壱
翌日、宋太傅たちに呼ばれ、近々、武芸大会をするという事を告げられ琳麗は頭を抱えていた。
(絶対、昨日の事が関係しているんだわっ! 宴も近くて色々忙しいのにっ!!)
ブツブツ言いながら、回廊を歩いていると、見覚えのある青年二人が立っていた。
「絳攸様、藍将軍?」
二人はくるっと振り向くとなにやら愉しそうな顔をしていた。
「おや、琳麗殿。どこかへ行くのですか?」
「ええ。今日はこれから秀麗の室へ。あ、そうだわ。絳攸様、なにやら宋太傅が武芸大会を開くと申しまして…」
「武芸大会?」
「はい。ですから、絳攸様が仕切られるようにと頼みに行くとか申してました」
「はあっ!? ちょっ、ちょっと待て!? なんで俺なんだっ!?」
突然の話に絳攸は慌てていた。琳麗もどうしてこんなことに?と思いつつも、どう考えても原因は、多分、昨日の事なのだろう。
傍らの藍将軍は、宋太傅の考えに勘づいているのか口の端を上げていた。
「……さあ、とにかくお伝えいたしましたので」
一礼をして、そのまま足を運ぼうとしたがとっさに腕を掴まれてクルンと反転させられていた。見れば目の前には、男の癖に綺麗な顔立ちのボウフラ将軍の顔があった。
「なっ、なんですかっ!? 藍将軍」
「お、おい! 楸瑛!?」
不覚にも真っ赤になってしまう自分が憎らしいと思い、突然の出来事でキッと睨んでしまった。絳攸も突然の事に動揺していた。藍将軍は、慣れた手つきで腰に手を回して来た。
「琳麗殿に聞きたい事がありまして──」
心なしか近付いてくる顔と囁かれる低い声に、琳麗はあたふたしてしまった。
「ちょっ…やめっ…」
「いい加減にしないか──っ!! こんの常春頭が──っ!!」
絳攸は、バシンっ!と横から殴ると、楸瑛の腕から琳麗を奪還した。
「あ、ありがとうございます。絳攸様」
「い、いや……この前私も助けてもらったしな」
少し頬を赤くしながら話す絳攸を見て、琳麗はふわっと笑ったのだった。
「っぐ! り、琳麗!! そう簡単に笑うな!!」
「は? え?」
いきなりの言い草にちょっと眉ををしかめると、隣にいた楸瑛がくっくっ…と絳攸の肩を叩き笑っていた。
『絳攸…君って琳麗殿の事が』
『なっ、何をっ!?』
『だってさっきのは嫉妬だろう?』
『ちがっ…』
『おや、違うというなら──』
二人は琳麗に聞こえないようにぼしょぼしょ話していた。
琳麗は、そんな二人を見て疑問符頭の上に咲かせていたが、二人の手に花が握られているのに気がついた。
──花菖蒲…意味は『あなたを信頼します』
──しかも色は紫 二つめの意味は『王の花を守れ』
──下賜の花 ── お受け取りになったのね。
フッと笑みをこぼし、琳麗は瞑目した後二人を見た。
「──私、そろそろ紅貴妃様の室へ参りますので」
「あ、ああ」
「では、私は送って──」
「いえ、お二人ともお仕事なさって下さいませ」
楸瑛の言葉を遮り、琳麗は一礼すると今度こそ後宮へと足を向けた。何か始まる風を感じた。もう始まっていたのかもしれないが。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
琳麗は紅貴妃の室へ入ると、秀麗はブスブスと絹の手巾に針を刺していた。
「あ──もう! イライラする〜〜〜」
「……秀麗、」
「だって、姉様っ!! あの馬鹿王ったらすっっっっっごく恥ずかしい事をしれっと言うのよ!!」
ここは後宮なのだと咎めようとしたが、彼女のイライラは収まるどころではない。チクチクと猛スピードで刺繍をしていくが、余計にイライラしてそうだ。
いつもならその発散方法は、思いっきり家事洗濯をするのだがココではそうはいかないのだ。
「あああ〜〜思いっきり麺生地ぶっ叩いて俎板に叩きつけてすっきりしたいっっ!」
喚きながらもチクチクと刺繍をする秀麗に琳麗は額を覆った。はぁ〜とため息をつき、ふと空気の流れに人の気配を感じた。背筋をピンと伸ばした。
「少しは落ち着きなさいまし、紅貴妃様」
その他人行儀な話し方に秀麗は、ピタッと指を止めた。ホトホト歩いてくる足音を聞き、扉が開かれ香鈴が入って来た。
「紅貴妃様?」
「な、なんですか? 香鈴」
「お加減はいかがですか?」
香鈴は愛くるしい声で心配そうに話しかけた。秀麗はなるべく柔らかい微笑と声になるように必死で努力しているのが見えて、琳麗は内心おかしかった。
「大丈夫よ。ほんの少し気分がすぐれないだけですから。今日は室で刺繍でもしているわ」
秀麗の言葉に、琳麗は苦笑せざるおえない。そんなこと言って閉じこもっている方が余計な詮索を受け恥ずかしいということに秀麗は気付いていないのだ。
香鈴は、ポッと頬を染めた。
「ご気分がすぐれないのも主上の愛の証ですね」
(そうよね、そう思うわよね)
考えるもこの歳でこう考えるのも後宮ゆえね。と嘆じた。
その誤解な発言に秀麗はブスッと針を刺したようだ。指に針を思いきり刺した秀麗に薬箱をと持つと、舐めようとしていたのか珠翠に手首を持たれていた。
「秀麗様、傷薬を塗りますね」
吹き出す寸前の珠翠と苦笑している琳麗の姿をみて、秀麗はじとっと睨みつけた。
香鈴は落ちた刺繍布を拾い上げ、桜が描かれた模様をみて、ほぅっと安堵のため息をついた。
「よかったですわ。血がついてません。……それにしてもなんて美しいお刺繍でしょう。本当に紅貴妃様はなんでもおできになるんですね。私、お針はとっても苦手なんです」
「そ、そう……かしら? 毎日のように針を持っていたので、そのせいかもしれませんね」
オホホホ…と笑う姿をみて、琳麗もまた苦笑していた。確かに針は持っていた。が、実際は古着のボロを繕うためにせっせと針仕事をしていたのだ。
刺繍なんて賃仕事以外では、やりもしなかったのだった。
羨ましそうに眺める香鈴を見て、秀麗は何気なく口にした。
「香鈴もどうかしら? よろしければ私が教えて差し上げますわ」
香鈴は嬉しげに瞳を輝かせ、ちょっと躊躇ったあとコクリと頷いた。
手ほどきを受けて、絹の手巾に真剣に針を刺していく香鈴に、秀麗は何気なく聞いてみた。
「どなたかに差し上げるおつもりですか?」
途端、香鈴の頬は林檎のように真っ赤に染まった。秀麗と琳麗は、内心おおっ!と声を上げた。何気にこんなところが姉妹である。
秀麗は、表情はあくまで穏やかに笑みを浮かばせていた。
「大切な方のようですわね、羨ましいわ」
「本当、香鈴にそのような方がいるなんて羨ましいわ」
「紅貴妃様には主上がいらせられるではありませんか、それに琳麗様は大変おモテになっているではないですか」
香鈴の言葉に琳麗は首を傾げた。
「いやですわ、香鈴。私がモテるなんてことあるはずないでしょう」
クスクスと笑う琳麗を見て、香鈴は「そんなことありません」などと言っていたが、琳麗は本気でありえないと思っていた。傍らの秀麗は、顔を引き攣らせていた。
(…なんで姉様って自分を理解していないのかしら)
いつぞやの静蘭と同じ事を思っていたのだった。
香鈴は針を止め、呟いた。
「……紅貴妃様は主上といつもご一緒で羨ましいです。とても仲がおよろしくて。きっと今宵もおいでになりますわね」
「…………。……あっ、しゅ、珠翠! あなたも一緒に刺繍はどうかしら。ほら、こっちきて座って! 座って! ね…り、琳麗も!」
香鈴の呟きに、秀麗はいきなり強引に話題を変えた。琳麗は苦笑し椅子に座るが、珠翠は少し針と糸を見て戸惑っていた。
「それが…あの、私も裁縫は少し……」
それには秀麗も琳麗もびっくりした。何でもそつなつこなしてしまう珠翠が。
「苦手なの?」
「珠翠様にも苦手なものがあったのですね」
「じゃあ、なおさら克服しないと! 珠翠も、針をおとりなさい」
「え……」
秀麗はにこにこと笑った。
琳麗は、刺繍に集中している香鈴の花柄の手巾を微笑ましく眺めた。そして、珠翠を見つめ
「珠翠様も大切な方に差し上げるとよろしいですわ」
「そうね、その方がやる気が出るものね」
「珠翠様、よろしければ私もお教え致しますから」
「珠翠、ね…琳麗はとても刺繍が上手なのよ」
「は…はい。琳麗様、よろしくお願いいたします」
珠翠はいかにも情けなさそうな顔をしながらも、渋々裁縫箱に手を伸ばした。琳麗も教える為に針を手に持った。
自分は上げる相手がいないな〜と考えてると、こそっと秀麗が耳元で聞いてきた。
『姉様、姉様は誰にあげるの?』
『……うーん、上げる人いないからどうしようかしら…』
『だったら静蘭や絳攸様に縫ってくれない? 日頃の感謝の意味を込めて』
フム…と琳麗は一拍考えた後、「そうするわ」と答えて珠翠に教える傍ら着々と刺繍をしていった。
──日頃の感謝…
ならばあの人にも。と琳麗は四枚の手巾に花を描いていった。