弐
翌日、府庫へ行こうと回廊を歩いていると前から主上が歩いて来るのが見え、琳麗は路を空け礼をしていた。
通り過ぎたと思い、ふと顔を上げるとこちらを見ていたので琳麗はびっくりしていた。
(な、なに!? 私、何かしたかしら!!)
そんなことを内心思っていると、いつの間にやら目の前に立っていたので琳麗は頭を垂れていた。
「……ちょっと頼みがあるのだが」
「……はい?」
腕を掴まれ、連れて来られたのは人目のない池のほとりだった。
「あの……」
「そなた、秀麗…貴妃付きの女官であったな……見覚えがある」
「はい」
(…そういえば、あまり秀麗の室で主上と会った事なかったっけ)
そんな風に考えていると、なんだか主上がモジモジしているように見えるのは気のせいだろうか?そして、おもむろに袷から手巾を取り出した。
「昨夜、秀麗に貰ったのたが……そのお返しは何がいいと思う?」
その様子があまりにも可愛く見えて、琳麗はニコッと笑うと口を開いた。
「そうですね、お返しなさいましたら、紅貴妃様きっとお喜びになられます」
「や、やはりそうか! 楸瑛たちが言っていたのだ!」
(……さすが藍将軍ね)
ふと見上げと主上がジッと見ていた。
「で、だ。何が喜ばれるだろうか?」
「……そうですわね、主上が一生懸命選んだ物であればきっと気持ちが伝わって喜ばれると思います。選ぶ際に紅貴妃様に似合う物とお考えになればきっと素敵な物が見つかります」
「……余が選ぶ物なら秀麗は喜んでくれるか?」
不安げな主上に琳麗は苦笑した。
ずっと一人だった劉輝様……きっと誰かから物を贈られる事も贈った事もなかったのだろう
「はい。『主上』という身分ではなく、劉輝様という個人からの思いであればきっと、秀麗様もお喜びになられます」
そう秀麗は、贈り物を無下にはしない。相手の気持ちが入っていると分かっているから。
「そうか、秀麗の為に私が選べばよいのだな」
「はい、そうでございます」
『余』という一人称を使わない辺りで意味が通じてよかったと琳麗は微笑んだ。
「そういえば、そなたの名前はなんという?」
「私ですか? 私は琳麗と申します」
「琳麗か……よい名だな」
「ありがとうございます。それでは仕事がございますので」
琳麗は、一礼をして踵を返しまた府庫の方へ足を向けた。その姿を劉輝は、しばし見つめていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……琳麗様」
「あら、静蘭」
ガサリと茂みから静蘭が現れ、琳麗は目を丸くした。
「そんなところでどうしたの?」
「いえ……あの…」
「あ、静蘭は主上の護衛だものね」
いてもおかしくないか。と呟きさっきまでいた方をちらっと見るが、少し言い淀む静蘭に琳麗は苦笑した。そして袷から昨日の手巾を差し出した。
「え、あの……」
「昨日、縫ったの。よかったら貰って」
描かれた模様は「むらさき草」ジッと眺める静蘭に琳麗はまた苦笑した。
「静蘭は静蘭よ」
「………ありがとうございます」
そう呟き手巾を受け取った彼に、琳麗はふわりっと笑みを零した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜、宴に琳麗も駆り出されていたのは言うまでもなかった。玉座には、すっかり王らしくなったと評判の主上と貴妃として座る秀麗の姿があった。
琳麗も貴妃付きであったために本来は、秀麗の傍に控えるはずが、三師付きの女官という為今は三師の傍にて給仕をしていた。
『それにしてもすっかり王らしくなられましたな』
『やはり妻を持つと男は変わりますな』
『最近は朝議でも積極的に発言されておるらしい』
『これも紅貴妃様のおかげですかな』
『白州州牧を前にしても堂々としたものだ』
辺りから聞こえる声にふと、秀麗たちがいる場へと瞳を向けた。すると主上が州牧から盃を受け、次は秀麗らしい……しかし、失くなったのか新しい酒が秀麗の盃に注がれた。
が、飲もうとしていた秀麗の手からそれを奪いしばし見た後、何かを言ってそれをグイッと飲み干した。
(──まさかっ!)
とある考えが過ぎり、琳麗は注意深く二人の様子を見ていた。
宴も終わり、女官の仕事を終えた後琳麗は急いで貴妃の室へと足を向けた。が、扉の所に静蘭が立っているのを見つけた。
「……静蘭」
「琳麗様…」
近づくと、静蘭が少し苦い顔をしているのに気付いた。そっと、手を取るとハッとしたがまた俯いてしまった。すると室から話し声が聞こえてきた。
『……闇…は……嫌いだ……』
『え?』
『……闇のなかで……一人は……嫌いなのだ……』
『どうして……?』
『……昔……よく、閉じ込められた……暗いなかに』
その言葉に琳麗はちらりと室の向こうを見た。そして、静蘭が表情を曇らせているのを感じとった。
『誰……に?』
『……母上や……異母兄上たちに』
『──どういうこと』
『……私は要らない子だったようなのだ。父上の愛情が薄れたのは私が末だったからだと……母上はいつも怒っていて、私はずっと無視されていた。時折、視線があえば怒鳴られて、真っ暗な地下蔵に何日も閉じ込められて……いつも泣き喚いてる場面しか、正直、記憶にない』
『……なんですって』
『三つか四つのころから、かな。そのうち兄たちが加わるようになった。私は元々末の公子で忘れられた存在だったし、殴ったり蹴ったりして憂さ晴らしをするには丁度良かったようなのだ」
『そんな…ひどい』
『そうか? 私はそんなことはどうでもよかった。清苑兄上がいてくれればそれでよかった』
『清苑……?』
『私の──二番目の兄だ。読み書きも算術も兄上が教えてくれた。他の兄たちにぶたれても、庇って薬を塗ってくれた』
『二番目の…って、もしかして』
『ああ。私が六つの時、外戚の謀反を受けて流罪になった。兄上は少しも悪くないのに……私はそれを知らなくて、一年くらい泣き暮らした。………でも、その頃、邵可と会ったのだ』
『父様に?』
『府庫に行けば……もう、一人ではなくなった。それでも、夜は嫌いだ……暗闇のなかで一人で居ると色々な事を思い出す。嫌な記憶が引きずり出される。一人になるのは嫌だ』
思いがけない話に琳麗は瞑目した。主上が毎晩誰かと過ごすのは一人では眠れないからだ。
その想いを考えて哀しくなった。しかしそれは想像するだけの物だった。その想いを理解するのは他人では無理なのだ。
『……秀麗、二胡を弾いてはくれないか?』
しばらくすると秀麗の二胡の優しい旋律が静かに奏でられていく。
『秀麗の二胡は真珠みたいだな。優しくて温かみがある』
ようやく静蘭がそこから離れ、琳麗は庭院へ降りた。
そして、月明かりの下で風に乗せそっと唄い始めた。皆が幸せな夢を見れるようにと……祈りを込めて。