弐
日が落ち、劉輝に夕餉を運び霄太師たちにも夕餉を運んだ後、琳麗は庖丁所から泣き付かれてしまった。
主上に奏上したのにも関わらず、羽林軍両大将軍、管尚書が酒を持ち出していったらしい。
はぁ、と琳麗はため息をつき、羽林軍用官舎へと足を運んだ。
そこには屍累々といった感じに酔いつぶれた武官が何人もいた。
琳麗は袖を口に当てると官舎の中に入っていく。そこには飲み比べをしている大将軍二人の姿があった。
「…………」
辺りを見渡すとこちらに気付いてないのか、壁に寄りかかり眼を閉じている静蘭と、槍を立て掛けている楸瑛が目に入った。
楸瑛はこのむさ苦しい場に似付かわしくない鮮やかな紅の衣を纏う琳麗に驚いた。
「琳麗殿、どうしてこんな場「ああ〜ん? 琳麗だと?」…白大将軍…?」
大将軍ともあろう二人が琳麗が此処にいるのに今、気付いたようだった。
「こんばんは、白大将軍」
「てめえ、相変わらず気配消しやがって」
「そうでもしないと、此処には来れませんよ。ところでお二方、庖丁所から泣き付かれましたよ。お酒のみならずツマミも持っていったそうですね」
「はっ、ツマミくれえ、ケチケチすんじゃねえよ。それに俺らは食ってねえぞ、な、燿世」
「……」
「どちらでも構いませんが、ほどほどになさって下さい!」
「ならいいじゃねえか、お前も飲み比べしようぜ」
そう言う白大将軍に琳麗はきっぱりと「結構です!」と断った。
流石日頃朝廷三師を相手にしていない訳ではないようだ。
琳麗はくるりと向きを変えると、楸瑛の横に座り静蘭を膝に乗せた。
「かなり飲んだみたいですね」
「そうみたいだね」
柔らかに笑う琳麗に楸瑛はハッとした。
雰囲気が違うのが気になったが、あら。と声に反応した。
その視線を追って、窓に視線を向けると場違いな文官姿でふらふらと歩いてくる絳攸の姿があった。
「よくここまでこられたな……。そうか、深く道筋を考えない方が迷わないんだな」
「……」
無言で見る琳麗を余所に楸瑛は新しい盃を用意した。
彼が別の物事にとらわれている何かが容易に察しがついたから。
楸瑛は、兄からきた文と、突然貴陽に出没した末の弟を思い出す。
そして、横の見目麗しい美女をみた。……水面下で、確実に状況は動き始めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時間は数刻遡る。
工部にて秀麗が飲み比べで管尚書に勝ち、酔い潰れた彼女を劉輝が送っていた頃、紅邸に訪れた紅 玖琅を絳攸は礼を尽くし出迎えた。
挨拶を述べた後、玖琅は余計なことを言わず、本題に入った。
それは絳攸が黎深の跡を継ぐのであれば条件として、秀麗との結婚の話が出された。
呆然として聞く内容は、確かにと頷かせる話でもあった。
紅家直系の血と紅家を動かせる娘、秀麗の価値は今や公主に匹敵するほどのものだ。
秀麗は出世をしなければならない、そう簡単に終わらせる訳にはいかないからだ、女性の官吏登用を。
玖琅の考えは、絳攸と秀麗が結婚し、絳攸が紅姓に改姓、次期当主襲名。秀麗は出世の階を駆け上がり、いずれ朝廷を掌握。
紅家にとって秀麗も手元に残る一石三鳥。
「え、あの、その、ちょっ――は、、はや――」
「絳攸、お前は秀麗と結婚したくないのか?」
斬り込むような視線を受けて、絳攸は言葉を失った。
その後も玖琅は言葉を続けていく。絳攸が秀麗の出世の踏み台になってやれ。と。
「秀麗の結婚相手としてもっとも論外なのは、王と静蘭だな。まぁ、王には琳麗との縁組みを私は考えている」
「琳麗っ!?」
「あぁ。お前も知っての通り琳麗は世間では紅家長姫だ。そして、あの美貌、知識、作法全てにおいて琳麗ほど王の妃に相応しいものはいない」
「ですがっ…」
「紅家の力が増すと重臣たちも何も言わないだけで、朝廷内では琳麗が相応しいとの声が上がっている」
「……」
玖琅は絳攸同様義理だとしても可愛い姪に変わりない琳麗の姿を思い浮かべる。
そして彼女が誰を好いているかを最近になって知ることが出来た。
しかし、これは一族としては当たり前の世界なのだ。
一度に色々聞かされた絳攸は混乱したまま、邸から出てふらふらとどこかに行ってしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
風雅の宮の高楼にて霄太師と葉医師は、酒を酌みかわしながら茶州の方角を眺め、眼を細めた。
「……国試前に予想していたより、杜 影月の時間は少なかったか……。あれでは、もう幾らももたん……」
「伝説の名医のお前でもか? 黄葉」
「馬鹿言え。ダラダラ生きてりゃ知識なんぞ勝手に溜まるわい。たまたまお前が政事で、わしが医術なだけじゃい。
だが、時に人間はそんなもんカッ飛ばして越えていくヤツがいるから面白い。たとえば茶 鴛洵であったり、黒州の一堂主であったりな」
葉医師の言葉に、霄太師はただ肯いた。そして――不意に二人の眼差しが険しくなる。
「盗み見盗み聞きとは、ずいぶん行儀が悪くなったものだな、縹家の」
霄太師が手首を翻して投げつけた盃が、空に浮いたまま止まった。
そして盃をとる青白い手が現れ、腕がつづき――二人の老師と少し離れて立ったのは、銀白色に金をひとしずく溶かしこんだかのような月光色の髪をたなびかせた青年。
「申し訳ありませんね。珍しい光景に、つい」
そこにいたのは縹家当主、縹 璃桜だった。
老師二人の冷徹な眼光に居竦むことなく、口の端だけで傲岸に笑った。
「お前が貴陽にくるほどじゃないわい。とっとと山に帰れ。えい塩!」
つまみがわりの塩までまいた葉医師だったが、夜の青年はあっさりかわしてしまった。
「帰りますよ。さがしものを手に入れたら」
歌うような声音に、霄太師と葉医師の眼差しがいっそう怜悧さを帯びた。
「一つは縹家の祈願、もう一つは私の祈願」
クスクスと笑う彼に凍てつくような声音で二人は言葉を紡ぐ。
「……五体満足で帰りたくば手ぶらで帰れ、小僧」
「ただの人間が。多くを望めば身を滅ぼすと知れ」
「幸か不幸か、ただの人間ではありませんからね。私は私の好きにします。――そうそう、きっと茶州でまた面白いことが起きますよ。
杜状元は、幸せな夢を見ることができるかもしれませんね。ほんの一時の、儚い夢ではありましょうが」
縹色の衣を翻し、銀つむぎと夜の色の青年は姿を消し、あとには二人の老師の険しい顔だけが月に照らされていた。
秀麗だけではなく、琳麗にとっても忘れることの出来ない事がおきようとしていた。
最終幕/終
あとがき
いや、もう短くて申し訳ないです。
はっきり言って出番がなさすぎるんですが、うまく補うことが出来なくて申し訳ない。
しかも静蘭は起きてる状態で琳麗に会ってないし……。
これではただの名前変換小説ですね。
しかもまだ途中なのに「心は藍よりも〜」に立て込みます。
いや、だって紫霄と黄葉のトコに縹家当主が来るシーンは必要ですから!
とりあえず、お読み下さってありがとうございました。
2009/09/04 初出
2009/10/07 追加