「男同士の大事な話が」という克洵の懇願により、秀麗、香鈴、琳麗は室をあとにした。


「ど、どうしたのかしら克洵さん……」

「……半泣きでございましたわね……」

「まあまあ、男同士の話だっていうんだから、男性陣に任せましょう」

「……そうね…」


当主就任時より切羽詰まっているように見えたのは気のせいだろうか。


「あ、あの……秀麗様、琳麗様、もう遅いお時間ですけど……今宵もお邪魔してよろしいですか?」

「もちろんよ。相変わらず汚いけど」


――秀麗の室は至るところに書物が山積みし、歩くこともままならない状態になっていた。


「……書庫がいまだに埃だらけで使用不可能なせいもあるけど……やっぱり父様と血の繋がりがあるのねぇ…」

「……うぅっ……姉様、それは言わないで……」


そもおしなべて使用頻度が高く仕舞うことができないのだ。
この室を見るにつけ、秀麗はしみじみと思ってしまったことを琳麗に言われてしまった。


「ごめん、ごめん。機嫌を治して? 香鈴が今日も香を焚いてくれたのよ。優しいわよね」

「本当、すごく良い薫り。ありがとう、香鈴」

「とんでもありません。お疲れになってらっしゃるんですもの。これくらいは当然ですわ」


歩くのも一苦労ななか、なんとか小卓の周りを片付けて座るぶんを確保する。
香鈴は湧かしておいた白湯で、さっき飲み損なった新しい茶葉でお茶を淹れた。


「すごいわ。かなりはかどったわね」


香鈴がもってきたたっぷりした編みかけの肩掛けに、素直に感嘆した。


「本当、掃除の合間に頑張った甲斐があったわね」

「り、琳麗様っ」

「編み目もきれいだし、文句なし。これなら秋祭りに間に合いそうね」

「そうね」


紅姉妹の言葉に、香鈴は真っ赤になって編み針を取り落とした。


「べ、別に深い意味はございませんわ!」

「はいはいそうよね。秋祭りに大切な人に手作りモノ贈るのがこの地方の慣わしでも、いま香鈴が影月くんの為に編んでる肩掛けとは関係ないのよね」

「そ、そのとおりですわ。本命はこないだ秀麗様にお渡しした刺繍の手巾ですのよ。い、糸が余ってましたし、以前秀麗様に頼まれましたから、ついでに――」


必死に言い訳をする香鈴がやたら可愛いらしく、琳麗も秀麗もクスクス笑っていた。
ちなみに刺繍糸と毛糸は別物である、ことをあえて突きはしなかった。


「うんうん、香鈴の刺繍すっごく上達してて本当 に感激したわ」

「そうそう、苦手だったのが嘘みたい。菜も上手だし、これで完璧なお嫁さんになれるわね」

「影月くんも脱・藁みので幸せいっぱい」

「秀麗様っ! 琳麗様っ!!」



「凜さんもね、忙しいのに着々と完成に近づいてるの。絶対秋祭りに誰かに渡すのよ」


からかうのをやめて話を変えると、途端に香鈴がはしゃいだ声を上げた。


「絶対そうですわ! ああでもちょっと複雑ですわ。素敵なかたなんですもの」


琳麗は気を失っていた翌日、秀麗と影月は着任式の時、初めて柴彰の双子の姉・柴凜を紹介された。
男性のほうは胡散臭く感じたが、女性のほうは颯爽としていてカッコ良かったのだ。
柴凜は秀麗の編み物の腕を知ると、仕事で州城にくるたび秀麗に見てもらうようになった。
秀麗が仕事で忙しい時は、負けず劣らずの琳麗のところへ見てもらっている。


「もう一人同じ顔でいるじゃない。性別男性で」

「柴彰様は秀麗様をいじめるので嫌いですわ。早く金華にお帰りになればよろしいのに」

「琥漣の秋祭りの催しを手伝ってもらうために私と影月君が引き留めたのよ」


秀麗は苦笑し、琳麗も苦笑した。
琳麗はそうそう会うことはないが、柴彰という人は仕事に関して歯に衣着せず甘いところを遠慮なく突いているようで、でも香鈴には意地悪しているように見えるらしい。
しかし――琳麗は秀麗と顔を見合わせ、クスッと小さく笑った。
引き留めたおかげで、秀麗と影月君の帰りが遅く、泊まり込むことも増えたせいかもしれない。



さやかな香がくゆるなか、秀麗は書物に、香鈴は編み物にふけり始めた。琳麗も繕い物をしていた、いつもと変わらないほのぼのとした時間のなか、琳麗は手を止めた。
不意に顔を上げ、庭院の方へ顔を向ける。途端に声がかかった。


「夜分遅く、お庭から失礼致します」


秀麗と香鈴は、突如可憐な声がして、ぎょっと顔を上げた。
琳麗は既に立ち上がり、窓辺へ近付くと窓を押し開けた。
そこには楚々とした美少女が夜の闇に佇んでいる。慌てて寄ってきた秀麗たちはあんぐりと口をあけた。


「――しゅ、春姫さん!?」

「お久しぶりでございます、琳麗様、秀麗様」


春姫は丁寧に頭を下げたかと思うと、いきなり地面に膝をついた。まるで家出支度のように背に担いでいた風呂敷包みを横に置く。


「春姫さん?」

「折り入ってお願いしたいことがございまして、お伺いいたしました」


まるで嫁入り前の両親への挨拶のごとく深々と頭を垂れる。


「ご迷惑とは存じておりますが、しばらくこちらに居候させて頂きたく存じます」

「はい!?」

「どうやらわたくしには、克洵様の嫁として何かが足りないようなのです」

「え? ちょ、よ、嫁?? え?」

「ですから香鈴に倣い、しばしこちらで嫁修行をさせて頂きたく……」


ついと顔を上げた春姫の瞳は、揺るぎない決意に充ち満ちていた。


「――わたくし、克洵様に据え膳を食して頂けるような立派な嫁になるべく、誠心誠意修行に励みたいと思います」


からーん、と香鈴が背後で編み針を落とす音がやけに大きく響いた。秀麗はゴクリと生唾を飲み込んだ。
頼りになる姉、琳麗を見れば、なぜかニッコリと微笑んでいる。


(…ね、姉様、何を笑って……?)

「春姫さん」

「なんでございましょう、琳麗様」

「英姫様にはなんと?」

「お祖母様には何も……。しかし、わたくしにとって大事なのは立派な嫁になることでございます! ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます」


可憐な美貌にふさわしい清らかな微笑とともに、春姫は深々と頭を下げた。
琳麗は小さくため息をつくと、さっき来た克洵の慌てようが何であるか察しがついてしまった。


(……なるほど、ね)


そう思っている琳麗の横の秀麗はクラクラとやや眩暈を起こしていたのだった。


「とりあえず、春姫さん。中に入って。夜は冷えるから身体に悪いわ。ほら、秀麗も戻って」


パンパンと手を叩くと、呆然としていた秀麗はハッとした。


「ね、姉様!」

「とりあえず、荷物を置いて。彼らのところへ行って話を聞きましょう」


にっこり笑う琳麗に誰もが頷いたのであった。――まずは話を聞かなくては。




   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



克洵が静蘭、燕青、影月と話し込んでる室の前までいくと、話し声が聞こえてきた。
そして、しっかりとして大きな声がする。


『理由がどうあれ、絶対認められません! 僕は断固抵抗しますっ』


外で聞いていた女性四人は、固まってしまう。いや三人は窺うように春姫を見た。そして――


「……わかりました」


扉を押し、静かな声で言い放つと、一拍置いて文字通り克洵が飛び上がった。


「――しゅ、春姫!?」

「それほどまでに春姫を拒まれるのでしたら、仕方ありません。嫁としての資質以前にわたくしに問題があったご様子」

「え!? いや――違――」


春姫を案内してきた琳麗は額に手をやり、秀麗と香鈴はうしろでだらだらと冷や汗を流した。


(……なんて間の悪い…)


ため息が零れてしまう。


「春姫はしばらくこちらに滞在させていただけることになりました。思えばわたくしも克洵様も、今まで箱庭で暮らしていたようなもの……良い機会です。
 見聞を広げ、良く考え直すことに致しましょう」


克洵は蒼白になった。


「ああああのちょっと待――!」

「秋祭りまでは戻らぬ所存ですので、お祖母様をよろしくお願いいたします。お任せ頂いておりましたお仕事はすべて終えておりますれば、どうぞご安心くださいませ」

「ええ!? 嘘――早――」

「従妹として他に何かお手伝いできるお仕事がございましたら、遠慮なくこちらに届けてくださいませ。それでは、ごきげんよう」


しとやかに微笑むと、春姫はしずしずと室を出て行った。それを秀麗と香鈴は呆然と見ていたが、慌てて追い掛けた。
琳麗は凍りついた克洵を一瞥すると、苦笑するしかない。


「克洵さん、春姫さんのことはお任せ下さい。大丈夫ですから」

「…………」


何も言えない克洵に燕青は肩を叩いた。


「……ほらな、逃げたあとで後悔してもおせーっていっただろ……? まあ、春姫のことは琳麗姫さんたちに任せておけって」

「……じゃあ、行くわね。おやすみなさい、皆さん」


サラリ、と下ろした長い髪を流して夜の闇へと琳麗は戻っていった。
それを静蘭はなんとも言えない表情で見送っていたのを、燕青は見ていたのだった。


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蒼天の華 / 恋する蝶のように