15
よく晴れたある日、エマを連れてエースの墓参りへと向かうと見慣れない小船が接岸しているのが見えた。
誰かきているのだろうか──。
ここには白ひげも眠っている為、彼を慕う者は少ないはない。また同時に胸騒ぎがする。これは──。と思うもまだたどたどしく歩く娘の手を繋ぎながら、丘の上へと歩いていくと、その気配にマリィは足を止めた。
────おじいちゃん…。
やはり、と思った。エースの墓の前に座っているのは、祖父──ガープの姿だ。『正義』と書かれた白いマントではなく、黒いスーツを着ている。
「マぁマ?」
「──ぁ、」
くいくいと引っ張られ、目線を下に向ければ、エマがきょとんとした顔でこちらを見上げている。逃げようか、と考えたものの、あの祖父が自分が来たことに気づいているだろう、とマリィはエマを抱き上げた。まだ歩きたかったであろう娘は少し暴れたものの、風に吹かれた花びらが気になったのか、そちらへと手を伸ばしている。
「あー、おはなー」
少しだけ二語文を話すようになったエマに「お花、キレイね」と答えながら、ガープの傍へと進む。振り向いたガープは、きちんと顔を見たという意味では実に五年ぶりだった。
「………マリィ、ちゃん……」
「…………久しぶり、おじいちゃん…」
口を開こうとして、ガープは口を閉じる。そして、マリィの腕に抱かれた幼子を見ていた。まずは手を合わさせて欲しいと手で制すると、珍しく察したらしく、デカい図体をずらした。
「マぁマ?」
「まずは手を合わせようね?」
ガープが気になるのだろう、くりくりとし目でじっと見つめているのを墓の方へと向けさせた。不意に墓前に置かれているものに瞠目する。
先日、ニュース・クーが持ってきた新聞と、お酒とともに置かれた三つの盃。
────ルフィ…?
一瞬、ルフィが来たのかと思ったが、此処を知るのはそうはいない。ガープが?と振り返るもどうも違う様子ではある。
三つの盃は、エースたちには特別な意味がある。お酒のラベルも『山賊盃』と書かれている。
『盃を交わして兄弟になった──』
むかし、ルフィが言っていたのを思い出す。そんな訳はない、あるはずがない。しかし、盃は三つ。それを知るのはもうルフィしかいないはずなのに──。
ごくり、と無意識に喉を鳴らした。
「マ〜マ?」
「っ、ごめんごめん」
花を置き、エマと手を合わせるが、色んな事が目の前にありすぎて、集中出来ない。エマは、ナムム〜とどこで覚えたのか分からないが口にしてから、隣の白ひげの墓の前でも手を合わせている。
背後の祖父を気にしながらも、マリィは新聞の記事を見て、ルフィは無事だよ、エース。と心で呟いた。見守ってあげてね…と願い、白ひげへも手を合わせた。
そうしてから、どのくらい経っただろうか、エマは自分にくっつきながら、祖父を見つめている。マリィはゆっくりと振り返り、どこか弱々しい祖父を見つめた。
「……エマ、ママのおじいちゃんよ」
「おじぃちゃ…」
「うん……ごあいさつしようか?」
「……!…………」
「エマちゃ」
色んな感情が混じり合い、どういう顔をして良いのか分からないという表情をしているガープは、ただただ見上げてくる幼子に、ふるふると震えた。
孫に触れるのでさえ、ガサツだったのに、触れたら壊れるかもしれないと繊細な飴細工に触れるように恐る恐るその小さな頭に手を乗せた。途端、ぱぁ!と見せる笑顔は、実孫のマリィでもルフィでもなく、エースが幼い頃に見せてくれた笑顔と同じだった。
はらはら、と涙を零すガープにマリィは驚いた。あの強い祖父が泣く所など見たことがなかったからだ。エマもまた顔にぽたぽたと落ちる雫に首を傾げている。恐る恐るとエマとマリィを腕に抱え込むガープを眺め、その強い腕に身を委ねた。
小さな頃から何度、この腕に抱きしめたられ、掴まっては遊んだことだろう。頼りになる大好きなおじいちゃん。自分にはひと際甘かったガープに、今更ながらエースと飛び出したことを申し訳なくも思うも、きっと自分は何度でもエースを選ぶのだと思う。
エマが不思議そうにしているが、母であるマリィが大人しくしているのでいいのか、とガープの腕に手を置いてはぽんぽんと叩いていた。途端、ガープはまた涙を流したのだった。
どれくらい時間が経ったか、長かったのか短かったのか分からないがそっとガープは離れた。
「……おじいちゃん…」
「マリィちゃん……生きていたんじゃのぅ」
良かった、と呟いたガープを見てマリィは祖父もまたこの二年、苦しんでいたのか少し分かった。
「……ごめんね、連絡しなくて……」
出来なかった。したくなった。マリィはあの頃ガープには頼りたくなかったのが本音だった。エースが死んだのはガープのせいではない、せいではないが、海軍によるものであるというのは分かっていた。恨みたくなどない、しかし何故守ってくれなかったの!と詰る自分がきっといた。祖父とてツラかったに決まっているのに…。
海賊王の息子の処刑……それがエースでなければ、きっと他人事のように思えたのかもしれない。ただ、エースは海賊王の子供だった。サボの事があってから、きちんと教えてもらったのだ、「おれは海賊王の子供なんだ」と。だから以前の質問だったのだな、と納得し、「だからどうしたの?」と聞いた。「なんとも思わないのかよ」と問われ、「友だちになりたいって言ったじゃない!」と答えたのを覚えてる。
「………この子も、いずれ、処刑されますか……?」
祖父がこの子を誰の子だなんてすぐに分かるはずだ。産まれたエースを連れてきたのはガープだというのだから、面影のあるこの子を見て分からない訳がない。
「………!………させる訳ないじゃろ…!」
ガープは孫娘からの言葉に悲痛な声をあげる。出来る訳がない、させる訳がない。
大事な孫たちの子を何故見捨てなければならないのだ。自分に連なる幼子はまだこんなにも
頂上戦争でマリィがいた事にガープはすぐに気づいた。よりにもよって、エースの今際の時に現れた孫娘は、その光景に絶句していた。二人が心を通じ合わせていたのは気づいていた、だからこそエースには海兵になれ!と何度も言ったが、海に出たのだ、マリィを連れて。その結果があれではたまったものではない。戦争の混乱の中、赤髪に連れていかれた時は、少しでもエースとの別れの時間をと思ったが、この二年音沙汰がないので、ガープは焦った。
赤髪を追いかけようにも、海軍本部はえらい有り様であり、人手不足、白ひげの“
海賊は海賊……悪党に同情する気はない
だが、家族は違う。愛すべき、守るべき大事な家族は別だった。
それでも、割り切っていたはずだった。そうして生きてきたのだ。
エースもルフィも自分の願いなどを無視して、違う道を選んだ。とうに覚悟は出来ていたはずだった。あの時、“麦わらのルフィ”が立ち向かってきた時も。だが、脳裏に浮かんだのは幼き日の孫たちの姿に躊躇した。その時点でガープは無意識に家族を選んでいたにも関わらず、大事な家族を見捨てることになった。あのまま逃げてくれれば、と何度も思った。だが血は争えないもので、あれほど嫌悪していた
あの時、センゴクが押さえてなければ、サカズキを殺していたに違いない。それがガープの答えだったのだ。
「わしが絶対守ってやる…」
マリィの足元からこちらを見てくるひ孫を見つめ、ガープは答えた。決してこの子だけは戦火に巻き込まれないようにしようと願う。
手元で守ってやりたいが、それではダメだとは理解している。ガープは幼子の頭を撫でる。絶対守ってやるのだ、今度こそ。
「………ありがとう、おじいちゃん」
心強い…。と苦笑まじりの孫娘には今はこれが精一杯だと理解した。彼女にとって、ガープはまだ赦すことが出来ない存在であるのが分かっている。それはとても淋しく、切ないものだ。
そして、ガープは思い出したようにポケットへ手を入れた。
「そうじゃ、忘れんうちに」
「……?」
ゴソゴソとポケットから出てきたのは見覚えがある、赤と白のバンクルだった。無意識に手首を擦る。だって、それはエースとともに互いに買い与えたものだからだ。
そう言えば返ってきた遺品にそれはなかったのだ。マリィはシャンクスに訊いたが、帽子と数珠のネックレス、ナイフだけだった。揃いのバンクルがないことにマリィは悲しんだ。
しかし、それは目の前にあった。そして───もうひとつ。
「………これ、」
「インペルダウンでエースに頼まれたんじゃ」
「………え?」
「ヤツは既に覚悟しておったからのぅ」
「……っ!」
「………………マリィに、渡してくれと言われたんじゃ…」
バンクルと、もうひとつ、小さな箱はエースが持つには似合わないビロードに包まれた箱だ。まだリボンも解けてはいない、それをガープはなんとも言えない顔で差し出して来た。
恐る恐る箱を受け取るも、ガープと箱を交互に見てしまう。
「………わしはもうなにも言わん。マリィちゃんが幸せでいてくれりゃあ、それでいいんじゃ……海軍も一応引退した身じゃ……孫たちの幸せを願うくらいじゃよ」
「………ありがとう、おじいちゃん」
瞳を閉じて、頭を下げて礼を述べた。
バンクルは腕に嵌めた。そして、小箱のリボンを解くと予想していた通り箱には小さな石が付いた指輪があった。
見たことがあまりない、オレンジ色の宝石はどこかエースを連想させてくれる。箱の底を見れば小さな紙があり、スペルサルティンガーネットと書かれていた。「深い愛情に恵まれる」「秘めた情熱」と書かれた意味に、どこまで自分を押しつけてくるのだろうと笑ってしまう。
「………エース…のバカ…」
こんなものを遺していくなんて……。
涙がポロポロと溢れてくる。拭っても拭っても流れる熱い雫は止まることがなかった。エマが驚いて一緒に泣いてしまい、ガープが慌てて「エマちゃーん」と声を掛けながら、変な顔をしてみせていた。
静かに泣く孫娘に、あのバカモンが、泣かせよって!ともういないエースに憤るも、正直エースがここまでマリィを想っていたとは思わなかった。エースはどちらかといえばルフィの方を気にしていたからだ。初対面時のエースとルフィの険悪さに仲良くしろ!と言ったものの、手が負えないエースがルフィと笑い合う姿を見た時、安心したのだ。
互いに支え合って生きていけるだろう、と。
インペルダウンで牢に繋がれたエースと会話をした。帰り際に、「………マリィに…渡してほしい…」と頼まれたのだ。エースの荷物にある物を渡してくれと。孫の頼みであるから引き受けた。死んで欲しいと願った訳では無い、エースとて自分の孫だ。しかし、エースの正体が上層部にバレ、白ひげを怒らせた以上事態は止まることはなかった。
最早、止める術をガープは持っていなかった。海軍の英雄といわれようと、自由人といわれようと、所詮体制に雁字搦めの軍人でしかない。ルフィの件もあって、自分一人の命でエースもルフィも助けられるのなら、色々としただろうが、結局ガープも不自由を強いられているのだ。
かわいい孫の最期の願いくらい、叶えてやりたかったのだ。それをようやく果たしてやれたのだ。泣かれているが。
「………よしよし」
「よちよち」
泣いているマリィの頭を撫でてやれば、ガープの腕に抱っこされたエマが真似事のようにマリィの頭に短い手を伸ばして頭を撫でていた。その可愛らしい仕草になんという破壊力だとガープは悶えてしまう。
「エマ……ありがとう」
エマに額にチュっと口づけをするマリィを見て、ガープは母親になったのだな、としみじみ思った。昔はルフィに甘かったマリィだったが、エースと愛を育んでいたのかと思うと多少は複雑な気持ちになる。
二人が出奔したと聞かされた時、ガープは怒りのあまりコルボ山の崖を崩してしまった。ルフィも修行だとボコボコにし、ダダンたちもボコボコにした。
すぐに追いかけようにも出奔して既に三ヶ月も経過していたという。連絡よこせ!と怒鳴るも言った所などで出ていっていたのだから、どうしようもない。やがてエースが名を上げていく中で、マリィの姿を探したが、あまり表には出なかったようで、内心は安堵したものだ。とりあえず、父親であるドラゴンには連絡しておけば、かなり驚いていたのを覚えてる。
『マリィちゃんが海賊になったぞ』
『……………………………………………………………は?』
あれほど溜め込んでの、は?は面白かった覚えがある。しみじみと昔を思い出していると、腕を引かれた。
「………おじいちゃん、座ろう」
「…そうじゃな…」
促されて、エースの墓の前に腰を下ろす。膝の上にエマちゃんをちょこんと座らせると、きゃっきゃっと足をぱたぱたさせて可愛いとしか言えない。
「エマ、おじいちゃんに痛い痛いだめよ」
「あい」
「大丈夫じゃ、これくらいなんともないわい!」
マリィには聞きたいことがいくつかあった。どうしてここにいるのか、誰から聞いたのか、──この盃を知っているか──。
ひとつひとつ訊ねていくと、この場所のことはシャンクスたちからの情報だったらしい。シャンクスがマキノさんに教えたらしく、ただ行くならば“海軍”という立場を忘れ、孫の墓参りとしてという事だったそうだ。──だから、一人なのかと思う。
そして、そこに置かれている新聞と、三つの盃に関しては心当たりはないが、ルフィではないという。ルフィはシャボンディ諸島を出たばかりで、まだ魚人島にいるだろうという。新聞はまだ新しいものだから、誰かが来たのだ。デュースではない、誰かが。あり得ない期待をしてしまいそうになるが、彼は十二年前に亡くなったのだから、と首を横に振った。
「そろそろ行こうかの」
「……もう?」
「……あぁ、勝手に出歩いてるからのう」
「そう……また、会えるかしら」
エマも懐いたみたいだし、と呟けば、ピラリと紙を差し出された。「え?」と顔をあげるとガープがまっすぐこちらを見ていた。
「ドラゴンの連絡先じゃ、絶対に失くすんじゃないぞ」
「ドラゴンって……おとうさん…?」
「アイツもアイツで心配しとるはずじゃ」
記憶にはない父親を思うもきちんと顔を知らない。いや、何年か前にエースが手配書を見せてくれたことがあった。
手配書と私の顔を見比べて「マリィともルフィとも似ちゃいねぇな」と笑っていたのを思い出す。祖父に父親がいることを教えられた時も驚いたのを思い出した。まさか、革命家だなんて思わなかった。ルフィだったら「ふーん」って終わりだっただろうな、と思ったりもした。
「…………う、ん…」
「どうしたんじゃ?」
「ん……えっと……いきなり連絡しても分からないんじゃないかと思って……」
「ふむ……まぁそうじゃの」
だから急にこういったものを寄越されても困るのだ。会った事すらなさそうなのに。
「いや、会ったことはあるはずじゃぞ」
「え?」
口にしていたのか、ガープの言葉に首を傾げた。あ、赤ちゃんの頃とか?記憶ないけど。と思っていると、ガープは思い出すように額を指で押している。
「あれは…………あぁ、ゴア王国で火事があった時だったかの」
「火事……」
それはルフィやエースが怪我をして、次の日にサボが天竜人に撃たれて死んだ時のだろうか。
「確か、コルボ山付近にいたマリィちゃんと話したと言っておったわい」
──え?あの時、誰かに会った………あ、知らないおじさんがいたっけ……大丈夫だというから信じたのに………お父さん?!だったの??
驚いているとガープは「ルフィの舟出も見送ったと言っとったぞ」とあっけらかんに言うものだから、マリィは口を開けてしまった。
おじいちゃん、お父さんと連絡取ってたの??
「………そ、そうなんだ……」
「マンマ?」
見上げてくるエマを撫でながら、そっかぁ〜となりながらマリィは現実から少し目を逸らした。うん、連絡するしないは別として連絡先は知っておこうと思った。
最後にとばかりにガープにエマ共々抱きしめられ、エマの手を振りながらガープを見送った。
もう戻ろうか、とエマと手を繋ぎ、振り返る。
「また、来るわね」
二連になった手首のバンクルを触りながら、エースの墓に別れを告げだ。すっかりお眠になったエマを抱きながら、村へと戻った。
「おぉ、無事だったかよぃ」
出迎えたマルコさんがエマを引き受けてくれた。随分、慣れたなぁと思いながら、お礼を言った。
「久しぶりに会ったんだろぃ」
見聞色で分かったのだろうか、敢えて誰が来たとは聞かないあたり、流石だなぁと思いながら、マリィは微笑んだ。
「………はい、嬉しかったです。会えたことも、エースの元に会いに来てくれたことも」
「そうかぃ………しっかし、随分重くなったもんだな」
「日々成長してますからね」
エマを眺めて、むにゃむにゃ寝てるのが可愛らしいと思う。最近は手がかかることも増えてはきているが。
左手にあるバンクルに気づいたのか、マルコは「エースの…」と言うので頷いた。
「おじいちゃんから渡されました」
「あっちが持ってたのかよぃ」
やはり探したようだ。そして、マリィの指に嵌められているのも目聡く気づいたらしい。
「………これも、エースから託されたそうです」
「………………まったく、アイツは、」
縛るつもりかよぃ、とマルコが言うが、マリィは指先で指輪をなぞり、笑みを浮かべた。
「………私の宝物です、エマもこの指輪も。あ、私、未亡人になりましたかね?」
今までは子がいても結婚していた訳ではないから、未婚の母だったが、指輪を貰えたのだから、エースとの繋がりを望んでしまう。愚かな考えかもしれないが。
ふふ、と笑っていると、ポンポンと頭を撫でられる。
「エースが大事なのは分かるが……お前さんは
「……分かっています」
まだまだ死ぬつもりなんてない、エマの成長を見守り、ルフィの夢の果ても見たい。
マルコはまだうら若い娘が、既になにも望んでいないのを心配してしまう。老婆心ながら誰かが彼女を、彼女と子供を愛してくれるヤツがいたら良いのにと思ってしまう。──まぁ、生半可な気持ちではムリなのは分かるし、なんなら、任せられるか見極めるつもりもある。
幸い、迂闊に彼女に手を出そうものなら四皇や元四皇幹部が出てくるから、難しいかもしれんな、と苦笑する。この自分に凭れる重さの幼子にも情は移っている。
「…………かんたんにはやれんな」
「どうしました?」
「……なんでもないよぃ」
エマを抱え直すと、彼女の住処へと足を向けた。これから訪れる新世界の音を背後に感じながら。