壱
着任式の後、琳麗は貴陽に帰ることもなく、まだ茶州の琥漣に留まっていた。
体力が快復するのを待ち、それからと考えれば縹 英姫を始め、州尹の鄭補佐、全商連の柴姉弟にせっかくだから、秋祭りまでいてはどうかと勧められた。
ならば、と琳麗は州牧邸で香鈴と共に州牧邸の掃除をしていた。
普通、州牧に任ぜられた者は一家――時には一族を引き連れて赴任するのが常なので、高位と相俟って広さだけは茶本家に次ぐ。
だが、前茶州州牧であった燕青はずっと城に寝泊まりをしていた為に、邸はなんの手入れもされていない上に、伸びに伸びた雑草、近所の子供たちには『お化け屋敷』と呼ばれているらしい。
つい先日も、香鈴と草むしりをしていると、子供たちが『お化け屋敷探検』にやってきたのだ。
琳麗は子供たちに『ここはお化け屋敷じゃないから、もうしないでね』と言っている横で、香鈴がふるふると震えていたりした。
「香鈴、どうかしたの? 風邪でも引いた?」
子供たちがいなくなって香鈴の様子に琳麗は首を傾げた。
「〜〜〜〜っ、琳麗様は情けなくありませんのっ!?」
「え……」
「秀麗様がお住まいになるお屋敷がお化け屋敷呼ばわりだなんて、私、情けなくて涙が出そうですわっ!」
ぷりぷりと怒る姿を見て、琳麗は苦笑をするしかなかった。なぜなら、貴陽の紅 邵可邸も似たようなものなのだ。ここまでひどくはないが、五十歩百歩だ。
「全く、燕青様がきちんとなさっていれば!」
ぷりぷり怒りながら、ブチブチと雑草をすごい勢いで抜いていくのを眺め、琳麗は肩を竦めるしかなかった。
そんなこんなで、一日二室を目指し、琳麗と香鈴はせっせと州牧邸――後に紅杜邸と呼ばれる邸内を秀麗たちが住みやすいように掃除をしているのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そろそろ帰ってくるだろうと思い、琳麗は香鈴と一緒にお茶請けである饅頭を作っていた。
ふと、棚を見れば茶筒が増えているのに目を細める。どんなに眠れるように、と揃えていってもまた今夜もあの子はうなされてしまうのだろうと思うともどかしい。
だが、琳麗は「茶 朔洵」は生きているとは言えなかった。きっと気休めの為にと受け取られ、かつなんともダメダメな慰め方である。
普通に考えれば、あの毒の量を考えれば死んでしまっているとしか考えられない。だが、琳麗、英姫、霄太師は知っている。
何せ琳麗が身体を張ってまで、朔洵の内にある瘴気――毒を大方取り除いたのだから。
琳麗ははぁ、とため息をつき、疲れて帰ってくるであろう州牧ご一行の為に温かな物と香を準備したのだった。
やがてふらり、と落ち着いた香の薫りが漂う頃彼らは帰って来た。
香鈴がパタパタと出迎え、琳麗はお茶とお茶請けを準備していた。
「おかえりなさい、疲れたでしょう。お茶の支度出来てるわよ。それとも何か軽く食事にする?」
「ただいま、姉様。私はいいわ。それよりこんな遅くまで香鈴と二人だなんて危ないんじゃない? 女だけだなんて物騒だし、やっぱり秋祭りまでは柴凜さんや春姫さんのとこにでも泊めていただいたら」
秀麗が何度目かの提案をしたが、香鈴は相も変わらず頑固に首を横に振った。
「――それではこのお邸、いつまでたっても使い物になりませんことよ!」
琳麗に「夜食食べる〜」と言っていた燕青は香鈴の言葉にぎくりと肩を震わせた。湯呑みを秀麗の前に置きながら香鈴はぷんぷんと容赦ない。
「わたくし、自分の背丈よりも伸びた雑草など生まれて初めて見ましたわ。どこぞの前州牧様が何年もほったらかしになさったおかけで、秀麗様がまともにお休みになれるまでどれだけかかったことか。
お仕事でお忙しいのに、その上お掃除なんてさせられませんわ。つい先日だって琳麗様と草むしりをしておりましたら何があったと思いますの。子供たちが『お化け屋敷探検』にやってきたんですのよ!」
ぷりぷりと怒りながら燕青に出されたお茶請けの饅頭は、今日も心なしか小さい。
秀麗はこそっと「そんなことがあったの?」と琳麗に訊ねれば苦笑された。静蘭も得たりと頷いた。
「その通りだ。おかげで未だに鄭補佐を迎え入れるのもままならない」
「う、だってずっと城に寝泊まりしてたからすっかり忘れててさ。第一こんなでかい邸俺一人でどうしろっつーの!」
確かにそうである。貴陽の紅 邵可邸ですら三人で手入れをしても大変なのに、茶本家に次ぐ広さの州牧邸を燕青一人でなんかどうにもなるはずがない。
「開き直らないでくださいませ!! 高官のお役目には、お客様をもてなすこともございますのよ!! これではお正月に誰もお招きできないではございませんの!!」
鐘を打つようにぴしゃりと正論の怒声が返り、流石の燕青も謝るしかなかった。
「……悪い。暇見つけて掃除する……」
「当然でございますわ!」
香鈴が琳麗と「一日二室」を実行する今も蜘蛛の巣だらけの使用不可能な室がまだある。きっと香鈴一人であったらまだまだ大半を占めるであろう。
「ですから秀麗様、大丈夫ですわ。琳麗様もいらっしゃいますし、ちゃんとお城の武官さんも見回りにきて下さいますし」
「……うーん、わかったわ。静蘭、お願いね」
「はい、お任せ下さい」
静蘭はにっこりと微笑んだ。
琳麗は夜食の汁物を運んで来ると、それを燕青に渡した。
「うほ、美味そ〜」
浮かれているのを見て琳麗はくすりと笑った。静蘭はため息を吐くしかなかった。ついさっき香鈴に叱られたばかりだというのに反省の色がない。
香鈴はもうそんなのを気にしないのか、棚に並んでいる茶筒の一つを、うきうきと手に取った。
「秀麗様、今日は凜様から良いお茶を頂いたんですのよ。是非、召し上がって下さいな」
「あ、俺もコレ、姫さんと琳麗姫さんと香鈴とに土産。やるよ」
食べていた手を止めて、袷からごそごそと出され、燕青から手渡されたのは、良い匂いのする香袋だった。とてもかわいらしい。
「え、どうしたの、これ」
「本当」
「んー。なんとなく買ってみた」
「は? 嬉しいけど……」
秀麗はお饅頭をかじりながら首を傾げた。その横で琳麗は微苦笑する。ずいぶん増えた茶筒に、微かにくゆる香の薫り。
「……ねぇ、何だか最近、お茶とかお香とか、たくさん増えてない?」
「いいことじゃないですかー」
影月が茶筒を手に取りながら、くん、と香りを嗅いだ。
「僕も秀麗さんも、この頃すごーく忙しいでしょう?」
「そうよ。疲れすぎると、逆に張り詰めて眠れなくなるかもしれないし」
「そうです。だから、こういうの、あるとすごくいいと思いますー」
琳麗が同意し、影月の言葉に静蘭も深く頷くと、香袋と燕青を交互に見た。
「影月くんの言う通りですよ、秀麗お嬢様。それに燕青が女性にこんな気の利いたものを贈ろうと思うこと自体、大変な珍現象です。受け取っておくとあとあと良いゆすりのネタになりますよ」
「ふっ、馬鹿だな静蘭。俺からゆすりとれるもんなんか何もないぜ。いくらでもこい」
汁物を飲みながら燕青が答えると、すかさず静蘭は「自慢するな!」と言った。
そのやり取りを見て、琳麗はクスリっと笑うと、にっこりしながら燕青にいった。
「私にもありがとう、燕青さん。せっかく下さったのだから大事にするわね」
にっこりと微笑まれ、燕青は照れ臭そうに頬をかいた。それを静蘭は威嚇するかのように冷たい目線を送っていたのだった。
秀麗も小さな香袋をつまんだ。安らぐような優しい薫りに眼を細める。
「そうね。確かに」
そのとき、表で激しく門扉が叩かれる音がした。
秀麗が顔を上げるまでに、誰かが猛然と回廊を駆けてくる音がした。門には鍵がかかっているし、開いた音もしなかった。どうやら門扉をよじ登って侵入してきたらしい。
泥棒にしては派手すぎる。どんがらがっしゃんと、途中で何かに躓く盛大な音も聞こえた。燕青と静蘭は、一応それぞれの武器を取りはしたが、琳麗に制された。
「大丈夫よ」
にこりと笑う琳麗に問おうとした時、聞こえてきた絶叫に目を点にした。
「すみませんごめんください失礼します燕青さん静蘭さん影月くん――――!!」
そうして扉から転がり込んできたのは誰あろう、茶 克洵であった。