真実は夢の中
「………灰原…』
そう声を出したのは自分で、目の前にいる彼女の白い頬に手を添えた。
長い睫毛がそっと伏せられのを見つめながら、自分も眸を閉じて、感じたのは柔らかい感触だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「──────はぁ?!」
ガタンっ!という音と共にコナンは立ち上がった。
「…………どうかしたのかね、江戸川」
「は?」
聞きなれない声に、そちらを見ればチョークを持った先生がこちらを見ているし、クラスメイトからの視線に江戸川コナンは「………あ」とマヌケな声を上げた。
「寝ている暇があるなら、この問題を解きなさい」
「………う、ウィーッス…」
「返事はハイだ」
「……ハイ」
途端にクラスメイトたちからはクスクスと笑われてしまう。いや、寝ていた俺が悪いんだけど。同じクラスの光彦なんかは、呆れたような顔をしていた。
カツカツと黒板に出された問題を意図も簡単に解けば、眉を潜めた教師からは「……勉強が出来るからと寝ていれば減点だからな」と嫌味を言われてしまった。席に戻ったコナンを女子たちがクスクスと笑っていた。
やがて鐘が鳴り、騒がしくなる休み時間に、光彦が話しかけてきた。
「どうかしたんですか」
「別に、なんでもねぇよ」
「授業中に急に大声出して、こっちがびっくりしたんですよ」
「悪かったよ。ちょっと夢見が悪かっただけだって」
「どんな夢だったんですか?」
「は?」
「コナンくんが大声を出すような夢なんて気になるじゃないですか。何か、事件でも?」
「そんなんじゃねーよ」
そんなんじゃない、と言いながらもコナンにとっては動揺せざるおえない。
(なんつー夢だよ……)
「コナンくん?」
問いかけてくる光彦に、コナンは「昨日、本読んでてあんま寝てねーんだよ」
そう誤魔化して、気恥ずかしさ故に机に顔を伏せた。
昼休みになれば、教室の出入口から隣のクラスの歩美がお弁当袋を持ちながら声を上げた。
「コナンくーん、光彦くーん!お弁当食べよう!!」
コナンはそちらを見てギクリとしたのは、歩美の横に灰原がいたからである。
「歩美ちゃん、灰原さん!今行きます!コナンくん、行きましょう」
「………お、おぅ…」
「どうかしたんですか?」
「い、いや、なんでもねぇよ」
蘭が用意してくれた弁当を持ち、光彦と共に教室を出る。いつもの屋上で食べるからだ。
ただ、なんとなく灰原の顔が見れなかった。
「どうしたの、コナンくん?」
聞いてきたのは歩美だった。
「へ、な、なにがだよ」
「だってぇ、全然喋らないんだもん!」
「コナンくん、授業中に寝ていて先生に叱られたんですよ」
「バカじゃねぇの、コナン」
「そうなんだ〜」
ケラケラと笑う光彦、元太、歩美たちにつられ、灰原もくすりと笑っていた。
それがまた色っぽくみえてしまったのは、さっきの夢のせいだろうか。
なんとなく、灰原を見てられなくてそっぽ向いてしまったのだった。
お弁当を食べた後、灰原がスカートを叩きながら立ち上がった。
「私、用事あるから先に失礼するわ」
「図書室だよね、いってらっしゃい」
「えぇ、後でね」
肩を竦めるような仕草をして、灰原は先に行ってしまったが、なにか違和感を感じた。
図書室ならばいつも歩美もくっついて行っているのにと思っていると、光彦もなにか気づいたのだろう、歩美に聞いていた。
「珍しいですね、歩美ちゃんが一緒に行かないなんて」
「だって、哀ちゃん "呼び出し"だもん」
───は?
呟きはしなかったが、歩美を凝視してしまう。光彦も同じなのか「はい?」なんて聞き返していた。
「え、呼び出しって……」
「"告白"じゃないかな? 今朝机に手紙入ってたって言ってたから」
それにいち早く反応したのは光彦ではなく、俺だった。
「はぁ?!ウソだろ?」
「ウソなんかじゃないってぇ。哀ちゃん、面倒だなんて言ってたもん」
「じゃ、じゃあ、なんでわざわざ行くんだよ!」
「なんか 図書室に借りる本があったからなんだって」
だとしても、行く必要なんかないんじゃねぇとムカムカしていると、紙パックのジュースを飲んでいた歩美がストローから口を離した。
「そんなに気になるなら、追いかけたら?」
「な、なんでだよ!」
「なんでって、ねぇ?」
歩美は光彦と元太を眺めると、二人とも呆れたようにこちらを見ていた。
「コナンくん、いい加減自覚したらどうなんですか?」
「じ、自覚…?」
「灰原さんが呼び出されたって聞いた時から挙動不審ですよ」
「つーか、その前から変じゃなかったか?」
元太の言葉にうっとなったが、自覚ってなんだよ。
「まだそんな事言ってるの? 哀ちゃんの事、気にしてるくせに!」
声に出ていたのか歩美がストローをこちらに突き出してきた。どうだ!と言わんばかりに見てくる三人にコナンは頭を巡らせる。
なんで気になるか、なんて、さっきの夢のせいに違いない。あんな、灰原にキスをする夢だなんて、なんで、あんな……とぐるぐると頭の中で考えてしまう。
なんとなく認めてはいけないような、気づいてはいけないような、感情があるんじゃないかと考える。胸の奥にぎゅうぎゅうに押し込んでしまっているのは、きっと遠い昔に長年経験した気持ちと似ているに違いない。
それが少しずつ溢れてきたのだろうか、知らぬうちにじわじわと。
──だから、あんな夢を見たのだろうか。
コナンは頭を掻くと「…あぁ、くそ!」と呟いて立ち上がった。
座ったままの三人がこちらを見ている。恥ずかしくて顔を合わせられないが、ボソリと呟けば、歩美が嬉しそうに頬を染めて笑顔になる。
「頑張ってね! コナンくん!!」
「……………ぉぅ…」
そう言うなり、コナンはランチバッグを持つと屋上から足早に校内へと入る。足早に階段を降りると図書室を目指した。
図書室の扉の前でコナンは息を整えた。屋上から歩いていた気がしていたが気づいた時には走っていたのだ。
いつもなら走ったところで疲れなど出ないが、今は精神的にきているのか、ドクドクと心臓の音が早い気がする。
(………いま、告白されてんのか?)
邪魔するつもりはないが、阻止したい気持ちは大分ある。いや、邪魔するのか。
そっと扉の取手に手を掛けて、ガラリとスライドさせてみた。だが、そこには灰原の姿はなかった。
ぐるりと図書室内をのぞけば、散り散りに人はいるもののやはり図書室だからだろうか、やけに静かである。通常の休み時間に比べたら長い昼休みだが、ゆっくりと本を読む時間はあまりない。座っているのは少数で、何人かは棚の前で本を探しているのか、選んでいるのか。
コナンは図書室の奥へと身体を向けた。個室ではないが、奥まった場所は灰原のお気に入りの場所だ。人があまり来ない、死角になる空間。
だが、そこにいたのはやはり灰原だけではなかった。
『………が……好……の…か?』
『そ…、…………関係…ない…お……けど?』
『関係あるよ!僕は灰原さんが好きだから!!』
あまりにも直球な告白にコナンは慌てて棚の影に隠れた。棚の隙間から覗きながら、コナンは男の顔をしっかりと見る。
コナンは見覚えはないが、灰原の様子からどうやら会ったことがあるような感じだ。
『……悪いけど、私は誰とも付き合うつもりはないから』
じゃあ、と話を切り上げるように灰原がソイツに背を向けた瞬間、コナンは慌てて身を隠した。が、それがいけなかったのか、コナンが目を離した隙にソイツは灰原に抱きついた。
『ちょっと!なにするのよ!!』
『じゃあ、諦めるから最後にキスくらいさせてよ』
『ガキが……生意気ね』
『同い年だろ、いいよね、灰原さん』
『良くないわよ!』
「灰原!!てめ、」
思わぬ出来事にコナンは棚から出ていき、灰原にくっついている男に麻酔針を打ち込んだ。
途端にふにゃ…と力が抜けて眠る男は灰原に倒れこんだが、コナンによって、引き剥がされた。
「大丈夫か?!」
「え、えぇ……助かったわ…」
コナンは若干混乱している灰原を見て、あ、と言葉を詰まった。
間一髪ではあったが、これでは覗き見していたことがバレバレである。
空間に沈黙が降りたが、コナンは誤魔化すように声をかけた。
「あっ、と、オメーに聞きたいことがあって……探してたんだよ」
「……そぅ。でもちょうど良かったわ。しつこかったから」
「………やっぱ、オメー モテんだな…」
「何言ってるのよ」
しみじみと呟けば、どこか可笑しそうに笑う灰原をコナンは改めて見た。
日焼けが苦手な白い肌に、綺麗な赤みかかった茶色の髪、スッと通った鼻筋に長い睫毛に覆われた知的な翡翠の眸、唇は薄い桜色をしている。── そう、灰原哀は大変な美少女であるのだ。歩美も美少女だが、どちらかと言えば可愛いという言葉が似合うが、灰原は美しいという言葉がぴったりであるのをコナンは今更ながら認識する。
──やべぇ…
意識した途端、人間というのは制御が利かなくなるのはどうしてなのか。まだまだ未熟だからなのか。
「……お、俺、用事思い出した!」
「江戸川くん?」
あまりにも陳腐な言い訳をして、コナンはその場から逃げ出すように走り去っていったが、すぐに引き返してきた。
「コイツ、連れてく」
麻酔針を打ち込んだ男子生徒をずるずると引きずりながらそこからいなくなったのだった。
◇◇◇◇◇
数日が経過したが、あれからうまく灰原の顔が見れずにいる。多分自覚したのと、それから毎日灰原の夢を見るからだ。
思春期なのか、精神はともかく身体は成長期真っ只中だからなのか、引きずられるようにそんな夢を見てしまう。
どこか不自然さが出てしまうのか、探偵団たちに灰原に何をしたのか?と問われてしまう。
「コナンくん、哀ちゃんに何かしたの?」
「そうですよ。最近のコナンくん、変ですよ。何か灰原さんにしたんですか?」
何故、俺が何かをしたという前提でコイツらは話してくるのだろうか。いや、夢の中では色々しまくっているが……さすがにそれはいえない。
「べ、別に何もしてねぇよ!」
「ぜったい、う そ !!」
「嘘じゃねぇよ!」
「じゃあ、哀ちゃんの目を見て言ってよ!」
え、と思った時には隠れていたのか灰原が歩美の背後から顔を見せた。
やべぇ、心の準備が……。
「……どうかしたの?」
「な、なにがだよ!」
上擦った声が出てしまうと、目の前の灰原がため息を吐いた。
「……私、何かしたかしら?」
腕を組んで訊いてくる姿は昔から変わらない。が、何故だろう、声が弱々しい気がする。
ジト目で、でもどこか弱い。いや、緊張しているのか?
「何もしてねぇよ……」
「……………………そぅ…」
その声音を聞いた時、間違えたと気づいたのは視線を合わせられずに少しだけ俯いた視界に入った灰原の腕だった。
「……行きましょう、歩美ちゃん」
「哀ちゃん…………もう、コナンくんなんて知らない!!」
「……ぁ…」
呼び止めようとしたが、歩美が灰原の腕を取ってその場から行ってしまった。
取り残された俺と光彦と元太だったが、無論光彦に責められた。
「コナンくん、何をしているんですか? これ以上はフォロー出来ませんよ。灰原さんを悲しませて」
光彦の言葉にぐうの音も出ない。
そう、完璧に今のは、いや今だけじゃないが俺が悪かったのは分かる。
アイツの眸は哀しさに溢れていた。組んでいた腕が、指先が震えていた。
「………哀しませたくなんかねぇよ」
そう哀しませたくなんかない。
いい加減認めてしまえ、大人だと思っていたのに、俺は大人になれてはいない。なっていない。情けねぇ、とため息を吐いた。
暫くの間はお弁当も探偵団で食べることはなくなった。というよりは灰原より歩美の怒りの方が大きいようで「コナンくんが哀ちゃんに謝らないうちは一緒に食べない!」と灰原を連れていってしまったからだ。
◇◇◇◇◇
通学も歩美が灰原を迎えに来て、連れていってしまうという日があり、朝も顔を合わせなくなった。クラスが違うとここまで会わないものなんだろうか。
(……会いに行くのがコワイんだよなぁ)
拒否されたどうしようか、なんて思いながら、先に拒否したのは自分だというのに。
はぁ、とため息を溢しながら帰路についていると曲がり角で灰原とバッタリ会ってしまった。
「……」
「……灰原…」
会いたかった筈なのにこう不意打ちだと困ってしまう。何も言えずにいると彼女は視線を反らし、横を通りすぎた──刹那、腕を掴んだ。
「灰原っ!!」
「…………なに?」
「は、話したいんだ…」
「…………何?」
どうぞ。と言わんばかりにこちらを向いてくれているが、視線は合わない。とりあえず場所を移動することにした。
近くの公園にはまだ小学生たちが遊んでいた。
灰原をベンチに座らせ、自分も隣に座る。久しぶりの距離にどぎまぎしてしまう。気持ちを伝えようと思うのに、何から話したらいいのか分からない。まずは誤解を解かなくては。
「あ、あのさ…」
「なに?」
「えっ、と……ごめん」
「……何が?」
「その、訳わかんねぇ態度取っちまって……」
そうだ、そもそもキッカケは自分なのだ。
勝手に灰原の夢をみて、勝手に恥ずかしくなって気まずくなって、意識して、彼女は何一つ悪くなんてないのに。
彼女だって、いきなり訳が分からなかったに違いない。
「………そうね、いきなりワケわからない態度取られて、何かしたのかと思ったわ」
「それは、その………悪かったよ。なんつーか、その、恥ずかしくて……」
「恥ずかしくて?」
言葉を返されて、コナンはハッとした。つい、余計な事まで言ってしまった。
真っ直ぐ見つめてくる翡翠色の眸にどぎまぎする。そういえば、今朝も彼女の夢を見たのだ。それを思い出して、頬が熱くなる。
「…そ、それは、」
チラりと見れば、見上げてくる視線とかち合う。つか、上目遣いヤバい!
あぁ、もう降参だ!
コナンは意を決したように灰原の手を取った。
「ちょ、工藤くん?」
「俺、お前の事が好き、みたいなんだ……」
「………ぇ?」
恥ずかしいながらも、真っ直ぐ彼女を見て告げれば、驚いたのだろう。眸をまん丸にさせている。ヤバい、そんな顔も可愛いじゃねーか!
「な、何を言って……」
「しゃーねぇだろ!! 俺だってよくわかんねぇけど、オメーが夢で……っと…」
言えない、流石に言えない。
夢ん中でコイツと何をしているか、なんて言ったら流石に嫌われる。
「……夢?」
「あ、いや……気にすんなよ……ハハハ」
どうみても不自然だが、今はそれよりも灰原からの返事が大事だ。
コナンは掴んでいた腕から手を滑らせ、灰原の手を繋いだ。
ビクッとしながらも、繋いだ手を少しだけ握り返してくれた灰原を見れば、耳を赤くしながら、何故か睨んできた。
「………私、これから買い物なんだけど……一緒に行ってもらえるかしら?」
「え、あ、あの……灰原サン?」
返事は、と訊きたいが繋いでいた手を恋人繋ぎにされた。
「………私も、あなたの事、好きよ」
まさかストレートで返されるとは思ってなかっただけに破壊力が半端なかった。
「…………マジ?」
「……えぇ」
「あ、後で、なーんてね、とか言わねぇ?」
「………言って欲しいの?」
少しだけ俯いたのを見て、コナンは慌てた。
「んな訳ねぇよ!!」
「……なら、いいじゃない…」
呟く彼女を見てコナンは舞い上がり、ついつい抱きしめてしまったのだった。
そのまま二人は手を繋ぎ、スーパーへと足を向ける。買い物を終えて、家までも手は繋ぎっぱなしだ。
「……ちょっと、いつまで手を繋いでいるのよ」
「いつまでもに決まってんだろ!」
舞い上がっているせいかコナンがそう言えば、灰原は顔を赤らめている。
(可愛い、可愛いんだけど!?)
心の中で絶叫に近い気持ちを胸にしていたが、その手を離すことはなかった。
1ヶ月後──二人は阿笠邸にいた。博士は出掛けている中、ソファーに座りながら、顔を近づけている。
「………灰原…』
いつもより甘さを含めた声を出したのは自分で、目の前にいる彼女の白い頬に手を添えた。
長い睫毛がそっと伏せられのを見つめながら、自分も眸を閉じて、感じたのは柔らかい感触だった。
(………あれは正夢だったのかもな…)
そう思いながら、今は愛しい彼女を堪能したのだった。
作:2019/04/22
出:2019/05/01 コ哀の日
END