新年が近づく年の瀬に劉輝は府庫にいた。
一緒にここを訪れた琳麗は、霄太師たちに呼ばれ席を外している。
ここ最近、琳麗は劉輝の執務室にて雑用をしていたせいだった。
それというのも、新年を迎える準備に追われて、側近である二人――李 絳攸と藍 楸瑛は紅藍両家の貴陽邸切り盛りに忙しく、近頃はあまり出仕をする姿を見ないからだ。
一人きりで、いつも通りに仕事をこなす劉輝に琳麗は何も言わずに傍に侍し、邵可、霄太師、宋太傅も何も言わないでいた。
劉輝は琳麗のそんな優しさに甘えるように、最近は琳麗を傍に置いている。


「……邵可」


こてんと顔を横向けて卓子に突っ伏していた劉輝は、邵可が淹れたお茶(琳麗が淹れると言ったが邵可のを所望した)を飲み、声を上げた。


「…すまぬ」


劉輝の言葉に邵可は静かに見つめた。
多忙からか、少しやつれ、逆にその眉目秀麗な美貌はいっそう冴えを増した。


「――琳麗のことでしたら、気になさらないで下さい。あの子が自分で決めたことですから」

「……助かっているのだ、琳麗がいてくれて。だからこそ邵可に淋しい想いをさせているのではないか、と」


独りでいることが多かった劉輝は、淋しいという気持ちを痛い程、理解っていた。
だからこそ、秀麗も静蘭も茶州に行っている今、邵可は琳麗と二人きり。それなのに琳麗は何も言わず劉輝の傍にいてくれている。
一人でいる邵可に申し訳ない気持ちがあった。


「大丈夫です。少しでも主上がお元気でいられるならば」

「私は元気だ。そなたらのお陰でな。仕事に戻る。琳麗にもそう言っておいてくれ。――邵可」

「はい」

「心配するな。私は大丈夫だから」


立ち上がり微笑む劉輝に、邵可が是と肯くことはなかった。
けれど身をひるがえして迷わず出ていく彼を引き留めることもできなかった。
それは傍にいる琳麗とて同じであった。邵可と琳麗に出来ることは、たった一杯分の休息の刻を彼の為に用意してあげることだけと、傍にいることだけだった。
日一日と、彼は絳攸や楸瑛の望む王に近づく。
それと引き換えに、王ではない彼の居場所は月のように欠け――今や幼い日と同じ、府庫の、それもお茶一杯分の刻しか残っていない。
それでも彼は、昔と違って自ら府庫を出ていく。
それが誰もが望み、また自らに課せられた道であることを彼は知ってしまったのだ。――悲しいほどに。

(……でも、まだ今は琳麗がいる)

それだけでもまだ救いになれば、と邵可は琳麗を思った。
だが、このままではとんでもない事が起こるかもしれない。
“紅家長姫”という素性が、琳麗は高官たちに知られているが故に、誰も言いださない。
政治的立場からは琳麗は何よりも相応しく、王が傍に置く女人だ。
しかし、紅家の力が強くなるのを恐れる高官たちはそれを決して言おうとはしない。――琳麗を王の嫁に、とは。



   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


琳麗は劉輝と一緒に府庫に行ったのも束の間、本来の仕事先朝廷三師の室にいた。


「一体、どうなさったのです?」

「近頃は琳麗殿の茶を飲んでおらんのでのう」

「最近は主上の傍にいるからな、たまには良かろう」

「……はぁ」


呼び出されたかと思えば「琳麗の淹れた茶が飲みたい」という年の瀬とは思えない用件だった。
なんだか朝廷に出仕してからというもの、といっても昨年も今年も普通に過ごしていない気がする。
昨年は羽林軍の年末だというのに武術仕合――というか羽林軍のやる気と士気を上げる為の出来事があった。
琳麗はそれに参加する事無く、朝廷三師の室にいたのだが、『武術仕合』と聞いた宋太傅が勘違いでとんでもないことをしたのだ。
劉輝、静蘭、楸瑛そして左右羽林軍総大将の黒大将軍、白大将軍らが対峙しているところに琳麗を抱え、かつ強弓を引くというとんでもない事を。
しかも琳麗までを武術仕合に出そうと連れていったのだ。
そして――今年はとても静か過ぎるのだ。


「そういえば、茶州から朝賀には秀麗殿が来るそうですな」

「はい」

「ほう、それは楽しみだな」

「そうですね。でも秀麗は里帰りではなく、仕事として来るのですから。それでも姉としては久方ぶりに会えるのは嬉しいですね」


そう里帰りではなく、仕事として“王に”新年の挨拶をするのだ。
それを思うと先日、府庫で零した劉輝の言葉に琳麗は眼を伏せた。
危うい感じがしてならないのだ。

カチャカチャと茶器を片付けると、二人に退出の礼をして琳麗は再び劉輝の執務室へと足を向けた。
今は、劉輝様の傍に――それが琳麗が出来るただひとつのことだった。



   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


劉輝の休憩の菓子を取りに庖丁所から戻ると執務室の中から声が聞こえた。


『主上』

『断る』

『私が縁談をもってくるわけないでしょうが』

『なんだ絳攸か。……久々に会う気がするな』


絳攸が来ていたらしい。
いつも茶器は三人分用意してあるので、なんの問題はないので琳麗は声をかけた。


「失礼致します。お茶を持って参りました」


その声に、劉輝のヤサグレ具合にため息をついていた絳攸は振り向いた。


「琳麗」

「お久しぶりでございます、絳攸様」


そう劉輝と同じに琳麗も絳攸に会うのは久々であった。
きっとこの場に静蘭がいたのであれば、冷たい視線を送るであろう。だが琳麗はいつものように微笑んだ。
ほんの少しだけ寂しげに。


「ああ、琳麗。ちょうどよかった。報せがある」


そう言った絳攸は一度咳払いをしたのち、劉輝の方を向いた。


「茶州州牧 紅 秀麗様及び茶州州尹 鄭 悠舜様、茶家ご当主 茶 克洵様、明後日にはご入都とのことです。謁見の申し入れは同日正午となっておりますが」


執務をしていた王の筆が止まった。そして数拍の沈黙の後、肯く。


「わかった。茶 克洵から先に会おう。彼で最後だったはずだな。七家の貴陽邸にそれぞれ登城の通達を。茶州州牧及び州尹の謁見はそのあとだ。時間の調整は任せる」


絳攸は予想外の冷静な反応に驚きを通り越して呆気にとられている。
琳麗はそれをみて微苦笑するしかない。
劉輝の顔はいつものように普通の案件を処理しているときと同じ、静かな顔なのだ。
絳攸は琳麗の方を向いて、何かを求めるが、琳麗は素知らぬ顔でお茶を淹れていた。


「……主上…」

「なんだ? ああ、そういえば楸瑛に伝言を頼む。黒大将軍と白大将軍に、新年だからといって飲みすぎるなと言っておいてくれ。――いや、琳麗、そなたが二人に言っておいてくれ。
 なんだか庖丁所から、一年分の酒が正月だけで両大将軍と管尚書の腹に消えてしまうと涙ながらの奏上があがってきたぞ」


その中には宋太傅が脅して奪った酒があることを琳麗は理解していた。


「はい、承りました。きっちり言っておきます」

「うむ。楸瑛が言うよりは琳麗が言った方が良いかもしれんな」

「主上……」


二人が話していると再度絳攸が口を開いた。


「……なんか拾い食いとかしましたか」

「秋ならともかく、冬はあまり落ちモノはないぞ。それに琳麗に出されたモノしか食っていない。
 他に用がないなら下がれ。お前も紅尚書に押しつけられた紅家の新年の切り盛りで忙しいはずだろう」


その通りだった。側近二人がいないのは同じ事情だからだ。
それでも秀麗登城の報せを受けて、少しでも早く耳に入れたいと思い抜けてきたのだ。
だが、反応のなさに違和感を感じつつも絳攸は琳麗が淹れた茶を一杯飲むと退出した。


「……」


劉輝は絳攸の退出後、何かを思うようにわずかに眼を閉じた。


「……」


再び眼を開けると片隅にゆらゆらと揺れる湯気のお茶が置いてあった。
何も言わず、不要な紙をまとめている琳麗の後ろ姿を見て、劉輝はお茶を口に含む。
熱すぎず、ちょうど良い温かさのお茶を嚥下した。

(……美味いのだ…)

そしてまた何事もないかのように机案に向かったのだった。
今は何も言わずに、ただ傍にいる琳麗が泣きたくなるくらい嬉しかった。





あとがき

短くてすみません。
琳麗さん、朝から晩まで劉輝にべったりとくっついております。
別に互いに恋愛感情はないので、アレですが、お陰で琳麗は後宮にて『妃に!?』と思われてるかもしれません。
高官たちは琳麗が黎深の姪と言うことを知っているので、紅家の姫だと分かってます(義理とは知りませんが)
ですから劉輝の嫁を望んでいようと、紅家の力が強くなるような琳麗を嫁に!とは言えずにいます。

ぐだぐだかつ短い第二幕で申し訳ありません。


2009/07/03


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蒼天の華 / 恋する蝶のように