痛みを伴う予感

名探偵コナン

思いがけない出来事に、新一はいてもたってもいられずに時差なんて考えずに教えてもらった赤井へと電話を掛けた。

『…………HELLO?』

やや不機嫌な声なのは、あちらの時間が深夜だからだらう。新一は焦っていたのが、低い声によって落ち着きに変えさせられる。

「…あ、あの、赤井 さん…」

『………ボウヤか…なにかあったのか?』

低い声が大人の、頼りになる声だと常々思っていたし、彼の冷静さにホッとしていたのに、今は心臓の音が彼に聞こえるのではないか、と心配になる。

「あ、あの……はい、ばらが…」

『……あぁ、彼女の事か?』

「っ、そ、そっちにいるんですか…?」

『あぁ、今はベッドにいるが起こすか?』

「い、いえ……大丈夫です。その、元気でしたか?」

思いがけない言葉にドキリとしながらも、つい無難な質問をしてしまう。

『あぁ…。残党も残らず捕まえたしな、降谷くんから連絡はなかったのか?』

「は、はい……」

『そうか、彼のことだから君に気を遣ったのかもしれんな』

電話の向こうでシュボッとライターかなにかの音がし、スー、ハーと息を吐くのが耳に入る。煙草を吸い始めたようだ。

「そんな、気を遣わなくとも……」

『有希子さんから聞いたよ。優作氏が君にみっちり補習を受けさせているとね、もしかしたら、彼も聞いたのかもしれないな。留年が掛かっているそうじゃないか』

どこか、愉しげに笑う彼に、ハハと乾いた笑いが出てしまう。
──違う、聞きたいのはそうじゃない。
灰原、彼女は元気にしているのか、なんでアメリカに行った事を教えてくれなかったのか、ぐるぐるとそれが頭を巡る。

『──ボウヤ、』

「……その、ボウヤっていうの止めて貰っていいですか?」

『あぁ、すまない、つい癖でな。新一くん』

「はい」

何を言うのかなんとなく分かり、返事をした。

『彼女は自分の意思でこちらに来るのを望んだんだ。それを責めないでやってくれ』

自分の意思で──赤井の一言に瞠目する。
彼が無理やり連れていった訳でも、証人保護を適用された訳ではないらしい。
証人保護だとしたら、赤井さんが彼女について教えてくれるはずもないだろうし、違うと理解した。
しかし、ならば、何故アメリカに行ったのか気になるし、博士は赤井さんの世話に…と言っていたような気がする。
思案していると電話の向こうで『シュウ』と呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある声はジョディのようだ。

『Sorry, were you on the phone?』

『いや、平気だ。新一くんからだ』

『Oh!cool guy? 久しぶりデスねー、シンイチ!』

電話を奪ったのか彼女の声が耳に響いた。

「は、はい。久しぶりです、ジョディ先生……じゃないか、ジョディ捜査官…」

『そんな呼び方ヤめてクダサイ!ジョディでいいですよ。元気でしたか?』

「ええ、まぁ」

『だけど、こんな時間にどうしたんですか?』

そこで新一は初めて気づいた。時差でアメリカが深夜だということに。

「あ、す、すみません!俺、時差の事忘れてて!」

『別にかまいませんよー? まだ仕事してましたからね』

『ジョディ、変われ。新一くん、冷静な君がそんなに動揺するとは思ってもみなかったよ』

「え……?」

『いや、こちらの話だ。そうだな、彼女についてはこちらから知らせておくよ。それでいいかな?』

「あ、は、はい……」

『ではいずれまたな』

「は、はい…」

『シンイチ、good-bye!』

ツーツーと通話が切れた音を耳にしながら、肝心な事は分からずにいた。
いつ戻ってくるのか、何をしてるのか、灰原の声すらも聞けずじまいで新一はしゃがみこんだ。
しかし、次の瞬間、握りしめたスマホが着信を告げる。急いで画面を見て、新一はガッカリしてしまった。

「………なんだ、蘭、か……」

己の薄情とも取れる言葉に、思わずハッとする。
なんだ とはなんだ。恋人からの電話に対して何を言っているんだ、俺は!
そう思いながらも、掌で震えるスマホをタップすることなく、ただジッと見つめているだけである。
ようやく切れたのはコールが20近くまで数えてからだった。

(………なげぇよ…)

はぁ、とため息を吐き、スマホをしまうと再び店内に入った。博士の為にクリーム系のアイスだけを買いに。



博士との外食を済まし、家に寄るか?と訊いてきた彼に「いや、明日も補習あっから」と無難な返答をして自宅へと入る。
着替えたまま放り出されたワイシャツやスラックスを拾い上げ、スラックスはハンガーに、ワイシャツは着替えと共に洗面所へと運び、洗濯機に放った。
さっさと汗を流してしまいたく、湯を張るのも面倒でシャワーだけで済ませようと思った。
頭から被る少し熱めのお湯は余分な汚れを落としているようで、少し身が軽くなる気がする。
シャンプーで頭を洗い、ソープで身体を洗いながら、これ、いつからあるんだっけ?沖矢さんが持ち込んだのか?などとどうでもいいことを今更ながら思い至る。
無意識で使っていたが、この匂いはどこかで……と頭の中で探っていく。

── あぁ、そうか……博士の家のと同じなんだっけ…

いつだか、博士が試作品だが、送られてきただがで、大量のラグジュアリーが探偵団のみんなや毛利家、あと近所にも配ったとか……それで沖矢さんにも結構渡していた気がする。使っていたんだな…なんて思った。
無論、毛利家でも蘭が泡立ちがいいし、すっごく潤いが保たれて良い!なんて言っていたがおっちゃんとコナンには使うだけで何もなかったのだ。
すん、と鼻で嗅いでみれば、あぁ、灰原もこんな香りをさせていたと思い出された。
もっとも、一時期はみんな同じ香りを漂わせていたのかもしれない。しかし、阿笠邸にはまだまだソープがあったし、工藤邸にも置かれたままだったせいか、馴染みの匂いになっていたのだ。
そうだ、己と灰原(あと博士)は未だにその匂いを纏ったままで生活していたのだ。
元に戻ってからも灰原とは繋がっていた気がしていたのに、なぜだろう、今になって思うのはこの匂いが漂う程度の細い繋がりだったではないかと、思ったのだった。



END
2017/10/15


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