14

ONEPIECE

 頂上戦争から一年になろうとしていた頃、マリィはエースの墓参りにきていた。
 ようやく住処を、白ひげの故郷『スフィンクス』という島へと移住して来たのだ。
 シャンクスたちには悪いが、彼らはまだ戻らないし、生まれた我が子をエースに会わせたかったのだ。デュースたちもマルコも墓参りには賛成してくれた。

「マルコさん」

「おぉ、元気にしてたか」

「はい、お久しぶりです。エマ、マルコさんだよ〜」

「相変わらず、可愛らしいよぃ」

 マリィの腕に抱かれる赤子を見て、マルコは眼を細める。前に会った時よりも体重も増え、あー、だーぅ、うっ!とおしゃべりをしてくれる。マルコが手を差し出せば、指をぎゅっ!と掴むので、自然と瞼が熱くなる。

「…………本当に、かわいいよぃ」

 ふふ、と笑うマリィを見ると嬉しそうにしているが、疲れもあるのだろう。少し隈がある。

「随分、疲れているみたいだが、大丈夫かよぃ」

「あぁ…最近、夜泣きがふえてきて…」

「デュースたちは何してるんだよぃ」

 マルコはサポートとして一緒に暮らしているデュースたちを見るが、マリィは苦笑いしながら「私じゃないと泣き止んでくれなくて」と説明してくれた。デュースたち、すごく助けてくれてて、感謝しかないんです。と言うから、マルコは仕方ないと頭を掻いた。

「そろそろ行くよい」

 マルコが背後の墓を指すとマリィは「はい」と答えた。こっちだよぃ、と促され、お墓が建つ丘へと足を向ける。
 バサバサと風に揺れる白ひげ海賊団の海賊旗が掲げられる墓の隣にエースの墓が並ぶ。
 エースが身につけていたナイフに数珠のネックレス、テンガロンハットが風に揺れる。マリィは娘を腕に抱えたまま、墓へと近寄る。

「…………エース、」

 久しぶり。その言葉が声になったか分からない。ただ、娘のエマを近づけた。

「エース…あなたと、私の娘が生まれたよ」

 あーぅ!だぅ!と腕の中で元気に動く娘を目にしながら、エースへ向かって話しかける。

「毎日、毎日、すごく元気で、可愛くて……最近は夜泣きとかすごいんだよ、泣き虫だった頃のルフィみたいにすっごい泣くの。あ、赤ちゃんは泣くのが仕事だから怒らないでね。おしゃべりもするんだよ「あー!うっ!!」ほらね…」

 小さい身体を伸ばすように腕の中で暴れる娘は本当に元気で、マリィはエースの墓に刻まれた名前に手を這わす。
 何も知らないまま、我が子を知らないまま逝ってしまった恋人にマリィは、ポロポロと涙を零す。
 「うっ?」とマリィを見上げてくる娘の頬にも涙が落ちる。あーう!とマリィの顔に手を伸ばす娘の手を取ると、その小さい手をエースの名前の上に重ねた。

「……エマ、おとうさんに、はじめまして、だよ……」

「う?あーぅ!だっ!!」

 ペチペチとお墓を叩く娘にマリィは、ふふっと笑う。娘の手の上から自分の手もそっと重ねた。

「……エース、大好きだよ」

 この言葉を何度伝えてきただろうか、それを告げる度に照れて、嬉しそうにして、そして、申し訳なさそうに、哀しげに眸を揺らすエースの顔が思い出される。
 エースは自分は愛される人間ではないと思っている所があった。サボやルフィからの親愛や家族愛、マリィから愛情も、マキノさんやダダンさんたちからの慈愛を受けていたのに、幼い頃から言われ続けた呪いのような罵詈雑言が彼を、自分は生まれてはいけなかった存在、生きている価値はないという言葉に自己肯定を失わせていた。
 自己肯定が低いが、それでも生に縋れたのは、義兄弟であるルフィとサボがいたから。サボの事がなかったら……きっとルフィがいなかったら、エースはいなくなっていた……。
 ルフィがいたから彼は“くい”のない人生を歩んできたのだ。
 そこにマリィも追加はされたが、彼の中で大事だったのは義兄弟たちだった。
 苦い想いが胸に広がる……エース、エース……どうして届かなかったのだろう…。
 彼にはいつも気持ちが届かなかった。好きなのに、好きだと、愛してると伝えても、伝わらない。それでもマリィはエースが好きだった。伝わらなくても傍にいれればそれだけで良かった。

「………………ごめん、ね」

 自分の存在が彼の悔いになってないか不安で堪らなかった。子供が出来た時も、産む前もマリィは絶望感に苛まれた。今思えばマタニティブルーというのかもしれないが。
 エースがツラい思いをした事を、自分がしてしまうのではないか、と。エースと同じように子供が苦しんでしまうのではないか、怖かったのだ。出産は苦しかった、自分もエースの母のようになったら、子供を遺してしまったら、と痛みと不安で辛かったのだ。
 でも生まれた娘を胸に抱いたとき、そんな事はどうでも良くなった。モヤモヤしていたのを綺麗さっぱり忘れた。
 無事に生まれた子が何よりも愛おしくて、堪らなくて、泣いた。我が子を守ると決めた。周りにも恵まれた。それもエースのおかげだと思っている。
 デュースたちもマルコさんも、エースとの縁が無ければ、本来は手を差し伸ばされる事はないに等しい。既にスペード海賊団は解散していたのに元クルーというだけの甘えでしかなかった。だから、本当はやりたい事がある元スペード海賊団のみんなを縛るのが苦しかった……でも独りではきっと無理だった。

 額をエースの墓に寄せる。

「…………ありがとぅ……」

 あなたが遺すつもりがなかったであろう存在を私に遺してくれて……それだけで、もう充分だった。また涙が溢れる。ペチペチと娘に頬を叩かれ、マリィは微笑んだ。

「…………あなたがいて、良かった…」

 じゃなければ、きっと、私は生きることを諦めていただろう。
 ぐずっ、と鼻を啜りながら、涙を拭った。はぁ、と深呼吸をすると後ろで待つ彼らに向き合う。彼らも涙ぐむ人、泣いている人がいた。
 葛藤など知られないで良いと思っている。これは自分が背負っていくものだから、誰にも、ルフィにも知られなくていい自分勝手な気持ちだ。

「デュース、みんな、ありがとう」

「マリィ?」

「お礼をずっと言いたかったの……ほら、デュースたちもエースにお参りするでしょ」

「あ、あぁ…」

 エースの墓の前から退けたマリィは、隣に建つ白ひげの墓にも手を合わせた。
 久々に外に出ているからか、腕に抱かれたエマはご機嫌なようで、マリィはホッとする。赤子を抱えて、そびえ建つ墓を見上げる。
 マルコは彼女の行動に他意はないと分かってはいるが、息子であるエースの子はオヤジから見れば孫になる。
 きっと、こんな小さい赤子をみたら、あの大きな手に抱かせたら喜んだだろうか、それともあまりの小ささに慌てふためくオヤジが見れたかも知れないと思うと、現実とはままならないものだと思う。
 マリィたちを促して、マルコは近くの村へと連れていく。白ひげの故郷──スフィンクス。海岸線の町は荒らされているが、滝の奥の裏の洞窟の先には村がある。
 マルコに連れられてきた村は長閑だ。小川が流れ、村人たちはマルコを見て手を振ってくる。

「ここは……」

「ここはオヤジが作った村だよぃ」

 促されて入った一軒家に入って、マリィはもちろん、デュースたちも驚いた。そこには白ひげ海賊団の隊長たちがいたからだ。

「……ま、マルコ隊長…」

「……」

「マルコ、この子、この子らは……」

「エースの…」

「改めまして、モンキー・D・マリィと申します」

 赤髪が戦争を終わらせに来た時の事を憶えているのだろう。オヤジとエース、他の奴らの遺体を引き取り、赤髪の船に乗せてもらった。その際に彼女の話を聞いた。
 エースの元海賊団のクルーや赤髪によってもたらされたエースの『恋人』の存在に驚いたものだ。
 彼らが彼女を見たのは、エースの埋葬の時だった。赤髪に彼女に最期の別れをさせて欲しいとギリギリまで伸ばした。
 現れた彼女は覚束ない足取りで今よりもずっと窶れていたのを知っている。妊娠していたとは思えない程に。
 初めて、彼女を見た時、末っ子の恋人、というワードに理解は追いつかない奴もいたが、数人のクルーが少し思い出した事があった。
 エースが白ひげ海賊団に加入してすぐの宴会で、ただ、一度だけ、酔った際に呟いた名があった。「……マリィ……逢いてェ…」とボソリと口にしていた。その場にいた者がこの場にもいるから、憶えているのもいるかもしれない。
 あれは彼女の名だった。サッチが誰だ?とニヤニヤしていたが、エースの様子がただ切なそうに、悔いているように呟いていたから印象に残った。時折、エースが振り返っては、何かを探しては「…………あ、」と頭を掻いていた。誰かが「どうした」と聞けば、「なんでもねェ!それより」と弟の話ばかりしていたのは誤魔化していたのだと今ならなんとなく分かる。エースは彼女を守りたかったのだと思案する。
 彼女が革命家ドラゴンの娘であるのをきっとエースは知っていた。世界最悪の犯罪者と呼ばれる革命軍の総司令官。頂上戦争において、革命家ドラゴンの素性が明らかになった時、どよめきが起きたのを憶えている。その場ではエースの弟の素性であったが、彼女はその弟の実姉である。

「どうしたんだよぃ、お前ら」

 マルコはマリィの挨拶で固まる仲間に苦笑する。気持ちは分からなくもない。まともに彼女と会話したヤツはいない、ましてや腕に抱かれ、元気に動く赤ん坊に驚いているのだ。
 誰かが戸惑うように彼女に話しかけた。

「お嬢さん、」

「その子が……」

 エースの子か?と誰もが思うも口にして良いのか分からない。

「……不肖ですが、エースの子です」

「「「「!!!」」」」

 そう言った瞬間に強面の大男たちが赤ん坊に群がった。

「うわあぁぁぁぁん」

「「「「「あ」」」」」

 あまりの勢いにエマが泣いてしまい、隊長たちは焦った。マリィも宥めるように「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とあやしているのを横目にマルコは隊長たちを見る。

「赤ん坊を泣かすんじゃねぇよぃ!」

「い、いやだってマルコ」

「わざとじゃ……」

 あの隊長たちがわたわたなるのも分からなくもない。マルコでさえ出産に思いがけず立ち会ったが、小さい赤ん坊に赤髪たちとわたわたしたものだった。
 マルコがよいよいとあやし始めれば、きょとんとした後に、ちゃあ!あーぁ!と声を上げた。

「……マルコ、慣れてないか?」

「まぁ、おれは何回か会ってるしよぃ」

「「「「はぁぁぁぁぁ?!」」」」

「おま、それ、ズルくないか?!」

 強面の海賊だろうが、小さくてまるく可愛いものは可愛いと思えるのだ。まして、末っ子の子供であれば、可愛くない訳がない。嫁さん美人だし、子供も可愛すぎるし、それを何回も会ってるだと?!と隊長たちはマルコを睨んだ。

「そんなに怒ることかよい?」

「………あぁ、ズルいだろ…」

「これよりも小さい頃を見ていたんだろ……」

「そんなに懐かれているしよぉ」

 ブツブツ言う隊長たちにマルコは頭を抱えた。まさかこんな事になるなんて誰が思うだろうか……。

「おれよりもデュースたちに懐いてるよぃ、一緒に暮らしているしな」

「ま、マルコ隊長?!」

 矛先をこちらに向けられたデュースたち、残った元スペード海賊団は慌てた。デュースは白ひげ海賊団には船医としていたから、怪我をすれば手当てもしてきたし、白ひげの大親分の治療もしていたから、認知はされているが、それはないだろう!と思う。

「「「「あ"ぁ"?」」」」

「ちょ、ま、マルコ隊長は出産に立ち会ったんですよ!!」

「デュースっ!!」

「「「「あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"んん?」」」」

 そこからは阿鼻叫喚というべきか、マルコは首元を掴まれグラグラを揺らされていた。
 そこにふふ、ふふふ!と場違いながらも軽やかな笑い声がした。マリィが口元を抑えながら、笑っていたのだ。
 隊長たちも笑い声にハッとして、動きが止まり、彼女を見ていれば、彼女は「あ、」と申し訳なさげに顔を逸らしたのだった。

「……マリィ、笑うのはヒドいよぃ」

「す、すみません……エースが、言ってたように皆さん、楽しい方々なんだな、って思ってしまって……」

 その言葉に、彼女は本当にエースの恋人なのだと思った。こんな強面の海賊を見て、楽しい方々なんて言うはずがない。知る訳がない、それなのに、エースから聞かされていたというだけで、己らを見てくる。
 赤髪相手にしても、随分馴染んでいたな、と思いつつ、赤髪はマリィを友達だと言っていた。幼い頃にエースの弟と世話になったという。

「そういや、赤髪は一緒にいないのか?」

「シャンクスは、今は東の海イーストブルーへ行ってて、」

「エースの遺品を育ての親に届けに行ったそうだ」

「…………そうか、赤髪にも世話になるな」

 エースの人脈なのか、赤髪に関しては彼女の人脈ではあるが、海賊王、ゴールド・ロジャーの船に乗っていた見習いは今や四皇という地位にいるにも関わらず、友人の為に故郷へ遺品を届けに行っている。知らなかったにせよ、海賊王ロジャーの直系にあたる海賊が、海賊王ロジャーの息子と縁があったというのはなんともうまく出来ている。
 とりあえず、マリィがこれからこの島に住む事をマルコは伝えた。
 赤ん坊がいるから、元スペード海賊団の面々が心配して、何人か島に入る事にした者もいる。元スペード海賊団の内の一人、ミケールという人物は、この島が世界政府非加盟国であることを知り、教育を受けられない世界中の子供たちのもとへ行きたかった彼は、島で教師をすると決めた。既にマルコに打診をし、村人たちもそれを受け入れた。
 デュースも自分も島へ入ろうと決めていたが、マリィに止められた。デュースはやりたい事があるでしょう、とやんわりと。

「…………冒険記、書くんでしょう?」

 デュースは無人島シクシスでエースと出会った。エースは自分の夢を知り、馬鹿になどせず、名前を与えくれた、だから残りの人生をエースの為に生きようと考える程に惹かれたのだ。だからエースが愛した女を遺児の為に生きてもいいと思ったのだが、それを断られるとは思わなかった。

「デュースにはずっと甘えてしまっていて、申し訳なかったの、ずっと」

 マリィは困ったように笑うと、エースには弟以外にも兄弟がいたことを話し、その子の夢が『広い世界を見て、それを伝える本を書きたい』というものだったという。『海賊』になるのも夢にしていたらしいが、デュースの夢とほぼ同じだった。

「またまだ冒険は出来るもの」

 ここに留まるとその夢は叶わない。そう話すマリィにデュースは困惑する。遠慮なんてしなくていい、夢を叶えて欲しいと思っているのだ。
 デュースは、不意に口を開いた。場違いなのは分かっていたが、なんとなく声に出していた。

「マリィこそ、なんでそんなに遠慮するんだ?」

「え?」

 訊き返すマリィにデュースはため息を吐いた。マリィはスペード海賊団の時から知っている。エースの幼馴染で恋人、わざわざ故郷を離れてエースと共に海賊になった。彼女の経歴とて、エースに負けず劣らずになかなかのものだ。世界最悪の犯罪者を父に持つ彼女は、海軍の英雄の孫でもある。戦っている姿はあまり見たことがないが、覇気を纏い、エースにゲンコツを落としていたのは何気に見たことがあった。打撃が効いているのを見た時、目玉が飛び出るかと思うくらいに驚いたのだ。
 そんな強さを持つ彼女が、置いていかれたからと諦めた事がデュースには不思議だった。行動力はあったのだ、ただエースを追うのではなく、赤髪に保護を頼むということをしたくらいならば、白ひげへ追いかけてきてもおかしいくらいなのに。
 そして、エースの葛藤にも気づいたのだろう、自分が傍にいるとエースの足枷になりかねないと。それなのに、あんなに、人前でイチャイチャイチャイチャしていたのに、変なところで互いに踏みとどまる二人を思い出したデュースはなんだかイライラしてきた。

「デュース?」

「はぁ!!お前らはほんッと、スペード海賊団やってた頃からあんなにべったべたイチャイチャしていたくせに、なんなんだよ!!だいたいエースもエースだ、マリィが大事なクセにお前を船から降ろした後に、すげェ落ち込んでイライラして、八つ当たりして……面倒くさかったんだぞ!!」

「へ?」

 デュースの語りにマリィもマルコも隊長たちもポカンとする。マリィのどこか遠慮し、余所余所しさに、申し訳ないという態度に、デュースは言いたくなった。
 白ひげ海賊団内ではマリィの事を語れなかったエースは、デュースの元に来ればマリィの事ばかりだった。元気にしてるかな、ムリしてねぇかな、ジジイに連れてかれてたら、どこぞの知らんヤツに言い寄られてたりしたら……その度にゴゥゴゥと発火していたくらいだ。それなのに、知らない内にマリィと復縁して、子供作っていたとか、なんなんだ!!と思う。

「赤髪に挨拶した時だって、知り合いのマリィに任せるのが一番なのに、男に会わせたくないとか訳の分からん嫉妬するし、ちょっとマリィが買い出しに行くだけでくっついてたエースが、お前のことをどんだけめちゃくちゃ大事にしてたんだと思っているんだよ!!」

「…?????」

 デュースが何を言い出しているのかわからず、マリィは首を傾げる。いったいどうしたのか、と周りを見るが皆呆気に取られている。

「「「……………………」」」

 暫しの沈黙の後、どっ!と笑いがおきた。マリィは唖然としていたが、隊長たちはヒィヒィ笑っている。あのエースが、そんなに嫉妬深かったのかと。散々弟の話ばかりだった、弟がかわいくて自慢ばかりだったアイツがまさか、女に関して弱気だったとは。
 デュースは自分のぶち撒けたことに、少しだけ申し訳なく思うも、やはりマリィが遠慮するは嫌だった。
 腹立つことも多々あったが、互いに互いを大切に想い合っている二人を、スペード海賊団のみんなは見るのが好きだった。自分たちよりも若い船長とその恋人。
 弟への愛を語り出し、ケンカをしては、最後は惚気になったり、彼女が一人で買い出しに行こうものなら何がなんでも付いて行ったり、月一の体調を悪くした彼女に添い寝をして身体を暖めていたのも、エースが食いながら寝た時は怒りながらも、仕方ないなァと頬に付いた食べ物を取っていたりしていた彼女は、本当にエースを好きなのだと思ったし、敵船との戦闘が終わった後は必ずマリィの安全を確かめていたエース。少しでも、カスリ傷でも怪我があればトドメとばかりに敵船を沈めてさえいた。
 エースの事は勿論好きだったし、そして、マリィと一緒にいるエース、二人がスペード海賊団は大好きだった。

「エースの恋人だからとか、エースの子供を産んだからとかじゃなくて、それだけじゃなくて、俺たちはお前らが大事なんだよ……」

「…………デュース、」

「俺も気づいてたよぃ」

「え?」

「お前さん、陣痛の時はあんなに人をこき使ったのに余所余所しくなっただろぃ」

「だ、だって……」

「あれは俺たちも悪かったよぃ。お前さんは二度もエースに置いていかれたんだからよぃ」

「っ…!」

 マリィは言葉に詰まった。そう、マリィは置いていかれた。エースに、島に、この世に。傍にいたい、いて欲しいと互いに願ったのに、それは果たされなかった。
 エースは海賊である以上、海軍に狙われるのは当たり前だった。実際、シャボンディ諸島までエースを狙った海軍少将がずっと着いてきていたくらいだ。
 新世界に入り、エースはマリィには付き合うのに、エースはマリィを置いていく事があった。ワノ国の鬼ケ島でもマリィはエースと離れた。戦うのは仕方ないし、連れ去られた少女たちを早く送りたかったから離れたのだ。それは予感、勘であれば良かった、未来など見たくはなかったのに、見えてしまったのだ、自分を置いていくのが。怪我をしなければ、刃に毒が塗られてなければ、思考が後ろ向きになり、嘆いた。しかし、自分と同じ、否それ以上に嘆いたエースが見えた瞬間、マリィは諦めたのだ。海賊王を超える……名を上げることを目指すエースの邪魔は出来ないのだと。
 デュースもマルコもエースに連なる者たちで、その手を掴んでいいのか分からなかった。その資格がないと思っていたから、マリィはどこかで線を引いたのだ。

「あーぅ?だぁっ!」

 不意にぺちぺちと触れてくる小さな手にマリィは顔を上げた。エマが笑っているのを見て、泣きそうになっていた口元が自然と弧を描く。

「エマも言ってるだろぃ」

「もっと俺たちを頼っていいんだ!」

「〜〜〜〜あ"り"がどゔ……」

「ほらほら、かーちゃんが泣いてるとエマも泣くぞ?」

 ぐすっと涙を拭うマリィに苦笑しながらも、皆がハンカチを差し出した。母になったとはいえ、エマを除けば誰よりもマリィは若い。心配するな、という方が難しいくらいなのに。
 心配をおかけしました、とマリィはマルコを始め、ほぼ初対面に近い隊長たちに頭を下げた。礼儀正しいそれは、やはりエースに通じるものがある。
 隊長たちもそれをどことなく感じたが、やはり年若い母子には笑っていて欲しいのか、海賊にあるまじき笑顔を出しては、マルコに「怖すぎるよぃ!」と殴られていた。

 マリィたちが島で暮らし始め、村人たちともうまく過ごせるようになってきた頃だった。デュースはマルコに呼び出された。

「……落とし前、ですか」

「あぁ。あれから一年経った。気がかりだった子供も生まれた、マリィたちもここに慣れたしな」

 元仲間である黒ひげティーチによって、頂上戦争は引き起こされたと白ひげ海賊団は思っている。例え、エースが引き金だったとしても、元凶は、黒ひげが仲間殺しをし、エースが追いかけたからだ。
 一年間、白ひげとエース、他の仲間の死を悼んだ。そろそろあの恩知らずに落とし前をつけさせなくてはならない。
 隊長たちが集まっていたのはそういうことなのかと今更ながらデュースは思う。

「ティーチは白ひげ海賊団でも古参だった、ここは知っているかは微妙だが、もしもの時はお前たちに守ってもらいたい」

「え!?俺たちだって「お前らがやるべき事は違うだろ」……だけど、」

「俺たちだって、白ひげ海賊団です」

 確かにエースと共に入ったが、白ひげ海賊団として過ごしてきたのだ。

「分かってるさ。だが、相手はティーチだ。アイツは悪魔の実の能力をふたつも持っている」

「お前たちが弱いとかじゃねェんだ」

 きっぱりという隊長たちに、力が足りなくて申し訳なくなる。項垂れていると、ポンポンと肩を叩かれた。

「後は任せたよぃ」

「……はい」

 返事をし、隊長たちはぞろぞろと村から出ていくのを見送る。洞窟へと消えたのを見てから振り返ると、エマを抱いたマリィが立っていた。

「うわっ!」

「…………行ってしまったのね…」

 隊長たちが行った方を眺めながら、呟く彼女に、デュースは息を吐いた。彼女は見聞色を使えるのを知っていた。数年前の航海でも色々と教えてもらったり、島で何かあった時に頼りにしていた。エースを探したりとか、探したりとか。
 マリィの瞳をみて、あまり旗色は良くないのが見えているのだろうと思ってしまう。それくらい、どこか悲想に満ちていた。それを感じだったのか、腕の中のエマがギャン泣きをし、マリィは「大丈夫大丈夫、無事に戻ってくるから」と宥めていた。
 無事に戻って来る。戻っては来るのだろう、結果はどうであれ。
 デュースはそんなことを思いながら、エマを一緒にあやすことにしたのだった。



 この『スフィンクス』は世界政府非加盟国である故に、貧しい。白ひげが自分の取り分をこの島へ送っていた故郷は、隠れるように滝の奥の洞窟をくぐり抜ける故、あまり人の出入りはない。長閑な村である。
 マリィは島の一番奥にある目立たない小さな家に身を寄せている。近くの家は少し距離はあるが、さほど問題ではない。村の子供たちの教師になったミケールはまた別な場所に住み、デュースもいつまでも一緒に暮らすわけにはいかないとなった。
 今まではシャンクスが手配した大きな家にマリィとエマ、そしてデュースを始めとした何人かで暮らしていたが、ここはマリィたちが住む家である。今は見守る為に少数人残っているが、ここへ移住する際に何人かはあの島に残っている。
 それでも毎日、誰かしらは彼女たちの様子を見に来ていた。デュースは毎日だから、村人に誤解されてしまうが、「優しい人なんです」とマリィが答えれば、生温かい目で「頑張りな」と励まされたりした。違う、そうじゃない。とマリィに言えば、分からないとばかりに首を傾げられた。
 マルコたちが島から出ていき、数日経過したある日、焦った様子のマリィが医師の真似事をしているデュースの元へと来た。

「今すぐ、動ける人は海岸線へ行って!あ、デュースは医療セットをもって行って!!」

 マリィも髪を纏めながら、エマを近くにいた村のお婆さんに預けようとしていた。

「おばあちゃん、エマを見ててくれる?…………そんなに多くはないけど、怪我人はいると思う」

「分かった、行こう」

 お婆さんはお気をつけてといって、エマをあやしながら、見送った。
 一応、武器を携えるがマリィはそれは大丈夫と言う。それでも一応は一応だ。洞窟を抜け、滝のを抜けると海岸線まで歩く。カモフラージュのように廃墟と化した町並みを抜けるとそこには海賊船があった。見慣れた海賊旗が掲げられたそこには見知っている人たちがいる。

「無事ですかっ!?」

「デュース、マリィまで?」

 すぐに気づいたのはマルコだった。彼はどちらかといえば無傷に近い。“不死鳥マルコ”という異名通り、彼の青い炎は再生の炎でもある故にあまり傷は負わない。
 だが、数人はどこかしら怪我を負っており、その場で治療したのが分かる。とりあえずは皆で村に行く事にした。海賊船は島の入り江の影に隠して。

 村に入り、村人たちは驚くもそれぞれ怪我人たちの介助をしたり、食事の世話などをした。小さな子供たちがちらちらと眺めていたが、マルコがこいこいと手招きをして、「労ってくれよぃ」と声を掛けていた。海賊に「がんばれ!」と無邪気に声を掛けるなんてあまりないが、村人たちはこの島の経緯を知っているので、白ひげは脅威ではないのを分かっている。

「あ〜ぅ、だっ、だー!」

「おぉ。エマじゃねぇか、元気だったかい?」

「うっ、うー!!」

「そうか、そうか、お前さんは元気だなぁ」

 エマを抱きあげて、身振り手振りで話している子供を見つめて、マルコは眩しそうに瞳を細めた。
 落とし前はつけられずに、むざむざと生き残ってしまった。かつての白ひげのナワバリだった島も奪われていく。不甲斐なく思うも、この小さな子供を見ていると胸が痛み、そして、和んだ。

「マルコさん、お怪我は?」

「おれは大丈夫だよぃ」

「……良かったです。いまから皆さんにお食事の準備いたしますね、エマをお願いしてよろしいですか?」

「…………あぁ、こちらからお願いするよぃ」

 きゃっきゃと腕に収まる小さくて温かい子供に癒やされているのが、マルコは理解している。それは彼女も同じなのだろう、笑顔で「元気すぎて迷惑にならないといいですが」と申し訳なさそうにして、その場から離れていった。

「気遣いも出来る良いお嬢さんだな」

「あぁ、良い子だな」

 傍らのイゾウは包帯を巻かれた手で、エマを撫でれば、嬉しそうに笑う顔はどこか末っ子を思い出させる。

「……かわいいな、」

 呟くそれに頷きながら、マリィにばかり似てると思えるが、やはりエースの子なのだと実感させられた。イゾウの指をぎゅっぎゅっ握るのを見て、ハハッと笑いが溢れる。自分たちはまだ笑えるということに、涙が出そうになる。生きているからこそ、涙を流し、笑うことがまだ出来るのだ。
 白ひげ海賊団は解体されたものだ。残党ではなく、もう自由になったのだ。縛られることはないが、マルコはこのオヤジの故郷を見守ることを決めている。他の奴らも追々決めていくだろう。

「こら、髪を引っ張るのはよせよぃ」

「エマ〜、それは食べ物じゃないぞ」

「あーぅ、あー」

「どういう意味だよぃ」

「なに、赤子はなんでも口に入れようとするという話だ」

 ニヤニヤと笑うイゾウに腹を立てているが、このお転婆な子供が短い腕を伸ばして髪を引っ張るので手が出せない。

「ほら、お嬢ちゃん、おれが抱っこしよう」

「おれが良いんだよぃ、なぁエマ」

 手を出してこようとするのを制していると、横から「なにしてんだよ…」と呆れた声でハルタが言ってきた。重傷とはいかないまでも手当てを受けたヤツらがこちらを見ていた。

「マルコばっかりズルいだろ、おれも抱っこしたい!」

 誰かがそう言えば、おれも、おれも!と騒ぎ出す仲間に騒ぐと前のように泣くのでは、とエマを見つめると、きゃっきゃと笑う。あぁ、本当にかわいらしい……あの末っ子のようだ。と皆で囲み、ひとりひとり指を握ってもらった。
 その様子を見ていたデュースはなんともいえない光景に、ただ見ているだけだった。
 村人たちに世話をやかれ、数日の間に何人かはここから離れていく。白ひげのナワバリだった島へ行く連中もいるようで、散り散りになっていく。傘下の海賊船に合流するのもいるのだろう。
 落とし前戦争から一年、頂上戦争から二年か経過していた。
 マルコは当初の予定通りにスフィンクスに移住した。そこで医師として、もと一番隊隊長として、この島を守っていく為に。
 医師としてデュースも今はいるが、マルコがいるならば、と夢の為に島から出ることにしたらしい。マリィは何度も頭を下げて、抱きついていた。

「ありがとう、デュース」

「……おれの方こそ、感謝してるよ」

「デュース……エースのこと、好きになってくれてありがとう、認めてくれてありがとう」

「マリィ……。おれ、エースに出会えて良かったよ、アイツがいたからおれはデュースになれた」

 あの時、無人島で出会わなければ、自分はきっと死んでいたに違いない。夢もなにもかも実現することもなく、屍と化していただろう。エースは……エースとて人間だ、あの時、互いに出会えたからこそ、生きてこれた。名前をくれた、相棒と呼んでくれた、エースの為に生きようと思えるくらいに特別な存在だった。

「エースのこと、本にした。いつか、エマに見せてやってくれ」

「夢、実現したのね」

「あぁ。でもまだまだこれからだ!冒険記はまだまだ書ける、エースのおかげで、夢だったリトルガーデンにも行けたしな!」

「巨人もいたしね」

「あぁ、世界は広い。夢物語は現実だと教えてもらった」

「うん、そうだね。………デュース、何度も言ってあれだけど、本当に感謝しきれないの、私のことも、エマのことも、エースのことも……本当にありがとう、助けてくれて、ありがとう」

 涙ぐむマリィに、デュースは初めて自分から抱きしめた。自分より若い相棒はこの子に触れられるのがイヤがった。独占力の塊で嫉妬深かった、それが今はこうして触れることが出来るのが、嬉しいと思うと同時に悲しかった。

「また会いにくるよ」

「えぇ、待ってる」

「でゅー、ばぃばぃ」

 マリィの足元にくっついて離れないのは、一歳半になったエマだ。
 別れの意味など分からない、きっとまた明日、な感じで手を振るエマにしゃがみ込む、抱きしめた。きゃあ〜と楽しげな声に口元が上がる。
 炎貝フレイムダイヤルを渡そうとするも、あなたが使って。ストライカーはエースとあなたの乗り物なんだから。と言われてしまった。炎貝フレイムダイヤルにはエースの炎が入っている。一度だけエマに見せた、お前の父親の能力だったものを。どこかキラキラした目で見ていたから、渡そうとしたのだが。

「墓参りしてから行くよ」

「うん、またね」

「あぁ、また」

 村の連中にも見送られ、エースの墓へと足を向ける。悪魔の実の能力なのか、エースと白ひげの遺品は石化している。一年前はまだ風に揺れていたのだが。
 墓の前に置かれた酒と盃、そして、『麦わらの一味復活』の見出しの新聞に誰か来たのか、と思う。マリィに渡した本とはべつにエースの本を捧げた。


 デュースが村を去る数日前、ニュース・クーから新聞を受け取ると一面に『麦わらの一味復活!!』という文字がでかでかと載っていた。

「ルフィ……!」

 良かった、無事だったのだ。とマリィは涙を流した。シャンクスの船で見た新聞では十六点鐘という記事で無事だったのは知ったが、音沙汰なしだったので心配だったのだ。

 移住してからシャンクスが訪問してくれた際に、フーシャ村の人たちの事、手紙は渡してくれたことを聞いた。マリィのことを聞いたマキノさんたちは大変してしていたという、マリィとエマの写真を見て、泣いていたという。しかし、マリィの幹部たちに聞かされたことに驚いた。あの、マキノさんか妊娠したという。えぇ?!と叫んだのは懐かしい。
 おじいちゃんもすぐに訪れていたらしい、シャンクスたちがマキノさんから聞いたという。その事はマキノさんからの手紙で知った。いつか顔を見せて。と書かれていた。手紙送れるかな、と思ってしまう。
 ダダンさんからの手紙もあった。何があっても味方になる、困ったら帰っておいで。という文字に泣きたくなった。
 シャンクスたちは大きくなったエマを見て、はしゃいでいた。人見知りになったエマに避けられて凹んでいたが、それでも頑張ってるな、と言われて泣きそうになる。
 シャンクスは友達の父親だけど、父親を知らない私やルフィにとって父親とはこういう人なのか、という印象をつけていった。ありがとう、と感謝の言葉ばかりの私に「大切な友達だからな」と云ってくれたのが嬉しかった。


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