紅東区の小さな診療所へ向かえば、昔馴染みの葉医師がいた。


「お、琳麗嬢ちゃんじゃないか。どうしたんじゃ?」


いつものように笑う葉医師に琳麗は膝をつき、頭を下げた。


「琳麗嬢ちゃん?」

「朝廷より参りました。葉 棕庚殿、ご一緒に宮城に来て下さいますよう願います」

「霄が呼んでいるんじゃな、ったく、琳麗嬢ちゃんを遣うなど許せんヤツじゃ!」


そう文句を言いながらも、葉医師は外套を羽織り、支度をした。


「ほっほっほっ、では行くとするかのう」

「ありがとうございます、葉医師」


行きの軒の中で、葉医師に何かあったのかと訊ねられ、琳麗は茶州から二通の文が届いた事を話した。
茶州にて腹が膨れる謎の『奇病』が流行りだしているようだ。
それが葉医師が呼ばれた件であろうと琳麗は説明する。



「……ふむ、腹が膨れる奇病のう…」

「葉医師、秀麗の頼みをお願いいたします」

「そろそろ茶州あたりに行こうかと思ってたんじゃ、わしに出来ることをするまでじゃ」


そうして軒に揺られ、手続きを取り、葉医師を連れて行こうとすれば霄太師が回廊を歩いて来たのだった。


「よく来たのう」

「緊急事態だと言わんばかりに、琳麗嬢ちゃんを遣って呼んだのは貴様じゃろうが、バカ霄」

「話は聞いたか」

「まぁの」


二人はそう話し、歩いていくのを琳麗は後ろをついていった。
するとハッと顔をあげると勢いよく走る妹・秀麗の姿があった。
あまりの鬼気迫る形相に三人は驚いた。


「――うおおう? 秀麗殿、ずいぶん急いでおるのう」

「あ、お久しぶりです 霄太師! すみません ご挨拶はまたのちほどゆっくり――」

「しゅ、秀麗っ!?」


三人の傍を駆け抜け――秀麗はぴたりと足を止めた。
そして勢いよく振り返る秀麗に、霄太師の隣にいた葉医師がひょいっと手を振った。


「ほっほ、久しぶりじゃのー、秀麗嬢ちゃん。風邪なんかひいてないかの?」


葉医師の言葉に、秀麗はぷるぷると震え叫んだのだった。


「よ、よ、葉医師――――っっっ!!」


どうやら秀麗は葉医師を呼びに行くところだったらしく、それを先に読んでいた霄太師が琳麗を遣いに出して、呼んだのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


琳麗や秀麗にとっては貴陽に住んでからは、小さな頃からお世話になっているご近所のお医者様だが、実は放浪の医仙と呼ばれていたようだ。

秀麗は葉医師を掴むとまた走って行ってしまい、とりあえず、霄太師と琳麗も後を追いかけ室に入れば、悠舜、柴凜、茶 克洵の他に筆頭侍医陶老師を始めとする医官たちがいた。
そして、彼らは医仙の寵児という、神童・華眞を凌ぐ医仙・葉 棕庚のあっさりした出没に陶老師以下、医官全員が固まっていた。


「霄のバカに突然呼び出されたときは何事かと思ったがの……」


葉医師は固まっている医官たちに構わず、華眞が記した巻書を次々とめくっていった。琳麗も数十とある医学書を見て、凄い…小さく呟いた。
葉医師のいつも人好きのする笑みを浮かべるその顔から、表情が消えていく。


「……人、というものはまったく……」

「え?」

「うんにゃ、よくここまで、と、思ってのう……」

「出来ますか!?」

「秀麗嬢ちゃんの頼みじゃし、来る途中で琳麗嬢ちゃんにも頼まれたんじゃ、引き受けないわけにゃあいかんの。貴陽にも大分長居しすぎたし、そろそろ茶州あたりに行ってみようと思ってたんじゃい」


その言葉に、陶老師はようやく我に返った。


「で、では、人体切開の術を……っ!?」

「あーまあ、できるできる〜」

「え、葉医師、人体切開なさるのですか?」

「そうじゃのう……が、器具が必要なんじゃが……参ったのうー自分用の数本しかないんじゃ。万一に備えて一応使えるように研いじゃおったが……患者がそんなに大量にいるならとても足りんわい。しかもド素人にも扱わせるとなると――」


ちらっと葉医師が若手医官たちに視線を送ると、医官たちはぎょっと飛び上がった。


「え!? ま、まさか私たちもやるんですかッ!?」

「わし一人に何十人も腹さばかせつづけるつもりかい。老人労れっつーの。なんじゃい、お前さんらも一緒に茶州に行くんじゃろ?」

「え、いや、あの、ででででも――」

おろおろする若手医官たちに、見ていた陶老師はわなわなと震え――くわっと目を剥いた。
次いでぺぺぺぺん!と手にした笏で問答無用に弟子たちの頭を叩いていく。
当代随一の医術を拝める機会をフイにしようとする彼らが羨ましいのだ。もう彼は若くはないのだ。
若さがあれば、彼はもっと医術を磨き、人体切開の術をこの手で経験し、会得出来たかもしれない。


「医師として……どれほどの宝を受け継げるのか、今しかないこの機会を……ッ!」


怒髪天を衝いて悔しそうにバンバンと卓子を叩く陶老師を、弟子たちが必死でなだめる。


「わかってます。ぼく、行きます」

「そうですよ。行かないなんて言ってないじゃないですか」

「おれたち、陶老師の直弟子ですよ?」


陶老師はピタリと卓子を叩くのをやめた。
弟子たちは顔を見合わせ、一斉に葉医師に跪拝の礼をとった。
命を繋ぐ秘術。華眞が記した医学書。伝説と謳われた医仙が目の前にいる。
心震えぬわけがない。受け継ぎたいと思うのは、陶老師だけではない。
他ならぬ陶老師に叩き込まれた、医師としての自負と誇り。


「――よろしく、ご指導お願いします」


葉医師はつるりと顎髭を撫で、苦笑する。……弟子をとるのもずいぶんと久しぶりだ。
ついと琳麗を見上げて口を開いた。


「琳麗嬢ちゃん、庖厨所に案内してくれんかの」

「はい、分かりました」


葉医師の言葉に医官たちは不思議に思ったのも束の間、くるりとこちらを向いた。


「よし、じゃ、まずは着替えてくるんじゃ。なるべくボロでは」

「え、何故です?」

「庖厨所でまずは豚くんとかでカッさばく練習するんじゃ。次は墓場とか葬儀屋の死体で練習じゃぞい」


聞いていた克洵のほうが気絶しそうになったが、実際やる方はたまったもんじゃなかった。


「――は、墓場!?」

「し、ししし死体!?」

「あったりまえじゃろー。いきなり生きてる人間でやるつもりかい」

「マジですかー!?」

「たたた祟れたらどーすんですかっっ!?」


そんなやり取りをし、切開用の器具は柴凜さんが開発するらしい、彼女は葉医師に他の種類も頼まれ、府庫へと行ってしまった。


「運を、引き寄せとるのう秀麗嬢ちゃん。大事なこったぞ」


葉医師の笑顔に、秀麗は震えながら短く息を吸い込んだ。


「でも、まだ足りないわ」


そう言ったのは琳麗だった。


「そうじゃ、足りんな」

「……薬、ですね? 葉医師」

「全然足りん。あと出来れば鍼師と医者もな!」

「はい。――陶老師、この巻書に書かれてる医薬の価値は、どれくらいですか?」

「万金にも優りましょう。金品で換えられるものではございませぬ」

「その価値が分かる方なら、喉から手が出るほど欲しがられるというわけですね?」

「その通りです」

「……分かりました」


秀麗は悠舜と目を見交わし、頷いた。


「これ、一冊お借りします。あと葉医師のお名前も拝借しちゃいますよ」

「わしゃ、恥ずかしがり屋なんじゃが、しょーがない。そんかわし、キチッと頑張るんじゃぞい」

「秀麗、頑張ってね」

「ありがとう、姉様っ!」


その後、克洵と悠舜と話した後、秀麗は全商連に向かうべく、室を後にした。
琳麗は沢山の医学書を手に取り、見やった。


「どうかしたのか、琳麗嬢ちゃん」

「葉医師……いえ、人とはすごいものですね」

「……そうじゃのう…」


どこまでもどこまでも、生きることを諦めない。たった一人でも、こんな風にいつだって不可能を越えていく。
その、果てしない想いの力。


「……失礼いたしました。庖厨所にご案内致します」

「そんな畏まらなくていいんじゃ、それに琳麗嬢ちゃんには――」


葉医師の言った言葉に琳麗は目を丸くしたが、微笑を携えて頷いたのだった。



第三幕/終
2010/05/24


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蒼天の華 / 恋する蝶のように