壱
霄太師を慰めた後、琳麗は騒ぎに乗じて離れへと駆けていった。
きっとあの朔洵のところに静蘭がいる。静蘭が弱いという訳ではないが、あの彼は危険だ――胸騒ぎがしている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗が離れに着き、格子から中の様子を覗けば、静蘭と朔洵の二人は話をしながら賽をふり、酒をあおっていた。
(………仲がいい…わけじゃないわよね…)
小首を傾げ、気配を断ち中の様子に聞き耳を立てた。カラ、カラン…と音がなり、会話が聞こえる。
「いっておくがな、私はお嬢様にこの世で二番目に好きと言われたぞ」
「なんだそれは。全然自慢にならないじゃないか」
「一番目はこの世の誰もかなわない人だ。だから二番目で充分だ。この意味がわからないとか、まさか言うなよ?」
(……ごめん、静蘭。一瞬解らなかったわ。きっと父様よね…………え、私と母様は?)
手の平を合わせ、心の中で詫びながら琳麗は苦笑した。そして、今頃は大堂にいるであろう秀麗に自分は?と言いたい気分だった。
もとより、母である薔薇姫、姉の琳麗は秀麗にとっては別格なのである。
「……相変わらず嫌な性格をしているね」
「誰に言われてもいいが、お前にはだけは言われたくない」
(嫌な性格って……そんなことないわよね? 静蘭は)
二人の会話を聞きながらまたまた小首を傾げた。多少なりと静蘭の姿を知ってはいるが……そんなに酷くはないはず。
「……いいな」
ポツッとこぼれた言葉に、静蘭はもちろん、聞き耳を立てていた琳麗も一瞬何を言われたのかわからなかった。
「……は?」(……え?)
「いいなぁと言ったんだよ。この世で三番目でいいから、私も彼女に言ってもらいたい」
賽をふる朔洵を、静蘭は呆気にとられて見た。むろん、琳麗もこそっと覗いた。
……この(あの)、男がこんなことをいうとは。そして気付いた。……顔色が、最初よりずいぶん青ざめていないか?
(…………顔色が酷い…)
朔洵とは一、二度と数えるくらいしか会っていないし、見ることも少ししかなかった琳麗だったが、今の彼の異変は目に見えて分かった。静蘭も同じらしい。
もともと白いからわかりにくかったが──これほど度の強い酒をあおっていてまるで赤くならないところからして、異変に気付いても良かった。
よくみればすでに半死人のような白さになっている。間違いなく、触ったならほとんど氷のような冷たさになっているはずだ。
静蘭は思わず声を上げかけて──やめた。この男が自分の言葉など聞くわけがない。
静蘭にできることは、時が残っているうちに、すべきことをする、ただそれのみ。
「……ひとつ訊く」
「君、質問が多いねぇ。もしかして、実は私と良く知り合いたかったのかな? そうなら最初からそう言ってくれなきゃ。ちょっと可愛がってあげたのに」
ピシッと静蘭のこめかみに青筋がたつのが分かり、琳麗は額を覆った。こんなときまでも茶化すことのできる朔洵の神経がわからない。
「……お嬢様に"花"はちゃんと返したんだろうな?」
朔洵は優艷に笑って、言った。
「返したよ」
(──嘘よ! 秀麗は持っていなかった)
先程、見た秀麗は"蕾"を身につけてはいなかった。ちらりと母屋の方に意識を向ければ、騒ぎはもう隠しようもない。
静蘭は朔洵の言葉を信じたのか、"干將"に手をかけ立ち上がった。その気配にハッとした。
「それならもう充分だ。この賭け、私が勝たせてもらうぞ」
「……冗談だろう」
静蘭が剣を振り下ろし、ヒュンッ!とふる音と共に、ゴトンッ!ガシャンっ!と激しく卓子と杯が割れる音が聞こえた。だが、朔洵はふわりと後ろに飛んで、切っ先を避けた。
「相変わらずかわいげがないよね、君」
振り向きざまにすらりと、壁に掛けてあった剣を抜きはなつ。キィーンと剣と剣が交わった。
「五杯だけといいながら、全部の杯に毒を入れるお前ほどじゃない」
その言葉に琳麗は驚愕した。毒入りの酒を飲みあっていたとは。
静蘭の剣を、朔洵は軽々と受け止めて弾いた。さすがだね、と薄く笑う。
「ちゃんと無味無臭のを用意したのだけど。でも君だって、遊ぼうといいながら、絶対負けない用意をしてきたじゃないか。ちょっと卑怯だと思うな」
「お前相手に命賭けてたまるか。即効性なのにいま立っていられるのは、お前も中和薬を飲んでいるからだろう。卑怯者呼ばわりはお門違いだ」
恐ろしいほどの速さで剣が交わされる。傍目には剣舞を舞っているかのように見え、琳麗は目を見開いた。それほど鮮やかな剣戟なのだ。
「飲んでないよ。単に昔から暇つぶしで色々と試していたら耐性がついていただけだ」
「化け物め、」
そう唸った静蘭の膝がぐらりと揺れた。それを見た琳麗は短剣を掴み、窓から入り込んだ。
「静蘭っ!」
隙をついて、朔洵から剣が繰り出されたのを琳麗は静蘭を突き飛ばし、それを受けた。
「りっ……!?」
「これはこれは久しぶりだね、紅 琳麗。君まで来るとはね」
「もう会うつもりはなかったのだけれど、お久しぶりね、茶 朔洵。私の大切な人たちを傷つけるのは赦さないわよ」
朔洵の繰り出す剣を受けながら、琳麗は答えた。静蘭は突然現れた大事な人に驚きを隠せなかった。
剣を交えている姿に加勢しようとしても視界が揺らぎ、足が震えて立っていられない。
(なんだ……?)
剣を床に刺し、片膝をつくと朔洵がこちらを向いた。
「……くっ…」
「大丈夫?」
「静蘭っ?」
琳麗は静蘭に駆け寄り、剣は構えたままで朔洵を睨みつけた。
「君、ずいぶんとお酒に強いねぇ」
朔洵はくすくすと笑い、床に散らばった杯を見遣った。
「実はね、このお酒、少し改良してあってね、口当たりを良くしてあるから気付かないけれど、どんな酒豪でもたった一杯でぶっ倒れるくらいの度数なんだよ。それをひょいひょい平然と飲んだあげく、運動してようやく回ってくるなんて、どんな身体してるの?」
「……んの……っ!」
「さて、名残惜しいが、私は行くところがあるので、これで失礼するよ。君は少しそこで休んでいたまえ、琳麗殿もいることだしね」
「待ちなさいっ!」
琳麗の言葉なんて聞かずに、朔洵は鮮やかに笑うと剣を振った。
それを止めようとしたが、その剣は蝋燭を切り、明かりが消える。バタンと音と共に窓に琳麗が駆け寄ると、朔洵は婉然と笑った。
「そこの彼に伝えたまえ。私との賭に勝つとしたら、君じゃない、とね。じゃあ、義姉君」
その横顔は、立っているのも不思議なほど青白かった。
(──あの、男っ!)
琳麗はもう朔洵が長くないのに気付いた。もう時間はないに等しい……秀麗の前でなんかしたら……。
そう考えるとギリリと歯を食いしばった。
「……り、琳麗、様……」
ヨロり、とふらつく静蘭に琳麗は慌てて近寄った。
「大丈夫っ? 静蘭……」
「……な、ぜ……ここに……」
ぎゅっと袖を掴んできた静蘭に琳麗は当たり前かのように言った。
「静蘭が大切だから、助けに来たのよ。さ、とりあえず、燕青さんたちのところへ」
静蘭に肩を貸そうとして、琳麗は腕を肩に回そうとした時ギュッと抱きしめられた。
「静蘭……?」
「違い、ます……どうして……茶州に……今まで…何処に…」
「ちょっとした用事でね。さ、行きましょう。秀麗の事が心配だわ──茶 朔洵はまだ秀麗に"蕾"を返していないから」
最後の方はボソリ、と呟いたのだった。
燕青たちがいる室へ向かう途中で琳麗は、巣くっていた闇が無くなっているのに気付いた。
茶太保が人柱になり、消えたのは分かっていた、だが妙な気配を感じる。禍禍しいかまでは分からなかった。静蘭が持つ"干將"があるからだろうか――?
天を見上げれば、星が瞬いている。そして、今夜は朔だと気がついた。胸騒ぎが一層高まる。深淵の闇から──彼の声が迫ってくる。
もうすぐ
君を迎えにいけるよ
私から会いに行くよ
待っていておくれ……
ぶるり、と身体が震えた。いつもの言葉と違う!迎えに来るなんて言われたことはなかった。
「……琳麗…様…?」
「…ぇ……なんでもない、わ……早く燕青さんたちのところへ行きましょう…」
震えが伝わったらしく、静蘭は琳麗を見ていた。どう見てもなんでもなくはない。
静蘭は肩を借りながら歩こうとしていた足を止めた。さすがに止まられてしまったら、琳麗だけでは静蘭を引きずる事は出来なかった。
「……静蘭?」
「……甘えて下さいと言ったでしょう。……身体が、震えてます……どうしたんですか…」
よろけながら、静蘭は琳麗を見つめた。あの酒のせいでぐらぐらと足元が覚束ないが、剣を杖がわりにして立った。
その様子に琳麗は、こうなった時の静蘭がひかない事を知っていた。
こんな大事な時に、言っていいものか躊躇してしまう。それよりも今はこの騒動を何とかしてしまわなければいけないのに。
じっと静蘭を見つめる。酒のせいもあるがいつもより目が据わっていた。
「…………今は、とりあえず片をつけましょう? 後で話すから、ね?」
「……本当に? 約束……してくれますか?」
「……ええ、だから今は急ぎましょう」
そう話すと琳麗は再び静蘭の腕を肩に回し、燕青、影月たちがいる場所へと目指した。
琳麗の耳にはどこからか風に乗った二胡の音が微かに聞こえた。