弐
翌朝、琳麗は後宮の一室で目を覚ますと、着替えをして朝廷三師の室へと行った。
「おはようございます。霄太師、宋太傅」
「おはようじゃ、琳麗殿、ゆっくり休まれたかのう」
「はい、霄太師もお疲れではない様でなによりでございます。ご無沙汰しておりました、宋太傅。相変わらずお元気そうで」
「ふん、お前に心配される程ではないわっ。それよりも俺の相手をしろ」
相変わらず、琳麗と打ち合いたいのか宋太傅はそんなことを言っている。
琳麗は微苦笑しながら
「申し訳ございませんが、それはいずれまた。お二方にはお茶の用意をして参りました。暫しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
琳麗は茶器とお茶請けの饅頭を準備し、聞いてみる。
「主上と、父様に帰還の挨拶をと思いまして」
「なんだ、まだ挨拶してないのか。俺は構わん」
「わしも構いませんぞ。邵可にもずっと会ってなかったのだし、早く会いに行ってやるとよい」
「ありがとうございます。府庫におりますので何かございましたら、そちらに。では失礼いたします」
二人の前にお茶と饅頭を並べてから、琳麗は室を辞した。
二人は琳麗のお茶を飲み、饅頭を食べ、ほっこりとしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗は饅頭を籠に入れ、府庫へと向かった。
父、邵可の気配を懐かしく感じ取り、笑みを浮かべてひょこっと書棚から顔を出した。
振り向いた邵可は笑みを浮かべて「お帰り、琳麗」と優しく笑った。
「ただいま、父様。長らく家を空けて申し訳ございません。また帰還の挨拶が遅れました」
頭を下げてくる娘に邵可は苦笑した。
確かに貴陽に昨夜入ったのは知っていたが、直ぐに自宅に帰るのではなく、王宮に留まっていたのを報せで聞いていた。
「いいよ、無事に帰って来たのだから。お立ち、それでは服が汚れてしまうよ」
「ありがとう、父様」
差し出された手を取り、琳麗は立ち上がった。
「お饅頭を作って来たの。お茶の準備しますね」
「いいよ、私がするから」
「大丈夫、父様は座ってて」
琳麗はにこりと笑うと、カチャカチャと籠から饅頭と茶器類を取り出した。
コポコポとお茶を淹れると、ふわり、と甘い茶の香りが漂う。
「甘露茶、だね」
「えぇ、茶州といえばこれでしょう。懐かしかったわ……」
スッと邵可の前に茶を置き、微笑むと邵可はニコニコしながら茶を啜った。
「そうだね、懐かしい。秀麗は覚えているかな?」
「忘れてたみたいだけど、やっぱりお茶は気に入ったみたいよ。沢山買っていたわ」
「そうかい」
二人で色々話していると、不意に琳麗は邵可を見て居住まいを正した。
その様子にもちろん邵可は気づき、辺りの気配を探る。誰もいないようだ。
「――何かあったのかい?」
邵可の言葉に琳麗は顔を上げる。「大丈夫」というのを眼で見て、一旦眼を閉じた。
すぅっと眼を開けて、邵可を見つめると口を開いた。
「茶州で、秀麗が狙われました……茶 英姫様に確認いたしましたが、狙ったのは――縹家当主、縹 璃桜です」
「…………まだ、生きていたのか…」
紡がれた声音は、普段聞いたこともないような底冷えのする声音。
「秀麗は偶然、見つかったようです。英姫様曰く、狙いは茶 春姫殿だったようですが……」
「そうか…………君は、大丈夫だったかい?」
「はい、私は大丈夫でした」
しかし、見つかったことには何の変わりはなかった。
これから、どう娘たちを守ろうかと邵可は心の中で考えたのだった。
「父様、そろそろ劉輝様たちの所へ行きます」
「そうかい、気をつけるんだよ」
「大丈夫です。では帰りは一緒に帰りましょうね」
にっこりと笑う琳麗に邵可も笑みを浮かべて「そうだね」と答えたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
邵可のもとから、主上である劉輝の執務室へ行く途中で柱の間から知っている気配を感じ、琳麗はクスッと微笑した。
(隠れてるつもりなのかしら…)
そう思うと辺りを見渡してから、横へと移動した。
柱の影の人物は琳麗が通るのを今か今かと待ち侘びているが、そっと回廊を覗くと先ほどまで歩いていた姿がないのに慌ててしまった。
「なっ!? さっきまで……」
「叔父様、ただいまです」
突然、後ろから声と共にキュッと抱きついてくる温もりを感じ、黎深は驚きと共に、琳麗に抱きつかれたという事実に声にならない叫び声をあげたのだった。
「……お、叔父様? 大丈夫でございますか?」
「…………」
驚いた後、琳麗に抱きつかれた事が嬉しすぎたのか黎深は床に手を着き、身体を丸めてしまった。
(……お嫌だったのかしら、悪い事しちゃったな…)
(り、りりり琳麗に抱きつかれた、抱きつかれた、抱きつかれた…)
そんなことをしていると、上から声が聞こえた。
「こんな所で何をしている、紅 黎深」
「鳳珠様」
見上げれば、サラサラと靡く美しい髪と仮面を着けた男性が立っていた。
琳麗が立ち上がれば、鳳珠は琳麗の方を向いた。
「帰ってきたのか、琳麗」
「はい、お久しぶりでございます。鳳珠様」
「うむ。――して、こいつは何をしているんだ?」
「えっ、と……「私の可愛い琳麗に馴れ馴れしくしないでもらいたいな。鳳珠」」
いつの間に立ち上がっていたのか、黎深は琳麗と鳳珠の間に身体を割り込んだ。
「……相変わらずなんだな。ところで黎深、仕事を溜めるな。吏部を先ほど覗いたら、お前の机に書類が山のように乗っていたぞ」
机だけではなく、床にも書類が積み重なっていたがな。と鳳珠は続けた。
それを聞いた琳麗は顔を青くした。
「お、叔父様っ! なぜそのようなことになっているのですか? 他の方々が困りますから、きちんとお仕事をなさって下さいませ」
「し、しかしまだ琳麗と話が「お話なら叔父様の仕事を終わりましたら、夕食をご一緒に致しましょう。積もる話も沢山ありますし」……夕食?」
すると黎深はパラリと扇子を開き、聞き返してきた。
「はい。茶州での話など、夕食を父様と交えながら」
「あああ兄上もっ……行くぞ、鳳珠。こうしてはいられないっ!」
呟くなり、黎深は鳳珠の腕を掴みそのままドヒュンと走り去ってしまったのだった。
鳳珠は邵可に頼もうと思った事よりも、久々に会った琳麗の公言が如何に凄さを増すか、ただただ感心していたのだった。
(――しかし、前よりも美しくなっているな……)
以前よりも艶めいているのは気のせいではないと思う。
そんなことを考える鳳珠であった。