母さんの顔があった。
「……かぁ、さん…」
「新ちゃん……」
ポロポロと涙を溢す母に新一は驚きながらも、周りを見渡すと父や博士、赤井さんに降谷さんもホッとしたように自分を見ていた。
自分の手を眺め、つい先程までの小さかった手とは違い、記憶にある己の手にぐっと握りしめた。
「どうだい、気分は?」
「んー、特に身体はなんともないかな……頭はスッキリしてるし」
起き上がり、自分の身体を触りながら安堵する。
元に、"工藤新一"に戻っている。
「俺、どれくらい寝てたんだ?」
「二時間半くらいじゃよ」
「そっか」
「良かったわぁ!新ちゃん!!」
「か、母さんっ!!」
抱きついてきた有希子に驚きながらも、手が冷たいのに気づいて緊張していたのだと思うと無理に振り払えなかった。
「そ、そういや灰原の方は……?」
そう言葉にした途端、皆の表情が変わった。
博士も父さんも赤井さんも降谷さんも困惑している。
母さんがそっと身体を離し、口にした言葉で慌てて灰原が入った部屋へ走った。
「し、新一っ!」
バタバタと走ってくれば、扉をドンッ!と叩いた。
カチャ、と開いた先にはジョディが立っており、新一の姿を見て「戻れたんですね」と声を掛けてきた。
「は、灰原はっ!!」
ドアの隙間から見えたのは乱れているバスローブらしきものだった。
中に入ろうとしたが、迫力がある美人によって阻止されてしまう──赤井と真純の母であるメアリーによって。
「入るのは許さん」
ドンッ!と身体を押しやられ、赤井さんが抱き留めてくれたから尻餅をつかずに済んだ。
メアリーさんがドアの隙間からこちらに出てくると、中にいる世良に向かって「真純、後は頼む」と言うとドアを閉めた。
「母さん、彼に無体な事をするのは…」
「志保……哀の裸を見ようとするならばなおのことだ」
「お、俺はそんなつもりは……って、今、哀って……」
「………残念ながら、志保ではなく哀のまま、まだ眠り続けている」
「────っな、なんで?!」
「貴様、何回 解毒剤を飲んだ?」
「え……?」
「何回、あの子から渡されたのを飲んだのだ?」
両手で数えてみると、それは片手を越えていた。
意外と飲んでいたことに驚いてしまう。
はぁ、と頭上からため息が漏れ、メアリーさんは踵を返すと部屋に入っていってしまった。
「立てるか、新一くん」
差し出された手を掴み、立ち上がると大人たちの顔が微妙としかいい表せない。
「………新一、とりあえず 着替えることにするんじゃ…」
「……あ、あぁ…」
博士から言われ、部屋へ戻ると着いてきたのか降谷さんが「せっかくだからシャワーも浴びるといい」と言ってくれて、確かに汗だくになっていたから言葉に甘えた。
それから、一時間が経ち、あちらの部屋に入れるのは女性のみで有希子は様子を見に入ったままである。
FBIに世話になった新出先生が先に新一の診察をした。先に哀によりメディカルチェックの項目等が準備されていたからか、スムーズに何事もなく済ませた。特に問題はなく、新一自身も何も違和感はなかった。
ホッとした瞬間、バンっとドアが開き、真純が飛び出してきた。
「……哀ちゃんが眼を覚ました…」
"哀ちゃん"──その言葉が示すものは、その場にいた彼らには理解出来た。
ただ1人、新一だけは理解しているものの、それを拒みたかった。
皆が一斉に入った部屋には大きなバスローブを身に纏った"灰原哀"の姿があった。
まずは診察をと、新出先生以外の男性はジョディとメアリーによって追い出された。
真純も一先ず赤井の傍にいたが、新一を、博士を気遣っているのか口数が少ない。
ただ、赤井はそれで理解したらしく、真純に「当たって欲しくない予想だったな」と呟いたので、何なのかと降谷が問いかけると「直に分かる」とだけ呟いた。
カチャリと開いたドアからは有希子が現れた。
ちらり、と新一と博士を見やると躊躇しているのか、口をはくはくとさせた。
「まずは、博士、と新ちゃん……入りなさい…」
招き入れられた部屋は広く、ベッドも大きかった。
そこには小さな灰原がちょこんといた。灰原に寄り添うようにメアリーもいた。
「………ぁ、哀、くん…?」
博士が戸惑うように声を掛けると、翡翠色の眸が博士を捉えたが、そこに親しむを感じるものは一切なかった。
「…………おじさん、だれ…?」
ひゅっと博士が息を飲む音が聞こえた。
END
2017/10/28