参
黎深たちを見送った後、琳麗は主上の執務室へと向かう途中にて、叫び声を聞いた。
『主上! もうどの娘でも構いませんゆえ、いい加減一人でも後宮にお迎えくだされーっ!』
バタバタと走る足音が聞こえると、目の前を主上が通りすがりたかと思えば、彼はガッと欄干を飛び越えると、全力疾走で庭院をぶっちぎって行ってしまった。
「…………」
ちらりと主上が走ってきた方向を見れば、いつもはヨボヨボ腰を曲げて歩いていた老重臣たちが、裾をからげシャッキリ背を伸ばして走っていた。
そして、劉輝が何処かへ姿を消してしまったせいか、肩で息をしながら、がくりと膝をついた。
『……ま、また今日もダメじゃったぁあ』
『もう主上も新年をお迎えになれば二十一におなりというに……』
腰の冷える回廊に皆でヨボヨボと座り込み、さめざめと顔を覆っているのを見て、琳麗はぎょっとして、籠を床に置き、慌てて駆け付けた。
「み、皆様! 大丈夫でいらっしゃいますか? このような場所にいられては風邪を召されてしまいます」
老重臣たちがこちらを見ると、泣きそうな、縋ってきそうな顔をしていた。
「おぉ、これは琳麗殿ではござらんか」
「お、お久しぶりでございます。皆様方」
「琳麗殿、主上に御用ですかな?」
「はっ、休憩のお茶などをお持ち致しましてございます」
一体、どうしたのだろう?と不思議に思いながら、老重臣たちの様子を眺めていたら誰かがぽつりと呟いた。
『琳麗殿はどうだろうか?』
『ふむ、確か紅家の娘だったな……いや、しかし…』
なにやらぼそぼそと話しているのに、琳麗は小首を傾げながら見ていると、彼らは急に立ち上がった。
「いやいやわしらがこんなことではいけませぬぞ」
「さよう。主上もようやく政務に日々真面目に取り組み、朝廷は落ち着き、国も平穏の萌しを見せておる。懸念はあと一つ。各々がた、末期の水を飲む前になんとしてもお世継を!」
「お……おおっ? げげふんっ……ぐおおぉ……」
「み、皆様!?」
頭に血が上がったのか、鬨の声をあげるまえに咳き込んで倒れる老臣が続出し、その場は大混乱に陥った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
大混乱の後、琳麗は息をつきながらようやく執務室へと向かった。
コンコンと叩くと扉が開いた。
「はい、……琳麗殿?」
「藍将軍、お久しぶりでございます」
執務室から逃げ出していった主上を待っていた藍 楸瑛は叩音に扉を開けた。そこにいたのは茶州へ赴いているはずの紅 琳麗の姿で驚いてしまったのは言うまでもない。
「――――琳麗、殿」
「藍将軍、主上はいらっしゃらないのですか?」
「え、えぇ。それよりいつお戻りになられたのです? 驚いてしまいました」
さ、どうぞ。というように扉を開いて促し、琳麗は会釈をして執務室へと足を踏み入れた。
「昨夜です。劉輝様から聞いておられなかったのですか?」
「主上は知っていたのですか?」
「えぇ、昨夜お会いして、二胡を聴かせて頂きましたので」
「そうだったのですか」
にこり、と微笑する貌は以前よりも増して美しく見えるのは、久方ぶりに会ったからなのか、彼女に何かあったのか。
(…………綺麗、になっている…)
見惚れるかのように眺めていると、カチャカチャとお茶の準備を始めている。
「茶州のお土産として甘露茶とお饅頭をお持ちしましたの。先にお飲みになりますか?」
「――そうだね、頂こうか」
主上はかなり前に老重臣たちに『嫁御をぉぉ』と追い掛けられ、絳攸は相変わらずの絶賛迷子中に違いない。
ここで久しぶりに琳麗殿と二人きりになれるなんて、次があるか分からない為に楸瑛は主君と同僚を待たずに琳麗とお茶することを取った。
「どうぞ」
差し出されたお茶はユラユラと湯気を漂わせ、良い香りがした。
「――あまり飲みませんが、なかなか美味しいですね」
「そうですね。秀麗なんて小さい頃はこのお茶が大好きで、今も好きみたいですよ」
「そうなのですか」
「えぇ」
ゆったりとした時間が流れる。本当は色々聞いてみたいのだが、この時間を壊したくないと思いながら、楸瑛はお茶を口にした。
するとバタバタバタと走る足音と共に、バターンと扉が開いた。
「琳麗っ!」
「おいっ、ちょっと、待て……」
見れば劉輝を追い掛けて来たのか絳攸がゼイゼイと息を整えていた。
「劉輝様、絳攸様」
「琳麗〜、先ほど回廊にいたのはやはり琳麗だったか〜」
「はい、劉輝様が凄い勢いで欄干を飛び越えた姿をしかと目に焼き付けました」
クスクスと笑うと劉輝は涙目になりながら
「余、余は必死だったのだぞ。全く毎日毎日追い掛けられて……余の妃は秀麗一人だというのに…」
ブツブツ言いながら話す劉輝に琳麗はお茶をそっと置いた。勿論、絳攸の分も。
「帰って来てたのか。どうだった、茶州は」
「お久しぶりです、絳攸様。茶州は――――」
聞いてくる絳攸に笑みを浮かべ、琳麗は茶州での出来事を話せる範囲で話した。
「ところで絳攸様、吏部の様子は?」
「あ、あぁ……急に黎深様が…って何か言ったか?」
「はい、鳳…黄尚書が仕事が溜まっていたと仰っていたので、皆様が大変ですから、仕事をなさって下さいと頼みましたのですが…」
「そ、そうか……道理で…あ、いや、とても助かった。ありがとう」
「いえ、私はなにも」
その後は、また仕事を手伝いながら会話を楽しんでいた。
茶州で龍蓮と一緒だった事を話すと楸瑛は苦笑ばかりしていたのだった。
続く
あとがき
ちょっと時間軸がずれてたりしますが、すみません。