5
ふらり、とどこか覚束ない足取りで現れたマリィの姿に、シャンクスを始め幹部たちが駆け寄った。
「マリィ」
「歩いたりして大丈夫か?」
誰かが慌てて、椅子持って来い!と騒いでいたが、マリィは「大丈夫」とそれを制した。
「エースに…エースに会いたい…」
「……誰か、花用意してくれ」
シャンクスが指示をし、マリィに向かって「少し待て」と告げれば、「分かった」と頷いた。
暫くすると誰かが大きな花束を持ってきた。本当は自分で摘んでくるとかしたかったが、仕方ない。
「少し歩くぞ。ベック、抱えてやれ」
「あ、歩けるよ!私」
「無理をするな」
「で、でも……」
ベックマンは首を横に振るマリィに、ため息を吐いてから、背中に手を置いた。
「無理だと判断したら抱えるからな」
「うん、ありがとう…」
「マリィ、こっちだ……」
シャンクスに促され、どこか長閑さがある草原の丘へと続く緑を踏む。
遠くにあるのでよく見えないが、風で靡いているマントらしきものが見え、その横に見覚えのあるオレンジ色の帽子が見えた。
「っ、」逸る思いに走り出そうとするが、足が縺れそうになれば、肩と腹に腕が回される。
「大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい…」
「走り出そうとするな」
「でも、」
ベックマンに支えられ、それでも丘にある墓をみれば、横からシャンクスが言った。
「まだ埋葬はしていない」
一人の身体ではない、慌てるな、と付け加え、マリィの手を引いた。
穴は掘られていたが、まだ棺は置かれたままで、シャンクスとマリィが到着した時、彼女の存在に気づいたマルコが道を開けた。
「……エースを見送ってくれよぃ」
「…………エース…」
開けられた棺にはエースが入っていた。震える腕を伸ばし、そばかすの残る頬を撫でる。もうすっかり血の通わない頬に、涙が込み上げてくる。
(〜〜泣くな、〜〜泣いちゃダメ)
ぐっ、と唇を噛みしめるも眸が熱くなる。
ほろりと頬を伝った涙がエースの頬に落ちる。それでも彼の頬は冷たいままだ。
「……エース、」
言葉を紡げなくて、俯いてしまう。
悔いがない様に生きられた?
自由に、何も縛られずに、いられた?
私は邪魔にならなかった?
私を愛してくれていた?
私は……エースを好きになれて良かったよ……
愛して……
「……エース、あいしてる……。ルフィを…まもって、くれて……ありがとぅ!」
棺の縁を掴んで、そのままエースの唇に重ねた。いつもとは違う。熱いキスしかした事がなかったのに……最期のお別れなのに、温度がない唇に、本当にもう最期なのだと眸を閉じた。
棺から離れると、誰かが頭を撫でてくれる。それが余計に涙を流させる。
白ひげ海賊団の人たちが、エースの棺を深く掘られた穴へと移動する。
マルコがマリィに近づき、花を差し出した。
白い薔薇に唇を寄せてから、棺の上に落とした。スコップを寄越され、盛られた土を掬い、棺の上に掛けた。それからは白ひげ海賊団の皆が土を掛けて、棺を覆っていく。
(……エース……さようなら……)
泣かないと決めていても、自然に溢れる涙は止まることはない。込み上げでくる嗚咽を我慢しようとするも、漏れる嗚咽は、土を被せる音とともに静寂に響いていた。
口元を抑えながら、その光景をただ見つめることしか出来ない自分がひどくちっぽけに感じていれば、屈強な海賊たちによってあっという間に土は被せられていた。
墓標を見つめれば、エースのナイフと数珠のネックレス、オレンジ色のテンガロンハットに目が行く。数珠のネックレスは海へ出た時は持ってなかった。ナイフはダダン一家がくれて、帽子は自分とルフィで渡したものだった。
あれは、十五の頃だったろうか。海に出るのは十七になってからと昔から決めていたからエースにも帽子を、と思い、渡した帽子は殊の外エースに似合っていた。
ルフィは麦わら帽子、サボはシルクハットを被っていたから、エースも帽子が良いかなとルフィと選んだモノだった。
(すごく…喜んでくれてた、な…)
渡した時、素っ気ない態度だったけど、ニヤニヤと口元が動いていたのを見てついつい笑ってしまえば、頬を引っ張られたりした。
夜、ルフィが先に寝てしまってから、腕を引かれていつもの海が見える場所へと連れ出される。
「エース?」
「……これ、ありがとな!」
よっぽど嬉しかったのか、テンガロンハットを被ったまま礼を言ってくるエースに、またおかしくて笑ってしまえば「笑うな!」と羽交締めにされ、首に腕を回された。
「エース?」
「うるせェ、こっち見んな!」
「照れてるの?」
「だから、こっち見んな!」
「ふふっ……エースも可愛いトコあるんだね!」
「なっ!男に可愛いなんて言うな!!」
「え〜〜、だって照れるエース、可愛いじゃない!」
振り向いてしまえば、月明かりのせいか赤くなった頬が見えた。笑ってしまえば、頬を指でムギュッと挟まれた。突き出すような口元に今度はエースが笑う。
「ハハッ、タコグチ〜!」
「むぅ〜〜!!」
「何言ってるか分かんねェよ………」
「…へーふ…?」
ジッと見つめてくるエースに問いかけるも何も答えずに、そのまま真剣な顔が近づいてきて、そのまま唇が重なった。
ちゅ、と軽い音がして、いつの間にか両手で包み込むように頬を撫でられる。
「…エース…」
「……………………好きだ…」
「…………へ?」
「マリィが好きだ」
真摯な眸に飲み込まれそうになる。
「ホントに?」と呟けば、「あぁ」と返された。ほろりと涙が溢れた。
「…………いや、だったか?」
不安げに見てくるエースに、添えられてる手を重ねて、小さく首を振る。
「……わたし、も……エースが好きだよ…」
「っ!」
次の瞬間、頬を掴まれたまま唇が重なり、深くなろうとした瞬間、コツン!とテンガロンハットのブリムがマリィの額にぶつかった。
「「……………………」」
二人で目を合わせて、互いに笑った。
そのまま唇を重ねて、照れくさくなりながら、手を繋いで家に戻れば、ルフィがスゴい寝相でいて、笑いあったのを思い出した。
抱きしめてくる身体も、唇の温度もいつしか熱が変わり、それでも幸せだった。
(……もう、本当に……エースはこの世にはいないんだ…)
風で揺れるテンガロンハットを見つめていると、隣に建つ白ひげの墓に掛けられたマントがはためいている。
その前に移動して、手を合わせて目を閉じる。
面識はないけれど、感謝したい。エースを迎え入れてくれた、受け入れてくれた
その様子を見ていたマルコが「オヤジに手を合わせてくれて、ありがとよぃ」と嬉しそうに笑った。
「エース、楽しそうでしたから」
「うん?」
「会うたびに白ひげ海賊団のこと、すごいって褒めてたんです……」
「……へぇ…」
「エースを認めてくれて、嬉しかったんです……私じゃ………」
「?」
「……なんでもないです…」
踵を返せば、シャンクスとベックマンが待ってくれている。歩きだそうとして、マルコを見た。
「どうかしたかよぃ」
「……生まれたら、連れてきても良いですか?」
「エースに見せない気かよぃ」
「まさか……出来たら、エースの近くで育てられたらいいなって、思って……」
無理な事だと思い「すみません」と謝れば「持ちな」と引き止められる。
「……近くにオヤジの故郷の村があるんだよぃ」
そういえば、此処は白ひげさんの故郷に近くだとシャンクスが言っていたのを思い出す。
「そこで暮せば良いよぃ」
「え?」
「マルコ」
「今は無茶な事は分かってるよぃ……まだこれから荒れるだろうしな、だが、守ってくれる奴らもいるだろ」
マルコの目線を辿れば、見知った人達がいる。それはマリィにとって元クルーだったメンバー。エースを慕い、増えていった元スペード海賊団のメンバーだった。
「マリィさん」
「マリィちゃん」
どうして……こんなにみんなエースを慕っていたのに……彼は気づかなかったのだろう。
こんなに、みんなに愛されていたのに……最期の最期のでようやく気づいて。
「……みんな、ありがとうございます」
このままここにいられたら良いが、私はまだ覚悟はない。この子を危ない目に合わせたくはない。
「生まれたら、会いにきます」
深々と頭を下げて、礼を言う。
シャンクスたちを追いかけて行く。ズラリと並ぶ、見送る白ひげ海賊団と傘下の海賊たちを横目に、凄い海賊たちなのだと思った。
シャンクスに促され、手を取り船へと乗船すれば、蒼い炎が頭上に現れる。
「待つよぃ」
「どうしたマルコ」
「赤髪じゃなく、その子に用事だ。アンタ、ビブルカード持ってないのかよぃ」
「え、あ…ありますけど……」
でもあるのはシャボンディ諸島におる部屋の中だ。どうしよう、と悩んでいると、横からピラリと出される。
「ひとまず、俺が持ってるのを渡そう」
「ご、ごめん……シャンクス…」
「?持ってなかったのかよぃ?」
「いえ!前にエースに作られてて…」
ワノ国でエースにというか、友だちが作ってくれたのだ。眠りから目を覚ましたら「マリィ!髪の毛くれ!!」とよく分からない事を言ってきた。後から説明されて、本人に聞かないのかと思ったが、まぁいっか。と思った程だ。
「シャボンディ諸島に荷物があるので…」
「シャッキーさんのところか?」
「うん…」
「ふむ……誰かに取りに行かせるようにしよう」
「何から何まで本当にごめん……」
「気にするな…」
ぽんぽん、と軽く頭を叩かれた。不意にマルコが声を掛ける。
「お前らは随分仲が良いんだな…」
エースの女なんだろ…と呟くマルコに、シャンクスは可笑しそうに笑い始める。
「アッハッハッハ……!マリィは十年前に会った事があるんだよ!!弟のルフィも含めて友達なんだよ」
変な勘繰りを入れられたからか、シャンクスは笑ってしまっている。マリィもハハハと苦笑いしている。
(まぁ、どちらかと言えば、友達のお父さんだけどね)
「そ、そうかよぃ……まぁ、暫くは白ひげのナワバリは荒れる……赤髪が一緒なら大丈夫だと思うが、気をつけろよぃ」
元気な子を産んでくれ、と言われ頷いた。
マルコから船から離れると船内に入るように言われたが、エースの眠る島を見えなくなるまで眺めていた。
「あまり潮風に当たりすぎるな、もう船室に入れ」
ずっとお世話になっているホンゴウに言われ、マリィは素直にそれに従った。
船医室ではなく、食堂へと促される。ルゥに飲み物を出されて休んでいると、「マリィ!」と誰かが駆けてきた。
「お!ここにいたな!」
「どうした、ヤソップ」
「おぅ!これだよ、これ!ルフィが載ってるぜ」
ヤソップの手には新聞が握られていた。
目の前に広げられた新聞には、ルフィが麦わら帽子を胸に掲げ、黙祷をしている。
一見、ルフィらしかぬ姿に「ルフィ?」と首を傾げてしまった。でも、無事で良かった、と安堵する。
「レイリーさんが何かしたなァ」
シャンクスがトンと紙面を叩いた写真を見れば、レイリーさんと元王下七武海 海峡のジンベエが一緒である事が書かれている。
「十六点鐘……?」
それって何?と思っていると、隣に座ったベックマンが教えてくれる。
「広場の西端にあるオックス・ベルつぅのは大昔に活躍したオックス・ロイズ号という軍艦に取り付けられていた神聖な鐘だ」
「鐘?」
「年の終わりと始まりに…去る年に感謝し、鐘を八回、新しい年に祈り鐘を八回、合わせて十六回の鐘を鳴らすのが海兵のならわしなんだ。それが十六点鐘だが……」
「……今は時期が違うよね?」
「ルフィが分かってるのかは分からんが、その鐘は“時代”の終わりと始まりの宣言をしたってこった」
「ルフィがっ?!」
「まぁ、十中八九違う意図だろうなァ」
ハハハ、と笑うシャンクスたちにマリィはルフィの写真を見る。右腕に描かれている数字とアルファベットに首を傾げた。
なにかのメッセージか何か……だろう。あまりにもルフィらしくない。
「…………」
「大丈夫だ、マリィ」
「うん、そうだね……」
あの時以来のかわいい弟は包帯だらけであったが、エースの死を乗り越えようとしているだろう。
「……ルフィ…」
生きていてくれて、良かった。