ONEPIECE

 それは一年も満たさない頃の話。
 シャボンディ諸島に身を置いてから、恋人であったエースがマリィの前に現れた事に、彼女は驚きを隠せなかった。
 ワノ国を出てから、とある島に置いていかれたことに納得するまでマリィは数ヶ月を要した。なまじ行動力はあったので知り合いの海賊にどうにか連絡を取り、ここ、シャボンディ諸島へと連れてきてもらったのは申し訳なかった。
 しかし、顔馴染みの船長に笑いながら、気にするな!と背中を叩かれた時は痛かったのはいうまでもない。
 ようやく落ち着いたところに元凶が現れた為に思わず殴った事にマリィは自分は決して悪くないと自信を持って言える。
 そもそも生まれ育った東の海イーストブルーにあるドーン島からマリィを連れ出したのは、他でもない目の前の男──エースであるのだ。
 マリィとて馬鹿ではない。偉大なる航路グランドラインの後半の海は『新世界』と呼ばれている。古参ではあるが船員として護身術くらいは出来るも自分は足手まといだというのも理解していた。理解はしていたが、気持ちは別である。

こんなところに置いていくな!

 そう言ったが、七武海への勧誘を蹴り、スペード海賊団船長『火拳のエース』は生きるか死ぬかの生き急ぎを体現しているかのように、魚人島をナワバリにしている四皇、白ひげ海賊団の船長、エドワード・ニューゲードへ宣戦布告をしたのだ。ワノ国へと足を運び、とある海賊船と戦闘になった後、置いていかれた。
 置いていかれてからの伝聞では、王下七武海のジンベエと五日間に渡り、戦い、しまいには白ひげとタイマンを張ったという。
 何度も白ひげへ挑み、結果的に白ひげ海賊団へ加入し、今となっては二番隊隊長だというスピード出世をしたようで、新聞などにも掲載されていた。
 マリィは遠くなるエースの存在に、自分は何故こんなところにいるのだろう、邪魔になるんだったら最初から連れて来なければ良かったではないか、と涙を流していた。
 知り合いの海賊船長がレイリーさんという人を紹介してくれて、尚且つシャクヤクさんという強く優しい女性が気に掛けてくれた。まして生活する場所を提供してくれたからなんとか生きていけるが、それがなければ、祖父に連絡して助けて貰うしかなかった。下手に連絡すれば面倒くさいのが分かっていたし、元々祖父は兄弟たちには訓練ばかりで、マリィを溺愛していた為に、彼に対して烈火の如く怒るのが目に見えていた。ただでさえ、海賊になった事に怒っているだろうに。
 マリィは置いていかれても、口惜しいがエースの事を好きだった。それは初恋であり、初めての恋人であったのもある。自分を守る為だとしても、如何せん、恨み言はあった。
 それがどうだろう、ある日ひょこりと現れたのだ。いきなり。

「マリィ!会いたかった!!」

「……、え、エース?!」

「おう!相変わらず小さいな、お前は!」

 逞しく鍛えられた身体が一回り小さいマリィの身体を抱きしめる。
 まさか、迎えにきてくれたのか?とマリィは思うも、どうやらそうではない様子だった。
 すりすりと頬擦りしてくるエースは体温が高い。メラメラの実の能力者であるから当たり前といえばそうなのかもしれないが、一体、この男は何なのだろうと思ってしまう。

「どうしたの、エース……なにか用なの?」

 つい素っ気ない態度を取ってしまうのは仕方ないと思って欲しい。
 流石のエースもマリィの態度に気まずさはある。

「あ〜〜……」

「で?」

 聞き返せば、キョトンとした顔で見つめてくるエースにマリィはため息を吐いた。

「どうして、ここにいるのよ」

 迎えに来たんじゃないでしょ、と言うマリィにエースはうっと呟きながらも、彼女を真っ直ぐ見つめると「マリィに会いたくなった」とキッパリ言い放った。

「勝手に置いていったのにどういう事だ!」

 拳を振り上げ、怒鳴るマリィだったが、エースがマリィに執着するように、マリィもまたエースを忘れるはずもなかった。


 エースとて、本来ならば彼女も白ひげ海賊団へ連れて行きたいが、四六時中彼女を守れないのを分かっているし、戦闘員としてではなく恋人を招くのは流石に出来なかった。いや、元スペード海賊団のクルーは白ひげの船にほとんど乗っているが、マリィは別だったのだ。
 航海中に敵船の襲撃を受けた際、大した敵ではなかった。だが、姑息な奴らは刃物に毒を塗っていららしく、それがマリィを掠ったのだ。
 少し掠っただけなのにも関わらず、毒の巡りは早かったが、船医の早い処置のお陰で数日寝たきりにはなったものの無事に回復した。しかし、エースにとっては一大事であった。
 大事なマリィをこれ以上危険に晒す事はできない、安全な場所にいて欲しいというエースの我儘である。

「……私がどんな思いで、いたと思ってるのよ…」

 ぐっと唇を噛みしめるマリィにエースはどうしようもない思いに胸を痛める。いや、自分が心を痛めるなんて烏滸がましい。
 彼女を置いていき、悲しませているのは自分なのだから、彼女の怒りや嘆きは受け止めるべきである。

「……マリィ…悪い」

「……そう、思うなら、なんで、私を連れ出したのよ……」

「それは……マリィと一緒に居たかったからだ、マリィと離れたくなかったんだよ!」

「……今は、離れてる、じゃない!!」

 その言葉にグサリとナイフが刺さった気がする。
 強くなれたと思っていたが、自分はまだまだだと分かったのだ、何度も白ひげに奇襲を仕掛けたのに何も出来なかった。
 そんなことではきっと彼女を守るなんて無理だと分かった。
 小さな拳を握りしめ、ドンドンと叩いてくるマリィにエースはそれを甘んじて受け止める。ここにいる間は彼女の拳も恨み言を受け止めた。
 暫くぶりに見る彼女は離れてから数ヶ月は経っているのに相変わらず可愛い。
 コルボ山から一緒に海に出て、いきなり遭難し、別々になったりもしたが、行動力があるからか、ここには絶対に来るだろうローグタウンという島で住み込みながら働いていたくらいである。
 マリィ以外で最初に仲間になった男、デュースも初めて会った彼女を見て「…可愛い」と呟いた事にエースは驚いた。他の男にもそう思われるくらいに彼女は可愛らしいのだと。正直苛ついて、抱きしめて牽制はした。
 ドンドンと叩いてくる力が大分和らいだ時、彼女の思うままさせていた。チラリと顔を見れば、唇を突き出すようにそっぽ向いでいたのがまた可愛らしくて堪らなくなる。

(久々に会ったのに、オレを殺す気か!)

 胸がギュンと悶えそうになるも、時間が惜しい。こんな戯れも良いが、笑っている顔がみたいからとエースは彼女の脇腹をこちょこちょと擽れば、彼女は「ぎゃあ!」となんとも色気のない声をあげた。
 思わず噴き出せば、ジロリと真っ赤な顔が睨んでくる。その形相は可愛らしいはずなのだが、祖父であるジジイに無きにもあらず。流石、孫である。

「悪ぃ、悪ぃ!#name1の笑った顔がみたくてよ」

「どう考えても、逆効果だってわかるでしょ!」

 フンッとそっぽ向くから、エースは彼女が弱い耳元で囁いた。

「マリィ……会いたかった…」

「………んっ…………む、ぅ…………わ、たしも……会いたかった……」

 彼女の弱い箇所など分かりきっている。ぷるぷると頬を赤く染めて、色々な感情をごちゃ混ぜにしたマリィが目を潤ませて、エースの胸元にしがみついたのだった。
 悲しませてしまっているも、こうして抱きついてくれる事に仄昏い優越感が沸き起こる。まだ彼女は自分に向いていてくれている。それが堪らなくなる嬉しいと思う自分はなんとなく最低だと思うが、彼女の気持ちがまだ自分になるならばそれで良いと思う。
 新参者であり、最年少である自分がまさか女を連れて行く訳にはいかないだろう。オヤジの許可は取れなくもないだろうが、あんなに大勢いる男所帯に連れて行くのは気が引ける。だから、まだこの安全圏でいて欲しいと思っている。
 用事が済んだら、白ひげのナワバリの島にでも連れて行こう。そんな事を思いながら、グズる彼女の息を食らうようにその唇を塞ぎ、また、暫く会えなくなるのを惜しむように彼女を抱いたのだった。


 『新世界』側にいる為か、なかなか会いに来れないが、来れない訳じゃないとよく分からない事をいうのは今更だが、意外にもエースはマリィに会いに来てくれていた。
 白ひげ海賊団の二番隊隊長になる前も、とある海賊船を降伏させた後も、マリィに会いに来ていたくらいだ。自由すぎる。
 二番隊隊長になってからもこんなに自由奔放でいいのかと思うくらいには、マリィに会いに来ていた。魚人島の行き来はそんなに簡単なのか?と思うが、スペード海賊団で仲間の一人だった魚人のウォレスが手伝ってくれるらしい。
 そんな風に度々会いに来ていたエースであったが、今回はなんだかいつもと様子が違った。ある罪人を追ってるという事を零したのだ。でなければ、わざわざ偉大なる航路グランドラインを逆走したりはしない。しかし、マリィに逢いたい気持ちがあり、寄ったのだった。

「あー、これ!これ見たか?!」

 そう言って荷物から取り出したのは手配書である。そこにはマリィにとって、とてもとてもかわいい弟の笑顔の写真があった。勿論、知っているし、なんならマリィの部屋に飾られていたりする。

「知ってるわよ、馬鹿にしないで!」

 シャボンディ諸島に現れる新星の海賊に競べたらまだ懸賞金は低いが、初手配でも懸賞金としてはまずまずといったところだろう。

「ルフィも海賊になったんだなぁ」

 やたら嬉しそうに手配書を眺めるエースにマリィはどっちが血の繋がった兄弟なのか分からなくなる。

「ルフィに会いたいなぁ…」

 ボソリと呟いてみる。もう三年もあのかわいい弟を見ていない。何をして3000万ベリーの懸賞金がついたのだろう。
 考えていると、エースの腕が身体に回される。

「連れて行きたいが、流石にムリだぞ?」

「分かってるよ…」

 そんなつもりで零した訳ではない。

「あ、お前のビブルカード渡してくれ!ルフィに会ったら渡してくるよ」

 名案だとばかりにエースがガバリと起き上がる。

「ちょっと、さむい!」

「はぁ?俺が隣にいて寒い訳ないだろ!」

「ちょっと、布団捲らないでよ!」

 流石に素肌に触れていた布団がなくなれば、肌寒くなる気がするんだから!と言えば「俺が暖めるって」とニヤリと笑う。暖めるじゃなくて、熱くするくせに、と思いながらも、彼の首に腕を回した。



「……あ〜、あのさ……」

 二人で眠るには狭いベッドの中で、エースは眠そうなマリィを見つめた。

「あのヤロウ捕まえたら、今度こそお前も一緒に行こうな」

「……ホント?」

「あぁ!やっぱ、マリィがいないとオレがムリだった」

「……うん…私も…エースと離れたくない…」

 抱きしめてくるエースにギュっと抱きつけば、また唇を奪われ、覆い被さったのだった。



 だから、そのニュースが報じられた時、マリィは意味が分からなかった。



 エースが再び、ストライカーに乗って偉大なる航路グランドラインを逆走するのを見送ってから、数ヶ月が経過した。
 その日はなんだか、胸がざわついていた気がする。
シャッキーさんの横でグラスを磨きながら、ざわざわとして落ち着かないのだ。何度か皿やグラスを落としかけては、シャッキーに心配を掛けている。

「マリィちゃん、少し休んだらどう?」

「あ……、ご、ごめんなさい…」

「今日はどうしたの?」

「……な、何故か、落ち着かなくて……どうしたのかな…」

 落ち着くように両手を組んでも、ふるふると震えが止まらない。なにか、なにかあったのだ、と理解るのだ。

「落ち着いて…お客もいないし、今は座ってて。温かい飲み物出すわ」

「……あ、ありがと、ございます…」

「さぁさ、座ってなさい」

「……はい…」

 シャッキーに促され、カウンターの椅子に座る。少しだけ違和感はあるものの、ふぅ、と息を吐いた。

「はい、どうぞ」

 目の前に置かれた、ホットミルクにマリィは「頂きます」と口を付けた。
 じんわりと温めてくれるホットミルクに落ち着きそうな時、ニュース・クーが窓辺にやって来た。ベリーで支払うとニュース・クーは飛び立ってしまった。
今日は何かあっただろうか、と新聞を見て、マリィは目を疑った。
『火拳のエース 逮捕!』

「…っは?」

 思わず吐いた言葉は自分の声かと思った程だったが、何度見直しても、新聞の見出しはその言葉であった。

「マリィちゃん、どうかした?」

 シャッキーが不審がり、マリィの手元にある新聞を覗き込むと、一面にデカデカとエースの顔写真があったのだ。

「…なん、で……」

 信じられない、とばかりにマリィは呟く。
 海賊として、海軍から常に狙われてはいるが、エースは強いから逮捕という文字に違和感しかない。




 マリィは走っていた。
 なんで、なんで?と混乱していた。
 借りている家へと慌てて入ると、部屋をひっくり返すようにモノを探し始める。それを見つけた時、握っていた新聞をようやく離した。
 はぁ、はぁ、と乱れる呼吸を落ち着かせるように息を吸うも、気持ちが焦るせいか、整う事が出来ない。
持っていたメモ帳を頼りに電伝虫に手をやる。無謀だとは分かっている。
 彼らがいるのは『新世界』偉大なる航路グランドラインの後半の海だ。それでも、今、マリィが頼りに出来るのは彼らだけである。

『プルプルプルプルプル…』

 出てくれるだろうか、不安になりながらマリィは落とされた新聞を見る。くしゃくしゃになった新聞にはボロボロになったエースが写っていた。

『もしもし…』

「っ!私、マリィっ!!」

 ようやく繋がった声に、マリィは声を張り上げたのだった。




 久しぶりに見る顔にマリィは頭を下げた。

「無理を言ってごめんなさい」

「あぁ…でも、気持ちは分かる。俺らだって助けたいんだ」

「……うん、そう、だよね…」

「行くぞ!」

「うん……ありがとう…!」

 シャボンディ諸島から船が出たのはとある新星が来る直前だったのは、誰も気づかなかったのだった。
 処刑日まで僅かの期間、身を隠していたのが幸か不幸か姉弟がすれ違ってしまった。


-2-

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