弐
茶家の当主が決まり、茶一族の主だった者たちが捕縛された。その後処理をしている室の扉を開けると中にいた燕青、影月、そして眼鏡をかけた青年がこちらをみて驚いた。
「りっ……琳麗さんっ!?」
「琳麗姫さんっ! 静蘭っ!」
「……くっ…」
琳麗の姿と足取りが覚束ない静蘭の姿を見て、三人は一斉に駆け寄ってきた。
「どうしたんだ、静蘭」
燕青が琳麗の肩から静蘭を離し、自分の肩を貸した。
「……ちょっとね、」
「琳麗姫さん、やっぱり来てたんだな」
「ええ、お久しぶりね。燕青さん」
「お久しぶりって……」
微かに笑って話す琳麗に燕青は苦笑いをするしかなかった。琳麗はくるっと周りを見て訊いた。
「……秀麗は?」
その言葉にハッとした。
影月が慌てて走り出したのを見て、琳麗もまたくるりと踵を返した。
「燕青さん、静蘭をお願いね」
「えっ、琳麗姫さんっ!」
背後から声がしたが、琳麗は風で朔洵の気配を追うと疾風のように走り、見えなくなったところで風にのり、一人、樹の幹に寄り掛かっていた男を見つけた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
上空から降り立つ姿は今の朔洵にははっきりと見えるはずもなく、最後までもっていたのは聴覚だけだった。
カサッと人が降り立つ音を耳にして、朔洵は顔を上げて呟いた。
「……殴られてしまったよ…」
ぼそりと呟き、それから目の前にいる"彼女"にぽつりぽつりと話出した。
「──彼女と一緒に過ごしたこの半月は、馬鹿みたいに穏やかだったよ。なんの変哲もなくて、退屈極まりないはずの日常が、……とても、楽しかった。急がしそうに駆け回る彼女を見ているだけで楽しくて、髪をくくってもらって、二胡を弾いてもらって、お茶を淹れてもらって、たわいない話をして。何もしなくても、私は彼女が好きなままだった。――本当に『特別』だったんだ……それに気付いたら、大切にしたくて、生まれて初めて、特別な人のために何を出来るか考えたら、もう『茶 朔洵』をあげるしかなかった……私との賭に……勝つのは、彼女だけだった」
琳麗は黙って聞いていた。
胸元はもう赤く染まった血だらけだった。シャラ、と落ちていた秀麗の"蕾"を取った。
「……私は言ったわね、茶 朔洵。秀麗を傷つけたら赦さないと」
「ああ……言ったね…」
「ならば、死なせる訳にはいかないわ。秀麗は確かにあなたを忘れることはない、でもそれはあなたが特別だからじゃないわ。そして、あなたは最大限に秀麗を傷つけた」
琳麗は目を伏せた。秀麗は誰かが目の前で死ぬのが本当に駄目なのだ。
スッと目を開くとゆっくりと朔洵へ近寄った。
「……うん、そうだね。言うつもりではいたんだ……でもやめたのに最後の最後で、失敗しちゃったんだ……」
はぁ、と朔洵はため息をついた。ぼんやりと見える琳麗の姿を見つめた。
「……死ぬときは、なんの未練などなく逝くものだと思ってた……でも馬鹿みたいに、あとからあとから未練がわいてくる……」
「──ならば、生きなさい」
その声は神々しくて、朔洵は怠そうに、でも彼女を見上げた。
次の瞬間、暖かい風に包まれるように、柔らかいものが自身に触れた。ゆっくりと暖かいモノが身体の奥に灯った気がしたのち、ゆっくりと離れていった。
「……っ、これで、少しはもつ、はず……後は、あなた次第……」
「……な、にを…」
そう口にしようとした時、バサッと倒れる音がした。
目を凝らそうとしたが、ぼやける先に彼女と、誰かがいた。だが、瞬きをした次にはその姿も、彼女の姿も失くなっていた。
なんだろう、と思ったが声を出したせいか、また血が零れる。
「もっと……」
──生キタイか――?
ずるり、と地を這うような声に、朔洵はため息をこぼした。
「……また、きたのか」
──ズっと見てイたが、やハり、お前ガいちばん面白イ。
そうだね、と朔洵は呟いた。
「……それも、いいかもしれない……義姉君にもいわれたしね…」
降るような星昊に、月はなかった。
それでいい。それがふさわしい。朔の闇夜に生まれて、そして──微かな苦笑を最期に、コトリと、朔洵の腕が落ちた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
秀麗たちは鄭 悠舜を助けるべく、燃え上がった牢獄塔へ、茶家当主となった克洵、春姫が別室にて罪の裁きを待っていた。
そんな中、英姫は自室にて琥漣の灯りを見ていた。
不意に蝋燭の火が揺れたかと思うと、誰もいなかった室に琳麗を抱えた顔見知りの老人が立っていた。
「英姫、寝台を借りるぞ」
「……力を使ったのか、あの男の為なんぞに」
霄太師は寝台に琳麗を横たわらせ、額に掛かる前髪をそっと横へ流した。
彼女は茶 朔洵を生かす為に自ら、その瘴気を自身へと移動させた。そして、内々にある生気をあの男へと流し込んだ。あとはあの男次第だった。
「──秀麗殿のためじゃて……」
微苦笑し、そのまま霄太師は口にした。
「茶 克洵は、誰も殺していない」
それに英姫は小さく肯いた。
「……仲障を刺したのは、甥御殿か」
「ああ。彼は最後だけ、息子のために正気に戻った。克洵の手にある短刀を捨てさせようともみあい、もぎとったときに仲障が入ってきた。それを見て息子を守ろうと仲障に襲い掛かり、返り討ちにあいながらもなんとか仲障を刺して――事切れたんだ。仲障は馬鹿にしつづけていた一人息子の手によって殺された。だが、香で朦朧としていた克洵は……」
「……今となっては、真実はなんの意味もなすまいよ。結局、あれが父も祖父も助けられなかったことには変わりないからの。まったく……ほんに鴛洵とそっくりじゃ」
茶家当主となって朝廷に戻ってきた鴛洵を、誰もが本家男継嗣を皆殺しにしての就任と信じて疑わなかった。鴛洵自身、反論をしたりはしなかった。
けれど英姫も霄太師も知っている。真実が奈辺にあったのか。
「誰一人殺していないくせに、ぜんぶ自分のせいにして……ほんに馬鹿な夫じゃったわ」
英姫はそう呟くと、ちらりと後ろを振り返った。霄太師も英姫をまっすぐと見ている。
「霄 瑤旋──鴛洵を殺したのはお前じゃな」
「そうだよ」
「来や」
静かに肯いた霄太師に英姫が言うと、霄太師は音もなく近づいた。その姿は五十年も昔の姿だった。
「じじいより、こっちのほうが殴りやすいだろう?」
「じじいのほうがぽっくりいきやすくて殴りがいがあったわ」
「……あ、相変わらず怖い女だな……」
英姫はもう戯れ事を言わず、容赦なく平手を打った。──では足りず、二度、三度と。
霄太師は黙ってその平手を受け入れた。この女性にだけはその資格があった。
平手は唐突にやみ、霄太師が視線を下ろすと、英姫は必死で歯を食いしばっていた。その顔が小さく歪んだが、彼女は決して泣かなかった。
「……わかっておったわ」
英姫はびりびりとしびれる手の平をおさえ、ポツリと呟いた。
「鴛洵は、いずれお前に殺されるだろうと──それを望むだろうと、そんなこと、わかっておったわ。だから──だからわたくしは昔からお前が大っっっ嫌いだったのじゃ」
「……英姫」
「いつだって、鴛洵が見ていたのはお前だけじゃった。わたくしのことはほんの時たま、振り返って見るだけじゃった。わたくしは……」
「英姫」
「それでもよかった。わたくしは──鴛洵を愛しているだけでよかった。傍に寄り添える場所をわたくしに与えてくれたことが嬉しかった。──だがな」
キッと霄太師を睨みつけると、英姫はその胸倉につかみかかった。
「だからといって、お前の存在を許せるほどわたくしの心は広くはないのじゃッ! 昔から──いつもいつもわたくしと鴛洵の仲を邪魔しおってからに!」
ガクガクと揺すぶられながら、霄太師は遠い目をした。――だからきたくなかったんだ。……というかなぜ自分がこんな目に?
「……むしろ邪魔してたのは君のほうじゃないか……」
「なにぃ!?」
「いえ……なんでもないです……」
英姫は突き飛ばすように不意に手を離した。
「……鴛洵が昔一度だけ言うたことがある。私の死に方は決まっているような気がする、そのときがいつきても、どうか泣かないで欲しい──きっと、満足して逝くからと」
「…………」
「……鴛洵は、その通りに逝ったか」
「最期まで思うように生きたよ」
「わたくしのこと、何か言うておったか」
霄太師は言葉に詰まった。英姫はぷいとそっぽをむいた。
「どうせ一言もなかったのであろ。そういう最低の恋人なのじゃ。そんなこと知っておるわ。いつだって鴛洵の頭の中は国と政事とお前で──わたくしはいつだって二の次じゃったもの」
それでもよかった、と英姫はもう一度繰り返した。
「……そういう男と知って愛したのじゃ。そういう男だからこそ、わたくしは鴛洵を愛したのじゃ。なんの、後悔もない──」
英姫は泣かない。英姫が泣くのは、ただ夫の胸でのみと、遥か昔に決めていたから。霄太師は小刻みに震える小さな肩を抱こうとして──やめた。そんな資格はないからだ。
「……くるのが遅れて、悪かった。けれど鴛洵は君を愛していたよ。この世の誰よりも」
「そんなこと、お前ごときにいわれずともわかっておるわ!」
「……長生きしてくれよ、英姫。あとで都でよく効くっていう皺とり薬を届けてあげるから」
「──二度とわたくしの前に顔を見せるでないわ! この人外魔境がっっ!!」
羽扇を突き付け、英姫は怒鳴った。霄太師は苦笑したのち、寝台に横になる琳麗を見つめた。
そっと近づき、未だ青い顔をして眠る琳麗の頬に手を滑らせた。しばらくの間、結界を張っておかねばならない。
「──琳麗殿をしばらく頼むぞ」
「お前に言われずとも分かっておるわ。たやすく年頃の娘に触るな! 霄 瑤旋、来たからには役に立っていきやっ!」
「……お、おぉ」
蹴飛ばされるかのような勢いに、ただただ頷くことしか出来なかった。
やがて、夜が明ける。茶州に新たな時代が訪れようとしていた。
最終幕/終
あとがき
えっ!?ここで終わりっ!?って感じですよね。
私もなぜ、ここで切る?と?マークが出ております(笑)
とりあえず、この後は「初恋成就〜」に続くようにしたいと思っております……中途半端過ぎて申し訳ございません!!
2007/11/07