壱
秀麗から玖琅叔父様が来ていると知った琳麗は早足で自邸へと戻った。
それに今、我が家には克洵と龍蓮が滞在中であり、お客様の彼らを邵可だけに任せる訳にはいかなかったからだ。
まぁ、玖琅がお客様にも関わらず雑務をしているだろうという確信も持てていたが、それでも玖琅も客人になるので急いだ。
ただいま戻りました。と居間へ入れば、邵可が蜜柑を卓子に置いたままほっこりとお茶を飲んでいる。
「おかえり、琳麗。早かったんだね。今、玖琅が来ているんだよ」
だが、客人であるその玖琅の姿は室内にはない。
「玖琅叔父様は?」
「うん。克洵くんと庖厨で夕食を作っているよ」
「え?……克洵さんも、ですか?」
「うん。私も手伝うよと言ったんだけど玖琅に追い出されてしまってね」
ははは。と笑う父に琳麗は頭に手をあてた。
しかし克洵がいるのに、龍蓮の姿が見えない。まさか一緒に菜を?と思っていると、邵可が答えを出した。
「龍蓮くんなら『行くところができた』と克洵くんに言ってどこかへ行ったらしいよ」
「……玖琅叔父様に会いたくなかった、だけでしょうか?」
「それだけならいいんだけどね。――琳麗は宮城で何かなかったかい?」
不意に先ほどの霄太師たちの声が蘇る。チラりと庖厨の方の気配を気にしながら、琳麗は口を開いた。
「……以前、龍蓮にもですが、今日霄太師にも銀髪の男に近づいてはならない、と忠告されました」
「……」
「……」
「……縹 璃桜、か。気をつけなさい、琳麗」
「はい。では私も手伝って来ますね」
「そうだね。早く玖琅に顔を見せてあげなさい」
一瞬の沈黙の後、琳麗は邵可に頭を下げて庖厨へと向かった。
その姿を見て、邵可は先ほどの龍蓮からの暇の文を読んだ時の予感はこれか、とただ茶碗を眺めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
庖厨へと行くと声が聞こえた。
なにやら克洵がやたらと驚いているようだが、疑問を抱きながら声をかけた。
「玖琅叔父様、克洵さん」
その声にパッと二人は庖厨の扉に立つ琳麗に目をやった。
「り、琳麗さん、お帰りなさい」
「おかえり、琳麗。庖厨を借りている」
「ただいま戻りました。申し訳ございません、お客様にこのようなことをさせてしまいまして。後は私が」
「気にすることはない。邵兄上が庖厨に立つより、私がやる方が安心だ。それに、たまには琳麗や秀麗が作らなくても良い日があってもいいのではないか?」
頭を下げ謝罪の言葉を述べる琳麗に玖琅は頭を撫でながら、遮った。
そしておもむろに手を取り、あかぎれのある肌を眺めた。
紅家の姫であるにも関わらず、荒れた手に玖琅はため息をついた。
本来ならば侍女にかしずかれ、優雅に過ごしているべきであろう紅家の姫たち。
「君は宮廷女官なのだから、ここまで手を荒らせておく訳にはいかないだろう」
「…これでもマシな方ですよ。私よりも秀麗のが酷いですから」
「どちらも、だ。良いから今夜は私たちが作るから琳麗は休んでいなさい」
「そうですよ。琳麗さん、いつもお世話になっているんです。これくらいの事をさせて下さい」
先ほどまで玖琅が三兄弟の末っ子であり、尚且つ朔洵と歳が変わらないと知った克洵は、あまりの違いに仰天を突き抜けて真っ白になっていたくらいだった。
だが、会話をして、威圧感はあるが素敵な人だと尊敬の念を抱いた。
それでも琳麗が現れてくれて、ピンッと張っていた空気が和らいでホッとしたのもある。
「……それでも食器などの用意などは手伝いますね。お客様に菜をさせるなんで恥ずかしいですが、お言葉に甘えさせて頂きます」
きっといくら自分でやると言っても玖琅は引き下がることはしないだろう、と思い琳麗はそう言うしかなかった。
その後、玖琅の指図の下、克洵が一生懸命餃子を作り、玖琅もてきぱきと菜を作っていた。
流石に見てるだけは出来ず、琳麗は克洵の最低限の手伝いをしたのだった。
やがて秀麗が帰って来て、出来上がっている夕餉に感激しているのを久々に見たのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
秀麗も邵可も琳麗も玖琅と克洵の作った菜を食べ、満足した後、琳麗と秀麗、玖琅は再び庖厨にいた。
甘味を用意しようとした玖琅に慌てて秀麗が手伝おうとしていたが、玖琅はじっとしていなさいと諫める。
なら食器を洗おうとしている琳麗の手伝いをしようと、汲み置きの水瓶に向かう姪たちに玖琅はため息をつく。
「……待ちなさい、真冬に、冷水で洗い物をするつもりか。湯を沸かしなさい」
「え、でも薪がもったいな――」
「薪なら後で届けさせる。琳麗も先ほど言ったばかりだろう」
玖琅は懐から手巾をとり、琳麗よりあかぎれが酷い秀麗の右手を包むように巻いた。
次いで髪をまとめていた紐を解くと、それで手巾が落ちないように軽く縛った。
「過ぎた我慢は美徳ではない。いくら邵兄上でも、娘の手と引き替えなら薪代くらい稼ぐはずだ」
玖琅はそれしか言わず、秀麗は冷えていた右手を眺めながら反省し、琳麗は苦笑しながらお湯を沸かし始めた。
その間に玖琅は裏口から外に出ていった。
「これからは冬場はお湯を沸かさないとね」
「……そうね、姉様」
人肌でぬくめられた手巾の上から琳麗は秀麗の手を覆いながら微笑すると、秀麗も微苦笑しながら答えた。
すぐに玖琅が何かを抱えて戻ってきたが、それを見た秀麗は目を丸くした。
「お蜜柑……と、林檎!? この時期に」
琳麗がさほど驚かなかったのは持ってくるものを知っていたからだ。
「林檎は長期貯蔵に優れているからな。品種によっては半年以上もつ」
淡々と言うと、林檎の一つを軽く弾く。響いた澄んだ音は、上物の印だ。
琳麗が玻璃の小鉢を用意してるのを見て、手伝おうと腰を上げた秀麗に玖琅は「じっとしていなさいと言っただろう」とまたもや止める。
「で、でも姉様も手伝いしてるのに……」
「……琳麗も座っていなさい」
「私は大丈夫ですよ。秀麗はたまに休んでいなさい」
「……ではこれの皮を剥きなさい」
林檎を手渡され、包丁で剥いていく琳麗。その隣には静蘭とたいして年齢の違わない玖琅の様子を秀麗はじっと見ていた。
様子をチラッと見た琳麗はクスッと小さく笑った。外にいる珍客たちはどう思っているだろうか。
氷蜜甘味を作った玖琅はそれを掬って秀麗の方を向いた。玖琅を観察していた秀麗の肩が小さく揺れたのを見た琳麗はまたクスリと微笑んだ。
「あ! 外で林檎ごと凍らせて、丸ごとすりおろして氷菓になさったんですね」
「いいから溶けないうちに食べなさい」
匙を近付けられた秀麗はそのまま顔を寄せると、口に含んだ。次の瞬間、秀麗の顔がパッと輝いた。
その表情(かお)は昔見たことのある顔。
「す、すみませ――あの、その」
「覚えていたようだな」
「え」
「小さい頃と同じ顔してたわよ」
「へ?」
琳麗が「ね、叔父様」と同意を求めるとあまり変わらない玖琅の表情が、ふっとゆるんだ。
「おまけだ」
向けられたもう一匙には、さっきと同じすりおろした林檎に蜜柑が一切れ載っている。
その蜜柑も外でキンキンに冷やし、とろりと温かい糖蜜がかけられている。
当然とばかりに口唇の先に差し出す玖琅を窺いながらも、秀麗は照れつつもまたパクりと口に含んだ。
「おいしいです」
「そうか」
ほのぼのとした空気が流れるなか、琳麗は窓の方を窺うと苦笑するしかなかった。
「叔父様、秀麗。先に父様たちにお茶のおかわりを置いてきますね」
庖厨から出ていく琳麗を見送った玖琅は秀麗に質問をした。
「……ところで一つ訊くが、君はどんな男なら夫にしてもいいと思っている?」
本当は琳麗にも訊くべきだろうが、琳麗は王の后に、秀麗は絳攸にと縁談を望んでいるので、秀麗だけに問いたのだった。