親指の鳥篭
土曜日の昼下がり。太陽の光が眩しくて、手を翳して影を作った。
「おにいちゃーんっ!」
足音を立てて駆け寄って来るその姿に彼は愛しそうな視線を彼女に向けた。
視界の端で認めたソレ。息が詰まる。
「葵」
今更、痛む胸が有るわけじゃない。言い訳しながら、のろのろ手を下ろした。
その表情が余りにも綺麗で見惚れてしまうが……そんな風に思われる彼女が羨ましいとも思わない。
「おにいちゃんっ!」
「どうした?」
(……思っとらへんはずやろう、うち)
『兄』に抱きつく少女を見ながら、ホワロンのカフェで落ち着け落ち着けと自らに言い聞かせた。ストローで掻き雑ぜた、ストロベリー・ミルク。心と呼応するかのように氷が鳴った。
「ねえ、お兄ちゃん、葵ねー、可愛いアクセサリーがあるお店見つけたのっ! あのね、あのね」
……ああ、もうかわぇぇよなぁ……。
親譲りなのか、棗に良く似たビジュアルの葵ちゃん。黒髪は艶めいていて、そこがミステリアスなのに、この輝かんばかりの笑顔。
(もうかわぇえ通り越して、綺麗やなぁ……)
見惚れてしまいそうだ。
だが、だか……。
「なんだ、一緒に行って欲しいのか?」
「うんっ! 葵ね、お兄ちゃんと出かけたいっ!」
同じ中等部に在籍しているのに、彼女はあまりにも棗にべったりだ。離れていた数年間を埋めるように葵は棗の傍にいる。
そして、棗もそれを厭わない。
「ああ、けど………」
ちらりと棗がコチラを見る。その視線の意味は判然としていて気分が悪くなる。
「ええよ。ウチ、先に寮に戻って居るから」
まだストロベリージュースも残ってるし、ウチ、もう少しここで休んでから行くわー。
なぁんて軽く手を振って笑ってやった。
「……悪い」
「ええよ。楽しんできてな」
「ありがとうっ!蜜柑ちゃんっ!」
輝かんばかりの笑顔が愛らしい。
「いってらっしゃい」
後ろ姿の彼らに手を振り、見えなくなった所で吐息を吐き出しながら。
「あーあー、ウチってバカ」
淋しいなんて思うなんて、今更後悔だ。
テーブルの上に突っ伏していたら、首筋にヒヤリ。
「ヒャァっ!!」
冷たいしずくのようなモノがあたった。
反射的に顔をあげて、振り返ると悪戯っ子よろしくな爽快な友達の笑みがある。
「ル、流架ぴょんっ!」
「や、佐倉。ひとりでなにしてるの?」
今日、棗デートじゃなかったっけ?
そう首を傾げている流架の肩には相変わらずうさぎんが陣中している。はーい、と蜜柑に気さくに手を振ってくれたから、蜜柑も振り返した。
「棗は葵ちゃんとデート。さっき別れたばっかりなんよー」
へらと力無く笑う己を自覚している。
それがまた、嫌いだ。
「……棗も、しょうがない奴だね」
「仕方あらへん……葵ちゃんは大切な妹やからなー。それに、そんな棗が好きだからエエんよ」
淋しくなるのは間違えだ。そう、自身を無理矢理納得させる。
「佐倉も不器用だね」
「棗、幸せそうやからええんよー」
「馬鹿だなぁ佐倉。俺の前じゃ、取り繕っても分かるって」
「……それもそやったね」
もう流架とも二年の付き合いになる。己がアリス学園に入学して二年だ。月日への実感はまだ無い。
「……んじゃ、さ、佐倉。このまま帰るのも癪だし、俺とまわらない?」
誰かに甘えたくなる感情は、その誘惑に諸手をあげて縋りついた。
「……ええの?」
だって、流架ぴょん、蛍とデートなんやろう?
「いいもなにも、俺から誘ってるんだ。…っていうか、俺も蛍からドタキャン貰ってさ」
「蛍、本当に技術総会に行ったん?」
「ああ、……まったく、お互い大変な恋人持ってるよね」
「そやなぁ……」
此処に来て、蜜柑は調子を取り戻したように軽く微笑んだ。苦笑の部類に入るものだけれど、そんな相手が好きだからどうしようもない。
「んじゃ、決定ってことで」
「うん、ウチ、行くっ!」
「……そういえば、もう直ぐ、七夕だよね」
梅雨入りした一6月。蒸す湿気が身体に纏わりつくような錯覚を覚える。
「もうすぐって言わはっても、まだ二週間以上あるやない」
「そうだけどね…一応、学園でも七夕祭りやるしさ。 あ、佐倉、これなんかどう思う?」
銀色の鈍い煌めき。
アリス学園、セントラル・タウン有数のアクセサリー店でも中・高生に人気がある「カリカ」
ネックレス売り場にてふたりは物色の最中だ。
「恒例の短冊飾りやろ。ロマンやよな。どれや?」
「これ。ロマンって言っても、教師連中のチェック入るから、下手なお願い書けないし」
流架の手元で光るメビウスの輪型のモチーフのついたヘッド。数個0.3mmのサファイヤがついている。
「……流架ぴょん、個性的やわ……蛍にピッタリや…」
確かに、個性的では在るが、一般的ではない。
「知ってる? メビウスの輪は遊びから発想されたんだって。…実際、紙でメビウスの輪を作ると面白いよ」
「なにがや?」
「縦に切ると二倍の長さの輪が出来るけど、三分の一の帯の幅で切ると絡み合ったふたつの輪が出来るしね」
「………う、うちには難しいわ…」
「たまには視点や切り口を変えて、棗以外と遊ぶのもいいでしょう、ってこと」
会計してくると流架は、頬を膨らませている蜜柑を置いて、レジへと歩いた。後ろ姿を見送ってから、小さい薔薇の形をした宝石が付随された鳥篭の形。中には誰も入らない籠の中。
紅の深い色味と形が気にいった蜜柑はてのひらを広げて置いた。
「かわええ……棗の、瞳の色とおそろいや…」
親指サイズの鳥篭。
細工は細かく、篭の淵には小さく花の模様が彫られている。蔦は絡まり、鳥篭の扉は小刻みではあるが開いた。
なにやら妙に心に馴染んでしまいソレに見入る。
「――それ、気に入った?」
「え?」
ふと、顔をあげると商品柵の向こう側に男が居る。
ネクタイは高等部の生徒であるのを示し、声は男にしては少し高め。ネックレス等の商品で彼の目元は見えず、口元だけようやく視界に収まった。
「だれなん?」
「それ、気に入ってくれたんだ」
「え、うん…かわええし、…それに」
鳥篭を撫でる。冷たさと硬質な感触。
なのに受け入れてくれると感じる。
「……なんか、うちを待っててくれたみたいや……」
独り言のように呟いた後、
「へぇ…」
自分の他に、近くに人が居ることを思い出した。
「って、単に自意識過剰やけどな…っ!」
「――ううん、そんなことない」
「へ?」
きょとん、と蜜柑は小首を傾げた。
この人何言わはってるん?
「君がそう望むのなら、それが正解なんだよ。…その宝石の名前はガーネット、とても綺麗だろう?」
「うん…綺麗や」
「その“篭”大きさに似合わず有能でね。…ひとつだけ、モノを閉じ込めておけるんだよ」
「え…?」
正面の男の唇が、弓月型を描く。
グニャリ、と立ち位置が歪むと錯覚しそうな、おぞましい笑み。
「―― 君 の 望 む も の な ら ――」
なんでもね。
なんでも?
彼の心を封じ込められる?
置いてけぼりにされないように。…ひとりで帰るのはさみしい。
ひとりにされるのは、嫌だ。
「……望むのならば」
棗を。
そう、言いかけて、蜜柑は意識をもとに戻した。
(うち、なに言おうとしてんっ?!)
「ああ、なんだ、…君は大丈夫だね。その調子だと」
「っ! ア、ンタ」
誰やと誰何する前に。
「君に捧げるよ。……“カリカ”からのプレゼントだ」
先ほどとは違う柔らかな弧を唇は描いた。声も優しく、気安く感じさせる。
「はぁ?! で、でも、高そうなもの、ウチは……っ!」
謂れはない。
本物の宝石が装飾されたペンダントだなんて。
「それは、君を待っていた。――もしくは、キミのような心の子供を。元々、売り物にならないんだ。作ったのは良いけど、…我が強くてね」
自分の認めた子にしか、扉を開けさせないんじゃ売り物の意味ないし。
相手は、口元におもむろといった感じで指の横腹が触れる。
そんなにプレゼントって形が気になるなら、新たな素材を君から貰おうかな。大体、君が閉じ込めるものは予想できるし。
唇はそう動き。
「受け取りなよ、代金はいつか、君がそれに閉じ込める想いを貰いに行くから」
「え?!あ、あっちょいっ!」
逡巡をする蜜柑に、男は「ご来店、ありがとう」と囁いて消えた。瞬間移動のように忽然に。
「これ、どないしよう……」
掌にはいつの間にか包まれたのか、店名を記された箱が乗っている。
「……本当に、どないしたらええんや……」
途方に暮れた顔で、流架が戻る三十秒後まで立ち竦んでいた。
――篭の中に、ひとつだけ、閉じ込めることが出来るよ。
君は何を閉じ込める?
Fin.
■な、棗蜜柑と銘打ちながら、最初しか彼の出番はありません。
この後、いろいろあるんです、たぶん。
梨織沙雪様のサイトから18万HIT企画からパチってきちゃいましたーーー!!
いやぁ、素敵な小説で文才がすごい…
見習いたいモノです。
頂いた日:2006/8/17