断章 青藍の深奥
音も無く一面を白く染める雪。
囁くように謡う女人が一人、外套を引っ掛けて欄干に腰を降ろしていた。
「あ〜やっぱり蒼琳かぁ」
呆れたような声を上げたのは燕青。
苦笑いで歩いてくる。
「燕青。どうしたの?まだ仕事残っているんでしょう?」
「ん〜昼飯休憩だってさ。それより、さっきそこで誰も居ない筈の回廊から歌声が聞こえるってびびってる州官が居たんだけど......もしかして、他の奴に見えないようにしてるわけ?」
苦笑いで蒼琳を見下ろした。
「あ、忘れてたわ」
「白昼に美声の幽霊がぁって走っていったぞ?」
「ごめんなさい。中途半端に隠形を取ってたのね」
「お?珍しいな。どうかした?」
蒼琳にしては珍しい。
ふらりとやってくるのはいつもの事だが、隠形を解き忘れる、隠形を中途半端にかけることは今までに無かった。
「ちょっと考え事をしてたから忘れたのね。宮城では親しい人以外には見えないようにしているから、そのまま来ちゃったみたい」
自嘲気味に笑った蒼琳に燕青が眉を寄せた。
「なぁ蒼琳。最近元気ないだろ」
「そんなこと無いけど」
「元気ない、ってか上の空っつーか、あれだ、考え事してる事多いよな?」
「ん?そうでもないけど......」
「......あのなぁ、そんな顔して“そうでもない”って言っても説得力ねぇって」
つん、と人差し指で蒼琳の額を押して呆れたように笑った燕青。
「ど、どんな顔?」
「瞳が泣いてる」
燕青は優しく微笑んだ。
「......やっぱり燕青だね。ちょっと悩んでて少し落ち込んでたからそのせい。でも燕青の顔を見たら元気でた。ありがとう」
「ん?そうか?なら良いんだけどさ」
燕青はそう言っていつものからりとした笑顔を浮かべた。
「お昼休憩って言ってたけど、何か食べたの?」
「姫さんの弁当をたらふく、な」
「そう。じゃ、私はお茶とお菓子を出してあげる」
蒼琳は欄干から下りていつも使う室に入った。
「やった!俺蒼琳の菓子大好物なんだ!」
子供のようにはしゃぐ燕青に苦笑いを浮かべながら蒼琳は手際よくお茶を淹れた。
「ケーキ、好きだもんね」
「おう!その“けぇき”ってやつ、甘くてふわふわしてて見た目もかっこいいじゃん。蒼琳の淹れてくれるお茶にめちゃくちゃ合うしすっげぇ好き」
「じゃ、“今度貴陽に来たら好きなもの何でも作ってあげる”から頑張ってね!」
「..................わぁ、蒼琳にもバレてんのかよ......」
燕青は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「だって、燕青ってば秀麗の事大好きでしょ?」
悪戯な笑顔を浮かべた蒼琳に燕青は笑顔で答えた。
「蒼琳のことも好きだけど?」
「あら、ありがとう。でも、まったく別の意味でしょう?」
蒼琳が微笑めば、燕青は曖昧に笑った。
「ねぇ燕青。すっごい後ろ向きにしか考えられなくなって落ち込んだとき燕青だったらどうする?」
蒼琳はふと玻璃の向こうに広がる雪景色を眺めた。
「ん?後ろ向きにしか考えられなくなった時?」
「うん。馬鹿みたいに後ろ向いて歩き出せない時。誰かに心配されているのがわかっていてもどうしても頼る事が出来なくて......」
「ん〜今の俺だったら周りに聞きまくるしなぁ......まぁでも、俺も後ろ向きでどうしようもない馬鹿だったときあるし」
「え?燕青にもそんな時期あったの?」
「あ〜ひでぇな。俺にもいたいけで多感な少年時代ってのが在ったんだよ!」
「いたいけで多感な少年時代の燕青......」
碗を引き寄せて疑うような視線を向けた。
「今の俺からじゃ想像つかないかもしんねぇけど!でもお師匠に逢って、鴛洵様に逢って、悠舜と一緒に居て、州官のみんなも、静蘭も姫さんも影月も香鈴嬢ちゃんも、蒼琳もいるしな。色々変わった」
懐かしそうに話す燕青に蒼琳も笑みを溢した。
「何悩んでるか解んねぇけど、ほら、俺も姫さんも静蘭だって居るし、何でも解っちゃうような親父さんだって居るんだろ?一人で悩んで出ない答えは誰かと出せばいいじゃん。それって別に悪いことじゃねぇだろ?俺たちに話せないなら話せる相手に話して少し肩の力抜いても良いんじゃねぇの?」
燕青の大きな掌が蒼琳の頭を優しく撫でる。
「蒼琳はさ、天神っていう立場と、姫さんの姉ってのもちょっとは関係あるかもだけど、甘えんのとか人を頼るのとか苦手っつーか下手だよな」
その言葉に蒼琳は口を噤んだ。
「しっかりしてるし頼りになるし、皆蒼琳に甘えてるし、しょうがないって言いたかないけどさ。なんつーか蒼琳と居ると安心するって言うか......なんだろな。上手く言えねぇけど頼られてばっかじゃ疲れるししんどいだろ?だからさ、もう少し肩の力抜いてもいいと思うぜ?」
「そうだね......ありがとう燕青。でも、四神にも大分甘やかされてるし、父様にも秀麗にも静蘭にも、もちろん燕青にも貴陽に居る皆にだって甘やかされてると思うわ」
「確かにそうかもしんねぇけど、傍から見たら蒼琳は頑張りすぎ。そんなところが似たんだな、姫さんは」
「......似てるかしら」
「似てるよ。蒼琳と姫さんはやっぱり姉妹だ」
一人納得したように首を縦に振る燕青に蒼琳は苦笑いを浮かべる。
「あ、そういえば!静蘭、燕青に謝った?」
「へ?なんで静蘭が俺に謝るの?ってかあいつは俺に頭を下げるとか謝るとか絶対しそうにないんだけど」
間抜けな顔をして首を傾げた燕青。
蒼琳は呆れたように笑い溜息を吐いた。
「やっぱりね。あれだけ言ったのに......」
「わぁすっげぇ気になるんだけど」
「駄目、静蘭が自発的にしなきゃ意味がないでしょ?」
「や、でもさぁ......あいつが俺に謝りに来る事なんて俺が国試に一発合格するくらいありえない話だぜ?」
小声で肩を竦めた燕青。
「そうかしら」
「そうそう。あいつは絶対俺に謝らないって。“コメツキバッタにしてはまぁ良い仕事をした”が精々だって」
呆れたように頷いて笑う燕青。
すると突然扉が開いた。
「あら、静蘭。どうしたの?」
「この馬鹿がフラフラと出て行ったから仕事をさせる為に呼びに来た」
謝るどころかいつもと変わらず冷たい視線を浴びせている。
「......ほら、な?」
案の定な静蘭の態度に燕青はちらりと蒼琳を見て小さく告げた。
「聴こえているぞ。瞬く間にお嬢様の作った弁当をたいらげて室を出て行ったと思ったら蒼琳と二人で何をしていた」
「あ〜腹ごなしに散歩してたら誰も居ない回廊で歌声が聞こえるって州官たちが騒いでたからな」
「なに?」
その返答に静蘭は蒼琳に視線を移した。
「隠形を解き忘れたの。驚かせちゃったみたい」
「......何かあったのか?」
心配そうに傍に寄って蒼琳の顔を覗きこむ。
「燕青と同じ事を言うのね」
その返答に静蘭は心底嫌そうな顔をした。
「心配してくれてありがとう。でも、燕青に話聞いてもらったらなんだか元気でた」
「そうか。まぁこいつの間抜け面をみて深刻に悩め、と言われても無理な話だからな」
「おぉぉぉい!それは言いすぎだろう......」
「どこがだ!今だって蒼琳の菓子を一人で全部食べたんだろう!お嬢様のお弁当をあれだけ食べておいて蒼琳の菓子までか!お前の胃袋は底なしか!?」
「美味いもんはいくらでも入るもんなの!それに、姫さんたちが居る室からここまで全力疾走したから腹ごなしには十分すぎるだろ!?」
「お前みたいな脳ミソまで筋肉の体力馬鹿には十分だろう!」
蒼琳が居たのは琥漣城の最上階。
秀麗たちと昼の休憩をしていたのは二階の書庫だ。
階を駆け上がるだけでも一苦労。ましてや構造を重視した州府は階と階が傍にない。
最上階に上がってくるまでに普通に歩いても四半刻弱かかるのだ。
「ぜ、全力疾走してきたの?」
ぎゃぁぎゃぁと五月蝿い二人の間に入り込むように問う。
「ん?あぁ転がるように慌ててる州官が居たからな。やばいもんでも見たのかと思ってな」
「馬鹿か!蒼琳がやばいもんなはずがないだろう!」
「“え、燕青!歌が......歌がぁぁぁ!!”しかいわねぇんだもん」
「落ち着かせて訊けばまともな答えが返ってきたぞ!」
「それ脅したんだろ!?」
「私が、いつ、脅したというんだ?」
「胡散臭い笑顔と黒いもんが見え隠れする話術を前に脅しじゃないって方がおかしいだろ!」
やはり口喧嘩をしている二人。
蒼琳が大きく手を叩いた。
「はい、二人とも止め!」
大きな音に二人は詰め寄ったまま蒼琳を振り返った。
「静蘭。私の不注意だったんだから燕青にそんな事をいうのは筋違いよ?それに燕青。お菓子を全部食べちゃったのはちょっと予想外だわ。また作らなきゃ」
「「......」」
二人は反省したように俯き加減で小上りに座った。
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「それで、静蘭。燕青は行っちゃったけど、静蘭は仕事ないの?」
追い出すように燕青を秀麗たちのところに行かせた静蘭は蒼琳と小上がりにいた。
「私はまだ休憩中だ。それより、蒼琳。何か悩んでいるのか?」
心配そうに蒼琳を伺う静蘭。
「もう大丈夫だよ。本当に心配性なんだから」
蒼琳は苦笑いでお茶を淹れる。
「私は蒼琳の力に......支えとなりたい」
「うん。ありがとう」
蒼琳は笑顔に沢山の想いを込めた。
「あ、それより、燕青に謝ってないでしょ」
「......謝るような事をしていない......」
「ふ〜ん。そう」
蒼琳は片眉をあげて横目で見た。
「......」
静蘭は不本意そうな顔をしている。
「結果的に未遂だったけど燕青にさせようとしてたことは......」
「......あぁ......」
「ねぇ静蘭。二人が昔殺刃賊に居たのは聞いたし、その時に何をしてたのか、予想はつくよ。でもね?人の命を奪うことはしてほしくないの」
視線を落として静蘭は沈黙する。
「二人とももうそういうことはしなくて良いと思うの......上手く言えないけど......」
「蒼琳......」
「だから、燕青に謝ってね?」
「......あぁ......」
蒼琳は静蘭の頬に手を添えた。
「じゃ、早速行ってらっしゃい。私は戻るわね」
蒼琳は楽しそうに笑って静蘭を促した。
共に階下へと向かう。
蒼琳は隠形を解いているため、行過ぎる州官たちが代わる代わる立礼をしていく。
「やっぱり隠形解かなかった方が良かったかしら」
ぼそりと呟いた蒼琳に静蘭が苦笑いを浮かべた。
「そんなことをしたら私が独り言を言っているか、一人二役の危ない男になるだろう」
「......面白いじゃない」
「面白くない。私は州将軍を凌ぐ権限を有す州牧護衛官なんだ。暴れまわっている州牧補佐とは違う」
「でも燕青と仕事するの嫌いじゃないでしょう?」
蒼琳は意地悪く笑って静蘭を見上げた。
「......悪くは無い」
「素直じゃないなぁ」
クスクスと笑う蒼琳に静蘭は困ったような照れたような笑みを浮かべた。
庭に出て池の辺に立てば毎回のことながら静蘭が問う。
「“道”は池でなければいけないのか?」
「だから、何度も言ってるでしょ?私が通る“道”はただ単に水を媒体としてるだけなの。貴陽の玉泉に出たところで私はまったく濡れてないし、風邪も引かないからそんなに心配しないでよ」
「......わかった」
それでもまだ何かを言いたそうな静蘭に笑顔を向けて蒼琳は池に飛び込む。
小さな波紋を描いただけで水音もせず蒼琳は池に消えた。
そのすぐ後に静蘭は表情を変え、振り返らずに不機嫌そうな声を上げた。
「コメツキバッタ、隠れてないで出て来い」
「わぁ〜蒼琳が帰ったらすぐそれかよ......」
燕青が嫌そうに半笑いを浮かべて傍によった。
「姫さんと悠舜が呼んでる」
「わかった」
静蘭は優雅な動作で振り返るとすれ違いざまに呟いた。
「......剣を抜かせて悪かった......」
聴こえるか聴こえないかのとても小さな声。
感情が僅かに篭っている程度の声音だ。
言われた燕青は、一瞬何が起きたか解らず思考が停止する。
しかし、すぐに去っていった静蘭の背中を振り返り穴が開くほど凝視し、すぐに苦笑いを浮かべた。
「......蒼琳の言うことはちゃんと聞くんだな......可愛いところあるじゃん」
聞かれたら絶対に命がない事を呟いて笑う。
そして、つくづく思う。
顔は良いのに性格に難ありのあの男には蒼琳が合っていると。
秀麗とは違い、すべてを曝け出せる相手が蒼琳なのだ。
(俺は相愛だと思うんだけどなぁ......)
もう姿の見えない静蘭と貴陽に戻ってしまった蒼琳を思い浮かべて燕青は白い雪の降る空を見上げた。
そんな二人が寄り添うのは
そう遠くない未来
†終話†
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