我慢の跡
どうしよう
紫炎は台所の入り口に立って、前方にいる人を眺めていた。
何故かその人は台所に向かっているわけではなく、冷ややかな目でこちらを見ていた。
私が何かしただろうか。
怖くなって、気まずい中、ゆっくりと目線を下に向けた。
その人がこちらに近づいてくるのを感じると、つい後退ってしまう。
それが不快だったのか、彼は早足(といっても足が長いからゆっくりでも早いし、何故か優雅な足取り)で紫炎の腕を掴むと壁に押し当てた。
突然の冷たくて堅い感触が背中に伝わり、紫炎は顔を顰めた。
目の前には彼の首・・・
彼は紫炎の頭に自分の顔を置いて、紫炎の両手を両側に、強く押し当てている。
背中の痛みも、両手の痛みも混ざり合って、恥ずかしさと不安を煽っていく。
「静蘭さん・・・?」
何故か怒っているような印象を受けた。
本当はそんなこと、知りたくも分かりたくもなかった。
紫炎からは彼の顔を見ることができないし、こうやって彼の怒りを感じたことは今までなかったから。
いつも笑顔で苛めてくる、そんな彼だからこそ、こういった感情の表し方は怖くて仕方がなかった。
何故そんなに怒っているのか、検討もつかない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
前に紫炎は後宮の廊下で藍楸瑛という、有名な女殺しな人と出会った。
後宮でも何処でも、楸瑛様の名は知られており、女性には絶大なる人気があった。
確かに、お金持ちで将軍職という位につき、あの美青年に甘い言葉を囁かれれば、誰でも女性は落ちるであろう。
だが、紫炎にとってもう出会いたくないベスト3に入る、そんな人物。
紫炎はあろうことか、この人にキスをされてしまい、女の敵だというレッテルを貼ったのだ。
しかも静蘭にはファーストキスを奪われたという衝撃告白を受け、男には近寄りたくないと思った。
そして雷家の別邸に引越しし、紫炎は飽きもせずに料理の練習をしていた。
とりあえず切ることから始めようと、包丁を持ったがいいが、秀麗や静蘭のように上手く切れない。
紫炎は危なっかしい手つきで切っていく。
柔らかいものからすればいいのに、何故かあえて堅いものから切っていく紫炎。
「う〜〜堅いっ!えい!!」
独り言がますます大きくなっていく。
台所には不細工な形の食材が山のように並べられていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
紫炎は休憩がてら市井に来ていた。
切る食材がなくなったので、買出しもする。
お金は雷じじいにもらった。
雷じじいはやたらお金をくれる。
だから働かなくても生活していけるが、紫炎はすることがないのであえて仕事をやめなかった。
家でのんびりするのはいいけれど、考えなくてもいいことまで考えてしまうため、家でじっとするのが嫌だった。
「たまねぎ・・・・・嫌だな。でも練習しないと、また静蘭さんに笑われるし」
紫炎は静蘭の意地悪な顔を思い出して、渋々それを買った。
(・・・こうして思えば、料理って静蘭さんのおかげで練習しようと思ったし・・・静蘭さんって凄いな〜)
いつもなら後回しにするし、最悪一生しなくてもいいや、くらいに考えていた紫炎がこうして練習をしている。
それは紫炎にとって驚くべき事実だった。
「何を切ろうかな・・・」
紫炎はお店を回りながら、そう呟いた。
何を作ろうかな、ではないところが紫炎らしいところだ。
「紫炎様?」
見知った声と姿に、紫炎はすぐさま振り向いた。
「あ、静蘭さん、お買い物ですか?」
振り向くと、そこには紅邵可一家の家人、静蘭がいた。
最近よく会うな〜と思いながら、そう聞いてみた。
「ええ。紫炎様も、ですか?」
「は、はい」
そういうと、静蘭は少し考える素振りを見せて紫炎に再び向くと、微笑んだ。
その笑顔に、紫炎は背中にぞくっと寒気がはしった。
「今日はお嬢様もお出かけですから邸で菜を作りませんか?」
「え?」
紫炎が目を丸くさせるのを見て、静蘭は素早く彼女の腕を掴み、足を進めた。
「静蘭さっ・・・私、料理苦手・・・・・」
一緒に作ることはいいのだけど、料理が下手な紫炎にとってつらいものがあった。
何せ遅いし要領悪いし、静蘭を苛立たせること間違いないのである。
紫炎が行かないような素振りを見せても、静蘭はお構いなしに歩いている。
止まろうと力を強めても、更に強い力で引っ張られるため、紫炎は止まれない。
「静蘭さん・・・あの、聞いてますか――」
「あれからまた練習しているのでしょう? その成果を見せていただきたいですね」
紫炎の言葉を遮って、静蘭は顔だけ紫炎に向けて意地悪に囁いた。
「え、いや・・・その、まだ全然・・・・・」
「大丈夫ですよ。もちろん貴女の買った材料でしてもらいますから」
「え・・・あ、は、はい・・・」
紫炎はもう何も言うことができなかった。だから、もう大人しく、静蘭についていくことにした。
「・・・・・苛めないでくださいよ」
聞こえるか聞こえないかの声でそう呟いたが、聞こえていても静蘭には通じないような気がする。
それでも一応、悔しさがあるから言ってみるのだ。
それの何倍返しという意地悪がくることを、紫炎は学習していないから。
「そう言われると、苛めたくなるのが人というものですよ」
さらっとそう返され、紫炎はう〜と唸る。
それさえも静蘭にからかわれているとも知らないで・・・・・
「静蘭さんは人じゃないもん・・・」
負けず嫌いがここでも発揮される。
だけど口で静蘭に勝てるはずもない。
・・・・・・・それ以外でも勝てるわけないのだが。
「・・・貴女も料理してあげましょうか?」
「え!? あ、いえ、ぅう・・・も、もうしてるじゃないですかっ!!」
紫炎はその殺気を込めた笑顔にビクビクしながら最後と思われる反抗をした。
「これが料理ですか? なら全く美味しくないですね。私がするのですから美味しく出来るはずですよ?」
「か、過信しすぎてませんか」
最後と思われた抵抗も、悔しさが増発した紫炎では最後にはならなかった。
「私が不味く作ったことがありましたか?」
「う・・・な、ないですけど」
「ですからこれは料理ではないですよ。ただの苛めです」
「・・・・・ただの、って・・・」
紫炎はもう泣きそうだった。
涙が出るとかじゃなくて、心が泣きそうだった。
っていうかもう泣いているかもしれない。
勝てない・・・やっぱり、勝てないよ。勝とうなんて思ってなかったけど、もう完全に負けだよ・・・
紫炎は悔し涙ならぬ悔し溜息を吐いた。
話が終わったちょうど、静蘭と紫炎は邸に着いた。
紫炎はとぼとぼと厨房に向かい、自分の荷物を床に置くと、今日買った物を台所の上に置いた。
静蘭も横で、てきぱきと夕餉の準備をしていた。
紫炎はそれを感心しながら材料を切っていく。
(う〜・・・何か見せ付けられてるみたい・・・。私より上手いなんて、私が一つでも勝っているところなんかあるのかな?)
紫炎は横で頬を膨らませながら感情に任せて材料を手に取った。
形はともかく、何とか前よりかは早くなってきたと思う。
紫炎の目は真剣だが静蘭が気になって仕方なかった。
すると
「・・・っ・・・」
感情に任せて切っていて、尚且つ静蘭の方を見ていて、つまり余所見をしてしまったのもあって、紫炎は指を切ってしまった。
紫炎はそれを静蘭に気付かれないように、そっと包丁を置いて水を出した。
怪我した部分を水につけようと思ったら、その手をさらわれた。
「あ・・・・・」
横を振り返れば静蘭がその手を掴み、いつもにはない顔でこちらを見ていた。
「あの・・・? せいら・・・」
「何故言わないのです?」
その怒声に満ちた声に、紫炎の肩がびくっと揺れた。
「え、あ・・・その」
「切ったのなら言えばいいでしょう? 何故隠す必要があるのですか?」
「か、隠しているつもりは・・・」
「いいえ、隠しています。・・・・・とにかく手当てをしましょう」
「いえ、そんな手当てをするほどのものでは・・・」
「手当てするのです。分かりましたね?」
「ハ、ハイ」
この上ない威圧で、紫炎は縮こまった。
紫炎は素直に頷いて、掴まれている手を戻そうとする。
だが
「・・・え!? 待っ! 静蘭さんっ!?」
流れる血が見えなくなり、沁みるような、痺れるようなその指の感覚に一瞬、脳が麻痺した。
静蘭の唇に含まれたその指が、果てしなく熱くなるような感覚を覚え、紫炎は眩暈を感じた。
そんな紫炎にくすっと笑い、静蘭は指を離すと、紫炎は逃げようにその場を離れ、薬箱を探しにいった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
何とか気を落ち着かせ、真っ赤な顔を冷ますと、紫炎は再び厨房に向かう。
「静蘭さん・・・・・」
薬箱を持っていくと、紫炎はただならぬ雰囲気を感じた。
さきほどは笑った静蘭を見てホッとしていたが、何故か今はさっき怒られた時より、数倍も数十倍も怖かった。
しかも、何故か壁に押し当てられ、身動きの出来ない格好にさせられている。
静蘭の冷ややかな目を見て、つい薬箱を落としてしまった。
もしかしてそれで怒っているのだろうか・・・・・・
「ご、ごめんなさい!今、拾いますから・・・」
そう言ったのに、何故か紫炎の両手を掴む腕の力が強まる。
紫炎の頭にはもう疑問符しかでてこない。
「静蘭さん、あの・・・私、何かしてしまいましたか・・・・・?」
恐る恐る尋ねてみる。
そう聞く紫炎に対して、静蘭はやっと紫炎から顔が見える距離まで上半身を離した。
それでもまだ、身動きはできないけれど。
それは、怒りを必死に抑えているような笑顔だった。
「貴女は馬鹿ですか」
「え?」
やっと静蘭の声が聞こえたかと思えば、その言葉は紫炎を非難するような言葉だった。
「・・・・・そんなに傷をたくさん作って・・・跡が残ればますます貰い手がいなくなりますよ」
「傷? ああ・・・これとかですか」
確かに料理の練習をしている際につけてしまった傷はあるけど、そんなに大きな傷ではないし、長袖だから見えない位置にあるから紫炎は大して気にもしなかった。
「(溜息)・・・・・今度練習するときは私が付き合いますからもう傷をつけないでください」
「え? い、いえ、勘弁してください!そ、それにこれくらい大丈夫で・・・・・」
「甘く見ていると身を滅ぼしますよ。それでなくても貴女が料理の練習をしてると知れば、お嬢様は心配されるのに」
「し、秀麗が?」
「ええ。貴女の包丁は危なっかしいので、とても心配されてました。貴女が一人暮らしだなんて、と」
「ははは・・・・」
空笑いしかできなかった。
そんな紫炎を放し、静蘭は深い溜息を吐くと紫炎の指を手当てした。
「その、ごめんなさい・・・」
紫炎はきついながらも心配してくれている静蘭に素直な気持ちで謝った。
「・・・・・紫炎様、こういう時はごめんではなくて、ありがとうと言うものです」
「え・・・? あ、はい! あ、ありがとうございます!」
「どういたしまして。はい、出来ましたよ。これくらいなら傷は残りませんでしょう」
「そうですか・・・」
「ええ。さ、教えますから続きをしましょうか」
「え? は、はい」
「私が教えるとなると、覚悟しておいてくださいね?」
「え・・・・・・お、鬼コーチ・・・」
「鬼コーチ?」
「え・・・えっと、へへへへ」
「貴女は・・・・・笑ってごまかすのが好きですね。どういうことか、何となく分かったのでいいですよ。言わなくても。からかうのも時間がもったいないですし、それは今度にしますね」
「う〜・・・」
しますね、って言われても困るんですけど。
紫炎は静蘭を睨みつけながらいそいそと台所についた。
「どうせ、貴女は心配させないように言わなかったのでしょうけど」
「え?」
ぼそっと言った静蘭の言葉に、勢いよく振り向いた。
「貴女は心配されることが苦手のようですから」
「そう・・・なのかな・・・」
「自分で分からないのですか? 貴女は優しくされると泣きたくなるでしょう? 優しさに慣れてないのですね」
「・・・・・優しさって、慣れるものなんですか?」
「―――慣れるというよりそれが普通なのでしょう」
「普通・・・・・」
「ええ、当たり前だということです。貴女には優しさが普通ではないみたいですね」
「そ、そんなこともないですけど・・・・・。確かに、優しさには弱いですね・・・・・・」
紫炎は切なげに微笑み、俯いた。
「・・・でも、残念ですね」
「え? 何がですか?」
その雰囲気を打ち消すように、静蘭はつぶやき、紫炎は顔をあげた。
「貴女のその傷が残れば、私の嫁にしてあげましたのに」
「え、ええ!? でえええ!!?」
紫炎は空いた口が塞がらない。
静蘭を凝視する紫炎に、静蘭はふっと笑い、耳元で囁いた。
「―――――」
「え・・・・・」
紫炎の顔は真っ赤に染め上がり、何も発することができずに、ただ口をパクパクと開閉するのみだった。
「これを、料理と言うのですよ」
優しく囁かれた紫炎の思考回路はもう既に機能停止寸前だった。
それに微笑むと、静蘭は出来上がった菜を持ち、居間に向かった。
その間も紫炎は静蘭から目を離す事ができず、その囁かれた言葉をずっと脳内で反復させていた。
いや、もうそれしか考えられなかった。
紫炎にとって無縁だと思っていたその言葉を、ひたすらに頭に流していた。
――――――求婚ですよ、真剣に
さきほど怪我した指がまた・・・・・痺れるように、痛みを発した―――
Fin.
後書き
森川沙耶様、遅くなりまして申し訳ありません!!
リクエスト、ありがとうございます!!
森川沙耶様、すみませんっ・・・・・
料理がメインにならず、無駄に長くなってしまいました!
こんなのでよければお持ち帰りください!
批評は森川沙耶様のみ、受け付けます!!
この続きっぽいものをいつか書きたいな、と思っていますがさて、続きというものになるんでしょうか・・・。(不安)
番外編ですが、一応ヒロインの心の繋がりはあります。
難しいヒロインですが、これからも頑張っていきますのでどうぞよろしくお願い致します。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!!
慈月亜紀
感謝の気持ち
こちらこそ甘いお話ありがとうございます。ヒロインのいじめれれっぷりが好きです(笑)
続きっぽいモノ…読んでみたいですね。
本当にありがとうございましたv
森川沙耶
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