参
「藍家の若造と……おぬしは」
宋太傅は静蘭を見るとわずかに目を細めた。一拍のみ、宋太傅はすらりと剣をつきつけた。
「──ちょうどいい。今度はおぬしが相手をしろ」
剣先を向けられた静蘭は仰天し、琳麗もぎょっとした。
「え──わ、私──ですか!?」
「宋太傅っ!!」
「そうだ。琳麗、お前は黙っておれ」
琳麗は止めようとしたが、楸瑛は興味深そうに頬をゆるめると、琳麗の肩を掴み無言で一歩下がった。
困惑する静蘭に構わず、宋太傅はいきなり間合いを詰めてきた。容赦のない踏み込みに静蘭もとっさに剣を抜いた。甲高い金属音が鳴り響く。
「──よくぞ受けた」
「宋将軍……!」
ビリビリと伝わるような仕合に琳麗はハラハラしていた。
(…なにもそこまで……)
考えて、何かを察した。
「静蘭、といったな」
「は、はい」
「おぬし、歳はいくつだ」
「に、二十一になりますが」
「本当か?」
その会話をはたで聞いていた楸瑛の目がつと細められる。琳麗も数年前、宋将軍が言っていた事を断片的に思い出していた。
(………まさか…)
「十三年前、邵可に拾われたそうだな。その前は何をしていた?」
「あ、あの……」
宋太傅の問いに琳麗は、宋太傅を睨んだ。静蘭は、問いに気をとられた瞬間、剣がたたき落とされた。ぴたりと喉元に剣がつきつけられる。
「──なかなかの腕だ。一見我流のように見える剣だな。だが、幼い頃に習った剣の型というものは、おいそれと消えるものではない。おぬしの根本にある剣は、わしが知っているものとよく似ているな」
剣を鞘に戻しながら言う宋太傅に、静蘭の顔から表情が消えた。琳麗は慌てて近寄ろうとしたが、宋太傅はちらりと楸瑛を見た。
「……そこの藍家の若造も、気付いているだろう。藍家出身で、一応将軍職にある男だからな」
楸瑛はただ肩をすくめ、静蘭は無言で剣を収めた。宋太傅は淡々と続けた。
「──今ではもう、見ることはないと思っていた。その型を習った者は、一人をのぞいて皆いなくなったからな。劉輝はわし直々に指南したから、その型は知らぬし」
──最後の一人は、はるか昔に流罪になった。
「……かの公子も、さっきのおぬしのように、わしを宋将軍と呼んだものだ」
なつかしいな──そう呟くと、宋太傅は一度琳麗の方を向いたが、何も言わず立ち去った。
ただ、その瞳の奥には(──付いててやれ)と感じ取れたので、最後まで何も言わなかった静蘭の手を取り、連れて行こうとした。
しかし、何か言いたげな楸瑛と瞳があったが、先手必勝。
「では、藍将軍。私、静蘭に用がございますので」
にこやかに笑い、静蘭をその場から連れ出した。
しばらく歩いていき、人目の付かない場所でくるりと振り向いた。まだ、下を向いている静蘭を琳麗は正面から抱きしめた。
「…っ琳麗様!?」
驚いている静蘭を無視して、琳麗はぽんぽんと背中を叩いたり、撫でたりした。
「……静蘭は、静蘭よ」
その言葉に静蘭は目を見開き、やがてゆっくりと目を閉じると琳麗の背中に手を回したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あら、秀麗。どうしたの? これ」
夕餉の時間を終え、琳麗は秀麗の室にいた。
昼間、静蘭を宥めたあと、三師の室へ行こうとしていたら回廊にてうろうろしている絳攸を見つけたのだ。
彼が歩いて三十歩のところでも迷うという見事な方向音痴というのは、あの藍将軍から聞いていたとはいえ、その真っ只中に遭遇するとは思ってもみなかった。
これがあのボウフラ将軍であれば、気にせず放っておくのだが、彼は父の弟である叔父上の養い子──いわば『従兄弟』だ。助けない訳にはいかないだろう。
「絳攸様? どうかなさいました?」
「っ!? り、琳麗…殿」
ちょっと驚いた絳攸に琳麗は微笑んだ。そして、ちょっとホッとした顔をしている。
(──迷っていたのね)
内心ため息をつき、彼の矜持を崩さないよう行き先を聞き出して、府庫へと連れて行ったのだ。
その時、絳攸が持っていた物に似てる。と、卓子に置かれている小さな桐箱見遣った。
「あ、それすごいのよ」
秀麗は、ニコニコと笑い小さな桐箱の蓋を開け、なかから銀色に輝く茶器を取り出した。その銀器に琳麗は眉を潜めた。
「……どうしたの? これ」
先程と同じ問いをすると、秀麗はうーんと唸りながら頂いた物だと説明した。
「なんかね、父様の知り合いが下さったんですって。私も驚いたんだけど……とってもお金持ちの方だから気にしなくていいとか」
「………そう」
琳麗は、銀器を紫の敷布に包み持ち上げ呟いた。
「いい値段になりそうなのにね、私には勿体ないわ」
「そんな事言わないできちんと使いなさい。せっかく秀麗に下さったんだから」
そっと卓子に下ろし、琳麗は笑った後、窓の外へと瞳を向けたのだった。
その夜、琳麗は府庫へと足を向けた。カタン…と物音が聞こえ邵可は振り向くと籠に茶器とお饅頭を持った娘の姿を確認した。
「やあ、どうしたんだい? こんな時間に」
ニコニコと笑い、邵可は腰を上げて琳麗を室へと入れた。
「父様に聞きたい事があって」
「なにかな?」
手際よく茶を入れ、饅頭を懐紙に載せ父の前に置いた。一口茶を飲み、一息ついてから琳麗は父を見た。
「純銀の茶器……あれは警告ですね」
銀は毒に反応する。つまり、あの銀器の意味は――王宮に紅貴妃を害しようと企む者がいる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗と邵可が別室に篭っていた頃、開架書庫に絳攸と向かい側に楸瑛が立っていた。楸瑛は書棚にもたれかかった。その瞳が皮肉げな光を宿す。
「これでウラがとれたね」
「勉強は邵可様、武術は宋太傅か」
「十年以上も彼等に習っていたとはね。主上は文武ともに国一番の師をもっていたわけだ」
「…なんて贅沢なんだ。あの邵可様直々に教えを受けるとは…」
「宋太傅とも府庫で知り合ったらしいね。よくもまあ、彼についていけたものだ……」
宋太傅は名将中の名将だが、彼の訓練はあまりに厳しすぎたため、現役を退いたあとも羽林軍の指南役にも配属されなかった。
ふと、楸瑛は昼間の仕合の事を思い出したが、今はその話ではない。と軽く瞑目した。
「後ろ盾のない末の公子か…一日中府庫にいた理由も想像つくね。どうりで邵可様に心を許してるわけだ」
誰にも期待されず、必要とされず、存在をうとまれるだけのいらない子供
(っこの韜晦野郎〜〜〜)
内心で吐き捨てて、絳攸はじろりと楸瑛を睨みつけた。
「お前、あの昏君演技に、最初っから気付いてやがったな!」
「フン、一目でわかるよ。反射神経の鋭さも、足運びも、視線の配り方も、全部武官特有のものだ。あれは礼儀作法では絶対身につかないならね。多分、本人は無意識だよ。──剣をもたせたら相当いくだろうね、一度手合わせしたいくらいだよ……さすがに誰が指南したかは今日まで知らなかったが」
「なんで言わなかった」
「君ならそのうち気付くと思ったからさ。事実、気付いたろう?」
忌ま忌ましいとばかりに絳攸は鼻を鳴らした。
「ああ、あんな速さで知識を吸収できるやつがいるわけない。進歩が速いと秀麗は単純に喜んでいるが、この俺が数年かけたものをたった数カ月で追い付かれてたまるか!つまり、あいつは昏君のふりをしていただけだ」
「そうみたいだね」
「…それほど嬉しくなさそうだな」
「才があっても、使おうとしないのならやっぱりただの甘ったれのバカ殿だよ」
──欲しいのは本当の王だ。
楸瑛は冷ややかに笑った。
「自分の能力のすべてをかけてその責務を果たすか否かだ。それは彼の問題であって、私の口出しすることではない。そこまで言ってやるほど私は面倒見もよくないし、優しくもないんでね」
「無言で求め、無言で判断する…か」
厳しい横顔には、いつもの軽薄さは微塵もなかった。絳攸は、知っている。楸瑛が滅多に本気にならないのは、彼が決して妥協を許さないからだ。
藍 楸瑛
この男が本気で仕えると決めたら、誰より誠実で私心のない臣になるだろう
あの王にそこに至までの力はあるか?………しかし。
「……言うつもりのないことを俺に言ったのは、少しは見込みがありそうだからか?」
「そうだねぇ。秀麗殿のおかげで、まあ、ちょっとは面白くなってきたからね」
さっきの真面目な表情が嘘のようににこやかに楸瑛は笑った。
女の話が出ればいつもの常春頭か…などと思いつつ、絳攸は頷いた。
「まあな、秀麗はよくやっている。しかし…もし王がバカのふりをしているのに気付いたらどういう反応をするか……」
しばし沈黙がながれ、楸瑛は苦笑し、絳攸はこめかみに青筋を立てた。
「すごい怒るだろうねぇ…」
「自業自得だ」
「──それよりさ、君、上司に呼びつけられたんだって?」
絳攸の表情が変わり、朝廷随一の才人の名に相応しい厳しく鋭い表情になった。
「なんで知ってる」
「君が吏部で半日、あちこち彷徨うようにうろうろしてたって聞いたから」
途端、険しい表情は崩れた。
「ううううるさいっ! あれは目印がだなっ」
「はいはい。その後、琳麗殿に助けてもらったんだろ。で?」
顔は笑いつつも、その瞳は笑っていない。
「──何の用件だったんだい?」
絳攸は口をつぐんだ。慧眼と名高いその瞳が感情を消していく。ややあって彼は呟いた。
「──秀麗へ、純銀の茶器を預かってきた」
楸瑛の顔から笑みが消えた。
第三幕/終
あとがき
えーっと、宋太傅との関係を詳しく書けませんでした!
とりあえず、分かる事は師弟関係だという事です。それ故、可愛がっております。ってか、思いかけず長くなってしまって書いててびっくりしました(苦笑)