見知らぬキミ

名探偵コナン

卒業旅行をイギリスにしたのには大した理由はなかった。服部や黒羽らが気を利かせたのかは知らないが、"コナン"が招待されてからの二度目のイギリスである。
ついつい浮かれて、あちこち見て回り、白馬は母方の実家がイギリスらしく案内してくれた。
蘭には「私を置いていくの?!」と詰め寄られたが、友人らと出かけるのはもうないからとなんとか了承を得たのだ。
蘭は蘭で園子たちと卒業旅行に行っているようだ。

イギリス ──この空の下に灰原がいるのだと思うと、会いたいような、怖いような気がしてならない。
しかし、彼女と離れてから五年も経っていた。
きっと俺の事は覚えていないかもしれない──そう思った時、背筋がぞわりと粟立った。
そう、彼女は"俺"を知らないのだ、俺はこんなにも彼女を知っているのに、なんて考えてしまった。
ハッとして、首を横に振る。せっかくホームズの家まで来ているのに、前は蘭がいたからきちんと見れなかったのだからきちんと見ようとした時、ドンっと誰かとぶつかる。

「I'm sorry, are you ok?」

「No, it's okay. I am sorry.───あれ、」

思わず洩れた声にぶつかった相手はこちらを見た。
どこかで会ったことがあるような、ないような。
イギリスに知り合いなんているはずもないのだが、なんとなく知っている気がしてならない。

「なんや工藤!どうかしたんか?」

「あ、いや…別に……」

ガシッと後ろから声を掛けてきた服部に応えて、もう一度彼を見れば会釈をして歩いていった。
その時彼が「Holmes' disciple?」と呟いたことには気づかなかった。
ロンドンの街並みを彼らと周り、楽しんでいるのは工藤とそれを案内する白馬であり、あまりホームズに興味がない服部と黒羽は彼らの後を付いて歩いている。
そういえば、と言葉に漏らしたのは服部だったか「あのちっこいねーちゃんて イギリスにおるんやったな」それは誰かに話しかける訳ではなく、ただの一人言であったのだが、工藤の耳に届いたらしく振り向かせるには十分な科白だった。
服部はその場にいた訳ではなく、彼女に起こったことをほぼ知らない。
ただ、元の姿には戻らず、血縁者が見つかったので彼女は渡英したということしか知らなかった。
白馬はあまり灰原哀という少女は知らず、黒羽はある程度事情を察していたが、黒羽快斗としては白馬同様知る相手ではないので口には出さなかった。
なぜ、服部がそんな事を口にしたのかというと、反対側の通りに見たことがある赤みかかった茶髪が見えたからだ。そして、その横には彼らが知る人物もいた。
視界に入った、幾度となく見たあの茶髪はすっかり伸びて今は肩よりも下だった。

「…灰原っ!」

思わず叫んだ声に反応したのは、茶髪の少女ではなく、隣を歩く世良真純だった。
立ち止まった真純に驚いたのか、少女は声を掛けて振り返った。スローモーションのようにゆっくりと振り返る彼女は五年前の面影はあるものの、すっかり大人っぽくなっていた。スラリと背も伸び、ハーフだからだろうか十二、三歳にしては綺麗な顔立ちも相俟って眼を惹く容貌をしていた。
真純は彼らに気づき、しかも工藤の視線は己ではなく隣に注がれている事に頭を悩ませてしまいそうになる。

(なんだって、こんな所で会ってしまうんだ?)

「お姉ちゃん? どうかしたの?」

ふわりと揺れる髪を傾けながら、彼女を彼に会わせる訳にはいかず「先に行っててくれ」と彼女の背を押した。
志保は怪訝そうな顔をしつつも、約束をしているので真純に手を振って歩いていった。
彼らが向こうの通りからこちらに来るまでには彼女がこの場からいなくなるには十分な時間があったのは幸いというべきだろう。
ロンドンの街中を走る日本人の姿に地元民はどうしたのかと見てくるがそこまで野次馬根性などなく、ただ通りすぎるだけである。

「っ、世良! は、灰原は……」

縋るような声音に真純は驚いたのは、彼が切羽詰まったような顔をしていたからだ。

「…………工藤くん、灰原なんて人はいないけど?」

意地悪だとは分かっている。それを承知で真純は彼を見た。
彼の後ろには真純の言葉に首を傾げる服部の姿に、どうしたのかと不思議がる白馬、そしてどこからどこまでを知っているのか分からない元怪盗の黒羽がいる。
真純の返答に工藤が苦い顔をしたのは、彼女に記憶がない事を突きつけられたからだろうか。
一年にも満たないあの頃、彼は頻繁に彼女を呼んでいた、博士と彼女が考えたという『灰原』という名を。
偽りの姿をしていた頃、彼にとって彼女の存在はそれはそれは頼りになる相棒であり、互いに同じ境遇の最大の理解者であった。
『後は頼む』その言葉ひとつで彼女は工藤が望むよりも高い水準でサポートをし、時には幼い探偵団の彼らを守ってきていた。
それは組織が壊滅し、工藤新一と宮野志保に戻っても続くものだと思っていただけに、彼女には解毒薬は効かず、まして副作用で記憶を喪うなんて誰が想像しただろうか。
それから直ぐに引き離され、会えぬまま五年も経過していた。

「なんでキミたちがイギリスにいるんだい?」

「卒業旅行ちゅーやつや、世良のねーちゃんはアメリカやなかったんか?」

高校卒業後、世良は日本で進学はせずに海外へと行ったがそこはどこか知らなかった。てっきりアメリカだとばかり思っていたのは赤井がアメリカに戻ったからである。

「あぁ、イギリスだよ。ボクのママの母国だし、従姉もアメリカよりはイギリスがいいと思ったからね」

「従妹? あのちっこいねーちゃん、お前の従妹なんか?」

「あぁ、彼女はボクの従姉だよ。ママたちが姉妹なんだ」

「そうやったんか」

世良と服部の会話に世良がまだ『宮野志保』という名前を出さないのは、あまり大事にしたくないからだと思いながら、新一は出来るならきちんと会いたいと思ってしまう。

「彼女一人で行かせてしまって良かったんですか?」

話は見えないが 、白馬は服部の『ちっこいねーちゃん』という言葉と、一瞬でも見たのでだろう少女を思いだしながら話しかけると真純はなんでもないように口を開いた。

「平気さ。ちょっと行ったところだし、彼女の彼氏が一緒だからね」

「彼氏ぃ〜? あのちっこいねーちゃん彼氏おるんか?!やるのぅ」

「秀兄を宥めるのが大変だったよ、あの子を溺愛しているからな」

可笑しそうに笑う真純を見ながら、新一は頭にサッカーボールが直撃したのではないかというくらいにぐらぐらとしていた。

「………あ、アイツに、彼氏ねぇ………あんな可愛げのないヤツでも年頃になれば恋人、なんて出来るんだな…」

何故だろう、思ってもいない言葉が口から溢れてしまう。こんなことを言いたい訳ではないのに。
良かったな、とか言えばいいのに。本心とは逆の言葉が出ている。良かったはずだ、彼女に恋人が出来るのは、新な人生をやり直しているならば、恋人がいたって構わないはずなんだ。
それなのに、思ってしまった。彼女の隣は俺の───。
新一はそんな考えを出すように頭を振った。いつだって新一の隣は毛利蘭ではないか。

「可愛げのないヤツって私の事なのかしら?」

真純の後ろから懐かしい声音が聞こえてきた。




END
2017/12/29


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