カ・ケ・ヒ・キ
そもそも、愛はモテるのだ。
喩え、本人にその気がなくとも。
あの容姿だ。
黙っていれば、大人の色香が道行く男達を惑わせる。
彼女は、薄桃色の衣を好んで身に纏う。
決して高価な衣ではないが、己を知るその着崩し方が彼女にはよく似合った。
前掛けも颯爽と、愛は商店街を歩く。
緩く纏めあげた明るい茶色の髪、項の後れ毛が白く細い首筋にしなやかにかかる。
後れ毛を気にして、首を傾けて指を当てる表情は、甘く溶けてしまうよう…
憂いた瞳は一体何を映すのか…
ふくよかな胸の谷間、ふっくらとした唇、憂いを含む美しい瞳。
「静蘭」
柔らかな唇が、先を歩く背の高い男の名をよぶ。
静蘭は、愛を振り返り彼女が追い付くのを待つ。
人込みの中だ。
子供でなくとも、夕方の商店街でははぐれてしまうかも知れない。
人を避けながら、愛の姿が近付いてゆく。
お互い、手を繋いで歩く歳でもない。
いつも静蘭が先を歩き、愛がその後をついて行くのだ。
見たくない。
愛が受ける、男達の視線を…
愛の肩が、すれ違う男にぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
ふわりと、愛が微笑んだ。
自分に向ける事の無い笑顔…
肩を当てられた男の顔が赤く染まる。
一礼して去っていく愛の後ろ姿に見惚れている。
「なに不機嫌な顔してんのよ?」
追い付いた愛が、静蘭を見上げた。
ザワザワと賑やかな夕方の喧騒。
くるりと踵を返し、静蘭は歩き出した。
「全く!気分悪いったらありゃしない!」
夕餉の後片付け、秀麗といつもの様にてきぱきと片付けていく。
紅家家人としてばかりではなく、もはや家族同然の愛である。
秀麗が愛を見上げて笑った。
「静蘭、不機嫌だったわね」
「なーんか、妙に空気悪かったわよね!」
夕餉の席で、静蘭は一言も口を聞かなかった。
彼にしては珍しい事。
「家人なら家人らしくしろってのよ!」
秀麗の問いにすら曖昧に笑って頷くだけ。
ムカツクーっ!!!
乱暴に鍋を洗う愛を見て、秀麗は苦笑いした。
湯浴みを済ませ、愛は自室へ向かう。
ひんやりとした空気が、ほてった体に心地よい。
回廊を曲がり、静蘭の室の前に差し掛かった。
さっきの態度は諫めて置かなければ…
「静蘭!」
扉に向かって彼を呼ぶ。
返事がない。
いないの…?
広い庭院の木々に若葉が芽吹き、月夜に輝きを放つ。
愛は夜着一枚で、静蘭を探す。
厨所にも、湯殿にもいなかった。
既に秀麗も邵可も床に就いている。
音を立てぬ様、足音を忍ばせて…
一本の大木の影に、彼を見つけた。
幹に背を預け、腕組みをして星空を見上げている。
紫銀の前髪が、夜風にさらわれて…
足音を忍ばせて、幹の反対側にもたれかかる。
どうせ気付いてんだろうけど…
「さっきの態度、なんなのよ」
声を荒げぬ様に、幹の向こうに声をかける。
「…何も」
なんだかやけに小さく声が聞こえた。
全く…
幹の周りを回り、静蘭の前に姿を見せる。
「どうしたのよ…」
自分をゆっくりと見下ろした静蘭の前髪をかき上げて、顔を近付ける。
「何考えてるの…」
月に照らされた美しい顔がふい、と逸らされた。
子供じゃないんだから…
首に腕を回して、頬に口付けを落とす。
腕組みをした手が、ゆっくりと愛の腰に回された…
「子供みたいに拗ねないのよ…」
柔らかな唇が、静蘭の耳元で囁く。
ふわりとふくよかな胸が、静蘭の体に寄り掛かる。
「何を考えているか…わかるか…」
愛の首筋に顔を埋め、囁き声が漏れる…
「甘えてるわね…」
ゆっくりと顔を上げ、静蘭の唇に語りかける…
「あたしだけ…見ていれば…いいのよ…」
柔らかな、口付け…
「お前は…何処を見ている…」
互いの息がかかる距離。
…妖艶な微笑みが、静蘭を、射た…
「あなたしか…見えないわ…」
本物の、愛の微笑み…
唇が重なり、強く抱き締めあう。
静蘭の腕が、愛の太股を抱えあげ、撫で上げる。
ゆっくりと、愛の体を反転させ、幹にもたれさせた…
甘い吐息が…月夜に溶ける…
本物の愛を手に入れるのは、静蘭只一人…
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